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特別編
ともに歩いて
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それは夢乃が小さい頃。誕生日前に知乃にお願いしていた。
「おねえさま。こんどのおたんじょうびプレゼントに、わたしのおむこさんのゆめをみて、どんなひとかおしえてくれるとうれしいな」
知乃はそう言われて、じっと夢乃を見つめ、微笑んだ。
「いいわよ。どんな人かしらね」
そして誕生日当日になり、ケーキを食べて、夢乃の好きな魔法少女物のグッズをプレゼントしてひとしきり盛り上がった後、知乃が夢乃に話していた。
「夢を視たわよ。学校の制服を着た夢ちゃんが、とても綺麗な、お人形さんみたいな男の人とキスしていたわ」
「なんだって?!」
声を荒らげたのは征士くんだった。
「知乃は跡継ぎだからずっと家にいるだろうけど……。可愛い夢乃を、嫁になんか行かせたくない!」
憤慨した様子の征士くん。父親として夢乃を可愛がっているから気持ちはわからなくもないけれど……。私がくすくす笑っていると、夢乃も嬉しそうに笑った。
「とてもきれいな、おにんぎょうさんみたいなひと? わあ、たのしみ。やさしいひとかな。きれいでやさしいひとだったらいいな」
──十数年後、夢乃は「とても綺麗な、お人形さんみたいな男の人」を家に連れてきた。
♦ ♦ ♦
「大学をやめて働きたい?!」
大声を上げたのは父だ。勿論私も驚いた。多分この場にいる全員が驚いている。応接間の座卓の向こう側に並んで座った、夢乃と日高楽と名乗った男の子は項垂れている。
「夢乃……。お前は大学に入学したばかりじゃないか。どうしてやめるなんて言うんだ?」
「お祖父様……」
夢乃はしばらく下を向いていたが、意を決したように顔を上げた。
「私がお付き合いしている日高くんのお父様が経営している会社が倒産してしまいました。借金が残っています。返済するお手伝いをしたいんです」
揺らがない眼差しで全員を見渡す。ここにいるのは父と私と征士くん夫婦と知乃だ。知乃のお婿さんの航平くんは、二人の間に生まれた知枝未ちゃんと別室にいる。夢乃の横の日高くんが、口を開いた。
「俺……僕は、夢乃さんにそこまでしなくてもいいと言ったんですけど。僕が大学やめて働けばいい話ですし」
「何言っているのよ。弟さん、せめて高等部卒業させてあげたいって言っていたでしょう。日高くんの働きだけじゃ、足りないに違いないわ」
相当夢乃は、日高くんのことが好きなのだろう。日高くんを眺めてみる。とても綺麗な、西洋人形みたいな男の子だ。白い陶器のような肌に、青色と緑色の中間のような不思議な色の瞳。そんな瞳が憂いの感情を浮かべている。
「ともかく」
父が二人の言い合いの中に割って入った。
「夢乃と付き合っているならば、ええと、日高楽くんといったかな。きみのことを調べさせてもらう。取り敢えず話はそれからだ」
──確かに夢乃と付き合っているならば、日高くんの『資質』を調べなければならないだろう。何を調べるのかわからないといった風情の日高くんを帰宅させ、父は調査を始めた。
調べた結果は信じられないようなものだった。父は日高くんを呼び寄せた。再び応接間で夢乃と日高くんが正座している。
「日高くん。調べてみたら──きみはとんでもない程の『資質』の持ち主だった。ほぼ征士くんと同等。夢乃と付き合っているならば、すぐにでもうちに婿に入って欲しい。婿に来てもらえるならばきみのところの借金は肩代わりするし、きみや弟さんの学費援助、お父さんがまた事業を起こす資金援助もしてもいい。ただし婿入りしないならば、夢乃と別れてもらいたい。どうだろう」
父の言葉に、日高くんは面食らったようだった。それはそうだろう。いきなり婿入りを持ちかけられて、狼狽しないはずはない。
