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第五章 呪いを封印する話
第32話 幸せな未来を祈る
しおりを挟む話を終えた少女は立ち上がる。
警戒した碧真が腰を浮かせて、左手に銀柱を構えた。
「大丈夫。攻撃なんてしないわ。あなた達を元の世界に帰す為に、集めた名前を全部出して頂戴」
近づいてきた少女の首に、碧真は銀柱の鋒を向ける。
「おかしな真似をしたら、容赦しない」
碧真は鋭い目で少女を睨んで脅す。少女が小さく頷くと、碧真は警戒したまま、上着のポケットから名前の玉を取り出して畳の上に置いた。
三人が集めた十個の名前の玉が畳の上に並べられる。
玉に書かれた文字を見つめて、少女は悲しげに笑った。
少女は名前の玉の前に座り、手に取って一列に並べていく。
七つ目を並べた時、少女は口を開いた。
「『名奪リ遊戯』を作り出した術者の名は、鬼降魔喜市。私の弟」
少女が術者の名前を口にすると、名前が書かれた玉が宙に浮かび上がった。
玉から純白の光が生まれ、線となって術式を描く。
複雑な術式の中に、”鬼降魔喜市”の名が浮かび上がった。
術式が純白の閃光を発すると共に、轟音を立てて屋敷が揺れ始める。
「な!? 何が起きるの!?」
陽飛が怯えて声を上げる。日和は番傘を手に持って立ち上がる。碧真は険しい顔で周囲を見回した。
「あなた達は、『名奪リ遊戯』に勝って、在るべき場所へ帰る」
日和が少女を見ると、穏やかに微笑んでいた。
「私の名前、見つけてくれてありがとう。日和さん」
少女の前に残った三つの玉。日和が見つけた四つの名前の内の三文字だった。
「それが、あなたの名前?」
日和の問いに、少女は肯定するように頷く。
少女が日和に向かって何かを放り投げる。日和は咄嗟に番傘を手放して、少女が投げた物を両手で受け止める。両手を開けば、日和が少女に渡していた饅頭があった。
「私は弟と一緒に食べられない……。よかったら、貴女が弟と一緒に食べてあげて。いつか、近い未来にでも」
「え?」
少女の言葉の意味が分からずに、日和は瞬きをする。
暗い闇が少女の背後に広がる。少女は三人を見て、子供らしい無邪気な笑みを浮かべた。
「一緒に遊んでくれて、ありがとう」
地面の感覚が失われ、三人の体が宙にふわりと浮かぶ。視界を徐々に暗闇が覆っていく。
「待って!」
日和は少女へ手を伸ばす。暗闇に飲み込まれて、少女の姿は見えなくなった。
***
四人の姿が消える。畳の上には、藍色の番傘がポツリと残されていた。
私は立ち上がり、番傘を手に取る。
(彼が作った呪具ね……)
喜市が作った『名奪リ遊戯』を壊したのは、天翔慈家当主の三番目の息子である天翔慈晴信。
(どうして、この空間に、彼が作った呪具が残されていたのかしら?)
『名奪リ遊戯』が壊され、私達が本家に連行される前に、一度だけ彼と話をした。
歳不相応な話し方と表情。底の見えない澄んだ目に、ゾッとしたのを覚えている。強大な力と誰もが羨む家の名を持ちながら、その内には、何も持っていないような気味が悪い少年。
自分の願いを打ち破った彼を、喜市は心の底から憎み、呪詛の言葉を吐いた。地面に這いつくばる喜市を、彼は凪いだ海のような静けさで見下ろしていた。
私が番傘の呪具を手にした途端、金色の文字は光を収めた。私の口元に自嘲するような笑みが浮かぶ。
天翔慈家の術は、神や神の眷属、又は、その加護を持つ者が扱えるという。
(私には、扱うことが出来ない。神や神に連なる者達の加護は無いという証明。私達は初めから、神に見放された存在だった)
私は、壁に向かって番傘を投げつける。ただの番傘となった呪具は音を立てて壊れた。
「喜市」
私が呪具の封印に使われてから、外の世界では百年以上の歳月が流れていた。
輪廻の輪から外れた私の魂は、二度と目覚めない筈だった。
けれど、数日前に封印が破壊された。
封印に使われていた私の名前。苗字は手元に残っていたが、名前の三文字が異空間に散らばり、封印の力が弱まった。
目を覚ました私の周りには複数の『影』達がいて、目の前には生まれ育った町が広がっていた。
呆然とする私の元に、術で作られた白い小鳥が舞い降りた。
『迎えに行くよ。待っていて。姉さん』
聞いたことが無い声だったが、私を”姉”と呼ぶ事や二人で作った連絡用の白い小鳥の術で、誰なのかはすぐにわかった。
喜市は生まれ変わり、別の人間として今の時代を生きている。
異空間内にやってきた成美と陽飛。成美の記憶を辿れば、生まれ変わった喜市の姿が見れた。成美に『名奪リ遊戯』のことを教えて、ここに来るように仕向けたのは喜市だ。
