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第六章 恋する呪いの話

第26話 恋心

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 金色の糸に導かれて、日和ひよりは柱の前に辿り着く。

 ふわふわと頼りなく浮かんでいた体は、重力を思い出したかのように足元から着地した。体を支えるものがある感覚に、日和はホッと息を吐き出す。
 
 黒い柱を見ると、キラキラと輝く白の術式が血管のように張り巡らされていた。

(……呪いに侵食されている)
 術式の意味はわからないが、日和は直感で感じ取る。
 
 周囲の邪気が黒い柱に吸い込まれていく。柱の根本部分には、周囲より一段と暗い闇が泉のように広がっていた。

(この柱の術式を破壊すればいいの?) 

『お前の力では無理だ。それに、あの子を傷つけてしまう』

(え? じゃあ、どうすればいいの? 話をするって言っても、話せる相手もいないように見えるけど……)

 首を傾げていると、日和の視界がガクリと揺れる。胴体に巻かれていた糸が収縮し、日和の体が柱の根元に向かって一気に引き倒された。

「な、何!?」
 突然のことに目を白黒させた後、日和は起き上がろうと手に力を込める。四つん這いになった日和の手が、暗闇の中にズブリと沈んだ。

「え!? な、ちょっと!?」
 日和の両腕も両膝も、徐々に暗闇の中に沈んでいる。抵抗して体に力を込めると、沈む勢いが増してしまった。

 暗闇から植物の枝葉のような影が伸びて、日和の体に絡みつく。

『どうして、あの方と私は違う存在なの?』
 
 日和の中に、胸を引き裂くような悲痛な感情が流れ込んでくる。

『ああ、やっとわかった。だから、ダメなんだ』
『あの方は私だけのもの。誰にも、触らせない!!』

「待って! 嫌だ!! 助けて!!」
 自分ではない誰かの強い想いが押し寄せてくる恐怖に耐えきれず、日和は天を仰いで助けを乞う。
 肩まで暗闇に飲み込まれてしまい、手を伸ばすことも出来なくなっていた。

『私は訳あって、あの子に近づけない。ここから先は、お前一人に頼むことになる。大人しく、沈んでくれ』

(……どういうこと? もしかして、罠だったの!? 誰か!)

 焼けつくような強い感情が、日和の存在を侵食するように体と脳を支配していく。

 日和の意識と体は、完全に暗闇の中へと飲み込まれた。


***


 他の誰かから見たら、小さな切っ掛け。
 けれど、私にとっては、とても大きな切っ掛けだった。

「えー? 見てよ。これ、気持ち悪くない?」
 神社を訪れた人間が、私を見下ろして言う。嫌悪と嘲笑を向けられた私は、呆然としてしまった。

「うわ、本当だ。毒持ってそう。マジでキモいわ」
 女性二人組の何気ない会話。私は、とても傷つき、そして理解した。

(私の姿は、醜いんだ……)
 身近な存在には言われたことがなかったから、自分の容姿について何も思っていなかった。ただ、人間達が私以外の子達へ「綺麗ね」と嬉しそうに笑顔を向ける姿は見ていた。
 まさか、自分が人から嫌悪の目で見られるなど、夢にも思っていなかった。

『気にすることはないのに。あなたには、あなたの良さがあるのよ』
 周りの子は、私を慰める言葉を吐いた。
 綺麗な言葉は、私の心の表面を滑り落ちていくだけで、決して響きはしなかった。


「どうしてよ! 何でこんな!!」
 ある日の黄昏時。神社を訪れた人間の女性が、当たり散らすように私を蹴飛ばした。傷つく私を顧みることもなく、女性は周囲に暴力を振るった後、帰っていった。

 短い、呆気ない命。
 醜い私は、理不尽な命の終わりを受け入れた。

『幼い子、目を開けておくれ』

 温かな金色の光が、私の体を包み込む。心地よい感覚と共に、痛みが消えていくのを感じた。

(綺麗……)

 目の前に現れた御方の美しさに、私は息を呑む。自分の容姿が恥ずかしく思えて、私は俯いてしまった。

『どうした? まだ力が足りないか?』
 金色の光が再び私を包み、癒そうとしているのを感じた。

『私のような醜く価値の無いモノに、ご慈悲は不要です。どうか、捨て置いてくださいませ』

 直接会ったことはなかったが、周りから話を聞いていたので、目の前にいる御方が尊き方だということはわかっていた。醜い私が、近づいていい存在ではない。

『随分と卑屈な子だ。そのような悲しい言葉を使うなど』

『……綺麗な貴方には、醜い私の気持ちなんてわかりません』

 嫌悪の目と言葉を向けられ、命を踏みにじることに罪悪感すら抱かれない。それが、他から見た私という存在だ。

(どうせ、貴方も私のことを醜いと思っていらっしゃるのでしょう?)

