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第六章 恋する呪いの話
第6話 優しい碧真
しおりを挟む鳥居を潜った先には、同じような白い砂と暗闇が広がっていた。
同じ空間かと思ったが、後ろを振り返ると赤い鳥居が消えていたので、確かに別の空間に出たのだろう。
周囲を見回して、日和はハッとする。
「碧真君!?」
先に入った篤那と俐都だけではなく、すぐ側にいた筈の碧真すらいなくなっていた。
(もしかして、私だけ引き離された!? 嘘!? 待って! どうしたら……)
日和が焦りを感じた時、近くで砂を踏む音が聞こえて振り返る。
「あ、碧真君。良かった」
そこには、無表情の碧真がいた。一人にならずに済んだことに、日和は安堵して息を吐き出す。近づいてきた碧真は、日和の正面に立った。
「日和」
碧真の表情を見て、日和は凍りつく。
(あ、碧真君が……ほ、微笑んでる!?)
穏やかに優しく微笑む碧真。恐怖すら感じる極上の柔らかい笑みを浮かべたまま、碧真は日和へ手を伸ばす。
「な!? 何っ!?」
日和はギョッとして後ずさる。碧真は不思議そうな表情で首を傾げた。
「どうした? 何をそんなに怯えているんだ?」
「え? えーっと……」
日和は動揺しながら視線を泳がせる。
(”碧真君の笑顔が怖すぎたから”って言ったら、頭を締められそうだな。……ここは誤魔化そう!)
「いや、命の危機を感じて怖くて……。碧真君が怖いわけじゃなくてね! そう、碧真君じゃないけど、何か恐怖がね」
頭の回転が止まったような答えをしどろもどろに話す日和に、碧真が近づく。ここで逃げたら誤魔化せなくなると思って、日和は逃げ出したい気持ちを抑えた。
日和は内心で悲鳴を上げながら、正面に立つ碧真を見上げる。碧真は左手で、日和の右手をそっと優しく掴んだ。
「震えてる。可哀想に」
「……あ、ああああああ碧真さん? ど、どぅしたんですか?」
「何がだ?」
「私のことを心配するなんて、おかしくない!? いつもなら、ボケっとするなとか、頭が可哀想とか言うのに! 頭をどこかにぶつけたの!?」
「俺のことを心配しているのか」
甘く微笑む碧真に、日和の混乱と恐怖が加速する。
(やばい、話まで噛み合ってない。いや、元から噛み合ってないけど。 え? どうしよう? 変な世界に来たことで、碧真君が変になってる!?)
碧真は右手を伸ばして、日和の頬に触れる。碧真は嬉しそうに目を細めた。
「安心しろ。日和が平和に笑っていられるように、怖いものから守ってやるから」
碧真は慈しむように、日和の頬を優しく撫でる。
その笑顔を見た瞬間、日和の中の恐怖に対する心の防波堤が決壊した。
「怖いの碧真君ですからぁ!!! さっきから何なの!? ホラー並みに怖すぎるんですけどぉ!! 何考えてんの!? 何で罵倒するんじゃなくて、まともな言葉を吐くの!? 今まさに、碧真君が私の心の平和を脅かしてるよおぉっ!!!」
日和は涙目で叫びながら、碧真を突き飛ばす。鳥肌の立つ両腕を抱き締めながら距離を取ると、碧真がキョトンとした顔で日和を見つめた。
「どうしたんだ? 日和」
「こっちの台詞だよ! いつもと違いすぎて怖いんだって!!」
「いつも通りだろう? 混乱しているのか?」
「……え? な、何を言ってるの!? 全然違うでしょ!? いつも毒舌で人の心をへし折ろうとするのが碧真君でしょう!?」
碧真は本当に意味がわからないという顔で日和を見つめる。日和は頭を抱えて俯いた。
「……え? もしかして、おかしいのは私の方なの? 美梅さんが言うように、私が幻覚でも見てるの!? どこからが本当で、どこからが嘘なの!?」
日和が”幻覚”と口にした瞬間、視界に映る碧真の足が歪んだ気がした。不思議に思った日和が顔を上げると、碧真がいた筈の場所に、縦横一メートル程の大きさのヌルりと湿った質感の丸いスライムのような黒い塊がいた。
