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30.住民編④

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東郷家の別邸は、それはもう大きなお屋敷だった。

澤山家なんて比にならない。

東郷紗奈が暮らす本邸は他にあるというが、ここには誰がいるのだろう。

「あ……」

玄関を開けてすぐ、そこにいた女性が慌てたように頭を下げた。

「いつもありがとう、マリー。大翔は部屋にいるかしら?」

「はい」

マリーと呼ばれた女性は、静かに答える。

斗真も一応軽く会釈をし、階段を上がる東郷紗奈の後を追う。

「大翔、入るわよ」

2階の一室の扉を開けると、ベッドのふくらみが動く。

「まだ寝ていたのね。体調は?」

「姉さん!来てくれたんだ!大丈夫だよ」

「そう」

ベッドから起き上がった少年に、東郷紗奈は近づいて首に手を当てる。

「熱はなさそうね。体調が悪くないなら、部屋の中だけでも動きなさい」

「はーい」

そして、少年の目に、斗真の姿が映った。

「あ!もしかして!」

「彼を連れて来たわ」

「斗真さんだよね!」

パソコンで通話した時と変わらない元気の良さ。

しかし、色が白い。顔色の問題だろうか。

「えっと……」

「実際に会ってみると、びっくりするほど似てるね」

似てると言われて思い浮かべるのは、父かいとこか。

どちらに似ているのだろう。

「……わたしはいない方がよさそうね」

東郷紗奈がそう言った。

「わたしは隣の部屋にいるわ。何かあったら呼びに来て」

そう言って、部屋を出ていく。

「いいんだよ、斗真さん。姉さんはいつもそうなんだ。この別邸が、一番姉さんの気持ちが落ち着く場所だからね。隣の部屋でお仕事をしていくことも多いんだ」

父親との関係や、学園内での立場を思えば、家や学校は、彼女にとって心落ち着く場所ではないのだろう。

だからといって、ここまでわざわざ来ているのか。

「……それで?いつまで隠れてるの?」

「は?」

大翔の目が、真っ直ぐに斗真を見つめていた。

一瞬、斗真はなんのことかわからなかった。

しかし、口が勝手に動く。

『さすがだね、大翔』

誰だ、と叫びたかった。

口が動かない。

まるで、誰かに身体を乗っ取られているようだ。

「すぐにわかったよ、“和馬さん”」

突然出てきた澤山和馬の名前に、斗真はますますわからなくなる。

「いろいろ話を聞きたいから、出てきてくれない?」

次の瞬間、身体が2つにわかれるような、しかし痛くもなんともない、不思議な感覚におそわれた。

思わず目をつぶって、次に光を見た時、そこには半透明の人間がいた。

「だれ……」

『はじめまして、かな。澤山和馬です』

「幽霊……?」

『こっちの世界では魂っていうんだよ』

魂。

つまり幽霊だろ、と心の中でつっこむ。

「和馬さん、いつからそこに入ってたの?」

『いつだったかな。かなり前なのは確かだね』

「その様子じゃ、和馬さんが身体から魂を切り離した時からいたみたいだね。その間全く気付かなかった斗真さんがすごいよ。姉さんも気づいてなかったみたいだけど」

そんなことを言われても、斗真にはわからない。

今だって、この男が自分の中に入っていた、ということが信じられない。

『紗奈は、最初から俺のことなんて見ていないからね』

斗真が反応に困っていると、

『えっと、室井斗真くんだよね。……どう呼んだらいいかな?』

「え……っ、別に、どうでも……?」

『じゃあ、同い年だし、呼び捨てにさせてもらうよ。あ、もちろん俺のことも、和馬でいいから』

この街の人々は、毎回距離感がバグっているのではないか。

などと思っていると、

「和馬さん、今までここであったこと、どこまで知ってる?」

『彼がここに来てからのことは全て』

大翔の問いに、斗真が答える。

「じゃあ、姉さんの新しい婚約者のことは?」

『紅蓮だよね。予想通りだ』

「……そういえば」

斗真は思い当たることがあった。

「あの時、胸の奥が痛かった。俺の中で嫉妬したのか?」

『嫉妬、とはまた違うかな。紅蓮ではダメなんだ。これからの紗奈の苦悩を思うと、元婚約者として胸が痛まずにはいられなかったよ』

理由があったからといって、感情を操作されていたのは事実で。

それは納得がいかない。

『それと、さっき紗奈の元に斗真を向かわせたのも、俺だよ』

理由もなく東郷紗奈の居場所がわかったのは、そんなからくりがあったのか。

「それで?和馬さんは、斗真さんに何をしてほしいの?」

大翔の言葉に、斗真は心の中で何度も頷く。

これだけのことをしたのだから、それなりの理由がほしい。

『斗真に頼みがあるんだ』

「頼み?東郷紗奈のことか?」

『あぁ……。図々しい頼みだとわかっている。斗真にも失礼だと思っている』

和馬はなかなか言わなかった。

言いづらそうな和馬の言葉を、斗真は黙って待った。

『……紗奈の、婚約者になってほしいんだ』

「は?!」

それは予想外の依頼だった。

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