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3-1 お迎えの使者
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(……アンティネット様? 怪我はないか?)
アンティネットは、心の中で、男の言った言葉を反芻してみた。
そして、あらためて、目の前に立っている男を観察する。魔法省のトレードマークの箒の胸章が縫い付けられた革のロングコート姿の魔法省の役人だ。胸章は金糸で刺繍されているので、かなりの偉い人物のようだ。
30歳過ぎの長身で、無表情。目鼻立ちは端正だが、ひどく青白く、生気はない。
(まるで、幽霊みたいな方。ちょっと、不気味……)
「寒いだろ」
「け、結構ですっ!」
役人から差し出された白い手を、アンティネットは振り払い、池から出た。
全身びしょびしょで、薄手のワンピースは肌に張り付いている。
「これ、使え」
彼は清潔なハンカチを同じく魔法省の胸章の付いた制服の胸ポケットから取り出す。
「いらない!」
アンティネットは、悔しそうに口元をきゅっと結んだ後、ぱっと両手を差し出す。
「早く、逮捕してください!」
「掴まりたいなどと……まったく、困ったお方だ。アテーナ様とそっくりだな」
魔法省の役人は首を傾げながら、自分のコートを脱いで、なんと、彼女に被せた。
彼女の眉間の皺が解けて、はっきりとした驚きの表情を浮かべる。ドキドキと、胸の鼓動が早鐘を打ち始める。
(こんなこと、異性にされたの、初めてなんだけど)
「な……な、なんの真似です?」
「いいから、黙ってわたしに従うように。いいね?」
「は?……え、ええ」
知らない間に、ぞろぞろと野次馬が群がってきた。騒ぎを聞きつけて、村の治安を担っている騎士団の剣士が、重々しい鞘を携えてやってきた。
剣士は、彼の上着に飾られた勲章を見て、深々と頭を下げた。
「これはこれは。魔法省の上級魔術師殿ではごさいませんか。一体、何の騒ぎでしょう……」
上級魔術師といったら、魔法省で最上位の高官で、政治の世界では官僚職、軍隊の世界では司令官クラス、教育では学園長を務めている立場といったところだ。
「申し訳ない。彼女の、この杖がポンコツでね」
(……杖が、ポンコツ?)
アンティネットは、慌てて伯爵を見あげたが、彼は何食わぬ顔で、彼女の杖を取り上げた。
「どうも、彼女の魔法の杖が制御できなくなってしまったようでね。しっかり、彼女には管理するよう、言いつけておいた」
「さようですか。ところで、その方の魔法使用の許可証はございますか?」
「もちろん」
伯爵は、灰色の背広の胸ポケットから、1枚のカードを取りだして、剣士に見せた。
「伯爵令嬢? たしかに、正式な許可証です。しかし、この方がご令嬢とは思えないのですが……?」
剣士は、アンティネットを訝しげに眺める。
それはそのはず。コートを被っていても、粗末なワンピースのスカートの端のところどころはほつれていたし、木靴は山道を歩いて泥が付いているのだから。
(もう、ダメ。やっぱり、一生、牢獄暮らし、決定ね)
アンティネットは、覚悟して、身体を縮める。
すると驚いたことに、伯爵は、彼女の肩を引き寄せたのだ。
(……暖かい。抱かれるのも初めてなんだけど)
頬が熱くなる。ただ、されるがまま彼にしがみつき、恥ずかしくて真っ赤な顔を、彼のたくましい胸に埋めてしまう。
「正式には、彼女は私と婚約中なのだ。それでも疑うのなら、私や将来の妻の尊厳と信頼を汚すことになるが、それでもよろしいか?」
伯爵が鋭い眼光と言葉で言い放つと、さずがの剣士もうろたえて、
「大変失礼しました」と、引き下がる。
(……伯爵令嬢? しかも、わたしが婚約ですって?)