喜市は成美を利用して、私を現実世界に連れ出そうとしたのだろう。
白い小鳥に託した伝言は、”鬼降魔成美として現実世界に渡った時に迎えに行く”という意味だったのだと、私は理解した。
『影』達は、奪い取った成美の名前を、私に差し出してきた。私は成美の名前の最後の一文字を返し、自分の持っていた苗字と成美の苗字を入れ替え、鬼降魔成美に成りすました。
(ごめんなさい。喜市。私は、そっちへは行けないわ)
あなたは、私が生贄にされたことを、自分のせいだと思ったのかもしれない。けれど、それは違うの。あなたと同じくらい。いいえ、それ以上に、私は天翔慈家を憎んでいた。力があれば、復讐していたのは私だった。
力の無い私は、自分を取り巻く理不尽を受け入れることしか出来なかった。仕方がないと諦めて、自分の人生の選択を他者に渡していた。
力の有る喜市は、理不尽な世界を否定し、傷つけることを選んだ。理不尽を押し付ける世界に反抗して、未来を壊した。
あの時、父を連れて逃げていたら。父は死なずに済んだ。
あの時、喜一を連れて逃げていたら。喜市の心が壊れることもなかった。
あの時、喜一を止めていたら。二人で生きられる未来があったかもしれない。
(全て、空想。全てが、終わったこと)
「私達は、二人で間違えた」
私は両手を合わせ、祈りを込めて術式を頭の中に思い描く。
開いた両手から白い小鳥が生まれる。小鳥は羽を広げて、私の元から飛び立っていった。
(喜市も私も既に死んでしまった。その事実は変えられないの。……だから、どうか)
私は覚悟をして口を開く。
「私の名は、鬼降魔市佳。罪を持って、罪を封じる者」
私の元に残った名前の玉が、白い閃光を放つ。私の体に取り込まれていた名前も体から離れる。宙に浮かんだ七つ玉が、私を取り囲んだ。
玉から生まれた純白の光の線が鎖となり、私の体に巻きついていく。私の体は鎖に引き倒され、畳の上に仰向けに縛り付けられた。
頭上に浮かぶ”鬼降魔市佳”の名が分解されて剣となり、私の体を突き刺した。
両手、両足、首、胴体に刃が突き刺さり、血に染まった赤い柱を作る。赤い柱は私の血を吸い取って、封印の術式を宙に作り上げていく。
壊れた屋根から覗く空を見上げれば、羽ばたく白い小鳥が、現実世界へ渡っていくのが見えた。
小鳥の術を作った時の幼い頃の喜市の笑顔が脳裏に浮かび、私の目に涙が溢れた。
手に入れたかったのは、他人に成り代わって得る誰かの幸せではない。
私は、鬼降魔喜市の姉であり、父と母の娘。鬼降魔市佳以外の誰かになんて、なりたくない。
鬼降魔市佳として、幸せに生きていたかった。
喜市の罪も、悲しみも。私と共に封じよう。
遠い過去の過ぎ去ったモノに、生まれ変わった今のあなたが、苦しめられることのないように。
(どうか、今の自分を大切に生きて。そして、幸せになって。……大好きよ。可愛い私の弟)
変わる事の無い空を見たのを最後に、私は目を閉じる。
***
「姉さん。大丈夫だよ。もうすぐ、もうすぐで完成するんだ」
父を亡くした二人に与えられた小さな物置。戸板を銀柱で削る音が、耳に響いた。
喜市が手にしているのは、父が自分の首を刺すのに使った銀柱。抜き捨てられて血に塗れた銀柱を、喜市は拾い上げて大切に持っていた。
「それ、『影遊ビ』の術式?」
喜市が板に描き出した術式の中に、幼い頃に二人で作った術式を見つけて尋ねる。喜市は頷いた。
『影遊ビ』は、私達以外に遊び相手が集まらなかった時に思いついた、遊び相手となる人型の真っ黒な『影』を作り出す術だ。
『影遊ビ』の術式の周りには、私が見た事の無い術式が張り巡らされていた。私は喜市を見つめる。
古く粗末な着物の下には、血で汚れた布。布から覗く肌は傷だらけだった。
「何を作っているの?」
私の問いに、喜市は右手に持っていた銀柱を下ろし、描いた術式を左手でなぞる。
「天を壊す術」
喜市は幸福そうに笑うと、私と向き合って座った。傷だらけの両手で、喜市は私の手を握る。
「父さんの仇を取ったら、ここから出て、二人だけで生きていこう」
天も魔もいない地で。二人だけの小さな世界で。父はいなくなってしまったけれど、あの頃のように静かで平和に。誰にも害されないように。
「ああ、それは素敵だね」
私も幸福を感じて、微笑みを返した。
***
(もう二度と、目覚めることがありませんように)
ただ一人の弟の幸せを祈りながら、市佳は眠りについた。
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