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第六章 恋する呪いの話
第30話 天大慈雨之尊と魔物の正体
しおりを挟む周囲の地面から噴き出した穢れは、山吹色の光に飲み込まれて消えていく。
「何で、神社の中に穢れが……」
人や神を害する穢れが神社の中にあることに、日和は戸惑いの声を上げた。
「術者の仕業だ。神の不在時に結界に綻びを作り、この神社に対して負の感情を抱いている人達の邪気を高め、結界の外にいた魔物達と共に神社を襲わせた。そして、木の根を利用して、持ち込んだ穢れを神社内に張り巡らせた。神が本殿から出てきた時に、一気に穢れが噴き出すよう、術を仕掛けていたのだろう」
篤那の答えに、日和は目を見開く。
魔物になったモノの記憶を通して見た、神社を襲撃した女性達の姿。神社を襲おうとした魔物達のせいでおかしくなったのだと思っていたが、原因は別にあるようだ。
「じゃあ、その術者が全てを仕組んでいたってこと!?」
篤那は頷く。
魔物になったモノの記憶の中に現れた黒い影の男性が術者だろう。顔はわからなかったが、楽しそうに嗤っていたように見えた。
「……どうして?」
様々な思いをのせて、日和は呟く。日和達の元へと戻ってきた俐都が溜め息を吐いた。
「この神社の神を邪神化させることが目的だったんだろうな。流光や篤那のチビ神達にも、日和の狛犬達にも、術は発動しなかった。この神社の神が、本殿から出られないと言っていたし。恐らく、この神社の神だけを対象にした術だな」
「誰かが、この神社の神様を恨んでいるってこと?」
「詳しくはわからないが、他に目的や理由がありそうだ。それより、今はやるべきことをやろう」
篤那はそう言って美梅を見下ろした後、本殿を振り返る。
「穢れは祓った。もう出てきても大丈夫。貴方なら、この子の縁を直すことが出来るだろう? 天大慈雨之尊」
篤那の声に応えるように、本殿の朱塗りの開き戸が僅かに軋む音を立てて開く。
扉の隙間から眩い金色の光が溢れると、光を纏った存在が日和達の前に姿を現した。
長く艶のある黒髪を赤い紐で一つに束ねて背中に流し、緋色の差し色が入った白の着物を身に纏った青年。長い睫毛が影を落とす目元には紅を差し、神秘的な雰囲気を醸し出す。俐都の守り神の利運天流光命と同じく神々しい存在。
日和の心臓が大きく音を立てる。
自分の存在が遠くに感じるような不思議な感覚と、脳裏に浮かび上がる光景。
番傘を手にした少年が振り返る。
少年の後ろで、慈愛の笑みを浮かべて見守る存在。
──綴ちゃん、見えるかい? 僕の守り神の……。
「……慈雨様?」
日和は無意識に呟く。とても小さな声だったが、天大慈雨之尊の耳には届いたのか、優しい笑みを浮かべて頷いた。
「日和?」
魂が抜けたように呆然とする日和を怪訝に思ったのか、碧真が声を掛ける。名前を呼ばれたことで、日和の意識が定まった。
「なんでもない」
日和は首を小さく横に振って、目の前の神へと視線を戻す。天大慈雨之尊は、形のいい唇をそっと開いた。
『篤那、俐都、日和、鬼降魔の子、ご苦労だったな』
(この声!)
