東洋大快人伝

三文山而

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第四章 玄洋社の発足と筑前民権運動の雄飛

三十六 関税自主権回復のための民衆運動

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 条約改正についての建言書では条約上の不平等が独立国間における「固有の権理」を侵害するものと共愛会は批判している。治外法権は国民の心を捻じ曲げるものであり、「金貨の乱出・輸出入の不平均は日に以て我国力を減殺し」、欧米列強は「日又一日我国力の終に空耗に帰するを待ち、」日本を滅ぼして当時中国やインドで見られたような植民地支配を行おうと目論んでいるのだ。
 ここに至っては口舌の談ではなく、「国民協合の気力を表し、否の一字を以て彼が傲慢の術略を衝破するの一方あるのみ」、すなわち国民が一致団結して一国の主権に対する不当な侵害を跳ね除けなければならない。「先づ筑前国民の輿論を以て其志望を表呈すること然り。」と共愛会による条約改正の建白書は締めくくられている。

 まあ、これだけなら当時の不平等条約に対する不満として恐らくわりと普通の内容なのだが、今日の我々が見て共愛会の建言が面白いのは不平等条約の改正について項目ごとに優先順位を決めて各個撃破の形で改めていくという提案だろう。
 既に書いたように治外法権なども大きな問題ではあるのだが、「夫我が今日彼に求むる所の者は、未だ悉く対等の権理を恢復せんと要するには非る也。独収税権の一項のみ」とし、順番としては関税自主権を最優先で取り戻そうと建白書は主張しているのだ。

 “列強に対して国民の一致団結による不平等条約撤廃の意志を表す”、“先ずは関税自主権から”、「筑前国民の輿論を以て其志望を表呈する」と述べた共愛会及び福岡の民衆は建白書による言論のみならず社会運動として実際の行動にも出る。それは殖産興業の試みと倹約奨励、そして輸入品の排斥であった。

 共愛会の前身である条約改正のための有志者会議へ参加を呼び掛けるため漸強義塾塾長の松田敏足と共に筑前各地を遊説してまわった徳重正雄という人物がいるのだが、彼は幕末志士たちが太宰府に集結した七卿都落ちの際に西郷隆盛から非凡の才を認められて明治5年に西郷の勧めに従い私費でドイツへ留学、4年間ドイツ語や経済学を学んできたという凄い人物である。
 徳重は実学への関心が高く、明治7年の元日にドイツのハイデルベルクから家族へ送った手紙には既に故郷宗像郡や筑前の殖産興業について様々な方策を書き連ねていたそうである。
 日本は茶や蚕、蝋など外国に無いものを盛んに生産して輸出を伸ばすべきこと、ビールやラシャなどの輸入物も国内での生産増加により禁止令なども出さずして自然に輸入を減らせること、鶏卵産地である宗像郡は一軒毎に雄雌一つがいずつ鶏を増飼いし販売は鶏卵会所のような旧式よりも一切を商人に任せたほうが地域の益になること、赤間や津屋崎のような人口の多さに対して田地の少ない地域は器械人業(工業?)を興すべきこと、筑前は米が多いから米をそのまま売るよりも酒にして付加価値を高めて売る方が良いこと……等々。

 徳重正雄が語った国産化による輸入品減少事業の一環として箱田六輔らは筑豊に豊富な石炭資源に目を付け、明治12年に「輸入物を減少するを主義とし、」コークス製造会社の強進社という企業を立ち上げた。強進社の事業拡張については福岡県令渡辺清と箱田の間に懇談や協力関係もあったという。
 渡辺県令は福岡の不平士族反乱運動を制圧する等、箱田をはじめとする玄洋社員たちとは因縁の深い人物であるが、かつて開墾社に10万坪の松林を払い下げたのもまた彼である。
 およそ2年前の開墾社の時と同様に、不穏分子たる旧藩士の自活に繋がる事業となると彼は協力的であり、それが輸入品を減少させること・ひいては不平等条約に由来する社会不安を削減することに繋がるとあれば中央政府から派遣された勅任官たる彼らにとっても万々歳だったのだろう。

 福岡県では佐田介石という僧侶の主導により県下の各郡で輸入品排斥運動が広められたと言われる他、共愛会は殖産興業の他に直接的で手っ取り早い輸入品の削減方法として節約・倹約の奨励にも熱心だった。
 少々時間が飛ぶが明治13年10月には郡利が岩倉具視に対して「倹約法」の建白を行った他、共愛会の鞍手郡における支部である「協同期成会」という組織の中のさらに分会である協同期成会新北村分会(共愛会は選挙をトーナメント方式にして筑前国内15郡933町村全域の総代表を選び集めるという組織であるから、このような地域ごとの分会も作りやすかったのだろう)で明治14年1月に制定されたという「定則」では全4章の内、第二章に「殖産教育」、第三章に「節倹法」が記されているという。
 共愛会において殖産はこれまで述べてきたように条約改正と関連付けられており、教育は国会開設と結び付けられていたものである。そして新北村分会の節倹法は輸入品排斥のために使用禁止の物品を定め、厳しい罰則規定までも設けられていたという。

 現代の小中高の歴史教科書では触れられないであろう小さなエピソードだが、不平等条約改正のために試行錯誤していたのは政府の官僚や政治家たちだけでなく、一般大衆もまた不満の声を上げるだけではない彼らなりの生活運動を試みていたのである。
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