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第五章 呪いを封印する話
第27話 私の名前
しおりを挟む(……あ、あれ?)
訪れない痛みに戸惑いながら、私は恐る恐る目を開ける。私の腕を誰かが掴んでいる事に気づいた。驚いて見上げると、碧真君が私の腕を掴んでいた。
(え? 何で? 私、今は『影』に見えているんじゃないの?)
碧真君が腕を引っ張って、私の体は階段上に引き上げられた。
死への恐怖が遅れて押し寄せる、心臓がドクドクと音を立てて、体から力が抜ける。私は、その場に膝から崩れ落ちた。足元に感じる地面の感触に心の底から安堵する。
「兄ちゃん! 何で『名取君』を助けたの!? 何でお姉ちゃんを助けなかったの!?」
陽飛君が悲痛な声で叫ぶ。この場にいるのは、私と陽飛君と碧真君。私に成り代わっていた『影』の姿は無い。先程聞こえた音は、私に成り変わった『影』が階段を転がり落ちた音だったのだろう。
「兄ちゃん!」
返事をしない碧真君に焦れて、陽飛君が声を荒げる。
「階段を見てみろ」
碧真君の言葉に、陽飛君は怯えて首を横に振る。私の凄惨な死体があると思ったのだろう。
碧真君は溜め息を吐いて、一人で階段を下りていく。
「ちょ! 兄ちゃん! 置いていかないで!」
碧真君を追いかけようと、階段に近づいた陽飛君は驚きで目を見開いた。
「どういうこと?」
陽飛が見たのは、階段の中間に倒れて塵となっていく途中の『影』の姿だった。
碧真が近づく頃には、『影』の体は全て塵となり、名前が書かれた玉が複数転がっていた。碧真君が玉を拾い上げる。
階段を上って戻ってきた碧真君は、拾ってきた名前を全て私の膝の上に落とした。
名前が書かれた玉が、私の体に吸い込まれていく。キラキラとした純白の光が私の体を包み込む。欠けていたモノが戻って来た感覚がした。
「お姉ちゃん!? 一体、どういうこと!?」
陽飛君が私を見て驚愕する。
「日和」
碧真君に名前を呼ばれて、私はハッとした。
耳鳴りに掻き消される事もなく、確かな音で耳に届く。それが、自分の名前だと認識出来た。
(私の名前……。日和……赤間日和! 思い出した!)
「碧真君! 私の名前、思い出したよ! ありがとう!」
自分の名前がわかることが、こんなに嬉しい事なのだとは思わなかった。
全身から喜びが溢れた私は、碧真君を見上げて満面の笑みを浮かべる。私を見下ろしていた碧真君が、少しだけ驚いたように目を見開いた。
「ねえ、どうして? 俺には、『名取君』がお姉ちゃんに見えてたよ? どうして、『名取君』が本物のお姉ちゃんだってわかったの?」
陽飛君が不可解そうな顔で、碧真君に問う。それは、私も聞きたいところだ。
「前から違和感はあったが、決め手になったのは、お前だ」
碧真君が見下ろすと、陽飛君はキョトンとした。
「え? 俺? どういうこと?」
「日和と『影』が掴み合いになって、お前が声を掛けた時、『影』に見えていた方が反応した。『影』は音に反応しない筈なのに、不自然だ。そして、日和に見えていた方は、お前が倒れた時に全くの無反応だった。俺が知っている日和は、目の前で転んだ人間を無視出来る奴じゃない。だから、偽物だと思った」
私は驚いて目を見開く。
(……もしかして、私は今、碧真君に良い評価をされているの!? え? この碧真君、本物? 実は『影』じゃない??)
