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9.保健室。
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和真はベッドを抜け出すと、保健室の扉を開けた。汐音がまだ近くに居るような気がしたのだ。和真の目はすぐに汐音の姿を捉える。
(やっぱり、居た)
汐音は保健室前の廊下の壁に背を預けて立っていた。勘が当たったところであまり嬉しくはない。
「汐音……」
「和真さん!」
汐音はすぐに和真の目の前へ駆け寄って来た。やはり背後にしっぽの幻覚が見える。和真は視線を上げた。僅かでも見上げる身長差が正直口惜しい。和真は意識して厳しい目で汐音の澄んだ瞳を見る。
「汐音。自分の教室へ戻れ」
「嫌です」
心地いいほどの即答に、和真の方が面食らう。一瞬言葉を失ってしまったほどだ。
だが、ここで気圧されるわけにはいかない。手を握りしめる。
「……おまえは頑張って勉強したから一番で合格したんだろ? ちゃんと授業に出ろ。大事な事だ」
「嫌です。和真さん以上に大事なものなどありません! 和真さんに何かあったりしたら──」
誰をも圧するほどの気を纏っていた汐音が表情に陰りを見せた途端、迷子の幼子のようになる。こんな状態になったこの男をほっておくことは出来なかった。理由が分かるだけに。
「放課後だ」
「?」
汐音が不安そうな表情のまま見つめ返してくる。
「放課後まで自分の教室にいろ。それができたなら、放課後あの屋上に続く階段のところへ来い。おれも行く。少し話をしよう」
「俺と話を? 和真さんが?」
「そう。おれとおまえと二人で」
汐音の顔がぱっと輝いた。
だが、何を逡巡しているのか、すぐに答えない。
「……和真さんはこの後、どうされますか?」
「ん? おれ?」
「はい」
「おれはもう少しここにいる」
「しっかり休息を取られるのですね?」
「ああ」
「……分かりました。では、放課後、屋上に続く階段で待っています」
安心したのか、突然物分かりが良くなった汐音は気持ちの良い一礼を見せ去って行った。
「おまえ達はどういう関係だ?」
保健室へ戻ると、足立が訊ねてきた。
さて、どう説明すれば良いのかと思案する。考えたところで良い案が浮かばなかったので、そのまま素直に答える事にした。
「今は先輩後輩です」
「今は?」
足立が聞き返してくる。
「はい。……今は先輩後輩ですが、前世では主従の関係です」
「ほう」
足立はふざけているのかと怒ったりはしなかった。それよりも彼女の眼鏡の奥の瞳が一瞬輝いた気がした。
「どんな主従だ?」
「……王女と護衛騎士だそうです」
「……なるほどな。だが、えらく過保護な護衛騎士のようだな」
足立がくすりと笑う。先ほどのやり取りを思い出したのだろう。
一方のおれは笑えなかった。
「前世のあいつの目の前で、おれが処刑されたからだと思います」
笑みを消し、足立がまっすぐに和真を見てきた。
「それは占いで聞いた話なのか?」
「いいえ、汐音……。三峰汐音から聞いた話です。あいつには前世の記憶があります」
無言のまま足立が見つめてくるので、和真はいたたまれなくなって視線を外した。
「……あいつから初めて前世の話を聞いた時は、おれもすぐには信じられなかったんです。でも、前世で王女を守れなかったって、あいつが泣いたんです。だから、おれは──」
足立が静かに聞いていたので、和真はそのまま話を続けた。
「昨日、夢を見ました。中世風の建物が並ぶ屋外の広い場所で、おれはどこか壇上にいて、目の前ではおびただしい人々がおれを見ているんです。どの顔も困惑していて、ざわざわしているんですよ。その大勢の人を掻き分けながら、一人の若い男がおれの方へ必死で近づいて来るんです。すぐにおれは目隠しをされてしまって見えなくなったんですけど、跪かされた後、おれの首の後ろに衝撃を感じたと同時に若い男の声にならないような叫び声を聞いたんです。その後、すぐに飛び起きたんですけど、あまりにリアルな感触と若い男の叫び声がずっと耳に残っていて眠れなくなってしまって……」
和真は昨夜の夢を思い出し、目を閉じた。まるで映画のワンシーンのようで、自分の身に起きた事だったのかどうかは分からない。
だが、必死で近づい来た男の声だけは、今も和真の心を酷く揺さぶり続けている。
「その男の声が前世の……三峰だったか? あの一年のものだと思うからだろ?」
和真は素直に頷いた。
「前世からのトラウマか……。三峰の過去を受け止めてやれるなら受け止めてやってほしい」
「う、受け止める?!」
『好き』と言った汐音の言葉が脳裏に浮かび、和真の声は裏返ってしまった。
「何を動揺している?」
「あ、いえ……。その、受け止めるとは……?」
「まず、話をちゃんと聞いてやるといい。もちろん相澤にだけ重荷を負わすつもりはない。何かあればすぐに私のところへ相談に来るといい」
「……分かりました。ありがとうございます」
和真は足立にお礼を言うと、保健室を後にした。
