new moon

氷柱華

文字の大きさ
上 下
1 / 1

彼がいたということ

しおりを挟む
 その日はちょうど新月だった。日も落ちかけて来た時、訪問客と共にそれは告げられた。彼が帰ってこないという報告はあまりにも唐突で、それでも皆が整然と各々がやりたい事をやった。
 訪問客が帰って行った後、そこには妙な沈黙が残り鉛のように心にのしかかった。誰からというでもなく無言で皆部屋に戻っていく。言葉を交わすでもなく、各々の感情を抱いて。


「兇皇子真月」
 部屋に戻った後、机に向かい本を開く。いつも通り勉強をしようと思った。なに、高々1人養子が死んだだけだ。何も、何一つ変わらない。いつも通りの日常を過ごすだけだ。そう思った。思いたかった。
「……くそ…」
握ったペンが音を立て始める。ギシギシと、加えられた負荷を伝えるために必死に叫び始めた。自分ではそんなに力んでるつもりは無いがその音が途切れることはなく、ついにそれはパリンと言う音を立てて砕け散った。その破片が掌に食い込みポタポタと血がしたたたる。
 生きているのだ自分は。そう思うと胸が締め付けられる。この赤さですらもあいつはもう見れないのだから。
 無月の事を思い出す。無月はいつも俺の事を見ていた。一挙手一投足、見逃さないように。何かひとつでも盗み取ってやろうともがいていた。あいつは血の繋がりが無いことに誰よりも悩み、自らに嫌悪していた事を知っている。それなのに俺はその辛さに寄り添いもせずただ見ていた。この苗字の呪いを無月から取り去ろうとはしなかった。無月は強く、いつかそれすらも糧にして誰よりも強くなると思っていた。そのせいであいつは悩み続け、そしてその呪いに殺された。無力だ。自分がなんと恨めしいことか。血塗れの拳を机に叩きつけてもあいつは帰ってこない。分かってはいても何度も打ち付けるしか出来ない。無駄だとしてもこの感情はどうすればいい。分からない、感情の行き場がここまでなくなったのは初めてだ。 
「生き様……か。死んだら何の意味もないだろう」
後悔ばかりが募る。もっと一緒にいてやりたかったと今更に思う。俺は無月が好きだった、何よりも愚直で捻くれてながらも真っ直ぐでどこまでもお人好しなあいつは俺の憧れでもあったのだ。俺もあんなふうになれたらと、素直でまっすぐになれたらどんなに良いだろうと何度も思った。弟の笑顔がこびりついて離れない。
「好きだぞ、無月」
今まで一度も口にしたことのない弟への言葉は誰にも届くことはなかった。

「兇皇寺美月」
 不思議と涙は溢れなかった。ただ一つ思ったのは馬鹿ねの一言だけ。詰めがあまい、そりゃあ見事だったでしょうよ。その信念はさぞ美しかった事でしょう。だから何?遺された人の、私達の気持ちはどうなるの?そこまで考えが及ばず、結局自らの我が儘の為にこれだけの想いを背負わした弟に腹立たしささえ覚える。ただそれでも微笑んでしまうのだからどうしようもない。
「やっぱ可愛いわね。そう言うところも」
あの子の日記を一度だけ見たことがある。自らの価値を盲目的に探し、自らの生まれを、存在を呪い続けていた。だからもがいていた。死にもの狂いで生きる価値を探していて、藁にもすがる思いで必死に手を伸ばしたその結果が自らが死ぬことだった。馬鹿じゃないかしら。考えなしにも程がある、自らの命を軽く扱いたまたまそこにいただけの人物を救う為に自らのこれからを差し出した。許せない、そんなくだらないことで大好きな弟がもう帰ってこないと思うと吐き気がこみ上げる。
 だけど本気であの子が選んだ選択がどこか誇らしく感じる、どうしようもなく愛おしい。なんて綺麗で気高い最期。私はきっと無月あのこの気持ちを理解することは一生出来ないのだろう。わかりたくもない、けれども寄り添いたかった。その場で見送ってあげたかった。笑顔で、愛してると伝えたかった。それを伝えたことは今までただ一度もなく、そのせいで蝕まれてった弟にポツリと一言。
「馬鹿ね」
それは誰に向けてなのか、それは私が1番分かってる。

 今夜は新月、月の無い夜。それでも確かにそこに月はある、見えないだけでそこには月が輝いてるのだ。それを彼らは知っている。もういなくなろうとも、彼は、無月の価値は兄弟の中に有り続ける。
 無い月の夜に彼らは自らの価値を疑ったどうしようもなくかえがたい弟を想うのだ。きっとこれからも。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

【全話まとめ】意味が分かると怖い話【解説付き】

松本うみ(意味怖ちゃん)
ホラー
1分で楽しめる短めの意味が分かると怖い話をたくさん作って投稿しているよ。 ヒントや補足的な役割として解説も用意しているけど、自分で想像しながら読むのがおすすめだよ。 中にはホラー寄りのものとクイズ寄りのものがあるから、お好みのお話を探してね。

愛する彼には美しい愛人が居た…私と我が家を侮辱したからには、無事では済みませんよ?

coco
恋愛
私たちは仲の良い恋人同士。 そう思っていたのに、愛する彼には美しい愛人が…。 私と我が家を侮辱したからには、あなたは無事では済みませんよ─?

冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい

一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。 しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。 家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。 そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。 そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。 ……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──

浮気の代償~失った絆は戻らない~

矢野りと
恋愛
結婚十年目の愛妻家トーマスはほんの軽い気持ちで浮気をしてしまった。そして浮気が妻イザベラに知られてしまった時にトーマスはなんとか誤魔化そうとして謝る事もせず、逆に家族を味方に付け妻を悪者にしてしまった。何の落ち度もない妻に悪い事をしたとは思っていたが、これで浮気の事はあやふやになり、愛する家族との日常が戻ってくると信じていた。だがそうはならなかった…。 ※設定はゆるいです。

夫の妹が私たち夫婦の邪魔をしてくる。

ほったげな
恋愛
半年前に結婚した私とセシリオ。しかし、セシリオの妹・セシルが毎日のように家に来て邪魔をしてくる。ある日、セシルに「お兄ちゃんと別れて」と言われ……。

訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果

柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。 彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。 しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。 「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」 逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。 あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。 しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。 気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……? 虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。 ※小説家になろうに重複投稿しています。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな

七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

処理中です...