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第八章 執着する呪いの話
第12話 神気と隷属
しおりを挟む壮太郎は、日和の背中にある黒い手形を見つめる。
自分の物である事を知らしめるように、ベタベタと付けられた複数の手形。手形を起点にして、日和の手首や鎖骨まで黒い靄が伸びて纏わりついていた。
「ピヨ子ちゃん、ありがとう。もういいよ」
日和が服を元に戻す間に、碧真が壮太郎に問い質すような視線を向ける。壮太郎は顔を顰めたまま口を開いた。
「背中に、神のお手つきを表す印が付けられている。ピヨ子ちゃんは今、よくない神に執着されている状態だろうね。ねえ、ピヨ子ちゃん。最近、何か変わったことはあった?」
日和は少し躊躇った後、今までの出来事を話す。碧真は日和をマンションから連れ出す時に現れた年配の男のことを話した。男の特徴を聞いた後、日和は「好下さんだ……」と呟いて青ざめた。
「ピヨ子ちゃん。言いにくいなら答えなくていいけど、その男の人に直接肌を触られたりした?」
壮太郎の問いに、日和は眉を下げて頷く。言い淀みながらも、好下に抱きつかれて背中を触られた事を話した。
「好下って人とメトリ神は、ピヨ子ちゃんに関わることで何かしらの契約を交わしているんだと思う。メトリ神と繋がっている人間に直接素肌を触られてしまった事で、間接的にピヨ子ちゃんの体に印が付けられてしまったんだろうね」
黙ったままの碧真を見て、壮太郎は思わず「うわあ……」と声を出す。日和は壮太郎の反応に首を傾げた後、殺意に満ちた碧真の顔を見て固まった。
「チビノスケ。その顔やめな。ピヨ子ちゃんが怖がってるでしょ」
「俺は、いつもこの顔です」
「歴戦の殺し屋さんでも、標準装備してない程の凶悪顔だと思う」
日和がいつも通りの気安い言葉を返した事に安堵したのか、碧真の刺々しい雰囲気が少し和らぐ。分かりやすい碧真の態度に、壮太郎は小さく微笑んだ。
(このまま二人がくっつくのも時間の問題だね。いや、このままだと、ピヨ子ちゃんが消えちゃうな)
「取り敢えず、外はもう暗いし。二人共、今夜は僕の家に泊まっていきなよ」
「でも、迷惑じゃ」
「迷惑じゃないから、甘えていいよ。僕の家は人が泊まりに来ることも多いから、お客さん用の部屋もベッドもある。すぐに用意出来るよ」
躊躇う日和に、壮太郎はニコリと笑う。
「以前、僕に”助けを求めてくれないのは寂しい”って泣きそうな顔で言ったのは誰だったかな? 僕も泣きながら言ってあげようか?」
森の中の洞窟で日和に言われた言葉を持ち出す。思い出したのか、日和は顔を赤くして静かに頷いた。
「じゃあ、決定だね。チビノスケも泊まるでしょう?」
壮太郎と日和が二人きりになるのは嫌なのか、碧真は苦い顔で頷いた。
「男性用の着替えとかは新品で一揃えあるけど、女性用の着替えは持ってないな。姉さんに連絡すれば買ってきて貰えると思うから、必要な物があったら言って?」
姉は今の時間は家に居て、咲良子にウザ絡みして「うちの子天使ぃっ!!」と絶叫する程に体力と暇を持て余している筈だ。
日和は周りを見回し、ソファの脇に置かれた自分のリュックを見つけて手に取った。
「着替えはあります」
「よかった。ご飯は何か食べられそう?」
「……食べられないです。水とか、結人間家で貰ったジュースなら飲めたんですけど、それ以外は体が受け付けなくて」
『あちら側に連れて行きやすくする為に、外部から人の気が入らないようにされていますね。本家で貰った物なら、私が先程出した物と同様に、妖が作った物です。人の気を含まないから、飲めていたのでしょうね。水は死なせない為に、最低限は飲めるようにしていたのかもしれません』
唐獅子の言葉に、碧真の顔がより険しくなった。
「それ、十分に殺す気だろう」
『殺すというより、飢えで精神的に弱らせることで、ベランダの葡萄を食べさせようとしたのでしょう。食べなくて本当に良かった。食べた瞬間、間違いなく人ではなくなっていましたよ』
唐獅子の言葉にゾッとしたのか、日和が顔を歪める。
『私が作った物は食べられる筈ですから、お嬢さんの食事は私が作ります。弱っていると思いますから、まずは重湯をお出ししましょう。食べられそうなら、お粥にしましょうね』
