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第六章 恋する呪いの話
第31話 神の眷属と残された謎
しおりを挟む魔物になったモノの正体は、杜鵑草という名の小さな一輪の花だった。
『天大慈雨之尊様、申し訳ありませんでした』
杜鵑草から魔物と同じ声が聞こえた。弱々しい声ではあったが、彼女が生きていたことに、日和は嬉しくなる。
『私に謝罪をしても、何の意味もない。お前は、やってはならぬことをした。縁を歪めたのは数人だろうが、その数人に関わる数多の人間の人生を変えてしまった』
空気が張り詰める。天大慈雨之尊は、掌の上の杜鵑草を真顔で見下ろした。
『許されないことをしたのだと、わかっているな?』
『…………っ、申し訳、申し訳ありません』
杜鵑草は声を震わせながら謝罪の言葉を繰り返した。
『私に罰を与えてください。私の命や魂を捧げても、償いきれないとはわかっています。ですが、どうか、罰を』
天大慈雨之尊は目を閉じて溜め息を吐く。
『罰を望むのか。……いいだろう。ならば、その命、私が貰い受ける』
「!? 待って!!」
日和が慌てて制止の声を上げるも間に合わず、天大慈雨之尊が杜鵑草を握りしめた。
「……そんな」
日和は悲痛な表情を浮かべる。杜鵑草は、最愛の存在の手によって命を摘み取られた。
「大丈夫」
篤那の声に、日和は顔を上げる。穏やかに微笑む篤那の視線を辿ると、天大慈雨之尊の手に、金色の光が集まっていた。
優しく柔らかな金色の光に包まれた杜鵑草は、踏み潰された弱々しい状態から、生気のある姿へと変わっていく。
『杜鵑草。今この時より、お前は私の眷属となった。私の力となり、人々の手助けをせよ』
『そんな! それはダメです! 私を眷属にしたら、私の咎まで、慈雨様のせいになります!! 私のせいで、貴方様の尊さを穢すなど、あってはなりません!! 私如きに、温情など不要です。ここで切り捨ててください!!』
杜鵑草が悲鳴に近い声で叫ぶ。
『お前は、神である私の判断が間違っていると言いたいのか?』
冷ややかな声と視線に、杜鵑草は息を呑む。神の威圧感に、全員が口を噤んだ。
『驕るな、杜鵑草。私の存在は、その程度で穢されはしない。それに、私が眷属として認めた存在に、”如き”など言ってくれるなよ』
天大慈雨之尊が杜鵑草をそっと撫でる。それは、とても優しい手つきだった。
『お前の命は、私のもの。勝手に死を選ぶことは許さない。生きて、役目を果たせ』
『天大慈雨之尊様……』
杜鵑草の声が震える。
『おかえり。私の愛らしい子』
泣き笑いのような表情を浮かべ、愛おしげに杜鵑草を見つめる天大慈雨之尊。杜鵑草の嗚咽が聞こえた。
『眷属に迎えて、永い命を与えるか。魔物だった頃の嬢ちゃんに縁を歪まされた人間達については、慈雨が責任を持ってどうにかするだろう。悪いことにはならない筈だ。それにしても、真面目優等生野郎のいいとこ取りで終わったな』
利運天流光命が呆れ顔で溜め息を吐いた。
「眷属?」
「神の仲間となったということだ。神使である狛犬達と似たようなものだな」
日和の問いに、篤那が答えた。
(……ということは、杜鵑草さんは、大好きな神様と一緒にいられるの?)
