私の愛は狂気で出来ている

薄氷

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とある貴族令嬢と執事のお話

とある貴族令嬢のお話

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「ヴィオラ=レオメンス!!貴様との婚約を破棄する!!」



 とある国の祝典中に若い男の大きな声がパーティー会場に響き渡った。
 会場の出席者たちが一斉に声のした方を見れば、そこには現国王の第一王子であるフレム殿下と見知らぬ令嬢がいた。彼らの矛先にいるのはヴィオラ=レオメンス公爵令嬢。第一王子の婚約者だ。

「貴様はユメコの美貌と才能に嫉妬し、犯罪にも近い嫌がらせをしてきたそうだな!!そんな人間らしさのカケラもない女が俺の婚約者など反吐が出る!!よってこの場で貴様との婚約を解消し、ユメコ子爵令嬢と婚約する!!」

 そう宣言して隣にいるユメコという子爵令嬢を抱き寄せた。うっとりと熱のこもった表情で殿下の胸にしだれかかる令嬢は可愛らしい容姿に小柄な身長に庇護欲を掻き立てるような女の子だ。


 ヴィオラ公爵令嬢はそんな彼女と対極の雰囲気を持つ令嬢だった。
 淡い水色の艶やかな髪に切れ長の目に鮮やかな紫の瞳を持つ彼女は人と比べて冷たい雰囲気を醸し出しているように見える。

 幼少期から王妃になる為の英才教育を受けいるので学園ではトップの成績を持ち、礼儀作法も完璧にこなす彼女は同世代よりも大人びた容姿と理性的で物静かな性格が相まって近寄りがたい印象を与えている。

 そんな彼女が静かに殿下の方を見れば、彼に引っ付いている令嬢が大袈裟なぐらいに肩を震わせていた。


「おいっ貴様っっ!!ユメコにこれ以上の暴挙は許さんぞっっ!!」

 何もしていないというのにユメコ令嬢は大きな茶色の目からたくさんの涙を零していた。


「い、いいのです……殿下……ユメコが、ユメコがヴィオラ様に何かしたから……、だから、きっと……」
「心優しいユメコがそんなことをするはずがないだろう?悪いのはヴィオラなのだ。自分を責める必要はない」

 ユメコ子爵令嬢の言葉を一切疑わないフレム殿下だが周りの貴族たちも同じように彼女に憐みの視線を向けている。

「貴様の悪魔のような所業にユメコは深く心を傷つけられている。本来ならこの場で処刑したいところだが心優しいユメコは貴様にも慈悲を与えるそうだ」

 立て板に水のように話す殿下には見えていない。彼の胸の中からヴィオラに向かって見下したような笑みを浮かべているユメコ子爵令嬢を。


 ヴィオラはその一部始終をただ黙って聞き入れていた。

 勿論、殿下の言っている嫌がらせなどユメコに一切していない。それどころかユメコ子爵令嬢と会うのはこれが初めてだ。だが何故か他の貴族たちも殿下側のようで証拠も証人も出していないというのに信じ切っているようだ。


 何か言おうと思ったが、ヴィオラは喉まで出かかっていた言葉を途中で飲み込んだ。理由が何であれ殿下がユメコ子爵令嬢を選んだ。次期国王が選んだ女性はつまり未来の王妃だ。

 殿下はヴィオラではなくユメコを選んだ。



 ヴィオラにとってその事実だけでもう未来の王妃になる為の気力など失せていた。


「……よって貴様の爵位を剥奪し、国外へ追放する!!せいぜい惨めな余生を楽しむことだな!!」

 その言葉を最後にヴィオラは会場から追い出されてしまった。









 会場を後にして暗い暗い空を見上げた。酷い虚無感に襲われているからか体も上手く動かせない。

 目の奥から熱いものがこみ上げてくる。あぁ、そうか。私は婚約者である殿下に婚約破棄されて悲しいんだろう。だって私は彼が夢中になる子爵令嬢に嫉妬して嫌がらせをするほど殿下のことを愛していたのだから。

