OL桑原さんの言い返し

守明香織(呪ぱんの作者)

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OL桑原さんの言い返し

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「ねえねえ、桑原くわばらさん。今から三人でご飯食べに行かない?」

 仕事終わりにロッカールームで着替えていると、同性の上司と同僚に食事に誘われた。

 新しい職場に勤め始めて三ヶ月。
 最初の二ヶ月間は失敗の連続だったが、ようやく新しい職場に馴染めてきたところだ。

 桑原は会話を繋ぐ為に「あー」と言葉を口にしながら、思考を巡らせる。
 職場の飲み会や食事会に行きたくない人間は、世間でも一定数は存在すると思う。桑原も、その一人だ。

 人が嫌いというわけでは無いが、一人の時間を大切にしたい。
 今日の仕事帰りには、駅近のデパートに行き、期間限定開催の北海道物産展でお菓子を買って、家でのんびり動画を見ながら食べようと計画していた。
 
 その上、現在の所持金は二千円だ。ランチは可能だろうが、誘われたのは『ご飯』という名の『飲み会』。稼ぎがいい上司が行きたい店は、桑原にとっては高級だ。とてもではないが、足りないだろう。

「今日は二千円しか持ってきていないので、私は」
「私が奢るから大丈夫よ。行こう」

 桑原の断り文句を遮り、上司は胸を張る。逃げ道を塞がれてしまった。

(まあ、ご飯でコミュニケーションを取るのも大事だろうし……。楽しいかもしれないし)

 桑原はそう思い直して頷いた。


 三人でやってきたのは焼肉店だった。
 テーブルには七輪が置いてあり、その上には換気用のホースが取り付けられて天井に伸びていた。桑原は普段は外食をしないタイプなので、物珍しさから店内をぐるりと見回す。

 店員に奥のテーブルに案内される。
 桑原は椅子に、上司と同僚は対面のソファに座った。

「好きな物、どんどん頼んでいいからね!」

 上司が太っ腹なことを言うが、桑原と同僚は若干遠慮して、なるべく値段が安いものを注文した。
 部下二人が遠慮していることに気づいたのか、上司は高い肉を選んだ。

「こんくらい、安いじゃん」
 上司が注文したのは、てのひら半分程のサイズの薄い肉が四枚載った、一皿千二百円のものだ。

(千二百円って、私が作るお弁当六回分だわ……)
 
 高級肉にビクビクしながらも美味しく頂く。桑原は酒が飲めない体質の為、ソフトドリンク。上司と同僚は次々とお酒を飲み干していく。

 和やかな会話が少し続いた後、上司は桑原を見てニヤッと笑みを浮かべる。

「ねえ、桑原さんにお願いがあるんだけど」
「何ですか?」

 食事を奢ってもらっているので、叶えられる範囲のお願いなら聞こうと思い、桑原は耳を傾ける。

「カラオケに一緒に行って欲しい」
「え……」

 桑原は一気に青ざめる。
 普通なら、なんてことはないお誘いだろう。人によっては、ノリノリで承諾できることだ。
 だが、桑原は頷くことは出来ない。
 
 桑原が高校生の頃、よくカラオケに誘ってくれるクラスメイトがいた。遊びに誘われるのは嬉しくて、いつも喜んで一緒に行っていた。
 しかし、用事があってカラオケに行けない日があって誘いを断ると、そのクラスメイトは「私より下手な人がいてくれないと困るから来て!!」と言った。

 自分が音痴なのだと初めて知った上に、見下し要員として誘われていたのだと知って、桑原はショックを受けた。それ以来、桑原は人前で歌わなくなった。
 
 桑原は、目の前にいるニヤニヤ顔の上司を見つめる。
 上司と同僚にも、「自分は音痴なのでカラオケには行かない」と高校生の頃の嫌な思い出を話したことがあった。
 意地の悪い笑みを浮かべていることからも、上司は桑原のトラウマを面白がって抉ろうとしているのだろう。

「嫌です。勘弁してください」
 桑原は不快に思いながらも、空気を壊さない為に、やんわりと笑顔で断った。

「えー! 歌おうよ! 私、桑原さんの歌、聞いてみたい!」
「いや、無理です。本当に嫌なので。私、音痴ですし」

「音痴だからこそ、逆に聞いてみたい。気になる~! 下手でもいいから、笑える思い出を作りたいの!」

(いや、私は全然笑えない思い出になるんだけど……)

「無理です。すみませんが、絶対に嫌です」

 申し訳ないと両手を合わせて、愛想笑いで拒否をする。
 桑原にとって、人とカラオケに行くという行為は拷問に近い。虫が苦手な人に、虫とキスをしろというようなものだ。
 上司は顔を顰めて大きく溜め息を吐いた。
 
「普通さー、ここまでお願いしたら聞くよね?」
「そうですよ。上司のお願いですよ?」

 同僚が上司の援護射撃をする。桑原は眉を下げた。

「申し訳ありませんが、お断りします」

 桑原の謝罪に、上司は不愉快を露わに顔を歪める。同僚も不服そうな顔だ。

「普通、上司の言うことは聞くものじゃん? 私が下っ端の時はさー」

 自分は周りに言われて歌いたくないのによく歌わされたと、上司は話す。同僚も同意して頷いた。

(なんかこれ、私がすごく悪いみたいじゃない?)

