東洋大快人伝

三文山而

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前書き

前書き「主人公はこんな人」 理解されざる有名人

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 ※私には文章が長ったらしくなる悪癖がありますので、もし読みづらい場合はその箇所を読み飛ばしてしまって面白そうな部分だけ読んでいって下さい。

 幕末の頃、幼い兄弟が二人で道を歩いていた。行く先からは祭りの賑やかな音がかすかに届き、少しでも長く遊びたい気持ちが心持ち二人の脚を急がせる。……はずだったが、弟の方が突如進行方向を変えると、道沿いにあったお屋敷の門をくぐってズカズカと敷地内へ突き進みだした。
 いったいどうしたと慌てる兄に対して、簡潔に表現すれば「トイレにいきたい」というようなことを小さな弟は言う。にしてもなぜ見知らぬ人の家で、と困惑する兄をよそに弟はあろうことか庭先のその場にしゃがみこんで用を足しはじめた。そこへよその子が庭先でゴソゴソやって騒いでいるものだから当然ながら家の人が出てくる。弟はそれを認めると下半身めくってしゃがみこんだまま手を突き出して言い放った。
「おばちゃん、紙っ!」
 さも当然のごとく要求する勢いに圧されてか、家の人は言われた通りに紙を持ってくる。弟はしっかりと尻を拭き終わると、にこやかに言った。
「あー、すっきりした。兄ちゃん、行こう!」
 弟は出したものと汚れた紙をそのままにして、啞然とする兄を引っ張り呆然とする女性を捨て置いて屋敷を出ていった。

 この弟の方が後に大変な有名人になる人であり、今回の主人公である。人類の歴史には、数え切れないほどの偉人、英雄、怪人物の存在が書き残されているがその中でも特に、日本の近代史に面白い一生を送った人がいるので紹介したくなった。

 彼は大臣にも議員にもならず軍人でもなかったが、明治政府の中心人物だった伊藤博文たちからは「我々にとってあれほど恐ろしい奴はいない」と言われ、第2次大戦の頃に戦時日本を統制しようとした東条英機が手も足も出せず「日本の中にもうひとつの政府があるかのようだ」と言わしめた戦前日本の怪物。
その名前を頭山満という。

 ある時『冒険世界』という雑誌が「現代日本一の人物」で人気投票を行った際に政治家部門一位の大隈重信、実業家部門一位の渋沢栄一、学者部門一位の三宅雪嶺などと並んで“豪傑”部門で二位以下引き離してダントツの一位に挙げられたのが頭山満だった。

 昭和17年には貴族院議員が頭山満と初めて会った時の話や、インドの独立運動家が頭山らに助けられた話など様々な人から集めた逸話がまとめられている『頭山精神』という本が出されたのだが、そこに並ぶ名前が物凄い。

 まず序文を書いているのが徳富蘇峰と緒方竹虎。徳富蘇峰は『國民新聞』の主宰者として知られる言論人で、この國民新聞は他の新聞と共に現在の『東京新聞』の前身となっている。緒方竹虎は『朝日新聞』の主筆・副社長で、彼は戦後自民党の前身である自由党に入って吉田茂内閣の官房長官や副総理にまで上り詰めた人だ。次の総理大臣になるかと思われたタイミングで急死してしまった。
 そして巻頭には「賛襄諸星芳名」として歴史の教科書に並ぶような政治家や官僚、陸海軍の大将などといった歴々たる面々のサインが集められている。
 毛筆によるサインなので私には知識不足もあり読めなかった名前もあるのだが、読み取れた名前を並べると近衛文麿、有田八郎、平沼騏一郎、末次信正、荒木貞夫、鹽野(塩野)季彦、林銑十郎、町田忠治、廣田(広田)弘毅、板垣征四郎、米内光政……。歴史ジャンルの本、もしくは軍事史や戦記小説などが好きな人は半数ぐらいどんな人物か思い浮かぶのではないだろうか。

