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第四章 玄洋社の発足と筑前民権運動の雄飛
三十一 土佐vs.反土佐
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第3回愛国社再興大会は議長を立志社副社長の西山志澄、幹事を平岡浩太郎と福岡県豊津の杉生十郎が務めた。そして7日午前の本会議で立志社が準備してきた建議が提出される。
建議は“我が愛国社再興の主意に基き左の条を建議す”の一文から始まって第一条は国会の創設を陛下に願望すること、第二条にはそのために愛国社に参加する各地の政社が明治13年3月に予定されている次の大会で願望書の案を携帯してくることが記されていた。
それに対して今大会の幹事でもある平岡浩太郎が1番議員として発言し、建議の原案に賛意を示した上で質問を行った。
「愛国社の主意に基づき、とあったが、これは“愛国社員に限る”ということか、それとも“広く天下の有志と俱にする”ということか」
議長によれば、建議者の考えは“先ず愛国社率先となり願望する”とのことだったので、平岡は続けてこのような主張を行った。
「愛国社にかたよらず、広く有志を集めて陛下に願望すべきだと思う。よって来年3月の会議は愛国社の大会としてではなく、愛国社外の有志者とともになされることを希望する」
そこへ12番議員の杉田定一が「願望の主体を愛国社だけに限るのは偏頗なり」と援護射撃を送ると、高知出身者以外のほとんどの参加者が平岡の側につき、高知県の各政社から来た人々は建議者の考えを支持して議場を二分した。
議会内の勢力は真っ二つに分かれ、ひとまずこの建議については未決定のまま午後の懇談会へ持ち越しとなる。
そして会議は次の議題へと移ったが、九州の5つの政社と杉田定一の福井自郷社などが用意してきた建議は愛国社の改革についてであり、愛国社大会の運営を占有してきた土佐立志社に対する激しい攻勢がさらに続く。
改革案の1つ目は、コストカットの徹底による愛国社の財政改革である。これは愛国社に参加している各政社の中でも特に士族中心の政社の多くが経営難に陥っていること、愛国社の中心として土佐立志社が一社でその面倒を見なければならないことにより愛国社自体の活動に支障をきたしていることを鑑みたものであった。
まず、自由民権運動の思想を広める手段として愛国社で新聞を発行する考えが以前より検討されていたのだが、これは費用がかかり過ぎるとして起業中止が要求される。ただこれは民権運動拡大の手段としての新聞発行自体が否定されたのではなく、費用面をどう解決するか、どのように発行するのかは今後評議することと決定された。
また、愛国社には常備委員が4名いたが、これも3名に減らすことが求められた。これらのコストカットによって愛国社への出資金の分担を削減し各政社への負担を軽減するわけである。
一方彼らは費用の軽減を要求しつつも愛国社の活動を縮小しようとは考えていなかった。政府の専制的体制に対する批判や薩長藩閥打破の手段としての国会開設要求という点は組織の大前提として土佐派とそれ以外とを問わず一致していたためだ。
費用削減とともに要求された改革案のもう1つの柱は愛国社の全国的活動の展開であった。福井の杉田定一は日本全国を地方ごとに10のブロックに分けて、愛国社に参加する政社へ各地域を割り振りそれぞれ担当する地方で遊説や政治運動の支援を行うことを発案した。これによって愛国社の活動や自由民権運動の拡大・参加者増加、ひいては愛国社大会の目的である国会開設の実現を目指すというわけである。
また愛国社参加者各員が全国各地で活動するにあたり、愛国社の社長・副社長・幹事に選ばれた者は常備委員として然るべき場所に常駐し、留守にしないようにという批判と要求がなされた。これをわざわざ要求したということは、地方政社の代表が愛国社の活動について話をしに来た際に“常備”委員という役職名にもかかわらず話を通すべき者たちがどこにもおらず無駄に待たされることになってしまった……というような出来事がそれ以前にあったのかもしれない。
そして福島の河野広中もまた改めて愛国社の東京支社設置を要求。また、愛国社大会はこれまで大阪で春と秋の年2回開催されていたわけだが、来年以降は大阪で春季大会、東京で秋季大会を開催するということが主張される。
杉田定一の要求した常備委員常駐については否決されたものの、それ以外は非土佐派の改革案が概ね受け入れられた。懇談会に持ち越された最初の議題についても、「10人以上の公衆の結合が10組に満たなければ愛国社名義で国会開設を出願する」との条件で立志社側に譲歩しつつも平岡浩太郎の「広く公衆とともに国会開設請願を行う」という提案が通る形になった。
福岡・福井・福島という奇しくも「福」の文字が揃った3つの県出身の運動家たちが中心となった改革案で、愛国社大会の活動はより広く全国的な自由民権運動へと脱皮することになったのである。
