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第四章 過去が呪いになる話
第17話 不審な白い青年
しおりを挟む結界が軋む音が連続で響く。
丈と咲良子は、すぐに離れの玄関へと走り出す。美梅も二人に続こうとしたところで、咲良子が振り返った。
「美梅は、ここにいて!」
棘のある声を美梅へ投げつけて、咲良子は外へ出て行った。美梅は一瞬呆けたが、すぐに怒りを感じた。
「あんたの指図なんか聞く必要ないわ! 私は、総一郎様の婚約者なの! 総一郎様のお役に立つのが役目よ!!」
美梅も二人の後を追って外へ出る。
美梅が外に出た瞬間、鬼降魔の前当主が築いた五重の結界が音を立てて破壊された。力の残骸がキラキラと宙を舞う光景は、ダイヤモンドダストの様に美しい。
見惚れたいところだが、結界が壊されたという異常事態だ。
離れと母屋の間に砂塵が舞う。砂塵の中央には、雲の様な白い塊があった。
丈と咲良子は、雲を睨みつけて構えている。美梅が後ろから二人に近づいた時、雲の中にぼんやりと人影が見えた。
「やっぱり、ここにいたんだね」
甘くゆったりとした、幼さを感じる声。
ふわふわとした真っ白な髪、白い肌に飴色の瞳。真っ白な服。柔らかく微笑みを浮かべる青年が、雲の中から姿を現した。
「ごめんね。色々と邪魔なモノがあって、迎えに来るのが遅くなっちゃった。でも、お母さんを見つけてきたんだよ」
意味のわからない言葉を並べて、青年は嬉しそうに笑う。青年が後ろを振り返る。その背中にある物に、美梅はギョッとした。
(……ら、ランドセル??)
青年は黒のランドセルを背負っていた。青年は、どう見ても二十代だろう。小学生が使うランドセルは、大人の体には少しキツく感じられる。
(何!? この変な人!)
美梅の中で、青年への警戒が高まる。
「お母さん。出てきてよ」
青年が声を掛けると、サクリと枯葉を踏む音が聞こえた。雲が溶ける様に消えた後に現れた人物を見て、美梅は目を見開く。
「鬼降魔幸恵!?」
青年の後ろに現れたのは、呪罰牢から逃亡した鬼降魔幸恵だった。
「お母さん。ほら、行こ」
青年は幸恵の腕を引っ張り、こちらに近づいてくる。
(……お母さん? 鬼降魔幸恵の子供?)
丈が手に入れていた情報では、幸恵の子供は十代の筈だ。その上、親しげに接している青年に対して、幸恵の顔には警戒と恐怖が浮かんでいる。命令口調では無いが、青年が幸恵の行動の主導権を握っている様に見えた。
「会いたかったよ」
青年は幸恵の手を離すと、こちらに向かって両手を広げて親しげな笑みを浮かべた。
(咲良子か丈さんの知り合いなの?)
「咲良子!」
丈の言葉にハッとして、前にいる咲良子を見た美梅は目を見開く。咲良子の体から白銀色の光が溢れ出ている。肌がピリッとする様な怒気は殺意の領域に達していた。
「咲良子! やめろ!」
「黙って!!」
丈の制止を咲良子は一喝で拒絶する。
「鬼降魔雪光……」
地を這う様に吐き出された憎しみを込めた声。雪光と呼ばれた青年は、幼さと無邪気さを感じさせる仕草でコテンと首を傾げる。
「なあに?」
「お前だけは……」
咲良子はワンピースの襟の中へ手を入れて、首から下げていたネックレスを取り出して握りしめる。力を注がれたネックレスは、白銀色の光を纏った仮面へ変わった。
咲良子が仮面を顔に翳す。白銀色の光が桜の花弁の形を作って宙を舞う。大量の花弁が咲良子の周囲で竜巻を作り出し、姿を覆い隠す。花弁が閃光を放ち、ゆっくりと解けていった。
白銀色の花びらの中から、咲良子が姿を現す。顔の上半分を覆う緋色の仮面。下ろしていた腰までの長さの髪を緋色の紐で後ろで一つ結びにして、金糸で大きな花柄が描かれた白地の着物と緋色の袴を身に纏っている。咲良子の背には、黒鞘の大太刀が斜めに担がれている。
「わあ、すごぉーい。変身だぁー」
雪光がニコニコと笑いながら、パチパチと拍手をする。呑気な雪光とは対照的に、張り詰めた空気を纏った咲良子。
咲良子は、左肩にある大太刀の赤い柄へ右手を添える。鞘の鐺が持ち上がり、鯉口を切る音が鈴の音の様に凛と空気に響き渡った。
「お前だけは、絶対に許さない!!」
咲良子の絶叫と共に、刀が抜かれて風が巻き起こる。
美梅と雪光は驚きで目を見開く。咲良子は一瞬で、雪光の眼前まで移動していた。
雪光が状況を理解する前に、咲良子が大太刀を横薙ぎに振るう。
風を切る重たい音が聞こえた後、甲高い音が周囲に響く。
「ふふふ。届かなかったねぇ」
楽しげに笑う雪光を守る様に、禍々しい色を纏ったモノが姿を現した。
鯉のような鱗、蛇の様な長い胴体、鹿の様な硬質な角。鷹の様に鋭い三本の爪。獅子の様な長い鬣。吊り上がった目は、血に塗れた赤を宿す。
(黒い龍……?)
