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35.住民編⑨

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「あの……紗奈様」

幹部での会議が終わった後、長谷川リンが口を開いた。

「なに?リン」

会議の後というタイミングだったからか、東郷紗奈は素直に耳を貸す。

「顔色が……あまり良くないように見えますが……」

「大丈夫よ」

リンにまで指摘される東郷紗奈に、斗真は目を向ける。

ここ数日で、彼女は体が軽くなったかのように動き回っている。

しかしそれと比例するように、顔色の悪さは加速している。

無理やり休ませたいが、そうできない理由もある。

2つの感情の板挟みとなった斗真も、苦しかった。



気が付けば、東郷紗奈の誕生日の前日になっていた。



「今日の仕事は?」

「パーラー街の見回りだ」

「そう」

学園の幹部の仕事は、学園内だけではない。

政府の一員としての仕事も回ってくる。

これがあるから、東郷紗奈を休ませられないのだ。

「行きましょう」

「はい、紗奈様」

見回りといっても、なんてことはない。

要所要所の結界に異常がないか見て回るだけのもの。

一番大切なのは、転生用のゲートの結界。

そこも安全だと確認できれば、仕事は終わったようなものだ。

「今回も異常はなさそうですね」

「えぇ、よかったわ」

ユイと東郷紗奈が話している後ろで、

「トーマくんには、いい観光になったんじゃない?」

リンが話しかけてくる。

「あぁ……」

東郷紗奈につきそっていろんなところにいっているから、観光なんて今更な感じもする。

「紗奈様?」

ユイの声に、ハッとした。

東郷紗奈が、ユイの少し先を歩いている。

「おい……」

「紗奈様、何かありました?」

斗真の声を消してユイが声をかけると、東郷紗奈は振り返った。

ゆっくりと開かれた口。

そこから言葉が出ることは、なかった。

ぐっと心臓を押さえたかと思うと、その身体が崩れ落ちた。

「おい!」

慌てて駆け寄り、その身体が倒れる前に受け止める。

「おい!……っ紗奈!」

一瞬どう呼んでいいか迷った。

「紗奈様!」

リンとユイたちが呼ぶように、下の名前を選んだ。

「紗奈!」

どんなに呼んでも、彼女が目を開けることはなかった。



パーラー街の医者は優秀だ。

少なくとも斗真がいる世界の医者よりは。

治癒能力という超能力に長けている人たちだから、簡単に言ってしまえば、治せぬ病気などない。

精神的な病気を除いては。

そんな医者が匙を投げた。

「これは……私には治療できません」

この国で一番の病院の、一番の医者。

最高な環境のはずなのに。

「詳しいことは、東郷様にお話いたします」

家族でもないただの部下には話してくれない。

指示がないため何もできず、斗真はリンとユイとともに、病室の外で東郷紗奈の父親を待つ。

「あ、東郷様……」

廊下に現れたその人に、斗真たちが慌てて頭を下げる。

「申し訳ありません」

リンが即座に口を開いた。

「紗奈は?」

「こちらの病室です。主治医が東郷様とお話をしたいと」

リンとユイから感じるのは、強い恐怖。

東郷家の後継者がこんなことになってしまった以上、仕方がない。

斗真は不思議と落ち着いていた。

どんな処分があってもいい。

東郷紗奈が無事なら、それで。

そう思えた。

一度病室に入った東郷は、すぐに出てきて、

「澤山君」

と呼びかけた。

「は、はい」

斗真が驚いて顔を上げる。

「主治医に話を聞きたい。同行してもらえないか」

「あ、はい……」

なぜ?秘書だからだ。

「あとの2人は休みなさい」

「東郷様……」

「ありがとう存じます」

厳しそうな顔つきからは想像できない、2人を気遣う優しい言葉。

やはりこの人は、表現の仕方が不器用なだけなのだ。

リンとユイを見送り、東郷が斗真に目を向ける。

「君とのことは、大翔から聞いている」

「は……」

何を言ったんだと大翔を問いただしたくなる。

しかし、すぐに気付いた。

こんなところで、大翔の名前を出していいのか。

「これからの医者の話次第では、大翔の立場も、君の立場も、変わるかもしれない」

「……なぜ、ですか?」

東郷は娘の病名に検討がついているらしかった。

「すぐにわかることだ」

東郷はそう言って踏み出す。

その背中が、まるで東郷紗奈のようで。

初めてこの親子の共通点を見つけられた気がした。

「東郷様、申し訳ございません……」

診察室で、医者はまず謝った。

「我々には、お嬢様を治療する術がございません」

「……仕方がないな」

「申し訳ございません」

説明も何もない。

東郷は全てを知っているらしい。

「あの……なぜですか?呼吸もあって、脈も安定していましたよね」

斗真はたえきれなかった。

「東郷様、彼は……」

「紗奈の秘書だ。全て伝えてかまわない」

「かしこまりました」

医者が東郷の許可を得て、教えてくれた。

「もちろん紗奈様の命に別状はありません。これから先、命が危険にさらされることもないでしょう。しかし……紗奈様ご自身が、目を覚ますことを、拒否しておられるのです」

「……は?」

わからない。

なぜ東郷紗奈がそんなことをする必要があるのか。

「ご本人がそうされているというより、脳や身体が、無意識のうちに目覚めることを拒んでいる状況です」

わからない。

残念ながら、玉響一族についての文献は読み漁ったものの、医学書にはほとんど手を付けていなかった。

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