東洋大快人伝

三文山而

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第三章 不平士族と西南戦争

二十 福岡の変

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 独自挙兵の決心を固めた19日、越智は早朝に内田良五郎を訪ね、熊本方面の戦況偵察を頼んでいた。二人曳きの人力車で街道を急行した内田は、日暮れには田原坂近くの町に到着。全面攻勢に備えて大勢の政府軍兵士や警察隊員が休養している町で宿を取った。
 夜になって豪雨をもたらす雨雲が一帯を覆うと、政府軍は翌20日早朝の5時、降りしきる雨に隠れて渓谷を渡り、田原坂の横手に潜行。午前6時に3発の号砲を合図として坂の上の西郷軍陣地へ総攻撃を始めた。
 銃砲の撃ち合いは内田の眠る宿屋にまで凄まじい大音声を届けた。彼はすぐに旅装を整えると田原坂方面を眺望できる台地に上って戦場の様子を窺ったが、銃声はやがて一時間程度で止んでしまう。
 無念と落胆で内田は崩れ落ちた。西郷側が守勢にまわる田原坂の戦闘音が早朝の一時間で止まったとはすなわち西郷軍の敗退に他ならない。熊本城攻略を図っている西郷らの元に政府軍主力がたどり着いて鹿児島私学校党の全面敗北に至るのも時間の問題だった。

「一足遅かった……」
 報告を受けた越智も苦悩のうめき声を上げる。筑前の不平士族グループは連携の緻密さを求めるあまりに、適切な呼応の機までも失してしまっていたのだ。そして決起予定日を明後日に控えた25日夜。中牟田の同志宅にて行われた最後の幹部会議で、さらに悪い状況が発覚する。
「……人も兵器も揃っていない」
 武部小四郎は沈痛な面持ちで報告した。
「このままでは十に一つの勝算もなく犬死にとなりかねない。この際、挙兵を延期して他日を待つ方がまだ上策かと思われるが、どうか」
 しかし越智は尚も首を横に振る。
「わしらも筑前武士。いったん思い定めた以上ただ笑って死地に馳せ向かうのみ」
 列席する他の幹部たちも越智の意気に共感するものであり、武部にはこれを覆せず、最終決定においても作戦内容はほとんど変わらなかった。
 決行日は3月27日の深夜、正確には日を跨いだ28日午前1時。越智隊は早良郡原村の宮の森に集合して福岡城を攻撃する。村上彦十の小隊は越智隊の別働部隊として紅葉八幡に集まり西新町警察分署、藤崎の監獄、大名町の電信局と警察分署を襲撃。武部の大隊は博多の住吉神社境内に集合して県庁と為替座を襲い、越智隊・武部隊の全隊は行動終了後に城南の大休山集合という手はずとなる。

 26日の夜、武部は越智を訪ねて説得した。
「薩軍が既に田原坂を退き、しかも福岡の官軍警備体制が充実した現在、決起は成果を挙げ得ない。しかも19日の合議以来武器弾薬も整わず、準備不足だ。他の方法を考えて時機を待とう」
 しかし越智は決起趣意書にも書かれた通りに命を捧げるのだと言って聞かない。
「日本男子の節義をつらぬき通すことだけが、今のわしらには国家に報いる道だ」
 武部はギリギリまで諦めず、決起直前の27日に最後の説得を試みた。
「今のままでは犠牲ばかりが大きく甘んじるに忍びない。後図を期すのが賢明だろう」
「武部よ、おぬしの気持ちも充分わかるが、もう言ってくれるな。わしはもはや勝敗利害については捨て去っておるんだ。西郷先生斃れればすなわちわれまた死すと、かねてから覚悟しておる。わしには、この道しか突進できんのだ。きみが何としてもわしの意見に反対ならば、どうかこのまま黙って引き取ってくれまいか」
 越智の腹は遥か前から据わっていたのである。武部ほどの大親友でも手の施しようはなかった。
「頑固者め」
「……すまん」
「しかし、おれはきみを見捨てて退却せんよ。きみが死ぬというならおれも死んでやろうじゃないか」
「そうか。武部、ありがとう。この世の思い出として、親友同士で最後に一杯やろう!」
 武部は理性的な選択肢を捨てて、親友との情義のために越智と行動を共にする決意を固めた。


