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第2章 呪われし者

ある男

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 この世に生を受けた時から、男には何もなかった。父も、母も、家も。そして、名前さえも──。




「俺は当主殿の護衛に行くから、ちゃんと仕事するんだぞ?」

「任せて! 命に懸けても狼子様は必ずお守りするから!!」

「だから、王子を護れっつってんだろ……」

 全く話しを聞かない妹にガックリと項垂れる兄、そんな兄妹のやり取りを犬飼は少し離れた場所から眺めていた。

(微妙な空気も元に戻った……のかな?)
 
 今後の打ち合わせも兼ねてか、ホテルへと戻ってきたアリたちは、狼子と共に部屋へと籠っている。

(……九頭さんが言ってたって、一体何だったんだろう)

 結局、狼子にも茶木にも聞きそびれてしまった。

「あの二人にその話しをするなんて、相変わらず龍の奴は空気読めないね~」

「…………虎之助さん」

 ひょっこりと後ろから顔が……。その声を聞くのは数週間振り。

「やっほ! 元気だった犬飼く」
「元気じゃありません!!」
「おっと……ご立腹みたいだね」

 空気が読めないなんてどの口が。顔を会わせたら絶対に文句を言ってやろうと決めていた犬飼は、掴みかかる勢いで相手に詰め寄った。

「酷いじゃないですかっ!! 内緒だって言ったのにっ!!」

「あれ~? 何の話しかな~?」

「とぼけないでくださいっ!!」

 何を指しているのか知っていて、わざとらしい態度を見せる虎之助。

「確かに狼子さんには内緒だって言いました」

 だからと言って、その他の人間に言い触らしていいわけがない。

「回り回って狼子さんに知られたらどうするんですかっ!?」

「そこは大丈夫だよ~。万が一狼子あのこに知られても、気まずくなるほどキミに興味ないし」

 。悪気なくストレートに返され、グサリと胸に突き刺さった。

(そりゃ、そうだけどさ……)