 そう、愛していた。愛していたはず。いや愛そうと思っていたはず。だってあれだけ王妃になる為の勉強もしたのだから。礼儀も作法もどの令嬢よりも練習し、完璧にこなせるようになった。あぁ、でもそれも意味がなくなるみたい。だってもう私は婚約者ではなくなったのだから。

 ……もう公爵令嬢でもなくなったから。


(私はどうすればいいの……?)
 家には帰れない、学園にも帰れない、もうヴィオラの居場所もない。でも元からそんな場所があっただろうか?家は礼儀作法を学ぶ場所、学園はトップの成績を保つ場所、居場所と呼べる場所なんてあっただろうか?

 母も父も家にはあまりいない。父は公務の他に愛人の元へ通っているし、母は自分主催のお茶会や夜会に忙しく、美を保つ為に部屋に閉じこもっている。ヴィオラが何か失敗した時だけ叱りにきてすぐにそれぞれいなくなってしまう。頼るべき存在はどこにもなかった。


 (……私は、どこにいけばいいのだろう)
 そうぼんやりと考えながら足を出した。だが、上手く足に力が入らずに階段を踏み外してしまった。ふわりと宙に浮く体。だけど何かしようとは思わなかった。このまま頭を打って死んでしまってもいいと思ったから。


 あぁ、もう疲れたな……。そんなことを思いながら目を閉じた。しかし地にぶつかる前にガシッと誰かに体を掴まれた。





「お嬢様、ご無事ですか?」
「……シン?」

 目を開けてすぐに視界に写ったのは公爵家に仕える執事の1人、シンだった。まだ祝典は始まったばかりだ。迎えには早すぎるはず。何でここに?と思ったがヴィオラはそんな疑問も口にしなかった。……だってもう全てが無意味になってしまったのだから。婚約者であり未来の王妃になる資格を剥奪されてしまったのだ。恐らく公爵家はヴィオラを切り捨てるだろう。そうなればもう公爵令嬢を名乗ることは出来ない。シンはもうヴィオラの執事ではないのだから。


「随分早い迎えね?貴方は知っていたのかしら?」
「ええ、全て知っています」

 その言葉にズキンと心が痛んだ。……シン、貴方も離れていくのね。この涼しい顔をした彼もヴィオラが嫉妬で子爵令嬢を虐めたと思っているのだろうか。



「そう、ならここでお別れね。今までありがとう」

 ニッコリと淑女として違和感のない笑みでそう礼を言って彼から離れようとした。が彼はヴィオラの体を離さない。

「シン、何をしているの?いくら助ける為とはいえ、元令嬢が執事に抱きかかえられていては角が立つわよ」

 今も背にしたパーティー会場からヴィオラの誹謗中傷した言葉が聞こえてくる。こんなところを見られれば更に非難の嵐がやってくるだろう。あんな令嬢いなくなってせいせいした、あんな出来損ないが殿下に見合うはずがない、そんな言葉が空っぽの身体に突き刺さってくる。するとシンが包み込むようにヴィオラの華奢な体を抱きしめた。



「……お嬢様、今までよく頑張りましたね」


 頑張る、……?

 頑張るって何を?だって私は公爵令嬢であり、殿下の婚約者であり、未来の王妃になる令嬢なのだから今までしてきたことは全部できて当たり前のことなのに。



 『未来の王妃がこんなこともできないの?』

 『あんな素敵な殿下の婚約者がこんなのなんてあり得ないわ』

 『この程度の成績で王妃になろうなんてよく思えたわね』



 そう言われて王妃になるに相応しい令嬢になるように勉強した。出来て当たり前なのだから私がしたことは欠けたものを埋めているだけ。みんなが当たり前のように出来ることを私は出来ないから。でも埋めても埋めても意味がなかった。だって殿下が選んだのは出来損ないの私じゃなくてユメコ子爵令嬢なのだから。

