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第三章 呪いを暴く話
第19話 初代『月人』と天翔慈晴信の出会い
しおりを挟む丈の車に荷物を乗せて、日和達は宿を出た。
行き先は、待宵月之玉姫の神社だ。
神社横の空き地に車を止めて、三人は境内へと足を踏み入れる。
先導して歩く丈は、参道を進まずに脇道へ進んで行った。
「お社に向かうんじゃないんですか?」
日和が尋ねると、丈は頷く。
「月人君の自宅にお邪魔するんだ」
月人の自宅は、神社の脇にひっそりと佇んでいた。
何処か寂しく見える古い平屋建ての小さな家。玄関の真横にある縁側に座っていた月人が、日和達に気づいて慌てて立ち上がった。
「お、お待ちしていました。どうぞ、中へ」
緊張した様子の月人に、家の中へと案内される。日和達は居間である和室に通された。
「お茶を入れてきます」
月人は数珠のれんを潜って、台所へと移動して行った。
丈が隣の部屋に繋がる襖を開ける。
隣室の畳の上には、たくさんの紙が散らばっていた。
その中心にいる壮太郎は、持っているペンで白い紙の上に一心不乱に文字や図を描いていた。研ぎ澄まされた雰囲気。真剣な表情と、聡明で真っ直ぐな目。
──嗚呼。私は、あの目を知っている。
心よりも奥底から響く声。
日和の心臓がドクリと大きく音を立てる。
(あ、あれ? 何だろう? この感じ……)
違和感のある自分の体を見下ろすと、足元に落ちていた紙が視界に映る。
紙の上に描かれた魔法陣の様な術式。
心臓が再び大きく音を立て、日和は胸を抑えた。
──……ちゃん。この術はね……。
何処か懐かしい声が響く。騒がしい蝉の声も聞こえない程に、周囲の音が遠ざかっていく。ゆっくりと意識が溶けていき、自分が何処に立っているのかわからなくなる。
壮太郎は仕上げというように一本の線を引くと、ペンを置いた。
「……あれ? 丈君。いつ戻ってきたの?」
「ついさっきな。……赤間さん? どうした?」
異変を感じた丈が、心配そうに声を掛ける。名前を呼ばれた事で、朧げになっていた意識が定まった。
「なんか動悸が……」
「更年期か?」
「違うよ!」
碧真の嫌味に、日和はムッとしながら言い返す。心臓は、いつもの穏やかさを取り戻していた。
(一体、何だったんだろう?)
日和は首を傾げたが、異常な事が続いたストレスのせいだろうと自分で結論づけた。
「術の分析は終わったのか?」
「もちろん。僕は大天才だからね。丈君の方は? 行方はわかったの?」
「まあな」
二人は悪戯が成功した子供のように、ニヤリと笑い合った。
畳に散らばった紙を、壮太郎と丈と日和で集める。
片付けが終えた時、月人が人数分のお茶を用意して戻ってきた。
居間にある小さな卓袱台を五人で囲む。
「お互いが持っている情報を話そう」
丈の言葉に頷いた後、壮太郎は碧真と日和を見る。
「まずは、チビノスケ達が集会場で得た情報を話してくれない?」
碧真は集会場で絵理から聞いた話や富持が血液入りの菓子を日和に渡した事を話した。壮太郎は苦笑する。
「なんか、色々と察しちゃったけど。まあ、それは置いておこうかな」
「俺達が知った事も話そう」
丈は神社での出来事を日和と碧真に聞かせた後、月人に話を振る。
「月人君。他に、何か知っている事があれば、話してくれないか?」
「え!? えっと……何を話したら」
「継承する事が出来た『月人』の記憶と、君自身が見てきた村の事とかさ。あ! 晴信の話とか、覚えているのなら聞きたいな!」
壮太郎が興味津々で尋ねると、月人は躊躇いながらも口を開いた。
「初代『月人』は、村に住む普通の青年でした」
月人は語る。
村に住む一人の青年と天翔慈晴信の出会いの物語を。
****
一九〇七年、夏。
村の中を一人の青年が走っていた。
青年の額には、大粒の汗が滲んでいる。
青年が向かう先にある田んぼの中央には、村の男達数人が集まっていた。
「父さん!!」
叫ぶように呼ぶと、男達の輪の中にいた父が振り返る。
「月人……」
青年の名を呼ぶ父の足元には、一人の少女が横たわっていた。
「あ……」
月人は言葉を失う。
踏み潰された稲の上に横たわる少女の腹部が赤く染まっている。少女は腹を裂かれ、臓物を抉り取られて骨が見えていた。あまりの凄惨さに、月人は目を逸らす。
「これで、五人目だ」
父は苦々しい表情で呟く。少女の死体の周りには、大きな熊の足跡があった。
「祟りだ……。神の祟りだ!! 俺達、みんな殺される!!」
村の男の一人が、発狂した様に叫ぶ。死んだ少女の母親が駆け寄ってくる。母親は悲痛に顔を歪めて、娘の亡骸を抱き締めた。
「ああ! なんで!! 神様!!」
母親の慟哭に、周囲にいた者達の胸が締め付けられる。月人はギュッと拳を握り締めた。
(何故、何故こんな事に! 待宵!!)
