東洋大快人伝

三文山而

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第四章 玄洋社の発足と筑前民権運動の雄飛

四十一 西郷の精神借りパクと東京貧乏生活

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 明治12年から14年。福岡では筑前共愛公衆会が結成され盛んな民権運動が行われていた時期だが、頭山満はこの時期に長いこと故郷を離れて南九州や東北、北陸などあちこちを旅していた。

 少し時間を遡って順番に話していくと、まずは明治12年11月に第三回愛国社再興大会があり、その中で福井の杉田定一から自由民権思想を全国に広めるための遊説運動が提案され、福岡の正倫社は主に九州と北陸地方で運動を手伝うことになったのは既に述べた通りである。

 日薩方面担当と割り振られた頭山満は玄洋社の社長決定騒動を治めた後、その年の暮れに鹿児島を訪れた。西郷門下の西南戦争後に残った志士たちとの交流を期待し、浦上勝太郎、松本俊之介、伊地知迂橘、吉田信太郎(と手元の本には書いてあったが真太郎もしくは震太郎ではないのだろうか)の4人が頭山に同行したという。



 旅費が無いため、大食いと健脚に自信のある頭山は胃の中に一升飯を押し込んで徒歩で鹿児島まで行ったそうだ。

 鹿児島についた一行は野村忍助(西南戦争時の薩軍大隊長で平岡浩太郎を指揮下に迎え入れた人物)の家に世話になり、浦上と伊地知は今藤塾というところで勉学を深めることにしたらしい。



 頭山は浄光明寺で西郷ら薩軍の墓前を訪れた後、さらに武村(鹿児島市武町)の西郷屋敷へ足を運び、「たのもう」と呼びかけると屋敷から62歳ほどの老人が出てきて頭山に応対した。



 老人は川口雪篷という和漢の学に通じた書家で、西郷隆盛が沖永良部島に流された際に知り合って意気投合して西郷家の食客になり、片足を失った西郷の長子・菊次郎の義足手配に尽力するなど男手の無くなった西郷家を支えていたという。

 ちなみに大変な酒豪でもあり、西郷隆盛に会った時沖永良部にいたのも「公の書物を質に入れて焼酎を呑んでいたのがバレたのだ」なんて噂まで世間に通説として(学問的な定説ではない)広まってしまったほどの酒飲みだったとか。



 西郷屋敷で家令もしくは留守居役のようなことをしていたこの川口老人に対して、頭山満は奇妙なことを言った。

「西郷南洲(隆盛)先生に会わせていただけないでしょうか」

「その西郷ならもう2年も前に城山で戦死したが」

 かつて萩の乱連座容疑で投獄され、西郷戦死の翌日に釈放された頭山も当然それは知っている。

「あれほどの人物、肉体は死んでも魂が残りましょう。ここに残っているはずの南洲翁の精神にお目にかかりたいのです」

 なるほどごもっとも、と頭山の言葉に頷いた川口老人は西郷邸を案内しつつ悲しそうに語った。

「せっかくおいでになったところ残念ながら、今の鹿児島は大木の伐り跡といったところで、ほとんど見るものもありませぬ。西南の役以前には有用の材も随分繁っておったが、それらも残らず伐り倒されて禿山同然。せめてもの植樹として、わしも残された若者たちを教育しているものの、今から苗木を植え付けても西郷ほどの大木は何百年、何千年に一度の巨木だっただけにまこと惜しいことをしましたわい」



 そして川口老人は西郷の愛読書だった大塩平八郎の著作『洗心洞箚記』を頭山に見せてくれた。

 大塩平八郎は幕政批判で反乱を起こしたことでその著書も幕府に焼き捨てられており残されているのは非常に稀で、さらに西郷邸に残されていたのは『洗心洞箚記』内の大塩平八郎の思想などについて西郷自身の朱筆でノートやメモ書きが書き込まれているという超激レア本だった。

 頭山満は西郷屋敷を辞去する際にこの本を手に取るとそのまま持ち去ってしまい、福岡に帰るときにも返さないどころか借りパクしてそのまま一年間、勝手に日本各地を廻る旅のお供にしてしまう。



 初春に高知を再訪し、4月に福岡へ帰る。国会期成同盟の請願書が政府によって拒絶されると東京の様子を探って自由民権運動の次の方策を練るべく、また全国各地の有志と交流し意見を交換すべく、上京を決める。

 東京までの同行者は阿部武三郎。かつての矯志社社員で、萩の乱の件で投獄された際には獄中で頭山や宮川太一郎と共に前原一誠の『参議を退くの辞』を朗誦して同志たちを励ましたという人物である。



 阿部が長旅の支度として草履の紐をゆったりめに結ぶなど足周りを厳重に整えたのに対して頭山は裸足だった。足を痛めやしないかと心配する阿部に対し頭山は「俺はいつだって、霜や雪の中だろうとこれで歩き通しじゃ。この方が足が頑丈になってよい」という。常に、というわけではなかったらしいが、本当にいつもこの調子だったので、頭山の足裏はゴム底か何かのように固くなっていたらしい。



 旅の途中のエピソードでは、滋賀の大津で2人は土地の名物だという飴湯を飲んでみることにしたのだが、阿部は一杯目の途中で不安になり、「なんだか変な味じゃが、これは腐っとりゃせんか」と警戒して残りを捨ててしまった。