『お前は綺麗だよ。小さくて、とても愛らしい』

 嘘のない慈しむような眼差しと優しい微笑み。時が止まったかのように、私は呆然としてしまった。
 
『私は、そう思う』
 優しく撫でられる。言葉がジワジワと心に染み込み、熱を持つ。

『そろそろお時間です』
『ああ、わかった』
 後ろに控えていた者に呼ばれ、あの方は私に背を向ける。

(もっと、一緒にいたい……。でも、そんなことを思っては、あの方の迷惑になる)
 私は不相応な感情を封じ込めようとした。あの方が振り返って、私を見る。

『また明日会いにくるよ。その時は、笑顔を見せておくれ。愛らしい子』

 あの方が去っていく背中を、私は見つめ続けた。
 心が歓喜に震え、抑えきれない。

 醜いと罵られた日、生まれてきたことを後悔した。
 踏み躙られた時、こんな自分だからと諦めた。

 それが、今は……。

(私、生まれてきて良かった。あの方が愛らしいと言ってくれる、この姿で良かった)

 私の今までを、一変してくれたあの方。

 私は、あの方に恋をした。

 立場が違う、あの方に。手を伸ばしても届かないけれど。それでも、好きになってしまった。


 次の日、あの方は言葉通りに私に会いにきてくれた。体中から喜びが溢れて、心はふわふわと夢見心地で、幸福な時間を過ごした。

『昨日は、すまなかった。人の子が、お前を傷つけてしまった』
 あの方は、まるで自分が悪いかのように頭を下げた。

『どうして、貴方が謝るのですか?』

『あの人の子は、どうしようもなく辛いことがあった。私を頼ってきたが、訳あって願いを叶えることが出来なかった。それで、あの人の子は鬱憤を撒き散らし、お前達に酷いことをしてしまった』

 私のことを傷つけた人間の表情を思い出す。血走った目の奥にあった、深い悲しみ。

『それでも、他者を傷つけていい理由にはならない。だが、私は、あの人の子を責めることは出来ない』

『……願いを叶えることが出来なかったからですか?』
 ”罪悪感がそうさせるのか”という私の問いに、あの方は首を横に振る。

『私が人間を愛しているからだ。私は、どうやっても人間を嫌いにはなれない。人間に罰を与えることは出来ない。お前に謝るのは、ただ私がそうしたいだけ。何の慰めにもならないだろうが……』

 あの方が申し訳なさそうに眉を下げるを見て、私は苦笑する。

『私も罰を与えることを望んでいませんよ。貴方が人間を好きなことは、見ていてわかりますから』

 神社を訪れる人間達を愛おしそうに見つめる眼差し。幸せな報告をしに来た人間達と共に喜び、”幸せになるのだぞ”と祝福を与える姿を知っている。

(大好きな貴方が大好きなモノなら、私も大事にしたい)

 私の命は短いものだから、ずっと一緒に見守ることは出来ないけれど。命が尽きるその時まで、同じ気持ちでいたい。

 いつか来る終わりの時を感じながらも、私は今の幸せに、ただ浸っていた。


『一瞬だけ、用があって留守にするから』
 神社にいる者達に向かって、あの方は言った。

『貴方様の一瞬は、俺達にとっては数年単位ですからね』
 神社にいる同胞が呆れたように言うと、あの方は苦笑する。

『いや、本当に一瞬の一瞬だ。四日程度で帰るから』
『本当かなあ? この前、すぐに帰るなんて言って、十五年以上帰って来なかったでしょう? 本当、貴方達は時間の概念が無いんですから』

(四日も会えないなんて……)
 私に残された時間を考えれば、四日という時間は、とても長く感じた。泣きたい気持ちを押し殺して、私は顔を上げる。

『いってらっしゃいませ。どうか、ご無事で。おかえりをお待ちしております』

 あの方は穏やかな笑みを浮かべ、神社を去っていった。

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