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グレッグ男爵令息と出会ったのは、5歳の冬のことだった。
中央の広場で、森で採れた食材をゴザに並べて売っていると、
「きみ、何しているの?」
と、グレッグ少年が声をかけてきた。
すらりと背が高く、整った目鼻立ちからのぞく瞳はエメラルドで、やさしそうな目線が少女を見下ろしている。学園からの帰りらしく、学生カバンを手に持っていた。
村で裕福な貴族が通う学園があり、ここで14歳まで通った後で、さらに家柄が良く、成績が優秀である者であるならば、王都での学園生活が許されるのである。
「きみは何歳?」
アンティネットは、土で汚れた手のひらをいっぱいに広げた。あちこちが、草の棘で血がついている。
「あたしは、5歳」
「ぼくは、7歳なんだ。名前はグレッグっていうんだ」
彼が手を差し出すと、アンティネットは慌てて手を引っ込めて、
「手が汚れちゃう」
それでも少年はにこりと微笑んで、アンティネットの手をにぎって、ぎゅっと握手してくれた。
(すごく柔らかくて、暖かい手……)
それから、ゴザに置いてある竹笛を見つけて、
「これ、ちょうだい」
と、ズボンのポケットから、銀貨を1枚、手渡した。
彼女は銅貨1枚なのに、その数倍も価値のあるお金に目が丸くなる。
「……これ、もらいすぎだよ」
「いいんだ。明日も、来ていい?」
「うん。あたし、アンティネット! よろしく」
「うん! アンティネット、かわいい名前だね!」
アンティネットは、少年が定期馬車に乗って町に帰るのを、見送った。
それからというもの、グレッグは放課後は、晴れの日も、雨の日も、風が強い日でも、毎日のようにアンティネットに会いに来た。
グレッグは必ず、ゴザに置いてあるものなら、草でも魚でも、何かを買ってくれた。何も取れなかったら、近くの小石を拾って、お金を払った。
ときどき、お昼のパンを食べないで、持ってきてくれたりもした。
代わりにアンティネットは、森を案内した。
魚採り、草笛の作り方、おいしい湧き水の場所、知っていることを全部教えた。めんどくさそうな叔父夫婦のことは黙っておいた。
それから、ふたりで、ふたりだけの秘密基地を作った。
代わりに、グレッグが教えてくれたこと。それは、学校で勉強していること、文字の読み書き、数字の数え方、それから音楽やダンスの仕方、魔法の使い方など。
特に魔法の教科書は、アンティネットにとても役に立った。グレッグがいくらやってもできない、魔法の杖の使い方や箒で空を飛ぶこと、物を自由に動かすこと、魔法の薬の作り方まで、彼女はいつも簡単にやってのけたのだから。
「どうして、こんなに簡単に、魔法が使えるの?」
グレッグは驚き眼で、アンティネットを見つめると、彼女は照れ臭そうに頭の毛をいじりながら、
「わかんないけど、ぜんぶ、グレッグのおかげ」と微笑んだ。
こんな楽しい日々がずっと続いてほしいかった。ずっと、ずっと。
けれど、グレッグが12歳、アンティネットが10歳になった、ある夏休みの時、急に別れの時が訪れたのだ。
避暑で王都から訪れた、由緒正しい家柄の公爵夫妻に実子がなく、親しいグレッグの男爵家に訪れて、彼をいたく気に入り、養子として迎え入れたいと申し入れてきたという。
グレッグは抵抗した。両親も当初は躊躇したものの、このまま息子がこんな片田舎の男爵として一生を終えてしまうよりも、公爵家の子息となったほうがさらに将来性が広がると考えた。けれども、12歳の子供の訴えなど、大人たちの耳には届かない。
決して忘れない。あの激しい雨の日で、市場にはだれも露店を出す者などいなかった。それでも、アンティネットは、グレッグを待っていた。
グレッグは傘も差さずに、肩を落として、彼女の前に立った。
「どうしたの? 何があったの?」
アンティネットの問いかけに、グレッグは養子になることを告げて、
「ぼくは王都に行かなきゃならない。本当は、ここにずっといたかったんだ……」
と、泣き出した。
「わたしもよ。ここでいっしょに暮らしたい」
ふたりは抱き合った。
「これ、あげる。また、いつか、必ず、会いに行くから」
グレッグは、背負っていた革袋ごと、アンティネットに差し出した。
魔法関連の本を詰め込んであった。
「ありがとう……」
でも、アンティネットにはきっと無理な話だと思っていた。王の都は平民が簡単に入れるほど、簡単ではない。ずっと、ずっと遠くの世界に、グレッグは行ってしまうんだと……わかっていた。
翌日から、彼は彼女の前から姿を消した。
*****
それから、5年があっという間に過ぎってしまった。
秘密基地で、アンティネットは、つい、ウトウトと眠りこけてしまったようだ。
空は白み始めて、山すそは朝焼けで赤くにじみ始めている。
(……だめだな。泣きべそかいてられないのに)
