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第三章 呪いを暴く話
第18話 血液
しおりを挟む「日和さーん」
富持がドアをノックしながら、日和を呼ぶ。
日和がどうするか考える前に、碧真が立ち上がってドアを開けた。
富持は朝に会った時と同じ狩猟用の服装だった。宿の中だからか、さすがに猟銃は置いてきたようだ。
「何ですか?」
警戒心を隠さずに、碧真は無愛想に尋ねる。
ドアを開けたのが日和ではなく碧真だとわかると、富持は一瞬だけ顔を顰めた。
富持は目の前にいる碧真を無視して、部屋の中にいる日和に微笑みかける。
「日和さんに菓子を持ってきたんです。食べてください」
富持は手に持っていたアルミホイルの包みを掲げて見せた後、部屋の中に足を踏み入れようとする。それを碧真が阻止するように立ち塞がった。
「俺が渡しておきます。日和は疲れているので、お引き取りを」
碧真はアルミホイルの包みを富持の手から取り上げる。富持は碧真を睨んだ後、日和に向かって手を振った。
「日和さん。祭りが始まる時に迎えに来ます。その時は」
富持の言葉を遮るように、碧真はドアを閉めようとする。
閉じられていくドアの隙間から中を覗くのは、ゾッとするような笑みと粘りつくような視線だった。
「ゆっくりと楽しい時間を過ごしましょう」
意味深な言葉が聞こえた後、音を立ててドアが閉まった。
碧真は手早くドアに鍵をかける。
ドアの向こう側に、まだ富持が立っている気配がした。碧真はドアを睨んで警戒する。富持の足音が十分に遠ざかったのを確認して、碧真はドアから離れた。
碧真は手の中にあるアルミホイルの包みを開ける。
出てきた物を見て、日和はパアッと笑みを浮かべた。
「羊羹!」
小豆で作られた練り羊羹。日和が昨日から求めている甘い物だ。
目を輝かせる日和とは対照的に、碧真は険しい表情で羊羹を睨みつけていた。
甘い物が食べられるのだと上機嫌になった日和は、羊羹を受け取る為に碧真へ近づく。手を伸ばせる距離まで近づくと、碧真の肩の上に巳が姿を現した。
突然出現した事に日和が驚いていると、巳は尻尾を使って、碧真の手から羊羹を払い落とした。
「ええ゛っ!?」
予想だにしない巳の行動に、日和は驚きの声を上げる。
碧真の背中から伝い降りた巳は、畳の上を転がり落ちた羊羹を口に咥える。巳はそのまま窓へ向かうと、器用に頭を使って網戸を開ける。
巳は滑らかな動きで首を振って、口に咥えていた羊羹を外へ投げ捨てた。
羊羹は放物線を描きながら、向日葵畑の中へ華麗に飛び込んで行った。
「ようかーん!!」
日和は羊羹が飛んで行った方向に右手を伸ばして悲しい声を上げる。巳は満足したのか、碧真の元へ戻った。日和は畳の上に両手を付いてガクリと項垂れる。
「拾って食うなよ」
「さすがに拾い食いはしないよ!!」
碧真の認識では、日和は地面に落ちている物を拾い食いする程に食い意地が張っている人間のようだ。
(本当、失礼すぎる! ……まあ、畳の上に落ちたくらいだったら、食べたかもだけど)
「羊羹……食べたかった」
日和が落ち込みながら呟くと、碧真が溜め息を吐いた。
「他人の体液が入った物を食べたいなら止めないが?」
「…………ん? なんか今、サラッと怖い言葉が聞こえた気がする」
日和が碧真を振り返った時、こちらへ近づいてくる足音が聞こえた。
碧真が警戒してドアを睨む。日和は緊張して体を強張らせた。
巳が畳の上を這い進み、ドアの向こうへ消える。緊張を解いた碧真が、ドアに近づいて鍵を開けた。
ドアの前に、丈が姿を現した。
丈は碧真と日和の姿を見て、安堵の笑みを浮かべる。
「二人とも、無事だったか」
「まあ、一応。……ただ、村長の息子が、日和に体液入りの菓子を渡してはきましたが」
丈が驚いたように目を見開き、日和を見る。
「その菓子は何処に!?」
「外に捨てました」
碧真が答えると、丈はホッとしたように表情を和らげた。
「あの、体液入りって?」
日和は恐々と尋ねる。聞けば後悔しそうだが、確認しておきたい気持ちが勝った。
「あの菓子には、血液が含まれていた」
「え。どうして……」
「体液は呪具になるんだ」
丈は気まずそうな顔で説明する。
「呪具は道具だけを指すのではない。人体の一部も、呪いの媒体になる物は全て呪具となる。体液の中でも、血液は強力な呪具だ。術者の血液を体内に取り込んでしまった場合、術と力の使い方によっては、体を操られてしまう事もある」
あまりの不穏な言葉に、日和は聞いたことを後悔した。
「呪具になるとはいっても、術を発動するまでは、ただの体液だ。俺達の加護は危険を察知出来るが、赤間さんの眼鏡では何も見えずに気付けないだろう」
日和の眼鏡は呪術に関するものを見えるようにしてもらってはいるが、万能ではないようだ。
(ひ、一人の時に渡されなくて良かった……)
もし、碧真達がいない時に菓子を受け取っていたのなら、日和は間違いなく喜んで食べていただろう。食べ物に体液を入れるなど考えた事も無い日和の頭では、気付く事も警戒する事も出来ない。
(え……でも、待って)
「呪具って……。もしかして、富持さんは呪いを使えるんですか?」
日和の疑問に、丈も碧真も険しい顔をした。
「呪術を使える力があるかはわからないが、知識を持っている場合はある」
(そんな……)
追い討ちを掛けるような事実に、日和は絶句する。
「丈さん。壮太郎さんは何処ですか?」
碧真が尋ねる。部屋にやってきたのは、丈ひとりだ。
「あいつは、神社に残っている。二人とも、宿を出るぞ。荷物を纏めて、車に乗ってくれ」
一時的に外出するのではなく、完全に宿から去るようだ。日和は驚く。
「もう帰るんですか?」
まだ天翔慈家の術についてわかっていないのに、途中でやめるのだろうか。一刻も早く家に帰りたい日和にとっては願ってもないが、丈達にとっては良くない事なのではないだろうか。
「宿を引き払うだけだ。仕事は続行する。どちらにしろ、今夜中に村を出る事になるだろうが」
すぐではないが、今夜には家に帰れるようである。日和は安堵の笑みを浮かべた。
──”あなた達は、もう逃げられない”。
絵理の言葉を思い出し、日和の顔から笑みが消える。
「……無事に、帰れるんでしょうか?」
日和は不安な思いから口にする。二人から、”大丈夫だ”と不安を打ち消してくれる言葉は返ってこなかった。
膨らんでいく不安。
見えない何かに絡めとられてしまうのではないかという恐怖が、日和の背筋を撫でた。
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