総理大臣経験者:近衛、平沼、林、廣田、米内
帝国陸海軍大将:末次、荒木、林、板垣、米内
総理大臣候補だったと言われる人物:末次、町田
大臣として入閣した経験のある人物:「賛襄諸星芳名」の中で今挙げた名前全員

 なにせこんな感じなのだから。これらの人物について顔写真を見たことがあるという人も多いかもしれない。せっかくなのでそれぞれどんなことをした人か簡単に説明してみる。

 まずは近衛文麿。藤原道長の子孫で五摂家の一つ近衛家の当主である。五摂家は公家の頂点に立つ血筋であり、文麿も若くして当主となった際に華族の中で最高位の公爵の爵位を受けた。貴族院議長、内閣総理大臣、枢密院議長等を歴任した他、後藤新平の後NHKの二代目総裁に就任しており、また大政翼賛会の創立者としても知られる。
 続いて有田八郎。第一次近衛文麿改造内閣から平沼騏一郎内閣、米内光政内閣で外務大臣を務め、日独伊三国同盟に反対した人物である。
 その平沼騏一郎と米内光政のサインも「賛襄諸星芳名」に並んでいる。
 平沼騏一郎は検事総長、大審院長(戦後で言うところの最高裁判長にあたる)にまで上り詰めた司法官僚で、枢密院議長や内閣総理大臣等を歴任。右翼思想の持ち主として知られたが、それゆえにファシズムを外来の思想として警戒し、「なぜ天皇陛下がヒットラーごときと対等な関係で同盟を結ばねばならんのだ」と日独伊三国同盟に強く反対した人物。
 米内光政は連合艦隊司令長官、海軍大臣、内閣総理大臣を務めた海軍大将で、戦時中は吉田茂や近衛文麿らと共に「ヨハンセン(吉田反戦)グループ」に参加し、終戦工作に協力した。

 海軍大将では他に末次信正の名前がある。国家主義思想の持ち主で平沼騏一郎や松岡洋右、近衛文麿と交流を持った他、陸軍の林銑十郎陸軍大将や陸軍皇道派の重鎮である荒木貞夫陸軍大将や真崎甚三郎陸軍大将ともつながりを持っており総理大臣候補に名前が挙がったこともあるという。
 陸軍からはその荒木貞夫や林銑十郎、そして板垣征四郎陸軍大将が名前を連ねている。
 板垣征四郎は石原莞爾の上司にあたる人物で、満州事変や日中戦争(日華事変)では大陸で陸軍司令官として大暴れしたという。
 林銑十郎は内閣総理大臣になっているものの、予算案を成立させた途端に衆議院を解散してしまい、ほとんど何もせずに政権が終わってしまったため「林“なんにもせん”十郎内閣」と揶揄されたことで知られる。一方で総理辞任後は対ソ連戦略からイスラム教徒との連携を図り大日本回教協会会長として東京でのモスク建設等の支援を行った。

 あとは町田忠治と廣田弘毅の名前なんかも近くに並んでいたりする。町田忠治は戦前の二大政党である立憲民政党の党首として二・二六事件の直前に選挙に勝利し次期総理大臣候補と見られたが、事件の影響で政党政治家の政権は危ういと見られ外務大臣だった廣田弘毅が総理大臣に就任した。

 戦前の昭和史の分野にはあまり詳しくない人にも、そうそうたるメンツがずらりと並んでいるのは伝わっただろうか。「頭山さんについてこういう本を出します」と声をかければ、当時はこれだけの大物がサインを寄せてくれたのだ。頭山満という人は物凄い有名人で、とてつもない人気者だったらしい。


 そんな戦前の有名人だが、戦後には忘れ去られて何をした人なのかあまり知られなくなった。というより、戦前の頃からどんな人なのかあまり知られないまま名前だけが有名になっていたようなフシがある。
「豪傑日本一」の投票一位である頭山と共に「学者日本一」の投票で一位を得た三宅雪嶺は頭山満をこう評している。

