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第五章 呪いを封印する話

第4話 『名奪リ遊戯』の異空間

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 視界を覆う黒い霧が晴れると、広がっていたのは不思議な世界だった。

 灰・藤・桃色の三色を混ぜ合わせた薄暗い空。
 目の前には木製の橋が架かり、赤い欄干らんかんの下に間隔を空けて置かれた複数の行灯あんどんが鈍く怪しい光を放っている。橋の向こう側には、木造の日本家屋が立ち並ぶ古い街並みがあった。

(ここが異空間?)
 怪しい雰囲気に不安を覚えながら、日和ひよりは周囲を見回す。後ろを振り返った日和は、碧真あおしを見つけて安堵の息を吐いた。

「碧真君」
 声を掛けると、背を向けていた碧真がチラリと日和に視線を寄越す。碧真は側にある立て札を見ていたようだ。

 古びた木製の立て札には、地図のような絵と文章が記してあった。日本語ではあるが、毛筆の続け字で書かれた読みづらい文面に、日和は渋い顔をする。

「何これ?」
「この空間の地図と脱出方法が書かれている」
「碧真君。この文章がわかるの?」

鬼降魔きごうまで使われる術の大半は、百年以上前に作られたものだからな。古い文章で書かれた呪術書を読めるように、大抵の奴は教育される」

(そういえば、美梅みうめさんも咲良子さくらこさんも読めていたっけ……)
 鬼降魔きごうま愛美あいみの呪具探しの際にチラリと見た呪術書。日和は読めなかったが、美梅と咲良子は本の内容を理解しているようだった。

「何て書かれているの?」
総一郎そういちろうから聞いた『名奪なと遊戯ゆうぎ』について書かれているな。『影』に襲われると、名前を一文字奪われる。名前全てを失うと、存在が奪われる。名前を全て失う前に異空間内に散らばる術者の名前を見つけ出せたら、ここから出る事が出来る。あとは……」

 文章を目で追った碧真は、険しい表情で眉を寄せた。

「”今度はこちらが、お前達から奪う番だ”……と書かれている」

 『こちら』とは、禁呪を使用した人間の事。今度は自分が『奪う番』だというのは、『奪われる側』から『奪う側』に回ったという事だ。

「この禁呪は、誰かへの復讐が目的なの?」
「……さあな」
 碧真はズボンのポケットから携帯を取り出すと、立て札の写真を撮る。

「回線はダメみたいだが、携帯に内蔵されている機能は使えるみたいだな。あんたも地図の写真を撮っておけ」

 碧真に言われて、日和もパーカーのポケットから携帯を取り出す。圏外が表示されているが、カメラやライトなどの内蔵されているアプリは起動出来た。日和は携帯で撮った写真を眺める。

 橋を渡ると、弓形ゆみなりになった一本の大通りがある。大通りの先、地図上で最奥に描かれているのは、鳥居のような印を囲んだ丸い場所。恐らく神社だろう。

 地図の左側は、大通りに沿って扇面せんめん状に広がった地形。手前側三分の一の場所には、細長い建物が四棟ある。残りの三分の二は、大小さまざまな建物が乱雑に並んでいた。

 地図の右側は、大通りに沿って少し斜めになった凹状の地形になっている。大小様々な建物が並んでいるが、左側に比べて整然とした並びだ。両側の突出した部分には、大きな建物があった。

 異空間内は、思ったより広いようだ。碧真と逸れた場合、『影』という危険なモノが彷徨うろつく空間内を一人で生き抜かなければならない。

「碧真君! 絶対、置いてかないでね!! 置いていったら、有り得ない程に泣き叫ぶから!!」
「……泣き叫ばれたとしても、俺には何もダメージが無いんだが」
「少しは心痛むとかしろぉ!! あったかいコミュニケーション取ろう!」

 碧真は面倒臭そうな表情を浮かべると、日和を無視して歩き出した。

「あ! ちょっと、早速置いていかないでよ!」
 碧真に続いて、日和も橋を渡る。

 風がないのに、行灯の炎は頼りなく揺れていた。
 橋の下にあるのは川ではなく、苔色の濃いもや。邪気や穢れとは違うが、不気味な雰囲気を漂わせている。底が見えないのが、またゾッとする。