異界の中で黒い柱へと導かれた時に聞いたものと全く同じ声に、日和は驚いて目を見開く。
「全くだ。毎回、面倒事ばっかり押し付けてくるよな。神連中はよ」
俐都が溜め息を吐いて、天大慈雨之尊と利運天流光命を見る。二柱の神は悪びれた様子もなく爽やかな笑みを浮かべた。
『まあ、そう言うなって俐都ちゃんよ。俺のおかげで、毎日濃厚な人生を送れているだろう?』
「濃厚通り越して塩分過多だ。テメエのせいで、しょっぱ過ぎて血管ブチギレそうな人生でしかねえよ。クソ疫病神が」
『私は今回だけだから、可愛いものではないか?』
「可愛くねえよ! 呼ばれたから出掛けるって、篤那の馬鹿に朝の四時に叩き起こされて大迷惑だったんだからな!? それに、穢れを持ち込ませるとか、何の為に結界張ってんだよ!?」
「俐都、血管切れるぞ。いい子だから落ち着け。よしよし」
「クソ篤那! テメエまで苛つかせんじゃねえよ!! 頭を撫でるなあ!!!」
目の前で繰り広げられる神聖さの欠片もない神達と人間達のやりとりに、碧真は呆れて溜め息を吐いた。
「帰っていいか?」
「いや、待ってよ。碧真君。美梅さんはどうするの?」
碧真は心底どうでもいいと言いたげな表情を浮かべる。このままでは、本当に美梅のことを放置して帰ってしまいそうだ。
「篤那さん、俐都君。美梅さんを……」
「ああ、悪い。そうだよな。おい、この子の縁を元に戻してくれないか?」
俐都に言われ、天大慈雨之尊は美梅に近づく。
『これは、また厄介な事情を抱えた子だ。運命を捻じ曲げられ、願いによって繋ぎとめられた存在か……』
天大慈雨之尊は、美梅を憐れむような表情で見下ろした。
「直せないのか? 縁を司る神様が?」
煽るような俐都の言葉に、天大慈雨之尊は不敵な笑みを浮かべる。
天大慈雨之尊が右手の人差し指を持ち上げると、美梅の体が金色の光に包まれて、心臓の辺りからヒビ割れた歪な形の黒く濁った紅玉が現れた。
宙へ浮かんだ紅玉は、導かれるように、天大慈雨之尊の右掌の上に移動する。
今にも壊れそうなヒビ割れた紅玉を、天大慈雨之尊が両手で優しく包み込んだ。
柔らかな金色の光が掌に集まる。天大慈雨之尊が両手を開くと、紅玉にあったヒビが綺麗に修繕されていた。
『私が手を加えられるのは、縁の修復までだ。あとは、この子自身に委ねよう』
天大慈雨之尊は紅玉を人差し指でそっと押す。宙に浮いた紅玉は、ゆっくりと美梅の体の中に戻っていった。
美梅は眠ったままで、何も変化は見られない。日和が不安を抱く中、美梅の側に赤い光が生まれた。
美梅の加護である黒い寅が、赤い光を纏って姿を現す。寅は心配するように、鼻先を美梅の頬へ押し付けていた。
「加護が顕現できた。その子は、もう大丈夫だ」
俐都が安心させるように微笑む。日和は安堵の息を吐き出した。
「げっ……」
突然、碧真が嫌そうな声を上げた。
碧真の視線の先を見ると、淡い金色の光を纏った総一郎の加護の午の姿があった。同時に、碧真の携帯が着信を知らせて振動する。
携帯の画面を見た碧真は、苦い表情のまま通話ボタンを押して電話に出た。
「はい、碧真です。……………俺だって知りませんよ。………………居場所がわかっているなら、引き取りに来てくださいよ。はい、じゃあ」
「総一郎さんから?」
通話が終わったのを見計らって日和が声を掛けると、碧真は頷いて溜め息を吐く。携帯を操作した後、碧真は更に苦い表情を浮かべた。
「加護を使っても行方がわからなかったせいか、相当探し回っていたようだ。それにしても、過保護すぎだろう」
「美梅さんは総一郎さんの婚約者候補なんでしょ? しかも、未成年の女の子が行方不明になっていたら、そりゃ心配するよ。過保護じゃなくて、普通だと思うよ」
「不在着信が三十七件あってもか?」
「え……軽くホラー」
えげつない着信の量に、日和はドン引きして思わず本音で返してしまった。
(まさか、私の方にも着信が入っているんじゃ……)
日和は背中にあるリュックに手をやろうとして気づく。
「あああ!? 忘れてた! 私のリュック!!」
魔物から逃げることに必死で忘れていたが、荷物が入ったリュックを異界で失くしていたことを思い出す。
『日和』
ショックで項垂れていた日和の視界に、小さな風呂敷包みと美梅の鞄を背中に乗せて運んできた狛犬達の姿が映る。
『全部は無理だったけど、拾えた』
『これがあればいい?』
日和は狛犬が持ってきた小さな風呂敷包みを開く。その中には、日和の財布と携帯があった。
「あああ! ありがとう、狛犬さん達! よかったあ!!」
日和が携帯と財布を受け取ると、風呂敷が消える。他の物は失ってしまったが、重要度の高い物が無事だったことに、日和は心の底から安堵した。
「天大慈雨之尊」
篤那は天大慈雨之尊に近づくと、両手を開く。篤那の手には、踏み潰されたような小さな一輪の花があった。
『確かに受け取った。ありがとう、篤那』
天大慈雨之尊は悲しそうな目をして、篤那の手から花を受け取る。
「あの花は?」
紫色の斑模様の入った白い花を見て、日和は首を傾げた。篤那が口を開く。
「あの杜鵑草が、異界を作り出した魔物の正体だ」
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