 “物が判って判らぬと思われ、事を知って知らぬと思われ、能弁で不弁と思われ、器用で不器用と思われ、虫も殺さなくて乱暴と思われ、少しも酒を飲まずに大酒飲みと思われる”

 まさに頭山満とはこんな人だ。加えて戦後だと頭山ら玄洋社のメンバーはアジア諸国の独立運動を支援して侵略主義者と思われ、大政翼賛会に真っ向から喧嘩を売ってファシストと言われ、別に秘密でもないのに秘密結社と呼ばれている。
 彼らは他人から誤解されてもさほど気にしないことが多かった。頭山自身、「頭山満に会ったが、大酒飲みでずいぶんな乱暴者だった」という嘘の自慢話をする人と偶然同じ船に乗り合わせたことがあったが、むしろ他の玄洋社社員たちが怒るのを笑ってなだめるだけだったという。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり」とは、西郷隆盛が山岡鉄舟という人を評して言った言葉らしいが、玄洋社には頭山をはじめとしてそういう「始末に困る」人間が大勢集まっていた。
 命を失うことを怖れない。名誉さえも求めない。官職や爵位や金を渡したからといって、別に懐柔できるわけでもない。対立する政府などからしてみれば、「間違いを犯している」とみなされた時点でどうしようもなくなるのだから恐ろしい話だ。こんな人たちだからこそ自分たちの理想のために世界に挑んでいくことができたのだろう。

 しかしこのポリシーで困るのが彼らのことを知りたい現代の我々である。
 玄洋社という組織について知ろうとする人で学者さんや真面目な方々は「『玄洋社史』という本が出ているから最初にこれを読んでみよう」と考える。普通の組織なら団体の歴史を自分たちでまとめた資料があるならまずそれを史料として確認するのは定積だが『玄洋社史』は知識ゼロで読んではいけない。
 なんせこの本、玄洋社の社員が書いたものではないのである。どうやら外部の人間で「書きたい」という者がいたので任せてみたが、諸事情で玄洋社内部の人間が内容をチェックできないまま出版することになってしまった、みたいな感じの代物なのだ。
 なので他の資料で知識を得てからこの『社史』を見ると、誤字脱字が大量に出てくる上に重大な出来事が起きた地名などまで間違いだらけであるというし、何より過去の玄洋社の活動の意図について組織内部の視点から解釈することができていない。
 『玄洋社史』という題の書物は、かつては社内の人間によって書かれたものも含めて複数種類存在していたというが、震災、火災、戦災、占領期の混乱などを越えて今日まで残ったのは外部の人間によって書かれた一種類のみとなってしまった。
 そんなわけで戦後の“右翼とはどういったものか”、“左翼とはなんなのか”という混乱とともに、日本の右翼の源流と言われる玄洋社の実態は霞や靄がかかったような、あるいは奥歯に物が挟まったような、なおさらわかりにくいものとなってしまった。

 そうでなくても玄洋社について語る本というのは古くなって手に入りにくくなったり、文章が難しかったり、新しい本でも時系列が飛んでたりしてわかりにくいところがあったりする本が多く初心者におすすめする一冊を選びづらい。
 今回、頭山満という人物の一生や玄洋社の周辺、その当時の状況などについて、できるだけ時系列順に合わせて、できたらなるべく軽めで読みやすい文章で面白い逸話なんかを広く紹介していけたらと思う。
 ……“軽めで読みやすい文章”に関しては序盤で既に妖しくなっているがご容赦頂きたい。

 頭山満の生まれた年は元号で言うと安政2年。西暦で言うなら19世紀半ばの1855年に誕生した。そして没年は20世紀半ばの1944年、元号で言うなら昭和19年。在野の右翼として日本の政治や世界の帝国主義などと闘った生涯を語ることで、一般に広く知られている歴史上の人物や出来事についても新しい見方を提供できるのも今後の執筆の楽しみの一つである。
 遅筆悪文でございますが、気が向いた時にでも見に来ていただきたく思います。
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