死者の埋葬を終える頃には、日が傾き始めていた。
村の東側で熊の影を見つけたという報告を受けて、父を含めた村の男達数人がそちらへ向かった。
父から家に帰るように言われた月人は、畦道を一人歩く。月人の心は鉛の様に重かった。
五日前から、毎日の様に村人が一人ずつ殺されている。
被害者は老若男女問わずで、内臓が食い散らかされた死体の近くには熊の足跡があった。
一人目の犠牲者が発見された時は、山から降りてきた熊に襲われたのだと村人全員が思った。しかし、二人目が襲われた時に間違いだとわかった。
二人目の犠牲者は、村の若い男だった。
男の悲鳴が聞こえた時、月人や猟銃を持った村の男達が、すぐに助けに向かった。
男を襲っていたのは、確かに熊だった。しかし、普通の熊より、二回り以上は大きい。
村人は、その正体を知っていた。
「待宵月之玉姫様!!」
熊を見た村の男が、悲痛な声で叫んだ。
村に豊かさを齎す豊穣の守り神が穢れを纏って、村人を喰らっていた。襲われていた男は絶命したのか、地面に倒れたまま何も言わなくなった。
赤く光る恐ろしい双眸が、村人達を捉える。
待宵月之玉姫の口元から、生々しい赤い血が滴っていた。
「待宵……」
月人は信じられないと首を横に振る。
幼い頃からよく知る神様は、今や知らない存在となっていた。
待宵月之玉姫は、絶命した村人を口に咥えて引きずりながら姿を消した。
翌朝、内臓を食い散らかされた死体が見つかった。
それが繰り返された。
待宵月之玉姫を猟銃で撃った者もいたが、銃弾は効かないのか、凶行を止める事は出来なかった。
(一体、どうしたらいい……)
待宵月之玉姫は元は荒ぶる神だったと、父から聞いている。
昔、旅人を襲って人の味を覚えた熊を、村人が猟銃で撃ち殺した。数十年後、恨みと穢れを集めた熊は邪神となり、村を襲うようになった。
荒ぶる神を祀る事で御霊を鎮め、祟りは消えた。邪神だった熊は、村を守る神となった。
待宵月之玉姫に鎮まってもらおうと、村人全員で祀っている神社に祈りを捧げたが、効果は無かった。
村人達の中では、”生贄を捧げよう”と言う声も出始めている。
(……これ以上、誰も死なせたくない! 殺させたくない!!)
月人は足を止めて目を閉じる。
瞼の裏に、待宵月之玉姫の姿が映る。
人間を愛し、人の姿にもなれる熊の女神。どちらの姿でも慕われ、いつも村人達と共にあった。
月人の目に、涙が滲む。
(俺は、彼女を……)
「わーっ!! そこの人!! 避けてー!!」
突如、上空から降り注いだ女の悲鳴に、月人はギョッとする。頭上を仰ぐより先に、頭に衝撃が走り、辺りに大きな音が響き渡った。
気付いたら、月人は地面に倒されていた。
何が起こったのかと、月人は首を回して自分の背中に乗っているものを見る。
月人の背中の上には、美しい顔立ちをした見知らぬ青年が座っていた。
(な、何!? 誰!?)
「アイタタタ。まさか、こんな所に結界があるとは……」
青年は頭を摩りながら眉を下げた後、月人に気づいてキョトンとする。状況を理解した青年は、慌てて立ち上がった。
「す、すみません! お怪我は!?」
青年は心配そうな顔で月人に手を伸ばす。理解が追いつかないまま、月人は青年の手を借りて立ち上がった。青年は途端に顔を青くして、周囲を見回す。
「綴ちゃん!? 綴ちゃんは!?」
「ここですよー。助けてくださーい」
先程と同じ女性の声が聞こえる。声の方を見た月人はギョッとした。
ふわふわとした白い雲が地面の近くに浮いている。その雲から、人の手が生えてパタパタと動いていた。
「よかった。術が発動したのか」
雲に駆け寄った青年は、生えている手を引っ張る。
雲の中から、愛らしい顔をした女性が姿を現した。
空から現れた不思議な男女は、お互いを見つめ合うと幸せそうな笑顔を浮かべた。
暫く見つめ合った後、青年は雲の近くに転がっていた番傘を見つけて拾い上げる。
「ああ、少し破れちゃってる。短い距離なら飛行も問題ないけど、長距離となると不安かも。今日は目的地に行くのは無理だね」
「ええ!? それなら、宿を探さないと! 私、野宿は嫌ですよ!!」
青年の言葉に、女性は焦ったように声を上げた。
「あ、あなた達は一体……」
ようやく口に出来た言葉に、青年と女性が振り向く。月人を見て、青年は穏やかな笑みを浮かべた。
「初めまして。僕は天翔慈晴信。こちらは、嫁の綴。ただの旅する夫婦です」
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