東洋大快人伝

三文山而

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第一章 頭山満の少年時代と幕末維新の日本と福岡

二 塾通いの話と英雄譚の話

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 乙次郎の豪気さと頭の良さは勉学においても遺憾なく発揮された。
 山本家から出戻りして2年後、乙次郎は実家と同じ西新町にいた上野友三郎という人に習字と漢学を習い始め、1年ほどそこで学んでから古川塾、滝田塾、続いて亀井暘洲の亀井塾といった漢学の私塾で熱心に勉強したという。

 亀井暘洲は亀井昭陽の子で、学問としては荻生徂徠の系統を引いていた。祖父の亀井南冥は博多湾の志賀島で「漢委奴国王」の金印が発見された際にそれが『後漢書』の東夷伝に記述されている物と看破して解説・研究を行ったという高名な学者の一族である。
 そんな亀井塾は朝のうちに生徒が部屋の掃除を済ませて教師を待ち、先生が来ると皆一斉に平身低頭。その時は上目で教師の顔を覗く者など一人もいないという厳しい校風だった。

 この塾の中で「素読」という勉強法が行われることがあった。先生の前に正座させられて授業で習っている漢文などを読み上げさせるのである。
 この時内容の理解はひとまず置いといて文中に書いてある文字をそのまま大きな声で読み上げさせる。文章がちゃんと読めているかどうかで勉強の出来もわかるし、最初は内容を理解できなくたって素読を何度も繰り返すうちに文章がそのまま頭の中に叩き込まれ、内容を理解する際の助けにもなっていく。
 現代でもこれを重要視して素読を授業に取り入れる教育機関があるそうだ。(さすがに教師の前で正座はしないだろうけれども)
 素読自体は江戸時代の寺子屋などで一般的に行われた学習法であったが、あのおっかない亀井暘洲先生の面前である。完全に暗記ができているはずの生徒も緊張のあまりに次々と間違える。そうすると当然ながら物凄い勢いで怒鳴りつけられるので皆さらにおびえて縮こまった。生徒からするととてつもなくプレッシャーがかかる科目である。

 そんな中で乙次郎の素読だけは様子が違った。彼は指名を受けると堂々とした力強い声で素読を行う。他の者がビクビクオドオドと読み上げる中で彼の大きな声は朗々と教室に響き渡り、周りの生徒たちはあっけにとられ、教師の暘洲までも感心するほどのできだった。

「すごいな筒井…………。一ヶ所も合ってない」

 全部口から出まかせである。乙次郎は塾の勉強以外に復習を一切しなかったので何一つ暗記が仕上がっていなかった。それをそのまま間違っていようがいまいが構うことなく滔々と口から出まかせを素読するのである。
 “出来の悪い子ほどかわいい”なんて言葉もあるが、厳格な亀井暘洲でさえもこの度胸を愛し、乙次郎を叱ることは一度もなかったという。ちなみに18烈士を暗唱した記憶力の方も活かされ、他の人間が聞き逃した、あるいは忘れているようなこともしっかりと頭に入っている乙次郎は「筒井の地獄耳」と亀井塾で評判になった。

 アニメも特撮ヒーローもない時代、少年たちの憧れは講談や本の中に登場する歴史上の英雄たちであり、幼い頃の乙次郎もまた、鎮西八郎や楠木正成といった英雄ヒーローに憧れを抱いた。
 鎮西八郎は本名を源為朝と言い、源頼朝・義経の叔父にあたる平安時代末期の武将である。何年か前の大河ドラマで『平清盛』を見た方は、武将たちの中で一人だけ撃った矢がどっかこっかに当たるたびに「ドガーン!」だの「ズドーン!」だのおよそ弓を射たとは思えないような効果音が出ていたのを覚えていないだろうか。あれが為朝である。
 「撃った矢が鎧武者の胴体を甲冑ごとブチ抜いてその後ろにいた別の鎧武者の袖に突き刺さった」だの「木造船を弓矢で撃沈した」だの数々の伝説を残し、真偽は不明だが「琉球初代国王の父親は源為朝」と琉球王国の正式な歴史記録に書き残されているほどその名を轟かせた強者だ。

 「鎮西八郎」の通称の通り、幼い頃の為朝はたくさんいた兄弟の中の8男であったが、弟でありながら兄どもをいじめて弟じゃないようなことをして一族の持て余し者となり、とうとう勘当されて13歳で九州に追放された。
 そこから15歳まで3年余りでいくつもの勢力を攻め落とし、九州一帯をあらかた支配してしまったという。中学生ぐらいの年頃でやることが九州地方占領である。早熟にしても度を越している。
 あまりの暴れっぷりに朝廷から出頭命令が出たが為朝が従わなかったため、父である為義が官職を解任させられてしまった。その報せを受けた為朝はとうとう朝廷の出頭命令に従い、最も頼りになる部下28人を除いて九州の勢力をすべて捨て去り、わずかな強者と共に上洛した。
 兄をいじめ、父から勘当を受けながらも、なお父親を思いやる人情の強さを見せたこの為朝の動きに乙次郎は強さばかりではない為朝の大きな魅力を感じたらしい。『頭山精神』の中で頭山満はこの時の源頼朝について「勢力地位を捨てて甲斐ある見事な人格的な輝き」と称賛している。
 乙次郎は9歳でこの鎮西八郎源為朝に憧れて自分の名を「筒井八郎」と改名した。

 10歳になると八郎は生家の近くにクスノキを植えた。楠木正成にあやかってのことだという。単純に立派なヒーローに憧れる年頃だったのかもしれないし、その頃の福岡では政治的に大きな騒動があったから何か過去の英雄にあやかりたいものがあったのかもしれない。
 楠木正成は鎌倉幕府を倒した武将の一人で、南北朝時代に南朝側で活躍した人物である。江戸時代の水戸学の発展と共に、その忠義を尽くした姿と武将としての強さから民衆の間で人気が高まっていった人物だ。
 わかる人にしかわからないような表現をしてしまうと、田中芳樹の『銀河英雄伝説』が国民的作品となった場合のヤン・ウェンリーが楠木正成である。「民主主義政体」という国の形に忠義を尽くし、非常に優れた戦術発想力と指揮能力を持ちながら政治家たちの思惑や誤解によって敗軍の将となってしまったのがヤン・ウェンリー。そして「天皇親政」という国の形に殉じ、非常に優れた戦術・戦略・指揮能力を持ちながら貴族や皇族の意向や風習によって勝利を逃し敗軍の将となってしまったのが楠木正成だ。
 江戸時代から戦中まで楠木正成が人気を博したのもうなづける。「ヤン・ウェンリーのモデルは間違いなく楠木正成」と著書で断言する人もいるくらいである。
 苦難の中で戦い抜いたこの英雄にあやかって、筒井八郎はクスノキに「大きくなれ、大きくなれ。俺がつまらない人間になるようならお前も枯れろ」と願をかけて苗を植えた。少年筒井八郎はやがて歴史に名を残す豪傑の頭山満へと成長し、この時植えたクスノキは大木となって今でも福岡市早良区西新町に葉を繁らせているという。

 しかし、時は明治維新の3年前。今しばらくの間は八郎も福岡も、日本も世界も嵐のような時代を過ごさねばならなかった。
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