嬉しそうに笑顔を浮かべた日和に、天大慈雨之尊が穏やかな笑みを向ける。
『今回は、本当にありがとう。後日、必ず全員に礼をしよう』
『お! 言ったな! 慈雨様よ、特上の見返りを頼むわ! 律儀なお前は、ちゃーんと俺にも礼をくれるよな!』
馴れ馴れしく肩を組んだ利運天流光命へ、天大慈雨之尊は綺麗な微笑みを向ける。
『……そうだな。お前にも礼をしないとな』
『あ、あれ? 何だよ、何怒ってるんだ? 俺、今回は悪いことしてな』
天大慈雨之尊が小声で囁くと、利運天流光命の表情が引き攣った。
『あーっと……。俺は、やっぱり礼はいらねえよ! 俺達、親友だもんな! さっきのは冗談だ』
利運天流光命は天大慈雨之尊の肩から手を離し、怯えた様子で距離を取ろうとする。逃げようとする利運天流光命の肩を、天大慈雨之尊は笑顔で鷲掴みにした。
『そう遠慮するな。私は律儀だからな。礼を欠くようなことはしない。礼には礼を、無礼には無礼で、しっかりと返す』
『り、俐都~!』
天大慈雨之尊の手から逃れた利運天流光命は、俐都の後ろへ隠れる。俐都は呆れた顔をした。
「流光。お前って、俺の守り神だよな? 何で俺を盾にしてんだよ」
『だって、あいつ怒ったら物凄く怖いんだぜ!? 百年前に悪戯した時とか、俺ボコボコにされて、十一年くらい指先一つ動けなくさせられたし!!』
「何!? 天大慈雨之尊。この疫病神を七十年くらい動けないようにボコボコにしてくれ!! 俺への礼は、それがいい!!」
『おいぃっ!? 俐都、何を! 俐都ちゃん!? 俐都さん!?』
キラッキラの笑顔で守り神を差し出す俐都。慈悲を求めて必死に叫ぶ利運天流光命に、天大慈雨之尊は呆れた。
『お前は本当に碌なことをしないから、愛し子に嫌われるのだぞ?』
美梅に寄り添っていた加護の寅がピクリと耳を動かし、顔を上げる。寅は、神社の鳥居に向かって走り出した。
「誰か来たな」
俐都が鳥居の方へ目を向ける。
暫くして、寅に導かれた総一郎が姿を現した。総一郎は美梅を見た後、篤那へ視線を向ける。総一郎の表情が一気に強張った。
「ご無沙汰しております。篤那様」
総一郎が深く頭を下げると、篤那は小さく頷いた。
「久しぶり。総一郎。元気そうで何より」
俐都が訝しげな顔で総一郎を見る。篤那と違って、俐都は総一郎と面識がないようだ。
「俐都。この人は、鬼降魔総一郎。鬼降魔家の現当主だ」
「……ああ、なるほど。噂には聞いているぜ。当代と、その息子に媚びを売っているってな」
俐都は少し棘のある言葉と視線を総一郎に向ける。ピリッとした空気に、日和は緊張した。
「仲がいいのは良いことだ。俐都。怖い顔していると、良い事が起きないぞ。笑顔、笑顔」
「いふぇ。おひぃ! あひゅば!!」
篤那は俐都の頬を両手で摘むと、無理やり笑顔を作らせようと上に引っ張る。俐都が変な顔になっているが、篤那のおかげで空気が緩んだ。
「だー! もう、良い加減にしろよ! 顔が伸びたら、どうしてくれんだよ!?」
「引っ張ったら伸びる……。俐都。頭と足を引っ張れば、身長が!」
「伸びねえよ!! いろんな方法を試して、結局一ミリも伸びなかったんだぞ!? ……って、そういう話じゃねえよ!!」
「俐都。カルシウムが足りないのか? は! もしかして、怒っているから、カルシウム不足で身長が削られているのか!?」
「ぶっ飛ばすぞ! バカ篤那!!」
篤那と俐都のやり取りに、総一郎は呆然としていた。俐都は疲れた溜め息を吐く。
「ったく、篤那のせいで余計に疲れた。仕事も終わったし、早く宿に帰るぞ」
「そうだな。明日は観光もしたいから、早く帰って休もう」
俐都の言葉に、篤那は嬉々として頷いた。
狛犬達が俐都の足元をグルグルと回って、何か言いたそうに見上げる。俐都は思い出したように、日和に近づいた。
「日和。狛犬達を返す。俺とジャンケンしろ」
「え? う、うん」
日和は戸惑いながらも、俐都とジャンケンをして、あっさりと勝った。
狛犬達が日和の元へ戻ってきた。俐都は満足そうに笑顔を浮かべると、日和に向けて右手をひらりと振る。
「じゃあな」
俐都が踵を返して去っていく。
「バイバイ」
篤那も俐都に続いて日和の横を通り過ぎようとする。ふと、篤那が足を止めた。首を傾げる日和の耳に、篤那が顔を寄せて囁く。
「また会おうね、綴ちゃん」
日和の心臓がドクンと音を立てる。篤那の口元には、悪戯っぽい笑みを浮かんでいた。
「どうして……」
日和は震える唇で問う。篤那は笑みを浮かべたまま日和の頭を撫でると、答えること無く去っていった。
本殿を包んでいた金色の光が消え、周囲は夜の静寂と暗闇に包まれる。狛犬達や神々の姿も空気に溶けていくように見えなくなった。
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