「ありがとうございます」
日和が礼を伝えると、人を世話することが生きがいな霊獣は嬉しそうに尻尾を振ってキッチンへ向かった。
「唐獅子。重湯を作るのって、どれくらい時間が掛かりそう?」
『三十分以上は掛かりますね』
「結構掛かるね。……ピヨ子ちゃん、先にお風呂入る?」
食後の方がいいかもしれないが、日和の状況を考えて、早めに風呂を済ませた方がいいだろう。日和は頷き、リュックを抱えて立ち上がった。
日和を浴室へ案内した後、壮太郎はリビングに戻る。
ソファに座っていた碧真が、険しい顔で壮太郎を睨みつけた。
「壮太郎さん。日和に何が起こっているんですか?」
碧真は苛立ち混じりに尋ねる。壮太郎は小さく溜め息を吐いて、ソファに腰を下ろした。
「ピヨ子ちゃんは、かなり危険な状況だね。体の衰弱より問題なのが、神気による内部侵食だ」
碧真が怪訝そうな顔で眉を寄せる。鬼降魔は神と関わる機会も無い為、当然の反応だろう。
「僕達三家では、神の力である神力の源となるモノを『神気』と呼び、人間が持つ生命力を『人気』と呼ぶ。人間の体という器は、大抵の場合は人気で満たされている。だけど、今のピヨ子ちゃんの器は、殆どが神気で埋め尽くされて、人気が激減している。これが、どういう事か分かる?」
答えが分からないのか、碧真は沈黙する。壮太郎はスッと目を細めた。
「人間ではなく、神側の存在に作り変えられようとしているんだ」
碧真は目を見開いて言葉を失う。壮太郎は更に言葉を続けた。
「背中に付けられた印によって、ピヨ子ちゃんとメトリ神の間に強い縁が生まれてしまった。メトリ神は、縁を通してピヨ子ちゃんの夢に侵入し、徐々に自身の神気を与えた。ピヨ子ちゃんを自分の『隷属』として迎える為にね」
「隷属?」
「言葉通り、奴隷という意味だよ」
神に従うモノというところは『眷属』と同じだが、扱いが全く異なる。眷属は部下や家族扱い。隷属は体も命も魂も好き勝手に扱われる。日和が衰弱していることから考えても、隷属にしようとしているのは間違いない。
「普通なら、とっくにメトリ神に持っていかれていてもおかしくない状況だった。狛犬達が守っていたから、辛うじて人間でいられたんだ。だけど、今のピヨ子ちゃんは狛犬達も守り神の加護も消えている」
メトリ神に力を奪われたのかは分からないが、日和の額にあった神の加護の印が消えていた。今の日和は、自分を狙う神に対して無防備な状態だ。
「メトリ神は、今夜夢の中でピヨ子ちゃんを捕まえる気だ。魂が剥き出しになる夢の中の方が捕まえやすいから。ここに連れてくるまでの間は、狛犬達の代わりに、巳がピヨ子ちゃんを守っていたから大丈夫だったみたいだけど。巳がいなかったら、僕の家に辿り着く前にメトリ神に連れて行かれてたね」
「どういう事ですか?」
「鬼降魔の加護を妨害する術が、ピヨ子ちゃんの狛犬達にも作用するって話したのを覚えてる? あれはね、鬼降魔の加護は、一部に神使と似た力を持っているからなんだよ」
碧真は初耳だったのか、僅かに目を見開く。以前、丈に話した時も驚いた反応をしていたので、鬼降魔では知られていないのだろう。
「もちろん、巳は神使としての力は強くないけどね」
「……巳が日和の側にいれば大丈夫なんですか?」
碧真の問いに、壮太郎は首を横に振る。
「巳だけじゃ無理だね。僕がピヨ子ちゃんを強制的に起こしたのは、連れて行かれかけていたからだよ。他の守りを考えないと」
(長い間、神に執着されて苦しんだ人間もいる。あの子は強いからどうにかなったけど、ピヨ子ちゃんは耐えきれない)
「結人間と鬼降魔では、出来ることも限られてくる。専門家に頼るとしよう」
碧真が壮太郎を頼ってきた理由は、対応出来ない問題だったとしても、神関係に詳しい二人と連絡が取れるからだろう。予想してはいたのだろうが、碧真は複雑そうな顔をした。
壮太郎はリビングの棚から、通信用の呪具を取り出す。銀色のイヤーカフを耳に着けて、壮太郎はニコリと笑った。
「安心しなよ。天翔慈家の漫才コンビは頼りになるからさ」
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