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第八章 執着する呪いの話
第7話 異変と恐怖の手紙
しおりを挟む十一月三十日、月曜日。
携帯のアラーム音に起こされて、日和はのそのそとベッドから起き上がる。
昨日の休みは殆ど寝て過ごし、起きたら考える事がなくなるまで落ち込んだ。まだ気持ちは晴れないが、暗い顔をして真矢達を心配させる訳にはいかない。
日和は両頬を叩く。
「よし! 切り替えよう!」
着替えを済ませてキッチンに向かい、冷蔵庫の余り物の野菜でスープを作る。
一昨日の夜から、結人間家で貰ったリンゴジュースしか口にしていない。
長時間食べていないことで逆に空腹感は無いが、仕事なので何か胃に入れておきたい。
「いただきます」
木製スプーンで掬ったスープを口に含んだ途端に、吐き気に襲われる。洗面所で口を濯ぐと、気持ち悪さは無くなった。
(急に食べ物を食べたから? でも、まだ具も食べてなかったのに……)
スープを食べる事を諦め、冷凍保存する為にタッパーに移す。試しに口にしたリンゴジュースは、問題なく飲めた。
(そういえば、真矢さんが迎えに来てくれるって言ってたけど、何時頃に着くのかな?)
迎えに来てもらった上に、待たせてしまっては申し訳ない。
日折は真矢の携帯に電話をかける。二コール後、真矢が電話に出た。
「はい」
真矢の声は、今まで聞いたことが無い程に不機嫌なものだった。日和は驚きながらも口を開く。
「真矢さん。おはようございます。すみません。もしかして、今は運転中ですか?」
「……どちら様ですか?」
「え? あ、あれ?」
日和の携帯番号は、職場の人全員に登録されている。画面に名前が表示されるので、わからない訳が無い。違う人に電話をかけてしまったのかと焦るが、通話相手として日和の携帯画面に表示されているのは真矢の名前だ。
「あの、真矢さん。日和です!」
「……番号をお間違いでは? 今は忙しいので、失礼しますね」
「真矢さん!?」
プツリと電話が切れた。
(一体、何が……)
真矢の冷たい態度に、日和は呆然とする。
(真矢さんに会えばわかるかも。もしかしたら、真矢さんが寝ぼけていて、悪戯電話と思ったのかも)
真矢に嫌われたと思いたくなくて、日和は僅かな望みを持つ。
職場に行こうと靴を履く。ドアノブに手を掛けた時、日和の体に悪寒が走った。
『開けちゃ駄目だ』
頭の中に浮かぶ警告。ドア越しに聞こえる衣擦れの音と呼吸音。
──扉の向こうに、何かいる。
日和は音を立てないようにドアスコープを覗き込む。
ドアの向こう側に、笑みを浮かべた好下が立っていた。
思わず悲鳴を上げそうになった口を両手で押さえる。後ろによろめいた日和は、シューズボックスの上に飾っていた観葉植物を倒してしまった。
ドンドンドン!
物音が外にまで聞こえたのか、強く扉をノックされる。
「日和ちゃん! いるんでしょう!? 開けて!」
嬉々とした声で、好下が話しかけてくる。
日和は恐怖で震える体を何とか動かし、靴を脱いで部屋に戻った。警察より先に職場に連絡しようと、携帯を取り出して、事務所の固定電話に電話をかけた。事務所の電話番号は、営業時間外でも繋がる。桃子と次郎は、もう既に出勤している筈だ。
『はい。「自然庵 桃次」です』
呼び出し音の後、桃子が電話に出た。
「桃子さん! お疲れ様です。赤間です」
(何から伝えたらいい? 家から出られないこと? 好下さんが……)
状況を伝えようと、混乱した頭で一生懸命に言葉を考える。日和が口を開くより早く、桃子が口を開いた。
『恐れ入りますが、どちら様でしょうか?』
「へ? あ、あの、桃子さん。日和です。赤間日和です!」
『……申し訳ありません。私は存じ上げなくて。あなた、赤間日和さんって方を知ってる?』
桃子が近くにいる次郎に声を掛けたのだろう。次郎が「俺は知らないぞ?」と返事をしているのが聞こえた。
日和は息を呑む。揶揄ったり、邪険にしている様子も無い。
本当に知らないと言っているのだ。
(何が……一体、何が起きているの?)
