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日曜の朝にエザベル嬢から、来週の夜会の招待状が屋敷に届き、わたしは小躍りして受け取りました。自室でプログラムを見て、さらに夢心地になります。
出席者は王国の名だたる貴族ばかりで、メインのダンスフロアの時間には、わざわざ婚約者同士の時間帯までもうけられています。
(トマス様と人前で踊れたら、婚約の破棄なんて、彼だって言いづらくなるわね!)
そうおもうと何だかウキウキしてきます。ベッドであおむけになってつい一人でニヤニヤしていたら、ドア越しで女中の声がしました。
「お嬢様、トマス様がおこしになりました。しかも、早馬でこられて……」
(あら、急にどうしたのかしらね?)
部屋着に外行きのガウンをはおってエントランス近くの客間にいくと、腰かけたトマス様は膝の前で手を組んで、なにやら考えにふけっていました。
「エメリー、きみは夜会に行くべきじゃない。婚約は破棄したほうがいい」
わたしが向かいのソファに座ると、トマス様はうつむいたまま言いました。
「……どうして、またそんなことを?」
「エメリー、きみは溺れたんだ。エザベル嬢は船から突き飛ばした。あのミンスター男爵家の連中の本質は貪欲だ。エザベルはぼくを独占したがっている。もしエメリーにまた何かあったら、ぼくはたえられそうにないから」
「……トマス? もしかして脅されてる?」
目を合わせようとしないトマス様にわたしはゆっくり歩み寄りました。
トマス様はポツリポツリと話し出しました。
「エメリーが溺れてた時だけど、ずっと君のことが頭に浮かんでた……失うのが怖かった」
(わたしもよ……ずっとずっとあなたが好き)
わたしは食い入るようにトマス様の顔を見ました。それから、「わかったわ」とほほえみました。
「トマスに……まかせる。婚約白紙にしてもかまわないよ。だってこれほど他の人をすきになれた。好きなひとのためにがんばって成長できた。それだけで幸せなことでしょ?」
「それが幸せか……?」
トマスは顔を上げました。笑顔ではなく、その表情はひどく落ち込んでいるようでした。
「わたし、婚約破棄でもそうでなくても夜会に行くわ。だって楽しそうだもの」
「……そう」
「ねえねえ、今日はこれから暇? ひさしぶりになにもかんがえずに街をぶらぶらしたいな。わたしたちが白紙になっちゃう前に」
***
王都の中心にある広場は午前中朝市がひらかれ、ところ狭しと出店が集まります。野菜やお肉に果物、小物、それに美味しそうな飲食店まで軒を連ねています。狭い通路にはたくさんの往来するお客でにぎわい、わたしたちもその雑踏に加わります。
その熱気に包まれていると、日頃の悩みなど吹き飛んでしまって快活な気分になれます。でも、何しろひとりではなくトマス様と二人きりでの楽しい時間が、なによりもうれしいのです。
「はぐれるなよ」
トマス様はわたしの手を握りながら、生真面な顔をしています。責任感が強い、(強すぎるのが玉にきずだけど……)、そんな彼のぶこつな手のひらは温かくて大好きなのです。
「うん!」と、わたしはうなずいて、トマス様の肩に頬をすり寄せました。
「恥ずかしいぞ、人前だ」
そう言うくせに、トマス様はつないでいた手を、今度はわたしの腰に手を回しています。
「あら、ほら見て! たくさんの可愛いクッキーよ」
わたしは店先でところ狭しと並べられたクッキー屋さんを見つけました。店頭には赤いもの、緑のもの、茶色いもの、だいだい色。ほんとうに色とりどりです。わたしはお茶目にひょいとつまんで、トマス様の口に入れます。
「チョコ味だ。かなり濃厚だ」
今度はわたしが赤いものを試してみます。
「わたしはストロベリー味だわ。最高に美味しいっ!」
甘酸っぱい木莓のジャムが口いっぱいになって、なんともいえない幸せな気持ちになります。
トマス様が銅貨を、店員のふくよかなおば様に支払うと、
「高貴のお方にぶしつけとは存じますが、お二人はご夫婦ですか?」
とたずねてきました。
「え? ……ええと」
(もう、婚約破棄になるんだけどね)
わたしが言いよどんでいると、
「将来の妻になる、愛しい方です」
とトマス様は返し、わたしの手をとりあげ、手の甲に熱い口づけをしました。
わたしは思わずうつむきました。心臓はどきどきしていて、赤面しているのが恥ずかしかったのです。
「でも、奥さん。失礼だけど、ぼくはエメリーの手作りのものの方が数倍美味しかった」
するとクッキー屋の奥様は「ふふふふっ!」と大笑いしました。
「それは世界中のどのクッキーもかないません。愛情という隠し味には!」
楽しい散策がおわって馬車に乗り込んだとき、
「エメリー、明日の放課後に時間あるかい? 夜会に着ていく服を買いにいきたいんだが」
「え? うん……いいわよ。でもわたしたち、どうせ白紙になるんだから……」
わたしはどまどいながら、トマス様を見つめました。
トマス様はほほえみを浮かべ、わたしの下顎に手をあてて口元を近づけました。
「何を言ってるの。さっきの言葉を忘れた? 将来の妻は君っていったろ?」
そう告げて、わたしに優しく唇を添えました。
出席者は王国の名だたる貴族ばかりで、メインのダンスフロアの時間には、わざわざ婚約者同士の時間帯までもうけられています。
(トマス様と人前で踊れたら、婚約の破棄なんて、彼だって言いづらくなるわね!)