 一方で頭山は「腐ったような所こそが名物なのかもしれん」などと言いながらおかわりして四杯目まで飲んでしまい、阿部をまたも驚かせたとか。



 5月31日に2人は東京に到着し、頭山は柴口で“田中屋” という安宿にしばらく止まったが、安宿といえども宿屋暮らしは経費がかかるし不便だということで牛込左内坂19番地に一軒借りてそちらに移った。左内坂は現在で言うと市ヶ谷駅のすぐ北辺りの地名である。

 ここには頭山らに前後して東京へ来ていた伊地知迂橘や月成元義、藤島一造ら若手の向陽社員や、玄洋社の憲則で8月まで警察署と交渉していた進藤喜平太も合流したそうだ。



 そしてこの頃、東京に滞在する頭山たちのところへ福岡から玄洋社員の中島翔が訪れて、故郷のことなど近況報告をしたが、そこには西郷屋敷の川口老人の話も話題に含まれていた。

「鹿児島の川口雪篷老なんですが、頭山先生が南洲翁の遺品の本を無断で持ち去ったとかでえらく怒っちょりまして、あの不届きな男には腹を切らせにゃならんと鹿児島人や筑前人や懇意の人らに言いふらしとります。そのことで箱田さんたちも心配しとりますが」

「ほう、そんな怒っとったか。あの本は表紙だけ見るつもりで借りたんではないぞ。俺は中までほんとうに読もうと思って借りたんじゃ」

「それでも早くお返しになった方が……」

「ふうむ。それなら老人が成仏できるよう手紙を書いておこうか。やれやれ、川口老人も怒り器用な人じゃなあ」



“借用した本はまだ充分に味わっていないので、返却についてはもう少し待ってもらいたい。貸した本なら貸したものとして、相手が隅々まで読んで、内容を消化するまで待ってこそ貸しっぷりもよく、貸した効能があるというもの。そのように本当に読む者がいた方が、書かれた本にとってもこの上ないことでしょう”



 成仏できるように……というか、怒っている相手をさらに憤死に追い込まんばかりに挑発的な手紙を頭山は送ったが、川口老人からの返答はなかった。





 さて東京に集まった玄洋社員たちだが、状況の打開だ、天下のための大働きだ、主義のために死ぬるは男子の本懐なりと熱気は盛んだったものの、裸一貫で飛び込みその地域に支援者もなしとなるとたちまちのうちに貧窮し、履く下駄もなく銭湯にも入れないというほどの事態に陥る。

 仕方がないので頭山は他の者たちがその時着ていた服まで質に入れて金策することになった。



 着る物が無くなった同志たちは押し入れの中に潜って昼寝をして待つことにしていると、ちょうどそこに月末一括払いのツケで毎日のように食べ続けていた仕出し弁当屋が催促にやって来る。

 社員たちはそのまま居留守を決め込んで潜んでいると、弁当屋は傍から見て誰もいない借家に独り言で文句をぼやき始めた。

「何でェ何でェ、ツケを払いもしやがらねえし、そのくせ開けっ放しじゃねえか。泥棒でも入ったら……」

 そこまで言った弁当屋は部屋の中を眺めて察した様子で、

「……泥棒が入っても盗んでく物が無ェと来てらァ」

 ついに耐えきれなくなった向陽社員たちが噴き出してしまい、「もう我慢でけん」と笑いながら押し入れから出てきたので、弁当屋の方も突然現れた何人もの裸体髭面の男たちに仰天して戸外へ飛び出すように逃げていったそうな。





 そんな男たちの古着を質に入れてどうにか一先ず一円を手に入れた頭山は、これを元手に資金を増やしていこうと考えていたが、途中でうっかり鰻屋の前を通って空きっ腹に蒲焼きの匂いを嗅いでしまい、気が付くと腹が少し満たされた代わりに金が減っていた。



 これは困った、誰か金を借りられる知り合いに会えないかなと僥倖を願いつつ町を歩き回っていると偶然にも投宿先で知り合った老女に出くわす。

「婆さん、金は持っておらんか。少し用立ててもらいたい」

「金はないけど、夜具ならあるからお持ちなさい。それを曲げればお金になるからね」

 単刀直入に頼んでみたところなんとも親切な返事で、頭山はとりあえずいただいた布団を担いで左内坂へと帰った。



「服を売りに行って、なんで布団を持って帰ってくるのか」

「売っても金が足りなかったのだが、知り合いに布団を貰えた」

 頭山は今行ったばかりで具合が悪いということで交渉事が得意だという藤島一造がふんどし一本の裸体の上に頭山の持ち帰ってきた布団を巻き付けた奇妙な姿で夕方の東京市内を質屋へと向かう。



 目を丸くする質屋の番頭にねばるだけねばり、どうにかそこそこの金を手に入れた藤島は番頭にもう一つ頼んだ。

「古新聞を2,3枚くれんか」

「へェ、なにするんで」

「いやなに、ちょっとな……」

 そう言いながら藤島は貰った新聞紙の1枚を腰巻きのようにして、残り2枚を重ねたまま真ん中をぐるりと丸く裂いて穴を開け、マントか或いは弥生時代の貫頭衣のようにその穴に頭を突っ込んで体の上に被る。

「では、邪魔をした」

と番頭に声をかけると、突如出現した古新聞紙弥生人にいよいよ呆然とする質屋の番頭を尻目に藤島は平然と古新聞を着た姿で東京の夜へと消えていった。現代と人口が違うからか、道が暗かったからか、どうにかこの姿で通行人にも巡査にも出くわさずに左内坂へと帰ってこれたとのことである。
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