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第五章 呪いを封印する話
第1話 名取君
しおりを挟むねえ、『名取君』って知ってる?
──名取君? 誰それ?
昔ね、”名取君”っていう名前の男の子がいたの。
その子は、よく名前が原因で虐められていて、自分の名前が嫌いだった。
虐められた日にね、裏山の神社で祠を見つけて、”こんな名前はいらない!” って言っちゃったんだって。
そうしたら、祠に住んでいた神様が、”そんなに嫌なら取り上げてやる”って言って、『名取君』の名前を全部奪っちゃったの!
名前を取られた名取君は、人じゃなくなって、幽霊になって祠の中に閉じ込められた。
──どうして、人じゃなくなったの?
名前を奪われてしまうと、違う存在になっちゃうの。
名取君は、名取君っていう”人間”じゃなくなっちゃったんだよ。
それでね、『名取君』と遊ぶと、良い事があるんだ。
──『名取君』と遊ぶ? どういう事?
『名取君』がいる祠に向かって、『名取君、遊びましょう』って声を掛けるの。
そうすると、祠の内側に連れて行かれて、『名取君』と追いかけっこをする。
『名取君』の本名を全部見つける事が出来たら、こっちの勝ち。見つける前に、自分の名前を全て『名取君』を取られちゃったら、こっちの負け。
『名取君』に勝ったら、何でも一つだけ願いが叶うんだって!!
──えー。嘘だぁ。
本当だって! 実際に成功した人から聞いたんだもん! その人、欲しいものが手に入ったって言ってたよ!
ねえ、一緒にやってみない?
──でも、一回捕まったら終わりなんでしょ? 絶対無理だよ。
一回捕まったら終わりじゃないよ。
『名取君』に捕まると、名前を一文字ずつ取られる。名前の数だけ逃げられるの。
名前がひらがなで七文字なら、六回まで捕まるのは大丈夫で、七回捕まったら負け。
──負けたらどうなるの?
負けたら、その子は次の『名取君』になって、祠の内側を彷徨うんだって。
誰かの名前を奪うまで、ずっと。
***
「ああ、お休みって最高……」
じんわりと体に染み渡るホットコーヒーを飲みながら、日和は至福の笑みを浮かべた。
十月四日、日曜日。
キッチンの窓から見える晴れた青空。窓から入ってくる風が心地よく、過ごしやすい気温の今日は、絶好の行楽日和と言える。
休みの日の過ごし方は人それぞれ。
活動的な人は外で誰かと会い、人生を謳歌するのだろう。しかし、ゲーム・アニメ・漫画・小説などが好きな日和にとって、人生を謳歌する手段は家にある。今日の休みも家に引きこもって過ごそうと考えていた。
いつもより遅めに起きた朝。着替えと朝食を済ませた後、机の前にあるリクライニングチェアに体を預け、動画アプリを起動させる。大好きなゲーム実況者が新しく投稿した動画を見つけて、日和は笑みを浮かべた。
「よし! 今日はゲームの動画を観るぞ!!」
動画の再生ボタンを押して三十分後。
(おお! 決勝戦まで来た! 頑張れ!!)
白熱する実況。期待と興奮で日和のテンションが上がっている中、着信を知らせるバーが表示されて配信画面の上半分が隠されてしまう。耳につけているイヤホンも、実況の声ではなく、着信音を鳴らした。
「ちょっと!? 良いところなのに! 誰!?」
画面に表示された名前を見た日和は、すぐさま苦い顔になる。
着信相手は、鬼降魔総一郎。
日和が最も電話を受けたくない人だった。
(総一郎さんが電話するって事は、絶対に呪いの仕事じゃん!! ど、どうしよう……)
八月の休暇中にも似たような事があった。
自堕落な休日を楽しむのだと意気揚々としていた日和は、総一郎から電話で呼び出されて仕事を与えられた。その仕事のせいで、日和は命の危機に晒される羽目になった。
前回と同じように電話に出れば、また危険な目に遭う事は目に見えている。
(どうすれば回避出来る!? 自堕落な休日を死守する方法はないの!?)
日和が電話に出るのを躊躇っていると、着信音が消える。どうやら、総一郎が電話を切ったようだ。
(と、とりあえず、現実逃避出来る時間を稼げた。落ち着いたら、かけ直すか……)
日和は息を吐き出し、動画の続きを観ようとした。
「ん?」
ふと視界の端に何かが映り、日和は窓へ視線を向ける。
窓の外のベランダに、大きな馬がいた。
「は? え?」
日和はポカンとした間抜けな顔で、ベランダにいる馬を凝視する。
(え? 何で? 牧場から脱走してきたの? え? こういう場合って、何処に電話したらいいんだろう? ……って、そもそも、ここ五階だし!! どうやって登ったの!? 何!? どういう状況!?)
日和は混乱しながら、馬を見つめる。馬の周囲に煌めく淡い金色の光で、日和はその正体に気づいた。
(総一郎さんの加護の”午”だ!!)