どうやら、和真は汐音としっかりと向き合わねばならないようだ。前世の事だと切り捨てることは出来そうにない。あの張り裂けるほどの魂の叫び声をあげたまま、汐音は永遠に感じるほどの時を超えて和真の前に現れたのだから。
(やっぱり、居た)
汐音は保健室前の廊下の壁に背を預けて立っていた。勘が当たったところであまり嬉しくはない。
「汐音……」
「和真さん!」
汐音はすぐに和真の目の前へ駆け寄って来た。やはり背後にしっぽの幻覚が見える。和真は視線を上げた。僅かでも見上げる身長差が正直口惜しい。和真は意識して厳しい目で汐音の澄んだ瞳を見る。
「汐音。自分の教室へ戻れ」
「嫌です」
心地いいほどの即答に、和真の方が面食らう。一瞬言葉を失ってしまったほどだ。
だが、ここで気圧されるわけにはいかない。手を握りしめる。
「……おまえは頑張って勉強したから一番で合格したんだろ? ちゃんと授業に出ろ。大事な事だ」
「嫌です。和真さん以上に大事なものなどありません! 和真さんに何かあったりしたら──」
誰をも圧するほどの気を纏っていた汐音が表情に陰りを見せた途端、迷子の幼子のようになる。こんな状態になったこの男をほっておくことは出来なかった。理由が分かるだけに。
「放課後だ」
「?」
汐音が不安そうな表情のまま見つめ返してくる。
「放課後まで自分の教室にいろ。それができたなら、放課後あの屋上に続く階段のところへ来い。おれも行く。少し話をしよう」
「俺と話を? 和真さんが?」
「そう。おれとおまえと二人で」
汐音の顔がぱっと輝いた。
だが、何を逡巡しているのか、すぐに答えない。
「……和真さんはこの後、どうされますか?」
「ん? おれ?」
「はい」
「おれはもう少しここにいる」
「しっかり休息を取られるのですね?」
「ああ」
「……分かりました。では、放課後、屋上に続く階段で待っています」
安心したのか、突然物分かりが良くなった汐音は気持ちの良い一礼を見せ去って行った。
「おまえ達はどういう関係だ?」
保健室へ戻ると、足立が訊ねてきた。
さて、どう説明すれば良いのかと思案する。考えたところで良い案が浮かばなかったので、そのまま素直に答える事にした。
「今は先輩後輩です」
「今は?」
足立が聞き返してくる。
「はい。……今は先輩後輩ですが、前世では主従の関係です」
「ほう」
足立はふざけているのかと怒ったりはしなかった。それよりも彼女の眼鏡の奥の瞳が一瞬輝いた気がした。
「どんな主従だ?」
「……王女と護衛騎士だそうです」
「……なるほどな。だが、えらく過保護な護衛騎士のようだな」
足立がくすりと笑う。先ほどのやり取りを思い出したのだろう。
一方のおれは笑えなかった。
「前世のあいつの目の前で、おれが処刑されたからだと思います」
笑みを消し、足立がまっすぐに和真を見てきた。
「それは占いで聞いた話なのか?」
「いいえ、汐音……。三峰汐音から聞いた話です。あいつには前世の記憶があります」
無言のまま足立が見つめてくるので、和真はいたたまれなくなって視線を外した。
「……あいつから初めて前世の話を聞いた時は、おれもすぐには信じられなかったんです。でも、前世で王女を守れなかったって、あいつが泣いたんです。だから、おれは──」
足立が静かに聞いていたので、和真はそのまま話を続けた。
「昨日、夢を見ました。中世風の建物が並ぶ屋外の広い場所で、おれはどこか壇上にいて、目の前ではおびただしい人々がおれを見ているんです。どの顔も困惑していて、ざわざわしているんですよ。その大勢の人を掻き分けながら、一人の若い男がおれの方へ必死で近づいて来るんです。すぐにおれは目隠しをされてしまって見えなくなったんですけど、跪かされた後、おれの首の後ろに衝撃を感じたと同時に若い男の声にならないような叫び声を聞いたんです。その後、すぐに飛び起きたんですけど、あまりにリアルな感触と若い男の叫び声がずっと耳に残っていて眠れなくなってしまって……」
和真は昨夜の夢を思い出し、目を閉じた。まるで映画のワンシーンのようで、自分の身に起きた事だったのかどうかは分からない。
だが、必死で近づい来た男の声だけは、今も和真の心を酷く揺さぶり続けている。
「その男の声が前世の……三峰だったか? あの一年のものだと思うからだろ?」
和真は素直に頷いた。
「前世からのトラウマか……。三峰の過去を受け止めてやれるなら受け止めてやってほしい」
「う、受け止める?!」
『好き』と言った汐音の言葉が脳裏に浮かび、和真の声は裏返ってしまった。
「何を動揺している?」
「あ、いえ……。その、受け止めるとは……?」
「まず、話をちゃんと聞いてやるといい。もちろん相澤にだけ重荷を負わすつもりはない。何かあればすぐに私のところへ相談に来るといい」
「……分かりました。ありがとうございます」
和真は足立にお礼を言うと、保健室を後にした。
どうやら、和真は汐音としっかりと向き合わねばならないようだ。前世の事だと切り捨てることは出来そうにない。あの張り裂けるほどの魂の叫び声をあげたまま、汐音は永遠に感じるほどの時を超えて和真の前に現れたのだから。
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