そうおもうと何だかウキウキしてきます。ベッドであおむけになってつい一人でニヤニヤしていたら、ドア越しで女中の声がしました。
「お嬢様、トマス様がおこしになりました。しかも、早馬でこられて……」
(あら、急にどうしたのかしらね?)
部屋着に外行きのガウンをはおってエントランス近くの客間にいくと、腰かけたトマス様は膝の前で手を組んで、なにやら考えにふけっていました。
「エメリー、きみは夜会に行くべきじゃない。婚約は破棄したほうがいい」
わたしが向かいのソファに座ると、トマス様はうつむいたまま言いました。
「……どうして、またそんなことを?」
「エメリー、きみは溺れたんだ。エザベル嬢は船から突き飛ばした。あのミンスター男爵家の連中の本質は貪欲だ。エザベルはぼくを独占したがっている。もしエメリーにまた何かあったら、ぼくはたえられそうにないから」
「……トマス? もしかして脅されてる?」
目を合わせようとしないトマス様にわたしはゆっくり歩み寄りました。
トマス様はポツリポツリと話し出しました。
「エメリーが溺れてた時だけど、ずっと君のことが頭に浮かんでた……失うのが怖かった」
(わたしもよ……ずっとずっとあなたが好き)
わたしは食い入るようにトマス様の顔を見ました。それから、「わかったわ」とほほえみました。
「トマスに……まかせる。婚約白紙にしてもかまわないよ。だってこれほど他の人をすきになれた。好きなひとのためにがんばって成長できた。それだけで幸せなことでしょ?」
「それが幸せか……?」
トマスは顔を上げました。笑顔ではなく、その表情はひどく落ち込んでいるようでした。
「わたし、婚約破棄でもそうでなくても夜会に行くわ。だって楽しそうだもの」
「……そう」
「ねえねえ、今日はこれから暇? ひさしぶりになにもかんがえずに街をぶらぶらしたいな。わたしたちが白紙になっちゃう前に」
***
王都の中心にある広場は午前中朝市がひらかれ、ところ狭しと出店が集まります。野菜やお肉に果物、小物、それに美味しそうな飲食店まで軒を連ねています。狭い通路にはたくさんの往来するお客でにぎわい、わたしたちもその雑踏に加わります。
その熱気に包まれていると、日頃の悩みなど吹き飛んでしまって快活な気分になれます。でも、何しろひとりではなくトマス様と二人きりでの楽しい時間が、なによりもうれしいのです。
「はぐれるなよ」
トマス様はわたしの手を握りながら、生真面な顔をしています。責任感が強い、(強すぎるのが玉にきずだけど……)、そんな彼のぶこつな手のひらは温かくて大好きなのです。
「うん!」と、わたしはうなずいて、トマス様の肩に頬をすり寄せました。
「恥ずかしいぞ、人前だ」
そう言うくせに、トマス様はつないでいた手を、今度はわたしの腰に手を回しています。
「あら、ほら見て! たくさんの可愛いクッキーよ」
わたしは店先でところ狭しと並べられたクッキー屋さんを見つけました。店頭には赤いもの、緑のもの、茶色いもの、だいだい色。ほんとうに色とりどりです。わたしはお茶目にひょいとつまんで、トマス様の口に入れます。
「チョコ味だ。かなり濃厚だ」
今度はわたしが赤いものを試してみます。
「わたしはストロベリー味だわ。最高に美味しいっ!」
甘酸っぱい木莓のジャムが口いっぱいになって、なんともいえない幸せな気持ちになります。
トマス様が銅貨を、店員のふくよかなおば様に支払うと、
「高貴のお方にぶしつけとは存じますが、お二人はご夫婦ですか?」
とたずねてきました。
「え? ……ええと」
(もう、婚約破棄になるんだけどね)
わたしが言いよどんでいると、
「将来の妻になる、愛しい方です」
とトマス様は返し、わたしの手をとりあげ、手の甲に熱い口づけをしました。
わたしは思わずうつむきました。心臓はどきどきしていて、赤面しているのが恥ずかしかったのです。
「でも、奥さん。失礼だけど、ぼくはエメリーの手作りのものの方が数倍美味しかった」
するとクッキー屋の奥様は「ふふふふっ!」と大笑いしました。
「それは世界中のどのクッキーもかないません。愛情という隠し味には!」
楽しい散策がおわって馬車に乗り込んだとき、
「エメリー、明日の放課後に時間あるかい? 夜会に着ていく服を買いにいきたいんだが」
「え? うん……いいわよ。でもわたしたち、どうせ白紙になるんだから……」
わたしはどまどいながら、トマス様を見つめました。
トマス様はほほえみを浮かべ、わたしの下顎に手をあてて口元を近づけました。
「何を言ってるの。さっきの言葉を忘れた? 将来の妻は君っていったろ?」
そう告げて、わたしに優しく唇を添えました。
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