碧真君に褒められた事に恐怖を感じて、私は一歩後ずさる。
「あとは、『影』に見えた日和の動きが馬鹿っぽかったからな。あんな馬鹿な挙動をする馬鹿は、馬鹿な日和だけだ」
「ちょっと!? 馬鹿って言葉が大洪水を起こしてるから!! てか、碧真君、さっきまで全然気づいてなかったじゃん! 私のいる橋を爆破したり! 助けたのに火柱起こしたじゃん!! 絶許案件ですけど!!」
碧真君は私を見て、面倒臭そうな顔で溜め息を吐く。
「……煩い。戻さない方が静かで良かったな。失敗した。もう一回、名前を奪われて来い」
「はあ!? 嫌でーぇす! もう二度と奪われてたまるか! 私の名前は私のものだ!」
言い合いをする私達を見て、陽飛君が呆れた顔をした。
「なんか、兄ちゃんとお姉ちゃん、俺が思う大人と全然違う。大人っぽくないし、格好悪い」
陽飛君の言葉に、私はショックを受ける。
「こいつと一緒にするな」
私と一括りにされたことが不愉快だったのか、碧真君は心底嫌そうに顔を顰めていた。
「いや、私も碧真君と一緒にされたくないけど。……でも、確かに私は、”子供の思い描く大人です”とは言えないかも……」
子供の頃、大人は完璧で間違い一つ無いのだと思っていた。大人の言うことは全部正しくて、何でも知っていて、何でも出来る存在だと信じていた。
自分が大人になった時、それは間違いだと知った。知らないこと、出来ないことは多い。私は子供の頃に思い描いた大人に全くなれていない。日々生きることで手一杯状態だ。これといった『正しさ』だって、私は見つけられない。
「大人って、陽飛君が思っているより、ずっと大したことのない存在だよ。私も周りの大人達も皆、生き方なんてわからないまま、初めて人生を生きて、初めて大人になるんだもん」
思い描いたものとは随分と違う自分や人生になっているけれど、そんな今の自分も人生も嫌いじゃない。これからも完璧とは程遠い人生を歩み続けるだろうが、それを絶望するのではなく、笑える自分が好きだ。
陽飛君が不思議そうな顔で私を見る。
「陽飛君も成美ちゃんも、大人になったらわかるよ」
私は苦笑して立ち上がる。陽飛君はハッとした。
「そうだ! なる姉ちゃん!! なる姉ちゃんが『名取君』に攫われていたのを忘れてた!!」
「え゛っ!?」
私は目を見開く。どうりで姿が見えないと思った。
「ど、どうしよう!? 何処に行ったの!?」
私が慌てて問うと、陽飛君は眉を下げて首を横に振る。
「わからない。急に現れた黒い大きな鳥に攫われたんだ」
「え? 鳥って、さっきの?」
碧真の加護の巳に倒された鳥型の『影』のことだろうかと、私は首を傾げる。
「……違うだろうな。あの『影』が落としたのは、俺の名前だけ。もし攫った鳥が同じなら、あいつの名前もある筈だ」
碧真君の言葉に、私は眉を寄せる。
「じゃあ、もう一体、鳥型の『影』がいるってこと?」
「その可能性はあるな」
陽飛君が私と碧真君の手を引っ張った。
「あの鳥を見つけないと! なる姉ちゃんの名前が奪られる!! 早く行こうよ!!」
「あ! 待って! 傘を拾わせて」
私は落としていた番傘を拾う。碧真君と陽飛君が不思議そうな顔をした。
「何それ? 来た時は持っていなかったよね?」
陽飛君の言葉に、私は頷いて二人に番傘を見せる。
「途中で拾ったの。ここに術式が書いてあって、『影』を倒すことが出来たんだ。多分、呪具なんだと思うけど……。碧真君、何かわかる?」
私から番傘を受け取った後、碧真君は術式を見て眉を寄せた。
「……俺が知っている鬼降魔の術式じゃないな。一部は何処かで見たことがある気がするから、鬼降魔とは無関係じゃないだろう。壮太郎さんに聞くのが一番いい。三家の術は、あの人が一番詳しいからな」
私は番傘を受け取る。
よくわからないまま使っていたが、改めて思うと、不思議なアイテムだ。
(この呪具を作ったのは、『名奪リ遊戯』を作った人じゃないってこと? それなら、誰が作ったんだろう?)
「ねえ、早く行こうよ!!」
陽飛君に急かされ、三人で神社の階段を下りる。
「こっちだ」
階段を降りた後、碧真君は迷うことなく道を進む。私と陽飛君は碧真君の後に続いた。
「成美ちゃんの居場所がわかるの?」
私の問いに、碧真君は頷く。
「飛んでいった方角を見ていた。『影』は巨体だから、近くに行けば見つけられるだろう」
「……なる姉ちゃん。無事なのかな?」
心配そうに呟く陽飛君に何も言えず、私は眉を下げる。
不安な気持ちで進む道は、暗く重たい雰囲気を纏っていた。
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