 私なりに努力してきたつもりだった。将来、王妃になる為に英才教育を受け、王妃としても心構えから作法、礼儀、全て私の中に詰め込まれた。

 出来て当たり前。出来なければ叱責と罰が与えられた。



 そう、婚約者という器に王妃であるために必要なものを入れられただけ。別にそれは私じゃなくても良かった。



 王妃に必要なのはそんなものじゃなくて愛だったらしい。それなら仕方ない。私は殿下のことをどうしても愛せなかったから。

 幼い頃、私が必死に勉強している間、彼は何かに励むことなく遊び呆けていた。好きな時間に間食を食し、庭で犬と遊び、周りからチヤホヤされていた。それは成長しても変わらず、学園でも碌な成績は残さず、毎日側近候補たちと遊びに出かけて他の令嬢たちとも2人きりで会っていたこともあった。

 それでも殿下は愛されていた。王からも王妃からも。他の子息からも令嬢からもみんなから愛されていた。だから私も愛さなくちゃいけない。でもそう思うたびに何故か息が上手く吸えなくて。




「……お嬢様は殿下のことが嫌いだったんですよ」
「き、らい……?」


 だってそんなはずない。私は殿下の婚約者で、未来の妻で、王妃として王である彼を支えていかなくちゃいけない。だって公爵令嬢が、殿下のことを嫌いなんてありえない。世の女性が殿下に懸念するのはごく当たり前で自然で普通なことで……

 そんな感情を持っていない私は、私は……



「今の貴女は公爵令嬢でもなく、殿下の婚約者でもなく、ただの1人の女の子なのです。……もう、本当のことを言っても良いのですから」

 シンの言葉がストンとヴィオラの心に落ちてきた。




 ……そう、私は殿下が大嫌いだった。

 だってズルいじゃない。私だけが努力して彼は何もしないのに、私に文句ばかり言って。何で殿下という立場だけであんなに好きなように生きていけるの。ズルい、ズルい。私だって少しでもいいから遊びたかった。他の気の合う令嬢と仲良くなってお茶会をしたかった。自分の知りたいことを勉強したかった。どうしてあんなに好き勝手に生きて愛されているの?許されるの?ズルい、ズルい、なんで貴方ばかり……


 殿下を愛せなかったんじゃない。彼のことが嫌いだったんだ。

 その事実を認めてしまえば、心に重くのしかかったものが消えていた。



「殿下のことを嫌いでいいのです。王妃の勉強が嫌いでもいいのです。心から自分を偽る必要はもうないのですから」



 嫌いだと、心で思うことさえ許されないと思っていた。そんな醜い感情を持ってること自体いけないことだと思っていた。周りが殿下を好きなように、婚約者という立場を、王妃の立場を羨むように、私も思わなくてはいけないと、言い聞かせてきた。それが『普通』だから。それが王妃として必要だったから。


「もう、いいのですね……」
「はい。もういいのです」

 シンの言葉がゆっくりと心を満たしてゆく。さっきまで真っ黒に塗りつぶされていた視界を開けてくれた。




「……シン、今の私は公爵令嬢でも何でもないの。私についていく必要はないわ」
「私が貴女と共にいたいのです」
「私はシンに何もあげられないわ。地位もお金も、何も、何も持ってないの。貴方に出来ることなんて何も」
「ヴィオラ様が私の側にいる。ただそれだけのことが私にとってこの上ない幸せなのです」

 ハッキリと何の迷いもなく言い切ったシンにギュッと心の奥底を掴まれたかのような感覚に襲われた。あぁ、もう大丈夫。この人の側にいれば私は安心して息が出来る。そんな気がした。


「それだけで、幸せなの?随分ささやかな幸せなのね。こんな私でいいのなら、貴方にあげるわ」

 そう言って微笑んだヴィオラの表情は今までで1番穏やかなものだった。



「一緒に行きましょう。誰の目も手も届かない遠い地へ」

 その言葉を残して、この夜を境に1人の公爵令嬢とレオメンス公爵家の執事の姿を見ることはなかった。

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