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第七章 未来に繋がる呪いの話
第26話 帰ることを願う者達
しおりを挟む十一月六日の朝。
身支度を終えた碧真と日和は、宿泊しているホテルの部屋のソファに二人並んで座っていた。
碧真は眠気で閉じてしまいそうになる瞼を僅かに上げながら、眠気覚ましのコーヒーを飲む。
日和を見ると、いつもなら目を輝かせて喜ぶ筈の果物が山盛りになったフレンチトーストを、浮かない顔で咀嚼していた。碧真は溜め息を吐く。
「辛気臭い顔するな。こっちまで気が滅入る」
「いつも不機嫌顔の碧真君が、それを言う?」
もっともなことを言われ、碧真は日和の額に軽くデコピンをした。ムッと眉を寄せた日和の目を見つめ、碧真は口を開く。
「あの二人は大丈夫だ。必ず無事でいる。余計な事を考えず、いつものように能天気に飯を食ってろ」
朝になっても、丈と壮太郎は帰って来なかった。
通信の呪具を使用しても、昨日の間は二人とも雑音しか返って来なかった。今朝通信を試みた時に、丈は変わらず雑音のみだったが、壮太郎は風の音が聞こえた後に意図的に通信を切られた。
結局、二人の安否は分からないままだ。
日和は落ち込んだ顔でノロノロと頷く。感情に反して朝食を綺麗に平げた日和の食い意地に、碧真は心底呆れた。
室内の時計を確認すると、七時四十分を指していた。
碧真は立ち上がり、日和を見下ろす。
「日和。荷物を纏めろ」
「え?」
日和は理解出来ずに固まった。それに構わず、碧真は言葉を続ける。
「鬼降魔成美を引き取る為に、こっちに総一郎が来る。結人間の本家に行く前に、日和を迎えに来る事になっているから、総一郎と一緒に帰れ」
「碧真君は?」
「俺は、丈さんと壮太郎さんを探しに行く」
「……私も!」
「足手纏いでしかない。ついて来られるのは迷惑だ」
碧真がバッサリと切り捨てると、日和は顔を歪めて俯いた。
碧真は手を伸ばし、日和の耳から通信の呪具であるイヤーカフを外す。
取り上げられたイヤーカフを泣きそうな顔で見つめた後、日和はソファから立ち上がって荷物を纏め始める。
迷う時間すら与えないように、碧真は日和の手を引き、二人で部屋を出た。
「碧真君。日和さん」
ロビーのソファに座って待っていた総一郎が立ち上がり、近寄ってくる。碧真は日和の背中を総一郎の方へ押した。
「碧真君!」
日和の声を無視して、碧真は足早に外へ出る。
加護の巳が自ら顕現して、碧真の顔を覗き込んだ。
「何だよ」
巳は日和がいる後方へ目を向けた後、「置いてきていいのか」と言うように碧真を見る。煩わしく感じて、碧真は巳の顕現を解いた。
***
鬼降魔家の人間が運転する車の後部座席で、総一郎は隣に座る日和を見て苦笑する。
「日和さんは、帰りたくないのですか?」
「……帰りたいですよ」
「それなら、どうして浮かない顔をされているのですか?」
総一郎の問いに、日和は唇を引き結ぶ。
(碧真君を一人で行かせた事が不安なのでしょうね。私としては、日和さんも碧真君に同行して欲しいですけど……。碧真君は猛反対でしたし、日和さんも自ら危険な事には飛び込まないでしょうね)
昨夜。総一郎は碧真から連絡を受け、成美を保護した事や、丈と壮太郎の安否が不明である事を報告された。
丈と壮太郎を捜索すると言った碧真に、総一郎が「日和も同行させるように」と言うと、頑なに拒否された。
”日和の仕事は「鬼降魔成美の捜索」だけだった筈。丈と壮太郎を探すのは、自分が勝手に決めた事であり、仕事では無い。日和の同行を強要するなら、次から総一郎から命じられた仕事に一切応じない”。
当主命令ならば、碧真は本人の意思とは関係なく、仕事を受けなければならない。
丈や酉の家とは違い、『呪罰行きの子』である碧真に拒否権は無いからだ。
命令に従わない場合、総一郎は当主として碧真に罰を与える必要がある。しかし、総一郎は碧真に罰を与える事を望まない。
今回は総一郎が折れて、日和を連れ帰る事に決めた。
(もし、碧真君まで戻らない時は、鬼降魔では手に負えない。上総之介様に話して、助けてもらうしか……)
重たい気持ちの二人を乗せて、車は結人間の本家に到着した。
運転手を車内に待機させ、車を降りた総一郎は日和と共に屋敷の門へ向かう。
門前を掃除していた老年男性が、屋敷の中へ総一郎達を案内する。
廊下を進んでいると、日和が「あ」と声を上げた。
「昨日は、ありがとね」
日和は膝を曲げて屈み、宙を撫でる。総一郎は呆然とした。
「日和さん……。まさか、そこまで」
「え?」
総一郎が口を手で押さえて憐れむような視線を向けると、日和は戸惑いの表情を浮かべた。