一度だけ見た淡い金色の光を纏った栗毛色の大きな午。午は円な瞳で、日和を見ていた。
日和は椅子から立ち上がってカーテンを引っ掴み、シャッと音が出るほど勢いよく閉めた。カーテンを背にして、日和はダラダラと冷や汗を流す。
術者は加護の目を通して、加護が見ているものを見る事が出来ると聞いた。つまり、総一郎が日和の様子を窓の外から見ていたという事になる。
(やばい! やばいすぎる!! 携帯を見てるのに、電話に出なかった事がバレてる!! どうしよう! 私、今、非常にピンチ!!)
「ひっ!」
日和の左頬を何かが掠めた。情けない悲鳴を上げる日和の左頬に、午の鼻先が押し付けられる。午の首が窓をすり抜け、室内に侵入していた。
カーテンから午の首が生えているように見えるホラーな絵面に、日和は顔を引き攣らせた。
再び流れる着信音。
着信相手として表示されているのは、やはり総一郎だ。日和は恐怖で携帯を手から落とす。耳から外れたイヤホンと共に、携帯はリクライニングチェアの上に転がった。
ピンポーン。
「ひっ!!?」
滅多に鳴らされる事が無いインターホンの音が聞こえて、日和は小さく悲鳴を上げる。ぎこちなく首を回して、玄関へ続く部屋のドアを見つめる。
ピンポーン。
再び鳴るインターホンに、日和は青ざめた。
(ま、まさか総一郎さんが来ているとか!?)
同じようなシュチュエーションで、ドアを開けた瞬間にバッドエンドになるホラー漫画や映画を見た事がある。日和に訪れるのは死ではないが、総一郎に容赦ない口撃をされた後に恐ろしい仕事を押し付けられる未来は確定だろう。
(どうしよう!? とりあえず、隠れてみるとか!?)
自堕落な休日を奪われる事に、少しは抵抗したい。現実逃避の時間を稼ごうと、日和はクローゼットの扉を開けて中へ隠れた。クローゼットの中で蹲った瞬間、カチャリと音がした。
(え!? 玄関のドアが開いた?)
玄関から廊下を歩く足音が聞こえる。部屋に続くドアを開けて、誰かが室内に侵入してきた。クローゼットのドア越しに聞こえる物音に、日和は息を呑む。
(総一郎さんが入ってきたの? で、でも、そんな事する?)
足音がクローゼットの前で止まり、日和は恐怖と緊張で固まる。
暗いクローゼットの中に、光が一筋差し込む。”光”と言うと聞こえはいいが、日和からしたら絶望の光だ。クローゼットが開かれると同時に現れた人物を見上げて、日和は目を丸くする。
「え? 碧真君!?」
現れたのは、碧真だった。
碧真に会うのは、前回の仕事以来だ。怪我は治っているのか、包帯やガーゼなどはなく、顔色も良さそうだった。
「た、退院おめでとう?」
誤魔化すように苦笑いする日和に、碧真は溜め息を吐く。碧真は、しゃがんで目線を合わせると、日和の両頬を抓った。
「居留守を使って人を待たせるとは、どういう了見だ? この馬鹿」
「い、いひゃい!! ふぁにぃするのぉ!?」
碧真の両手を掴んで抵抗するが、なかなか離れない。碧真は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「頭を攻撃すると、さらに馬鹿になりそうだから頬にしたんだ。優しいだろ?」
なんとか手を引き剥がす事に成功した日和は、痛む頬を抑えながら碧真を睨みつける。
「優しさの定義がおかしいわ!! まず、攻撃する前提のコミュニケーションをやめてよね!」
「仕事の電話に出ずに、居留守を使って無駄な悪足掻きをする奴の言う事なんて、聞く気も起きねえな」
煽るような碧真の言葉に、日和は「うっ」と呻く。
「てか、どうやって私の部屋に入ってきたの? ちゃんと鍵をかけてた筈なのに」
「加護に使って開けさせた。今回は、あまり時間が無いからな」
「時間が無い?」
「詳しい話は、総一郎からまた連絡があるだろう。ほら、行くぞ」
碧真に腕を捕まれ、身一つで連行されそうになった日和は慌てる。
「ちょっと待って! 携帯と鞄を持って行くから!」
碧真に手を離してもらい、普段から仕事用に使っているリュックと携帯を手に取る。準備が出来た日和は、碧真と共に外に出た。
碧真の車に乗った瞬間、日和の携帯が着信を知らせる。もう抵抗しても仕方がないと、応答ボタンを押して、日和は電話に出た。
『日和さん。やっと出てくれましたね』
少し含みを感じさせる総一郎の声に、日和は気まずい思いをする。
『まあ、お休みにも関わらず急に電話をしたこちらも悪いので、仕方ありませんが。お分かりのように、緊急で仕事をお願いします』
(やっぱり、今からなんだ……)
碧真も来ている事から急な仕事なのだと予想は出来た。休日が潰れる事が確定して、日和は遠い目をする。
「どんな仕事なんですか?」
せめて禁呪や邪神関係の危険な仕事じゃありませんようにと祈りながら、日和は尋ねる。
『禁呪に関わる仕事をお願いしたいのです』
祈りは叶わなかった。
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