東洋大快人伝

三文山而

文字の大きさ
上 下
4 / 50
第一章 頭山満の少年時代と幕末維新の日本と福岡

三 大国の衝突と幕末日本

しおりを挟む
 江戸幕府は明王朝や李氏朝鮮で行われていた海禁政策の潮流に乗って交易場所を制限し、覇権を奪い合うヨーロッパの騒乱や帝国主義から距離を置くことで250年以上の長きにわたって安定した支配体制を築いたが、それももはや存続の危機となっていた。

 内乱・軍事衝突を繰り返していた戦国時代の終わりには、量で見れば世界トップクラスを誇る大量の鉄砲と、それを扱える武芸百般に通じた無数の侍が日本にいた。だが徳川が支配体制を築き上げ国内を安定させるとそんなものは不穏分子でしかない。
 幕府は徹底した軍縮を進め、一国一城制やお家取り潰しで大名の力を削ぎ落し、交易・渡航・移動の制限で外部からの不安要素を減らし、檀家制度で宗教団体の牙を抜き、生類憐みの令で武士と農民の区別なく血の気が多かった日本人の気性を和らげる。
 そうした諸々の対処の結果として、下剋上の気風溢れる戦国の世から、「俺も武士だし一応刀の練習とかやっておくか」と考えた会計係が周囲に「手を怪我すると事務仕事に支障が出ますから」という理由で止められる太平の世ぐらいには大人しくなった。

 一方でその間にヨーロッパはナポレオン戦争、第二次百年戦争、産業革命などで軍事技術を含めた国力を増強させ、蒸気機関によって陸海の距離を縮めた。
 さらに南下による拡大と不凍港の獲得を目指す陸軍大国(ランドパワー)のロシア帝国と、海洋における覇権の固守を求める海軍大国(シーパワー)の大英帝国はオスマントルコ帝国やペルシャ帝国で激突する。両国は陸路と海路で競い合うように東へ進み、英国は先んじてインドのムガール帝国を植民地化し、アヘン戦争で香港に拠点を築き大清帝国を支配下に収める。ロシアもまた大清帝国から日本海に面した沿海州を獲得し、海参崴と呼ばれていた地にウラジ・オストーク(征東港)を築港した。

 かつて蒙古襲来や白村江以前の昔から日本の国防を助けてきた広大な海洋という防壁はここにきてほとんど無力化されてしまう。幕末はこの脅威に対してどのように対応していくのか日本の権力者たちが大いに頭を悩ませた時代だった。

 攘夷を止めて開国を行うとしても西洋列強と渡り合える強力な国家体制が必要で、国内だけで旧来の安定を存続させることに特化したそれまでの幕藩体制ではそのような強力な国家体制を担えないことは明白である。

 だが、新政府構築の方法が倒幕の道一直線というわけでもない。政治の実権を握る幕府や、各地の開明的な大名が当初考えていたのは朝廷と幕府が協力して新しい政治体制を作る「公武合体論」という方法だった。
 天皇が権威の頂点にあることを再確認し、あるいは外様大名も中央政府の政策議論に加わるという点では幕府や譜代大名の地位が少し下がるように見える。だが全国各地諸藩のエリートが集まって貴族院ないしは元老院的な議会を挙国一致で開き、その議長に徳川家が就任するような形になれば新しい時代に対応しながら一定の地位を保つ、もしくは補強・強化することができる。

 蒸気船の襲来という新しい世界情勢に対応できなくなったとはいえ、江戸幕府は200年以上の長きにわたって内政を行ってきた幕藩体制の中央政府であり、その歳月分だけ積み重ねられた政治的ノウハウとそれに通じた優秀な人材をそろえている。
 その影響力を残したまま新しい政府に変わるというのは保守的なアイディアであるが、保守的であるがゆえに混乱も少なく能力を引き継いでいけるという利点がある。先の見えない情勢の中で、列強諸国に大きな隙を見せないまま新体制に脱皮できるのではないかという期待があった。
 苦境に悩む幕府側は孝明天皇の妹である和宮内親王を徳川14代将軍家茂の正妻として迎え入れ、外様大名の中で英邁な藩主として知られた島津斉彬などもより現実的な策である公武合体運動を支持した。

 そんな時期に歴史の教科書でも歴史ドラマでもめったに目立たせてもらえない地域の一つである福岡藩が何をしていたかというと、公武合体を支援しながら勤皇党の側でも優秀な人材を抱え、西南外様大名の雄である薩摩と長州の間を取り持ったりしていた。
 そして一時期は、高杉晋作、西郷隆盛、坂本龍馬ら幕末維新の英雄たちが集結する薩長連合構想の中心地となっていたのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

鈍亀の軌跡

高鉢 健太
歴史・時代
日本の潜水艦の歴史を変えた軌跡をたどるお話。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

【架空戦記】炎立つ真珠湾

糸冬
歴史・時代
一九四一年十二月八日。 日本海軍による真珠湾攻撃は成功裡に終わった。 さらなる戦果を求めて第二次攻撃を求める声に対し、南雲忠一司令は、歴史を覆す決断を下す。 「吉と出れば天啓、凶と出れば悪魔のささやき」と内心で呟きつつ……。

近衛文麿奇譚

高鉢 健太
歴史・時代
日本史上最悪の宰相といわれる近衛文麿。 日本憲政史上ただ一人、関白という令外官によって大権を手にした異色の人物にはミステリアスな話が多い。 彼は果たして未来からの転生者であったのだろうか? ※なろうにも掲載

空母鳳炎奮戦記

ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。 というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!

【完結】斎宮異聞

黄永るり
歴史・時代
平安時代・三条天皇の時代に斎宮に選定された当子内親王の初恋物語。 第8回歴史・時代小説大賞「奨励賞」受賞作品。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

女奉行 伊吹千寿

大澤伝兵衛
歴史・時代
 八代将軍徳川吉宗の治世において、女奉行所が設置される事になった。  享保の改革の一環として吉宗が大奥の人員を削減しようとした際、それに協力する代わりとして大奥を去る美女を中心として結成されたのだ。  どうせ何も出来ないだろうとたかをくくられていたのだが、逆に大した議論がされずに奉行が設置されることになった結果、女性の保護の任務に関しては他の奉行を圧倒する凄まじい権限が与えられる事になった。  そして奉行を務める美女、伊吹千寿の下には、〝熊殺しの女傑〟江沢せん、〝今板額〟城之内美湖、〝うらなり軍学者〟赤尾陣内等の一癖も二癖もある配下が集う。  権限こそあれど予算も人も乏しい彼女らであったが、江戸の町で女たちの生活を守るため、南北町奉行と時には反目、時には協力しながら事件に挑んでいくのであった。

処理中です...