黒い龍の鱗に、咲良子の大太刀は阻まれていた。咲良子は跳躍し、龍から少し距離を空けた場所に着地する。
狙いを定めて龍を睨む咲良子。龍は、ゆっくりと口を開ける。
何かに気づいた丈が、美梅を庇う様に前に立つ。
「咲良子! そこを動くな!!」
丈は咲良子に向かって叫ぶと、両手に構えていた銀柱を投げる。右手にあった四本の銀柱は、咲良子の四方を囲んで地面に突き刺さる。左手にあった四本の銀柱は、丈と美梅を纏めて囲んで地面に刺さった。銀柱が光を放つと、四重の分厚い箱型の結界が現れた。
龍の口から、黒い靄が吐き出される。靄は結界に弾かれ、地面に水滴となって落ちた。
地面から立ち込める禍々しい穢れに、美梅は顔を引き攣らせる。
「な、なんなの? あれ……」
「僕の加護の辰だよ」
雪光がにこりと笑って答えた。
(あれが加護? あんな……穢れを持った存在が?)
辰が纏う禍々しい色は穢れだ。
鬼降魔の加護が穢れを纏うなど聞いた事が無い。
「ひいやぁあああっ!!」
空気を切り裂く様な悲鳴が上がる。見れば、鬼降魔幸恵の体に黒い穢れが巻き付いていた。
辰から溢れ出た穢れが結界の外側に広がっているのを見て、美梅はゾッとする。
(丈さんが気づいて結界を張ってくれなければ、今頃、私も……)
「やめて!! いやぁ!!」
幸恵は錯乱状態で絶叫しながら走り出す。結界の周囲にあった穢れが幸恵に絡みついて一緒に移動して行く。
「待て!」
丈が制止の声を上げるが、幸恵は母屋の方へ一直線に向かって行った。
「追いかけましょう! 丈さん!」
幸恵を逃してしまえば、総一郎の責任が問われる。穢れを纏った状態の幸恵が暴れると、周囲に被害が及ぶ。
幸恵が穢れを持って行ったので、今なら結界を解除して追いかける事が出来るだろう。
「行って! こいつの相手は、私がする!!」
咲良子が鋭い声を上げる。咲良子の事が心配なのか、丈は一瞬躊躇う。苦渋の表情を浮かべた後、丈は二つの結界を解除した。
丈はスーツのジャケットに仕込んでいた銀柱を両手で取り出して投げる。結界で守られたトンネルが出来上がった。
「追うぞ。美梅」
丈の言葉に美梅は頷き、咲良子の方へチラリと視線を向ける。
咲良子は、雪光だけを見ていた。
(こんなに余裕の無い咲良子は、初めて見た……)
いつも澄まし顔で、酷い言葉で美梅を罵ってくる嫌な子。
美梅より力が強くて呪術に詳しくて、一族の間でも、当主の嫁は咲良子が相応しいと言う人間が多い。咲良子は総一郎と近しく、二人にしかわからない世界がある様に見えた。
その度に、悔しくて苦しい想いを抱いた。
何度、咲良子がいなければと思ったか。
だけど……。
「死ぬんじゃないわよ! 咲良子!」
咲良子に向かって叫び、美梅は丈と共に幸恵を追って走り出す。
美梅の言葉に、咲良子は返事をしなかった。
走り去る美梅の後ろから斬撃の音が響く。
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