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第2章 呪われし者

Monster

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 どれくらい長い眠りについていたのだろうか、そう狼子に尋ねてみた。すると彼女から返って来た答えは、三週間とのこと。

「三週間!? そんなに……」

「仕方ないさ。それだけ酷い怪我だったんだ」

 手の施しようがない。病院に運ばれた当初、鷹臣の父親は、虎之助にそう告げたそうだ。腕から背中にかけて広がる重度の火傷は、ラジュルを庇った時に出来たもの。爆発の衝撃で飛び散ったガラスは全身に刺さり、粉々になった家具やコンクリートの塊は、犬飼の骨や内臓を損傷させた。

──何もしないってどういうことだよ!

──すまない……俺や親父の力を持ってしても、彼は助けられない

 生きる屍。それが今の犬飼。いくつもの管に繋がれベットに横たわる姿を、狼子はガラス越しに見つめていた。頭から爪先まで布に被われた身体は、まだ焦げた肉の臭いがして鼻にまとわりつく。真っ白な包帯は何度取り替えても、数時間もしない内に赤茶色く変色していく。

──このまま、ただ見てるだけなのか?

 意識はなく身体も動けず、ただ全身を襲う激痛に唸り声をあげている。そんな犬飼の姿に狼子は拳を握る。その掌に何も出来ない歯痒さ、不甲斐なさ、怒り、悲しみ、様々な感情をぶつけるように、強く握りしめた。

──この前のこと覚えてるか?

──この前……?

──ほら言ってたろ? 彼には不思議な治癒力があるって

 そう言われ、つい先日のやり取りを思い出していた。確か犬飼は、子供の頃にも瀕死の重傷を負い、医者から助からないと宣告されたにもかかわらず、奇跡的な回復を見せたと語っていた。それも僅か一週間という早さで。

──神頼みなんて馬鹿げた話しだが、今は彼の力に懸けるしかない

 犬飼の話が本当ならば、もしかしたら今回も……。

──辛いかもしれないが、もう少し見守ろう

──あぁ、そうだな。でも、

 ただ見守るわけないはいかない。狼子は、鷹臣にこう切り出した。

──白夜びゃくやを持ってきてくれ

──白夜を? なぜ……?

──あたしが使う、犬飼に

──なっ、馬鹿な! 正気か狼子? あれは……!

──分かってる。でも、ヤツの力が必要だ

 白夜とは、雅家に代々伝わる妖刀で、狼子が所有する大太刀の兄弟刀である。長さ四尺を越える黒朝こくちょうに比べ、白夜は一尺ほどの短刀。また黒一色で統一された黒朝おとうとに白一色で統一された白夜あにと、何もかもが正反対な刀である。

──黒朝あいぼうを所有するあたしなら、白夜ヤツだって扱えるさ

 現在、白夜を保管しているのは妃家。しかし彼らは正当な所有者ではない。この二つの刀が誕生した時、該当する者がおらず、彼ら一族に預けられたそうだ。

──犬飼は、危険を顧みず助けてくれた。だったら、今度はあたしの番だろ?

 何本もの管に繋がれベットに横たわっていたのは、狼子じぶんだったかもしれないから。

──……負けたよ

 やれやれと、呆れたようにため息を吐いた。一度言い出したら折れないのは、親譲りだと。

──けど、命に危険が及ぶようなら即刻止めさせるからな?

──分かってる。ありがとう

 そう頷いたが、命なんてどうでもよかった。

「……狼子さん?」

 黙りこくったままの彼女を心配するように、犬飼が声をかける。

「どうかしましたか……?」

「……いいや、なんでもない。お前の怪我を思い出してただけだ」

 ずいぶんと見違えた。あんなに重傷だった身体は、今じゃ傷一つ残っていない。

「すごいな、お前の回復力は。あたしでも、こんなに早くは治せない」 

 まさに奇跡。そう口にすると、たちまち犬飼の表情は暗くなる。

「奇跡か……違いますよ、これは──」

 呪い。

が来るまでは、けっして死ねない呪いが、かけられているんです」

「その時……?」

「えぇ。僕の父方は、先祖代々ある呪いと闘ってきました」

 犬飼家に生まれし子どもは、ただ一人のみで、その子どもの性別は必ず男であること。歴代の嫡男全員に同じ治癒力が与えられ、そして43歳の誕生日を迎える前に、必ず死ぬ運命にあること。

「絶対なのか? 誰か例外はいないのか?」

「いません。僕の知る限り11人全員が、同じ運命を辿っています」

 そして、自分も……。なぜ生かされ、殺されるのか。その理由は神のみぞ知る。

「父は、呪いから逃れようと家庭を持つのを諦めました。子どもさえ生まれなければ、犬飼家の血を絶やせば、呪われた運命から逃れられると思ったからです」

 しかし、出逢ってしまった。最愛と呼べる女性ひとに。

「結婚はしないと固く誓っていたのに、母に押し切られる形で、僕は生まれたんです」

 もちろん、呪いのことは母親も理解していた。それでも愛する男性ひととの証が欲しかった。真実の愛さえあれば、呪いなんて解けてしまうのでは……そんな、お伽噺のようなことを夢みてしまった。