アンティネットには、何がなんだがさっぱり分からない。とにかく捕まらなくて良いことに、胸をなで下ろす。
剣士は、ぺこりと頭を下げて、町の中心部の駐在所まで戻っていった。
周りからも物見たちが去った後、アンティネットは、おそるおそる顔をあげた。
「あの伯爵様。いえ、魔法省のお役人様?」
「わたしは、スハルト。そろそろ、離れていいか?」
「ご、ごめんなさい。……えっ」
と、アンティネットは彼の胸から飛びのくと、恐る恐る、遠巻きに彼を見た。
「あの、スハルト様って、わたしの養育費を払い続けてくださっていた方ですよね」
「そうだ。あのろくでなしの叔父夫婦から、ここで商売をしていると聞いて来たら。やっぱり、このザマだ。アテーネ様は暗黒卿の言葉を真に受けて、どこまでお人よしなのだ」
スハルトは、ぶっきらぼうにそういうと、アンティネットの前をすたすたと歩き始めてしまうので、彼女はあわてて、後を追いかける。
「ちょっと、お待ちください。まだ、コートを返してないけど。話、聞いてないし……」
アンティネットは、心の中で、男の言った言葉を反芻してみた。
そして、あらためて、目の前に立っている男を観察する。魔法省のトレードマークの箒の胸章が縫い付けられた革のロングコート姿の魔法省の役人だ。胸章は金糸で刺繍されているので、かなりの偉い人物のようだ。
30歳過ぎの長身で、無表情。目鼻立ちは端正だが、ひどく青白く、生気はない。
(まるで、幽霊みたいな方。ちょっと、不気味……)
「寒いだろ」
「け、結構ですっ!」
役人から差し出された白い手を、アンティネットは振り払い、池から出た。
全身びしょびしょで、薄手のワンピースは肌に張り付いている。
「これ、使え」
彼は清潔なハンカチを同じく魔法省の胸章の付いた制服の胸ポケットから取り出す。
「いらない!」
アンティネットは、悔しそうに口元をきゅっと結んだ後、ぱっと両手を差し出す。
「早く、逮捕してください!」
「掴まりたいなどと……まったく、困ったお方だ。アテーナ様とそっくりだな」
魔法省の役人は首を傾げながら、自分のコートを脱いで、なんと、彼女に被せた。
彼女の眉間の皺が解けて、はっきりとした驚きの表情を浮かべる。ドキドキと、胸の鼓動が早鐘を打ち始める。
(こんなこと、異性にされたの、初めてなんだけど)
「な……な、なんの真似です?」
「いいから、黙ってわたしに従うように。いいね?」
「は?……え、ええ」
知らない間に、ぞろぞろと野次馬が群がってきた。騒ぎを聞きつけて、村の治安を担っている騎士団の剣士が、重々しい鞘を携えてやってきた。
剣士は、彼の上着に飾られた勲章を見て、深々と頭を下げた。
「これはこれは。魔法省の上級魔術師殿ではごさいませんか。一体、何の騒ぎでしょう……」
上級魔術師といったら、魔法省で最上位の高官で、政治の世界では官僚職、軍隊の世界では司令官クラス、教育では学園長を務めている立場といったところだ。
「申し訳ない。彼女の、この杖がポンコツでね」
(……杖が、ポンコツ?)
アンティネットは、慌てて伯爵を見あげたが、彼は何食わぬ顔で、彼女の杖を取り上げた。
「どうも、彼女の魔法の杖が制御できなくなってしまったようでね。しっかり、彼女には管理するよう、言いつけておいた」
「さようですか。ところで、その方の魔法使用の許可証はございますか?」
「もちろん」
伯爵は、灰色の背広の胸ポケットから、1枚のカードを取りだして、剣士に見せた。
「伯爵令嬢? たしかに、正式な許可証です。しかし、この方がご令嬢とは思えないのですが……?」
剣士は、アンティネットを訝しげに眺める。
それはそのはず。コートを被っていても、粗末なワンピースのスカートの端のところどころはほつれていたし、木靴は山道を歩いて泥が付いているのだから。
(もう、ダメ。やっぱり、一生、牢獄暮らし、決定ね)
アンティネットは、覚悟して、身体を縮める。
すると驚いたことに、伯爵は、彼女の肩を引き寄せたのだ。
(……暖かい。抱かれるのも初めてなんだけど)
頬が熱くなる。ただ、されるがまま彼にしがみつき、恥ずかしくて真っ赤な顔を、彼のたくましい胸に埋めてしまう。
「正式には、彼女は私と婚約中なのだ。それでも疑うのなら、私や将来の妻の尊厳と信頼を汚すことになるが、それでもよろしいか?」
伯爵が鋭い眼光と言葉で言い放つと、さずがの剣士もうろたえて、
「大変失礼しました」と、引き下がる。
(……伯爵令嬢? しかも、わたしが婚約ですって?)
アンティネットには、何がなんだがさっぱり分からない。とにかく捕まらなくて良いことに、胸をなで下ろす。
剣士は、ぺこりと頭を下げて、町の中心部の駐在所まで戻っていった。
周りからも物見たちが去った後、アンティネットは、おそるおそる顔をあげた。
「あの伯爵様。いえ、魔法省のお役人様?」
「わたしは、スハルト。そろそろ、離れていいか?」
「ご、ごめんなさい。……えっ」
と、アンティネットは彼の胸から飛びのくと、恐る恐る、遠巻きに彼を見た。
「あの、スハルト様って、わたしの養育費を払い続けてくださっていた方ですよね」
「そうだ。あのろくでなしの叔父夫婦から、ここで商売をしていると聞いて来たら。やっぱり、このザマだ。アテーネ様は暗黒卿の言葉を真に受けて、どこまでお人よしなのだ」
スハルトは、ぶっきらぼうにそういうと、アンティネットの前をすたすたと歩き始めてしまうので、彼女はあわてて、後を追いかける。
「ちょっと、お待ちください。まだ、コートを返してないけど。話、聞いてないし……」
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