「そこまで精神的苦痛を与えていたとは思いませんでした。もっと貴女を労るべきだった……。病院代も支払いますから、メンタルケアを受けてください」
「違います! まだ心は壊れてないですから!」
日和は壮太郎から人外が見える術をかけて貰っていた事を話す。総一郎には見えないが、日和の側に座敷童という妖怪がいるらしい。
疑いの目を向ける総一郎に、存在を知らせるように近くでトコトコと足音がする。どうやら、本当に見えない存在がいるらしい。総一郎はニコリと笑う。
「そうですよね。日和さんのような図太く鈍い神経の持ち主が、簡単に壊れるわけがないですよね。安心しました。良かった、良かった」
「全然良くないですよ!? 私の事を何だと思っているんですか!?」
「図太く鈍い神経の」
「ちっがーう! 碧真君といい、総一郎さんといい、何で私を貶す事に対して躊躇いなくアクセル全開で来るんですか!?」
「貶してなどいません。気遣いですよ」
「気遣いが方向音痴すぎません!?」
「朝っぱらから他人の家で騒ぐんじゃないよ。お嬢ちゃん」
日和はハッと口を噤み、声がした廊下の先を見る。
結人間家の当主である八重が、険しい顔で日和を睨みつけていた。
「す、すみませんでした!」
日和は勢いよく頭を下げて詫びる。総一郎も深々と頭を下げた。
「八重様。この度は、大変お手数をお掛けしました」
「子供はこっちだよ。早くしな」
挨拶を間怠っこしいと思ったのか、八重は踵を返して歩き出す。
八重に続いて部屋の中に入ると、布団の中で健やかな寝息を立てて眠る成美の姿があった。
「その子供にかけられていた精神操作系の術は、無愛想坊主が解いたよ。精神操作系の術の解呪をやった事がないと言っていたが、鬼降魔では、どういう教育をしているんだい?」
八重の言葉に、総一郎の心が抉られる。
総一郎も精神操作系の術の解呪は不得意だった。総一郎の心中を知らぬまま、八重は言葉を続ける。
「ちゃんと一族の人間を育てておきな。いつまでも丈に頼りきりじゃ駄目だよ。アンタ自身も分かっている事だろうが、ちゃんと行動しないとね」
心を抉る言葉に、総一郎は愛想笑いで誤魔化しながら頷く。
成美を抱え上げた総一郎は、再び八重に向かって頭を下げた。
「後日、また御礼に伺わせて頂きます」
「そんな堅苦しいもんは必要ないよ。私も暇じゃないし、やるべき事は他にあるだろう?」
八重は手で払いのける仕草をして総一郎の言葉を拒否した後、成美を睨みつける。
「早く親元に返してやりな。もう二度と、こんな小さな子供が巻き込まれないように、周りがちゃんと見といてやるんだね」
総一郎が頷くと、八重は日和へと視線を移した。
「アンタも、さっさと家に帰りな。力の無い人間が関われる世界じゃない。今まで無事だったのは、運が良かっただけ。金輪際、鬼降魔に関わるのはやめる事だね」
日和は唇を引き結ぶ。八重は辛辣な顔で、総一郎を睨みつけた。
「そもそも、一般人を関わせること自体が、おかしな考えだからね。いくら仕事が出来る人間が少ないからと言って」
「八重様、申し訳ありません。そろそろ帰らなければならないので失礼します」
お説教という名の精神攻撃が始まる前に、総一郎は頭を下げて足早に八重から離れる。後ろから聞こえる足音で日和がついて来ているのを確認しながら、総一郎は屋敷を出て車に向かった。
運転手に手伝ってもらって成美を後部座席に乗せ、総一郎は息を吐いた。
「私が助手席に座りますから、日和さんは後部座席に……」
後ろを振り返った総一郎は言葉を失う。ついて来ていた筈の日和の姿がなかった。
(そんな! すぐ近くで足音が聞こえていたというのに!?)
総一郎の周りを、何かが走り回る足音が聞こえた。総一郎が日和だと思っていた足音は、目に見えぬ妖怪の物だったのだと悟る。
(日和さんは!?)
屋敷に残して来てしまったのかと、慌てて戻ろうとした総一郎の頭上に大きな影が差す。
「総一郎さん!!」
頭上から聞こえた声に、総一郎は驚いて顔を上げる。声がした辺りの景色が揺らぐと、羽が生えた大きな犬に乗った日和が宙に浮かんでいた。
「すみません! 私は、碧真君の所に行きます!!」
日和の姿が一瞬で消え、風が吹き抜ける。
唖然として日和を見送った後、総一郎は我に返って肩を震わせる。
日和が碧真と共に行動する事を望んでいたが、同行させるのが目的だ。後から追いかけても、危険な目に遭うだけで合流出来ない可能性が高い。
「何を考えているんですか!?」
総一郎が叫ぶと、周囲から飛び跳ねる楽しげな足音が鳴る。総一郎はガクリと項垂れた。
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