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序章 はじまりの一夜
1.
しおりを挟む「本当に……後悔、しない?」
組み敷かれた広いベッドの上、目の前にあるのは、美しい星の夜を思わせるような漆黒の瞳だった。長いまつ毛に飾られた涼しげな双眸は、熱を帯び自分を見下ろしていた。
「阿佐永さんこそ……。後悔しませんか?」
つい二時間ほど前に知ったばかりの名前を呼ぶと、彼は薄い唇を少しだけ動かす。そこから発せられる低めの声はゆったりとしていて、子守唄のように穏やかだ。
「大智って、呼んで? 由依」
「大智……さん」
さっきまで瀬奈さん、と自分を呼んでいた大智は嬉しそうに口角を上げ、緩やかに微笑んだ。
(やっぱり……似てる……)
由依はその口元を見て思う。
高校一年生のころ、電車内で見かけていた彼。通学途中にある同じ沿線の有名進学校の高校生だった。
長めの前髪と黒縁の大きな眼鏡であまり表情の見えなかったその人は、いつも同じ書店のカバーが掛かった本を読んでいた。
たいてい口を真一文字に結んだ、難しい表情をしていたけれど、時々何か面白い内容だったのか、フッと口角を上げるとその口元を緩ませていた。
そんな、会話をしたこともない、ただ同じ車両に乗り合わせていただけの人のことを由依はふと思い出した。
その頃抱いていた、淡い恋心と一緒に。
「……怖い?」
大智は昔を思い出しながらじっと見上げていた由依に尋ねる。それから肩まで伸びた髪を優しく撫でた。
「怖くは……ないです……」
二十六才にして初めて経験する夜なのに、不思議と怖いと思わないのは何故だろうか。
大智の職業が弁護士だから、というのも違う気がする。何故か不思議と安心できる、優しいオーラのようなものを纏っている。そんな気がしたからかも知れない。
「よかった」
目を細め薄らと微笑むと、大智は由依の額に口付ける。それからその瞳を覗き込んだ。
その眼差しはまるで、自分を愛しいと言っているかのように穏やかで、どこまでも優しいかった。
(勘違い……しちゃいそう……)
こんなにも美しい男性に求められ、そんなことを思う。
今まで生きてきて、告白されたことも異性と付き合ったこともない由依にとって、ただ体を重ねるだけの相手にこんなにも甘い表情を見せるのが、普通のことなのかもわからない。
戸惑う由依の耳元に唇を寄せると、大智は囁いた。
「約束、して……。僕の前から消えないって……」
切なげな掠れた声は由依の耳を撫でる。それは、今まで感じたことのない不思議な感覚を呼び覚ます呪文のようだった。
「んっ……。大智……さ、ん……」
身動ぎしながら名前を呼ぶ由依に、大智はキスの雨を降らす。
「……何?」
そう返しながらキスを止めない大智の首に、由依はおずおずと腕を回した。
『約束はできません』
――そんな言葉を飲み込んだまま。
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