「そして、母は病んだ。自分が産んだモノが化け物だったから」

 全てに絶望した母親。あの病室で見た彼女の顔は、一生忘れられない。

「いっそのこと嫌いになってくれたら楽だったのに……。それでも母は、僕を愛してくれました」

 その愛が、時おり辛かった。

「生前、父は僕と同じ警察官でした。国中の機密が集まる中央司令部に勤務していて、呪いの解き方について情報を集めていたそうです」

 その途中、呪いに敗れ帰らぬ人となった。

「父が死に、ますます母は病んでしまって……。病床では、うわ言のように『偉くなれ、父のようにはなるな』と、その言葉を繰り返して、息を引き取りました」

 偉くなって一人でも多くの人を救えば、必ず神様が呪いを解いて下さる。またもや、お伽噺を夢みてしまった母親。否、残された僅かな自我を保つには、それにすがるしかなかったのだろう。

「僕さえ生まれなければ、父も母も幸せだったかもしれない」

「お前が生まれなくても、お父様は亡くなっただろうし、お母様も悲しみに暮れただろうよ」

 でも、それだけ。

「あたしには、何が幸せかは分からない。幸せなんて人それぞれだから。けど、二人の間に犬飼おまえが生まれたことは、悲しみ以上に幸せをもたらしたと思う」

 かつて、狼子の母親がそうだったように。命と引き換えに、この世に自分を送り出してくれた。

「狼子さんは……僕が、気持ち悪くないんですか?」

「何故だ?」

「呪われてるんですよ? 見たでしょ? どんなに醜い姿になっても死ねない、化け物」

 母方の親戚も親しい友人も、みんな離れて行ってしまったのに。

「それがどうした?」

「どうしたって……」

「化け物がなんだ? あたしに言わせれば、お前なんて可愛いもんさ」

 そう言って狼子は、黒朝に手を伸ばす。

「二番目の兄の誘拐の時、あたしは黒朝こいつを初めて手にした。その時のあたしは、まだ理解していなかったんだ」

 数十人の大人に囲まれ、連れ去られようとする兄を助ける為に、咄嗟に鞘から刀を抜いた。そこから彼女の記憶はプツリと途絶える。

「あたしが次に覚えていたのは、血溜まりで真っ赤に染まった地面に、ゴミのように転がされた人らしき肉の塊だった」

 全身返り血を浴び、ただ立ち尽くす。傍らには傷だらけの父と長兄。次兄は、遠く離れた場所で鶴見に抱えられ、泣きじゃくっていた。

「ただ人を殺す、一人残らず。それだけの為に刀を振るう。それが化け物じゃなければ、何が化け物だ?」

 その時、ハッキリと自分の役割を理解した。

「だから安心しろ、一人じゃないさ。ここにも化け物はいる。まぁ……お前とあたしじゃ、化け物のベクトルが違うけど」

 そんなことで離れていくわけないだろうと、狼子は優しく微笑んだ。

「それに、アイツが病室ここにいたら、あたしと同じ事を言っただろうよ」

 彼女は椅子から立ち上がると、棚に置かれた一枚の絵を取り、犬飼に手渡した。

「……これは?」

「お前の為にアリが描いて、ラジュルが送ってきた」

 四つ切の画用紙に水彩で描いた犬飼本人と、その隣には美しい銀色の狼。この狼が狼子を指すことは、言わずもがなである。

「裏にメッセージが書いてある」

 そう教えられ、裏面に目を通した。

──僕の力を込めて描きました。いつか、この画が貴方の助けになりますように

 短い文章の最後に、『ありがとう』と記されていた。それが『さよなら』を示すことは、すぐに分かった。

「彼は……もう、いないんですね」

 この世界には──。そう尋ねると、狼子は小さく頷いた。

「死因は?」

「爆死だよ。アムールとマリクを巻き込んで」

 向こうへ帰って一週間後の出来事だった。シンファを王にする為に、母親と彼女が愛した男の国を守る為にと、彼が出した決断。心優しき青年は、最後の最期まで汚名を被って死んでいった。

「自分が悪に徹することで、国民たちの結束を、より強固なモノに変えたのさ」

 彼の死によって、もうまもなく起きようとした暴動計画は、実行されることなく消えていった。国を襲った突然の不幸。亡くなった王子たちを心から偲び、残された次期国王を支えようと、皆が一丸となり新たなスタートを切る。ザイア王国は生まれ変わろうとしていた。

「誰かの命を犠牲にして……これで、本当にザイア王国は良くなるんでしょうか?」

んじゃない、何がなんでもいけない。それが人の上に立つということ。アリの覚悟を己の罪として、シンファは背負っていくんだ」

 最後の審判まで。聖人だったか罪人だったか、それを判断するのは、王が召される時。

「……そうですね」

 願わくば、アリが望んだ未来へと──。そう頭では思うのに。

「でも、やっぱり僕は、」

 アリに生きていて欲しかった。

「彼が描いた絵を見たかった」

 世界中を旅して回る。そんなアリの夢が叶うのを、この目で見てみたかった。そう心が叫んでいる。

「いい人、でした……」

 本当に優しい青年だった。思わず溢れた落ちた一滴の雫は、画用紙の中にいる犬飼の頬をも濡らした。

「……そうだな」

 狼子は、ゆっくりと犬飼の身体を手繰り寄せ、抱きしめた。

「あたしも、そう思うよ」

 心と声を圧し殺して啜り泣く彼の背中を、いつまでも優しく撫でながら。



       第2章 呪われし者《完》
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