 橋を渡り終えた時、薄暗い道の先から法螺ほら貝に似た低く不気味な音が地面の振動を通して耳に伝わる。生温く纏わりつく風に肌が粟立った。

「わああああああ!!」
 橋の先から、切羽詰まった悲鳴が聞こえた。

「行くぞ」
 走り出した碧真の後を追って日和も走り出すが、普段運動していないせいで全く追いつけない。自分の運動能力と体力の無さに、早くも先が思いやられた。

 大通りの両脇にある店には食べ物や雑貨が並んでいる。無人の店は暗く、寒気まで感じた。

 碧真が路地へ入る。
 路地の先の開けた道には長屋が四棟並んでいた。中央にある井戸の近くで、碧真が立ち止まっているのが見えた。開けた道に出る一歩前で、日和は嫌な感じがして立ち止まる。

 碧真の背後に庇われるように、一人の少年が尻もちをついた状態で座り込んでいた。

 碧真は銀柱ぎんちゅうを右手に構えて前方を睨みつけている。視線の先へ目を向けると、得体の知れない不気味な黒い塊が立っていた。

(……もしかして、あれが『影』?)
 人の形はしているが、目や口は無く、筆のかすれた線でグチャグチャに塗り潰した黒い『影』。

 足を持ち上げた『影』に向かって、碧真が銀柱を放った。
 銀柱は『影』の頭に命中する。碧真が指を鳴らすと、爆発が起こった。

 周囲に立ち込める爆煙が晴れた時、碧真は目を見開く。

 『影』は何事もなかったかのように、その場に突っ立っていた。『影』は不思議そうに首を傾げて、自分の頭に突き刺さった銀柱を抜き取る。

 『影』は地面に向けて銀柱を投げつける。銀柱は地面に刺さる事はなく、カラカラと音を立てて転がった。
 『影』は銀柱を拾い上げ、また地面に投げつけて転がす。

 小さな子供が何かで繰り返し遊ぶように、同じ動作を繰り返す『影』。四度目に『影』が銀柱を投げた時、小石に当たって、日和のいる方へ転がって来た。『影』は、ゆっくりと日和へ顔を向ける。

 真っ黒な『影』の顔に目は無いのに、日和は『目が合ってしまった』と感じた。
 『影』はじっと日和を見る。日和の脳が逃げ出すという選択肢を浮かべる前に、『影』は一瞬で正面に現れた。

「日和!」
 碧真が焦った声を上げる。『影』は日和の両肩を掴むと、顔を近づけてきた。
 人の形をしていた『影』の形が崩れて歪な動きをする。日和は顔を引き攣らせて、目の前の『影』を凝視した。

 黒い『影』の顔に現れた大きな赤い唇が開かれ、鋭く白い歯が日和に噛みつこうと迫る。

「っ! 離して!」
 日和は『影』の手を払い除けようとするが、力が強くてびくともしなかった。

 抵抗も出来ないまま、『影』の口に頭を飲み込まれて視界が暗闇に染まる。喉に食い込んでいく歯の感触。皮膚を食い破られる痛みが日和を襲う。

 日和の首を噛んだままの状態で、『影』が首を上げる。日和の体が持ち上げられて宙に浮いた。『影』が首を左右に振り、ブチブチブチと皮膚や血管や筋肉が無理矢理引き千切られるような嫌な音が日和の頭に響く。

 痛みと共に生まれる恐怖感に、日和は悲鳴を上げる。喉が潰れたのか、耳が聞こえなくなったのかわからないが、悲鳴は音にならなかった。

 『影』が口を開き、日和の視界を支配する暗闇が消えた。左右に振り続けられていた日和の体は、勢いのままに宙に投げ出された。

「日和!」
 投げ出された日和の体を碧真が抱きとめる。日和は放心しながら、目の前にいる『影』を見つめた。

 『影』の大きな口が笑みの形を作る。白い歯に挟まれたピンポン玉サイズの丸い玉。遊色効果を持つオパールのように虹色に輝く白い玉の表面には、『あ』という黒い文字が浮かんでいる。

「返して」
 大事なものなのだと懇願して、日和は手を伸ばす。『影』に近づこうとする日和を、碧真が抑えた。『影』は日和を嘲笑うように玉を飲み込む。

 ”奪われてしまった”という想いが浮かび、日和は悲痛に顔を歪めた。

「逃げるぞ!」
 碧真に腕を引っ張られ、日和は引きずられるように走り出す。

 『影』は動きを止めたまま、日和達を見送っていた。

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