突如、大きなノイズ音が耳に響く。
日和は驚いて、携帯を床に落とした。落とした携帯から、楽しげな笑い声が聞こえた。
『日和ちゃんは恥ずかしがり屋さんだな~。俺を受け入れる準備が出来たら、扉を開けてね。待ってるから』
好下の声が室内に響いた後、携帯の画面が真っ黒に染まった。
携帯は壊れてしまったのか、ボタンを押しても、充電器に挿しても、反応が無い。固定電話もパソコンも無い為、外への連絡手段が断たれてしまった。
「……ど、どうしよう」
日和は涙目になる。
危険な人物が外にいるのに、助けを求めることが出来ない。日和は恐る恐る玄関へ向かい、ドアスコープを覗く。
(良かった。いない)
好下の姿は見えなかった。ずっと張り付かれるのかと思って恐怖していたが、考え過ぎだったと安堵する。
鞄を取りに部屋に戻ろうと思った時、玄関ドアの郵便受けの中に白い封筒が投函されている事に気づいた。
手に取って確認するが、封筒には差出人も宛名も切手も無かった。封を切り、中に入っていた便箋二枚を取り出して開く。
文章を目で追いながら、日和は顔を引き攣らせた。
『日和ちゃんへ
この手紙は、恥ずかしがり屋の君へ僕の想いを伝える為に書きました。どうか、最後まで読んでください。
僕はモテる人間なので、結構恋多き男でした。おっと、こんなことを言っては、日和ちゃんが妬いてしまいますね(笑)。
まあ、僕はモテていましたが、運命の人とはなかなか出会えず、今までずっと独り身でいました。
そんな時、君に出会ったのです。
初めて日和ちゃんの笑顔を見た時、僕は一目で恋に落ちました。日和ちゃんは声も可愛くて、ずっと側で聴いていたい。いつも元気で明るくて、太陽みたいな天真爛漫さに、僕の心臓は高鳴りました。
僕は強引な男なので、突然のアピールにびっくりしたと思います。
日和ちゃんはふわふわしていて、穢れを知らない無垢な子です。純粋で悪意を知らない妖精。いや、天使かもしれません。そんな君を、僕は一生かけて守りたい。
年の差はありますが、そんなことは僕たちの愛を阻むものではありません。それに、男は歳を重ねる程に良さを増しますから(笑)。
僕は周りの奴らよりは若い方ですし、体力にも自信があります。
日和ちゃんを毎日全力で愛し、満足させると誓います。
日和ちゃんの手を掴んだ時、驚いた日和ちゃんの顔が可愛かったです。
抱きしめた時の胸の柔らかさや匂いがたまらなかったです。
初めての事に、君は怖がってしまったけれど、僕が色々と優しく教えてあげます。
君が僕を好きなのはわかっています。そして、君が恋することが怖いのもわかっています。僕は君の運命の人だから、君の気持ちなら、何でもわかります。
君をもう一度、いや、何億回も抱きしめてあげたい。君を僕で満たして、幸せな気持ちにしてあげたい。
君は家にいるのが好きだと言っていましたが、そんな君に広い世界を見せてあげたい。君の世界を、僕が広げてあげたいのです。
だから、心の扉を開いて、僕を受け入れて。
手を取り合い、君と僕だけの二人の愛の世界へ進んでいきましょう。
愛してます。僕のお嫁さん。
君の未来の旦那様より』
「う……あぁあっ……」
日和は悲鳴になり切れない声を漏らす。
全身に鳥肌が立ち、手紙を持つ手が震える。日和は堪えきれなくなり、手紙を思い切りぶん投げた。
(待て待て待ってぇ!!!! 何これ、何これええっっ!? 怖すぎるんだけどぉ!!? 何で、私が好意を持っていると思っているの!? この人、妄想の世界しか見てないでしょ!? 私に妄想を押し付けないでよぉおお!!!)
日和のことをちゃんと見ているのなら、死んでも言えない言葉達だ。
深呼吸して気持ちを落ち着かせた後、放り投げた手紙を拾う。
(貰った手紙を捨てるのは心苦しいけど、なんか怖すぎるし……)
日和は手紙を破って、ビニール袋に入れ、何となく気休めに塩を振りかけてゴミ箱に入れた。
怖い物が見えなくなったことで、気持ちが少し落ち着いた。改めて、外に出ようと鞄を持って玄関に向かう。
ドアスコープで外を覗いて安全である事を確認して、ドアノブに手を掛けた時、日和の手がピタリと止められる。
『出ちゃダメだ』
『捕まっちゃう』
聞き覚えのある二つの声が頭の中に響く。不思議に思っていると、ドアが叩かれた。
「日和ちゃん。ねえ、いるんでしょ!? 俺を受け入れる気になった!?」
好下の声が聞こえて、日和は息を呑む。ドアスコープからは見えないドアの真下に座り込んでいたようだ。
(あ、危なかった)
好下が何か喋り掛けてくるが、日和の耳には自分の喧しい心音しか聞こえなかった。
日和は部屋の中へ逃げ出して、布団の中に潜り込んだ。
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