 あまりのショックにうちひしがれヘナヘナと座り込む。そんな犬飼たちの元へ、部屋から出てきた狼子が声をかけた。

「何をしてる?」

「あ、狼子ちゃん! 実はね、いぬ」
「な、なんでもありませんから!?」

 うっかり喋られたら洒落にならないと、慌てて虎之助の口を手で塞いだ。

「は、話しは終わりましたか?」

「あぁ。外出はせずに、明日の朝までホテルにいらっしゃるそうだ」

──我々は遊びに来たわけじゃない

 ラジュルの言葉にアリも頷いた。

「そうです……うおっ!?」

「えぇ~!? 勿体ない!! カナリアちゃんの所に連れてってあげようよ!」

 そんなバカなと、犬飼を押し退け狼子に駆け寄る虎之助。

「行かない」

「仕事だけじゃ息がつまるよ~! ここは一つ社会勉強の一環と思ってさ~!!」

「行かない」

「王子が可哀想じゃん! せっかくrebirthここに来たっていうのに……狼子ちゃんのケチんぼ!!」

 あーだこーだと子供のように駄々を言う父。ついに娘の堪忍袋の緒が切れる。

「いい加減しつこいぞ、この馬鹿親父ちゃらんぽらん! ただ酒と遊女おんな目当てで、王子を無理やり連れて行こうとしているのは分かってんだからな!」

 魂胆は見え見えだと一喝された。

「や、やだな~そんなに怒らなくてもいいじゃん? ボクはただ、会議前に王子に挨拶しとこうかなって~」

「嘘つけ!!」

 いつだって会議開始ギリギリの時刻にならないと顔を見せない男が。2時間も前に現れること事態が稀である。

「犬飼くん~! 狼子ちゃんが冷たいよ~!!」

「仕方ないと思います」

 可愛い子ぶって泣き真似をする虎之助に、娘同様に冷めた目をする犬飼。

「犬飼くんも冷たい~!!」

 日頃の行いだろうか、彼に味方する者は誰もいなかった。

「……どうかされましたか?」

「王子はお疲れなので、少し静かにしていただけますか」

 騒ぎを聞き付けアリとラジュルが部屋の外へと出てきた。

「すみません、王子」
「あ、どうもアリ王子! はじめまして~」

 二人に謝ろうとする狼子そっちのけで、虎之助が王子へと近づいていく。そんな彼から庇うように、ラジュルが前に立ちはだかった。

「どなたですか? いきなり無礼な」

「ど、どうも。はじめまして……」

 見知らぬ顔に戸惑いながらも挨拶をするアリだが、その目は助けを求めるように犬飼を見ている。

「この方は、雅家当主の雅 虎之助様です」

「娘がお世話になってます!」

 あくまで自由。器用にラジュルの体を避けてアリの元へ。彼の両手を手繰り寄せ、瞳の奥を覗くようにジット見つめる。

「素敵な顔立ちですね? 王子、ご結婚はなされているのですか?」

「えっ? い、いえ……」

「独身ですか! どうです、うちの娘なんて……」

 自分は守備範囲外だからと虎之助が口に出したことは、聞かなかったことにした。

「王子に下世話な話しは止めて下さい。いくら当主殿とはいえ失礼ですぞ?」

「あ、此方の殿方もずいぶんと……」

 アリの手を離したと思えば、今度はラジュルの手を取り引き寄せる。

「な、にを」
「貴方はボクのタイプどストライクですよ」

 自分よりも背が高いラジュルを値踏みするかのように下から見上げる。彼の太く長い首もとから耳にかけて、ゆっくり鼻先を近づける様は艶かしい。

「よろしかったら、今晩──」

 そっと耳元で囁いた。男なのに極上の色香を振り撒く虎之助に、隣で様子を伺うアリの顔は真っ赤になっていた。

「やめて下さい! 私に男色その気はない」

 ただただ冷静な声で拒否するラジュル。

「それは残念」

 これっぽっちも残念そうには聞こえない。額に青筋を立てる彼から、虎之助はあっさりと離れて行った。

(……視てたんだ、あの二人のなかを)

 一見、口説いているように思われる行為は、二人の思考を読み取るためのモノ。その証拠に、狼子は父親の振る舞いを止めもずに傍観しているだけ。

「王子、この後お時間ありますか? よかったら下のレストランで軽く食事でも」

 是非とも交流を深めたいと、アリを誘う。

「食事って……会議はどうする?」

「心配性だね~狼子ちゃんは。まだ2時間もあるから大丈夫だよ!」

 。場所だってちゃんと覚えていると胸を張る。

「王子、どうですか?」

「私はご一緒させて頂きたいのですが……」

 構わないだろうかと、ラジュルに尋ねる。

「……仕方ありませんね。せっかくのご厚意ですから有り難く頂戴しましょう。ただし、私は食事を取ったら直ぐに部屋に戻ります。報告書をまとめておきたいので」

「ありがとうございます、ラジュルさん!」

 てっきり駄目だと言われるものだと思っていたから、了承してくれたことに笑顔のアリ。ラジュルは部屋の中にいる従者たちを、外へと呼び寄せた。

「それじゃあ、行きましょうか! 犬飼くん案内してあげて」

「あ、はい! どうぞ……こちらです」

その声を皮切りに長い廊下を移動していく。虎之助は、茶木兄妹を手招きし指示を仰いだ。

「右近に食事をしてくるからって伝えてきてもらえる? きっとボクを探してるだろうから」

 ついでにも。彼らは頷くとあっという間に消え去った。




「……で? どうだった」

 犬飼の後に続くアリたち。その背中を眺めながら、狼子は虎之助に尋ねる。

「……何もなかったよ」

 面白いくらいに無。虎之助の瞳はラジュルを捉えていた。

「ボクの魅力を持ってしても、心を乱さないなんて関心だね~」

 頑なに心を読まれまいとしている意思の強さに。そんなことを口走る父親を呆れた様子で見た。

「単に父さんに興味がなかっただけだろ?」

 自意識過剰も甚だしいと肩をすくめる。

「違うから! 本気だしてないだけだから! ボクが本気だしたら、あんな堅物一瞬で落とせるから! ハーレム作るのだって余裕だから!!」

「やめろ、想像したら吐きそうになる」

 自分とそっくりな顔で馬鹿なことを言う父親が情けない。わざとらしいため息を一つ吐くと、虎之助を置いてさっさと犬飼たちを追いかける。

「あ、待ってよ~」

 慌ててピタリとくっつくように、狼子の腕を組んで歩みを進める。いつもなら容赦なく引き剥がす娘が、何かの気まぐれか拒まないのを虎之助は、嬉しそうに笑った。見た目は30代でも御年55歳には見えない程甘えたな父親を見て、狼子もまた口元に笑みを浮かべた。

「そういえば右近さんは?」

 必ず虎之助の隣にいる側近の姿が見えないと尋ねたら、父親の両頬が餅のように膨らむ。

「…………喧嘩した」

「なんで?」

「…………可愛くないから」

「はぁ?」

 なんじゃそりゃ。話しがさっぱりだと理由を聞こうか迷ったが、やっぱり止めた。どうせ下らないから。虎之助本人は喧嘩だと言い張るだろうが、きっと父親が一方的に腹を立てているだけ。

「どうでもいいけど、ちゃんと謝っとけよ。父さんが悪いんだから」

「えぇ~! 狼子ちゃん右近の味方なの~?」

「当たり前だ」

 間髪いれずに答える娘に、父親の頬は更に膨れるのだった。
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