 しかしながら筑前士族の決起は惨憺たる有様だった。有栖川宮総督の赴任による尊皇派不平士族の混乱、旧藩主黒田長知の慰撫工作に加えて、密偵の監視により決起直前に多くの参加予定者が分断逮捕されていたのである。
 越智隊・武部隊でそれぞれ400名ずつ集まるはずが、越智隊で当日集合できたものは100余名に過ぎなかった。比較的ましな状況だった村上彦十の別働隊も、午前1時決起の予定が4時まで待っても半数しか揃っていなかった。
「夜が明けてしまう。残りの連中はどうしたのだ!」
 苛立つ村上隊の元に、越智隊副大隊長の久光忍太郎が駆け込んで来る。
「越智さんが加藤・大畠の小隊を率いて今しがた追廻門に攻めかかった! 俺らの隊はこれから隈原の陸軍兵営を襲うから、きみらも直ちに所定目標へ取り掛かってくれ」
「承知したっ!」
 予定通りの戦果を挙げられたのはこの村上隊と久光隊ぐらいだったという。越智隊は4方向から攻撃する予定を変更して部隊を再編成し、2方面から攻撃を開始。福岡城二の丸桐木坂の塁壁に肉薄したものの、塁上からの新式銃の威力は如何ともし難く、大休山へと壊走した。

 一方の武部隊。平岡浩太郎などは父を失ったばかりの実家で、自分もまた死地に赴くために母と妻と生まれたばかりの子に涙の別れを告げて来た。しかし武部隊で集合場所に来られたのは僅か15、6人。午前3時を過ぎてもこの数はほとんど変わらなかった。期待されていた人数の内の、わずか4%である。県庁を襲うにも、農民出身の鎮台兵たちに武士の意地を見せるにしても、あまりにもあんまりな数だった。正規軍の編成で例えるなら大隊どころか、小隊の下で軍曹が率いる分隊に少し多い程度でしかないのだ。
 集合の遅れを予期していた武部は、主将より参着が遅れて恥をかく同志が出ないようにわざと遅れて顔を出したが、どの道この人数ではその気遣いもほとんど徒労だった。さらに連絡で飛び込んできた平間直吉から越智隊の苦戦を告げられる。
「そうか、越智の隊もだめだったか。完全に機を失してしまったな……」
 そして武部は隊員たちに告げる。
「我々もこの人数ではどうしようもない。我が隊はここで解散とし、後の判断は各自に任せる。再起を図って身を潜めるなり、大休山へ行き越智の指揮下に入るなり自由にせよ」
 これにより武部小四郎は市中に潜伏、舌間慎吾らは越智隊と合流、平岡浩太郎は単身で西郷軍の元に向かった。退却・合流した越智隊は曲淵、紅月城なる場所(秋月城の書き間違いかもしれないが)で官軍を迎え撃った後、少数に分かれてゲリラ戦を試みたとか、佐賀県三瀬で佐賀士族に協力を求めたが聞き入れられず秋月に向かう途中乙隈で前衛隊30余名が横撃に遭って殲滅されたという。この戦いで舌間慎吾、大畠太七郎、月成元雄が戦死、久世芳麿が割腹自殺、村上彦十が重傷を負って捕らえられた。「三つ瀬山 峯の松風問わば問へ わが真心は 今朝の白雪」という句が舌間慎吾の辞世だった。
 どうにか秋月までたどり着いたものの、官兵の追撃にとうとう越智隊は解散し、越智彦四郎らは八木和一の旧友が住職だという夜須郡椎木村の浄円寺に潜んだ。しかし匿ってくれた住職が心変わりを起こしたか、欺かれたのか警官隊に踏み込まれる。即座に短銃を構えたものの今となっては無用の殺生であると思い直したか、やがて武器を放り捨てた。

 平岡浩太郎は西郷の元を目指して山道をひたすら進んでいたが、充分な食糧も携えておらず日田山中のあたりで行き倒れた。しかし幸運なことに、金鉱石を掘って生活しているという坑夫に助けられ、その人物が近江出身だというので「我天下に志を得ば、近江一国を与え行ふもの也」と実現しそうもない豪快な約束をお礼として別れ、どうにか豊後で薩軍奇兵第4中隊に合流した。
「我、福岡県士族平岡浩太郎なり。福岡挙兵に失敗す。この上は西郷先生と行動を共にすることを許されよ」
 臼杵の本営に連れて来られた彼がそう説明すると、幸運にも報告を受けた軍監の石井貞興が戊辰戦争で平岡と共に戦った仲であり、平岡浩太郎の身元はすぐに証明された。本営付の賓客として迎え入れられた平岡は大隊長長野村忍介の下で弾薬製造・糧食の輸送など兵站部門の監督役を務め、その後日向可愛嶽の突破戦で官軍に捕らわれた。石井は長崎で刑死したが、平岡は宮崎、長崎、東京の佃島、市ヶ谷と監獄を移され、士族身分剥奪の上懲役1年の判決で生き延びる。
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