アンティネットは、まぶたの端に浮かんだ涙を指先で払うと、無理やり、笑みを浮かべて、基地を飛び出していった。
中央の広場で、森で採れた食材をゴザに並べて売っていると、
「きみ、何しているの?」
と、グレッグ少年が声をかけてきた。
すらりと背が高く、整った目鼻立ちからのぞく瞳はエメラルドで、やさしそうな目線が少女を見下ろしている。学園からの帰りらしく、学生カバンを手に持っていた。
村で裕福な貴族が通う学園があり、ここで14歳まで通った後で、さらに家柄が良く、成績が優秀である者であるならば、王都での学園生活が許されるのである。
「きみは何歳?」
アンティネットは、土で汚れた手のひらをいっぱいに広げた。あちこちが、草の棘で血がついている。
「あたしは、5歳」
「ぼくは、7歳なんだ。名前はグレッグっていうんだ」
彼が手を差し出すと、アンティネットは慌てて手を引っ込めて、
「手が汚れちゃう」
それでも少年はにこりと微笑んで、アンティネットの手をにぎって、ぎゅっと握手してくれた。
(すごく柔らかくて、暖かい手……)
それから、ゴザに置いてある竹笛を見つけて、
「これ、ちょうだい」
と、ズボンのポケットから、銀貨を1枚、手渡した。
彼女は銅貨1枚なのに、その数倍も価値のあるお金に目が丸くなる。
「……これ、もらいすぎだよ」
「いいんだ。明日も、来ていい?」
「うん。あたし、アンティネット! よろしく」
「うん! アンティネット、かわいい名前だね!」
アンティネットは、少年が定期馬車に乗って町に帰るのを、見送った。
それからというもの、グレッグは放課後は、晴れの日も、雨の日も、風が強い日でも、毎日のようにアンティネットに会いに来た。
グレッグは必ず、ゴザに置いてあるものなら、草でも魚でも、何かを買ってくれた。何も取れなかったら、近くの小石を拾って、お金を払った。
ときどき、お昼のパンを食べないで、持ってきてくれたりもした。
代わりにアンティネットは、森を案内した。
魚採り、草笛の作り方、おいしい湧き水の場所、知っていることを全部教えた。めんどくさそうな叔父夫婦のことは黙っておいた。
それから、ふたりで、ふたりだけの秘密基地を作った。
代わりに、グレッグが教えてくれたこと。それは、学校で勉強していること、文字の読み書き、数字の数え方、それから音楽やダンスの仕方、魔法の使い方など。
特に魔法の教科書は、アンティネットにとても役に立った。グレッグがいくらやってもできない、魔法の杖の使い方や箒で空を飛ぶこと、物を自由に動かすこと、魔法の薬の作り方まで、彼女はいつも簡単にやってのけたのだから。
「どうして、こんなに簡単に、魔法が使えるの?」
グレッグは驚き眼で、アンティネットを見つめると、彼女は照れ臭そうに頭の毛をいじりながら、
「わかんないけど、ぜんぶ、グレッグのおかげ」と微笑んだ。
こんな楽しい日々がずっと続いてほしいかった。ずっと、ずっと。
けれど、グレッグが12歳、アンティネットが10歳になった、ある夏休みの時、急に別れの時が訪れたのだ。
避暑で王都から訪れた、由緒正しい家柄の公爵夫妻に実子がなく、親しいグレッグの男爵家に訪れて、彼をいたく気に入り、養子として迎え入れたいと申し入れてきたという。
グレッグは抵抗した。両親も当初は躊躇したものの、このまま息子がこんな片田舎の男爵として一生を終えてしまうよりも、公爵家の子息となったほうがさらに将来性が広がると考えた。けれども、12歳の子供の訴えなど、大人たちの耳には届かない。
決して忘れない。あの激しい雨の日で、市場にはだれも露店を出す者などいなかった。それでも、アンティネットは、グレッグを待っていた。
グレッグは傘も差さずに、肩を落として、彼女の前に立った。
「どうしたの? 何があったの?」
アンティネットの問いかけに、グレッグは養子になることを告げて、
「ぼくは王都に行かなきゃならない。本当は、ここにずっといたかったんだ……」
と、泣き出した。
「わたしもよ。ここでいっしょに暮らしたい」
ふたりは抱き合った。
「これ、あげる。また、いつか、必ず、会いに行くから」
グレッグは、背負っていた革袋ごと、アンティネットに差し出した。
魔法関連の本を詰め込んであった。
「ありがとう……」
でも、アンティネットにはきっと無理な話だと思っていた。王の都は平民が簡単に入れるほど、簡単ではない。ずっと、ずっと遠くの世界に、グレッグは行ってしまうんだと……わかっていた。
翌日から、彼は彼女の前から姿を消した。
*****
それから、5年があっという間に過ぎってしまった。
秘密基地で、アンティネットは、つい、ウトウトと眠りこけてしまったようだ。
空は白み始めて、山すそは朝焼けで赤くにじみ始めている。
(……だめだな。泣きべそかいてられないのに)
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