「スーーーーーッ。……え゛っ?」
日和は息を大きく吸い込みながら熟考したが、理解出来ずに首を傾げる。
黒い塊の表面に、紫色の斑模様が浮かび上がる。斑模様は徐々に形を変え、人の唇になった。無数の紫色の唇がパカりと開き、黒い塊が小刻みに振動を始めた。
『好き』『キミしか見えない』『愛してる』『だーいすき』『もう一度やり直そう』『あなたが一番なんです』『あいつとは別れた』『必ず幸せにするよ』『結婚してくれ』『付き合っちゃう?』
たくさんの唇は、複数の男女の声で異なる言葉を次々と吐いていく。誰かに向けられる好意の言葉も、今は恐怖を与えるものでしかない。
日和は後ずさる。それを察知するように、黒い塊の上に散らばっていた紫色の唇が表面を移動して、全ての唇が日和の正面に向けられた。
『だから、愛をチョウダイ』
無数の唇が異なる声で一斉に同じ言葉を紡いだ。日和の全身を鳥肌と恐怖が駆け巡り、本能が警鐘を鳴らす。
日和は黒い塊に背を向けて走り出した。
(何あれ!? あれが魔物なの!? やばすぎるでしょ!?)
日和は歯を食いしばりながら、あてもなく、ひたすらに走る。目の前に広がるのは、黒い闇と白い砂だけ。出口になりそうな場所や隠れる場所などはない。
『チョウダイ。チョウダイ。欲しい。欲しい。愛して。どうして愛してくれないの? お願いだから、好きになってぇええええ!!』
日和の背後から、魔物の異口同音の絶叫が響く。
少女漫画の健気なヒロインが涙混じりに言って胸が切なくなるような言葉も、今は呪いじみた執着しか感じない。
「無理無理無理!!! 恐怖しか感じない相手に、愛情を注げる程の度量は、私には無いから!! 恋愛経験の無い私に、ハイレベルな愛を求めないでくださいぃっ!!」
日和は涙目で叫ぶ。否定されたことにショックを受けたのか、魔物の形が歪み、ウニのような棘を纏った物体へと変化する。棘の先で、紫色の唇が花のように咲いた。
「うわっ!」
グイッと強い力で体を後ろに引っ張られ、日和は砂の上に尻餅をつく。後ろを振り返ると、魔物の体から伸びた五つの唇が、日和の背負っていたリュックに噛み付いていた。
五つの紫色の唇達は口角を上げると、交代しながらリズミカルにリュックを噛み千切っていく。リュックに入っていた荷物が砂の上に散らばる。更に魔物から伸びてきた紫色の唇達が、砂の上に落ちた荷物を飲み込んでいった。
捕食される恐怖を感じて、日和はリュックから腕を外す。
(早く、早く逃げないと!)
日和は震える足で立ち上がり、再び走り出す。走っている筈なのに、魔物から逃げられている気が全くしない。精神的なプレッシャーから、早くも息が苦しくなった。
必死に走る日和は、何かに躓き、砂の上にうつ伏せに倒れる。日和の頭上を、紫色の唇が掠めていった。
追撃してきた紫の唇が、あと二十センチで日和に届くという所で、バチンと音を立てて弾かれた。
日和は驚いて視線を向けるが、魔物の伸ばした唇が不自然に折れ曲がって砂の上に埋もれているだけで、攻撃から守ってくれるようなものは見つからなかった。
(一体、何が?)
日和が状況を理解出来ていない間にも、魔物は次の攻撃へ移る。
気づいた時には、無数の唇が日和をグルリと取り囲んで、空中で静止していた。
「ま、待って……」
日和は青ざめる。攻撃を防ぐ手段など、日和には無い。周囲に助けてくれる人の姿も無い。お助けアイテムなんて都合の良い物も無かった。
無数の紫色の唇が、ニタリと口角を上げた。
『ねえ、愛してくれるよね?』
「ヒッ!!」
日和が悲鳴を上げると同時に、紫色の唇達が一斉に襲いかかって来た。
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