 ただ自分が嫌なことを断っただけなのにと、桑原は気まずさを感じながら焼肉を食べる。美味しい食事の筈なのに、味気ないものになってしまった。

 上司がお手洗いに行く為に席を離れた時、同僚は桑原を諭すように口を開いた。

「上の人の言うことは聞いた方がいいですよ。私と一緒に歌えば良くないですか? 周りは酔っ払っていて、聴いてないですよ。だから、ね?」

「いや、本当に嫌なんです」

 同僚は優しさから言っているのだろうが、嫌なものは嫌だ。
 嫌なものを嫌と拒否するのは、そんなに責められることなのか。

 上司が席に戻ってきた。その後も、「歌え」「無理です」の攻防が続く。

「お前、ここまでお願いしているのに嫌なんか?」

 上司が桑原を見下すような態度と強い口調で言う。

「無理です。すみません」

 一向に進まない押し問答に上司が諦め、違う話に変わった。桑原はホッと息を吐いたが、上司のクドクドした説教話が始まってしまった。

(これって、酔っているからだよね……。まあ、酔っ払っているからって、嫌なことを言われるのは気分悪いけど……)

 上司一人だけが気分よく過ごして、桑原と同じように説教じみたことを聞かされている同僚の顔も曇っている。食事の席は微妙な空気になっていた。

 拷問に近い上司との時間を三時間も過ごし、時刻は二十三時近くになった。
 桑原も同僚も、顔に疲れが出ている。終電を理由に帰る旨を告げようとすると、上司が手にしていた箸で桑原をビシッと指した。

「なあ、あんたは人の気持ちを思って生きてんの?」
「え? どういう意味ですか?」

 脈絡もなく言われた言葉の意味がわからず、桑原は上司に尋ね返した。

「自分のことより、人の為を思って生きてるのかって聞いてんの」

(????)

「すみません、意味が理解できないです」

 まるで宇宙人と会話しているように感じた。上司は桑原の理解力が足りないと解釈したのか、更に尊大な顔をする。

「自分のことしか考えてないよね? 自分が一番大事でしょ?」
「はい」

「やっぱりねー。周りが笑ってない中で、自分だけ笑って生きてるんでしょ」

 したり顔の上司を見て、桑原は眉を寄せる。

「意味がわかりません。まず、私が笑っていなければ、周りを笑わせる事もできません。自分が幸せではないのに、周りを幸せになんて出来ないと思います」

「……まあ、一理あるけど」
 上司は酒を煽る。

「けど、あんたが笑っていても、周りで泣いている人がいるかもしれないよ? 人の為に、自分を犠牲にできる?」
「何故、犠牲にする必要があるんですか? というか、先程から何を仰りたいのか意味がわからないのですが」

「すぐ結論を求めたがるよね?」
「話の意図が読めないからです」
「結論を言って欲しいでしょ?」
「……まあ、そうですね」
「結論なんて存在しないけどねー」

 得意げに笑う上司。話の意図が読めずに、桑原は内心イライラしていた。上司は『こいつ、本当にわかってねぇな』と見下し顔だ。上司から同意を求められて、同僚は苦笑いを浮かべている。

「人の心がわかんないでしょ?」
「わかりません」

 人の心など、見えるものではない。その為に言葉があるのだ。察しろと言われても無理だ。
 生きてきた背景も価値観も喜怒哀楽も、一人一人違うのだから。

「こいつ、一生わっかんないんだろうなー」

 上司は桑原を嘲りながら、同僚に「なあ?」と話を振る。板挟みのようになった同僚は気まずそうに苦笑いで誤魔化していた。

「……人の心がわかっていないのは、どちらでしょうか?」

 自分でも驚く程に静かで威圧的な声が出た。
 空気が変わったことを感じ取ったのか、対面に座る二人がピタリと動きを止める。湧き上がる怒りのまま、桑原は口を開いた。

「人の気持ちがわからない人間は、あなたではありませんか? 人が散々拒否しているのに、それを責める。お願いと言っていますが、強要であり、立派な暴力です。大体、人の気持ちなんてわかるわけがありません。わかると言うのなら、それは傲慢です。人を決めつけて、有りもしない批判をなさるなんて、どういう神経をお持ちなのか、私には理解できません」

 普段は大人しい桑原に反論されるとは思っていなかったのか、上司は面食らった顔になる。同僚もポカンとした顔で桑原を見ていた。
 
 桑原は真っ直ぐな目で上司を見据える。

「第一、楽しい食事の席で、聞いてもいない説教をなさる時点で『余計なお世話』です。上司といえど、他人の人生に口を出す権利はありません。私は、人間関係は『尊重』が大事だと思っています。相手を尊重できない人と関係を築きたくありませんし、そんな人の話を聞きたいとは思いません。聞く価値も無いと思いますので」

 言い切った後、桑原は席を立つ。

「もうすぐ終電ですので、そろそろ失礼したいのですが、お会計はどうしましょうか?」

 奢ると言われたが、この空気ではどうだろう。唖然としていた上司はぎこちなく「いいよ」と答えた。

「ありがとうございます。ご馳走様でした」

 桑原は深々と頭を下げて店を出る。
 店内の熱気とは違う、少し冷たい夜風が心地よかった。
 
 明日からの人間関係を考えたら、憂鬱にはなるだろう。仕事にも支障が出るかもしれない。

(でも……)

「あー、スッキリした!」

 目には目をというように、言葉の暴力には言葉の暴力で返す。
 聖人君子ならやらないだろうが、生憎、桑原は未熟な人間だ。失敗も間違いもあっていい。崇高に生きるなど出来ないなら、未熟なままで生きていけばいい。
 自分が笑う為には、嫌なことをされたのなら怒ることが必要だ。

 桑原は笑顔で背伸びした後、駅に向かって足取り軽く歩き出した。
 
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