11月6日に開かれた第3回愛国社再興大会は1週間が経った13日に閉会となり、参加者たちは解散して自分たちの地元に帰ったり、あるいは会議の中で杉田定一の提案した遊説活動のために割り当てられた地域へと向かっていった。
建議は“我が愛国社再興の主意に基き左の条を建議す”の一文から始まって第一条は国会の創設を陛下に願望すること、第二条にはそのために愛国社に参加する各地の政社が明治13年3月に予定されている次の大会で願望書の案を携帯してくることが記されていた。
それに対して今大会の幹事でもある平岡浩太郎が1番議員として発言し、建議の原案に賛意を示した上で質問を行った。
「愛国社の主意に基づき、とあったが、これは“愛国社員に限る”ということか、それとも“広く天下の有志と俱にする”ということか」
議長によれば、建議者の考えは“先ず愛国社率先となり願望する”とのことだったので、平岡は続けてこのような主張を行った。
「愛国社にかたよらず、広く有志を集めて陛下に願望すべきだと思う。よって来年3月の会議は愛国社の大会としてではなく、愛国社外の有志者とともになされることを希望する」
そこへ12番議員の杉田定一が「願望の主体を愛国社だけに限るのは偏頗なり」と援護射撃を送ると、高知出身者以外のほとんどの参加者が平岡の側につき、高知県の各政社から来た人々は建議者の考えを支持して議場を二分した。
議会内の勢力は真っ二つに分かれ、ひとまずこの建議については未決定のまま午後の懇談会へ持ち越しとなる。
そして会議は次の議題へと移ったが、九州の5つの政社と杉田定一の福井自郷社などが用意してきた建議は愛国社の改革についてであり、愛国社大会の運営を占有してきた土佐立志社に対する激しい攻勢がさらに続く。
改革案の1つ目は、コストカットの徹底による愛国社の財政改革である。これは愛国社に参加している各政社の中でも特に士族中心の政社の多くが経営難に陥っていること、愛国社の中心として土佐立志社が一社でその面倒を見なければならないことにより愛国社自体の活動に支障をきたしていることを鑑みたものであった。
まず、自由民権運動の思想を広める手段として愛国社で新聞を発行する考えが以前より検討されていたのだが、これは費用がかかり過ぎるとして起業中止が要求される。ただこれは民権運動拡大の手段としての新聞発行自体が否定されたのではなく、費用面をどう解決するか、どのように発行するのかは今後評議することと決定された。
また、愛国社には常備委員が4名いたが、これも3名に減らすことが求められた。これらのコストカットによって愛国社への出資金の分担を削減し各政社への負担を軽減するわけである。
一方彼らは費用の軽減を要求しつつも愛国社の活動を縮小しようとは考えていなかった。政府の専制的体制に対する批判や薩長藩閥打破の手段としての国会開設要求という点は組織の大前提として土佐派とそれ以外とを問わず一致していたためだ。
費用削減とともに要求された改革案のもう1つの柱は愛国社の全国的活動の展開であった。福井の杉田定一は日本全国を地方ごとに10のブロックに分けて、愛国社に参加する政社へ各地域を割り振りそれぞれ担当する地方で遊説や政治運動の支援を行うことを発案した。これによって愛国社の活動や自由民権運動の拡大・参加者増加、ひいては愛国社大会の目的である国会開設の実現を目指すというわけである。
また愛国社参加者各員が全国各地で活動するにあたり、愛国社の社長・副社長・幹事に選ばれた者は常備委員として然るべき場所に常駐し、留守にしないようにという批判と要求がなされた。これをわざわざ要求したということは、地方政社の代表が愛国社の活動について話をしに来た際に“常備”委員という役職名にもかかわらず話を通すべき者たちがどこにもおらず無駄に待たされることになってしまった……というような出来事がそれ以前にあったのかもしれない。
そして福島の河野広中もまた改めて愛国社の東京支社設置を要求。また、愛国社大会はこれまで大阪で春と秋の年2回開催されていたわけだが、来年以降は大阪で春季大会、東京で秋季大会を開催するということが主張される。
杉田定一の要求した常備委員常駐については否決されたものの、それ以外は非土佐派の改革案が概ね受け入れられた。懇談会に持ち越された最初の議題についても、「10人以上の公衆の結合が10組に満たなければ愛国社名義で国会開設を出願する」との条件で立志社側に譲歩しつつも平岡浩太郎の「広く公衆とともに国会開設請願を行う」という提案が通る形になった。
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11月6日に開かれた第3回愛国社再興大会は1週間が経った13日に閉会となり、参加者たちは解散して自分たちの地元に帰ったり、あるいは会議の中で杉田定一の提案した遊説活動のために割り当てられた地域へと向かっていった。
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