「え……。婿入り、ですか? 夢乃さんから、お姉さんがお婿さんを迎えたって聞きましたが……。僕、まで?」
「そうだ。婿入りでないと、夢乃との交際を認められない。きみ程の『資質』の人間は滅多にいない。日高くん、考えてみてくれ」
日高くんは沈黙した。綺麗な顔には先日の憂いよりも、困惑の感情が浮かべられている。
随分黙った後、日高くんは躊躇いながら言った。
「よくわかりませんが……。婿に入らないと、夢乃さんと付き合ってはいけないんですか?」
父は深く頷いた。
「その通りだ。婿入りでなければ、すぐに夢乃と別れてくれ。婿に入ってくれたときには全て事情を話す。どうかな?」
「…………」
また日高くんは黙り込んだ。大分悩んでいるようだ。夢乃が心配そうに日高くんを見ている。
「少し……考えさせてください……」
最後に呟くようにそう言って、日高くんは帰っていった。
♦ ♦ ♦
日高くんが、征士くんと同等の『資質』の持ち主とは思わなかったのだろう。夢乃はすっかり沈み込んでいた。
「楽くん……。どこまで運が悪いの……?」
気がかりで、夢乃の自室を覗き込もうとした時に聞こえた声。私が扉をノックして開けると、夢乃は沈痛な面持ちで飾ってある油絵を見つめていた。油絵に描かれているのは、夢乃が笑っている姿。母として、夢乃にはこう笑っていて欲しい。
「この絵……上手ね」
私が感想を述べると、夢乃がこちらを向いた。
「楽くんが……日高くんが、わざわざ私のこと描いてくれたんです。日高くんは以前から運が悪くて……。いつも助けてあげたいって思っていました。助けてあげたい気持ちが恋なんて、最初は気付かなかったんですけれど……。私は日高くんが大好きです。お母様、お別れすることになったらどうしましょう……」
夢乃の大きな瞳から、涙が一粒こぼれ落ちた。私は夢乃を抱きしめた。
「夢乃がそんなに想っているならば、日高くんだってきっとあなたのことを想っているわ。婿入りも考えてくれる。信じてあげなさい」
「お母様……」
征士くんに似た美貌が悲しみに染まっている。夢乃の長い黒髪を撫でて、私に出来る精一杯の気持ちで慰めた。
♦ ♦ ♦
数日後。日高くんは覚悟を決めたように我が家へやってきた。顔立ちは女の子のようだけれど、表情は男の子そのもの。きっぱりと言い切った。
「婿入り、します。夢乃さんと別れたくありません。実家の跡取りは弟に頼みました。借金などは肩代わりでなく貸してください。必ず働いてお返しします」
何て素晴らしい決意だろう。さすが、夢乃が恋した男の子だけあって潔い。婿入り事情なんて知らないのに。心底感心した。
「そうか、こちらの要求を受け入れてくれて感謝する。日高くん……楽くん。すぐにでも結婚してくれ。お金は貸そう。大学に通いながら、虹川系列の会社で働くと良い。征士くん、航平くんの下で働いてくれ」
「わかりました。僕に出来る限りの力で頑張ります。よろしくお願いします」
日高くんは深々頭を下げた。夢乃は涙ぐんでいる。
「楽くん……ありがとう。本当にありがとう。私と別れたくないって言ってくれて嬉しいわ。私も別れたくなかった。結婚、しましょう。私も働いて、一緒にお金を返すわ」
「夢乃……」
日高くん……楽くんが、夢乃の手を握った。好き合っている二人が別れることにならなくて良かった。私も楽くんに頭を下げた。
「楽くん。婿入りを決心してくれて、私からもお礼を言うわ。どうもありがとう。夢乃とずっと仲良くしてね」
「はい。ずっとずっと仲良くします。夢乃さんにも苦労させてしまいますが、その分愛します。これからよろしくお願いいたします」
綺麗な、西洋人形のような顔に男らしさを滲ませて、楽くんは笑った。
♦ ♦ ♦
その後、夢乃の誕生日、六月十四日に二人は結婚式を挙げた。ウェディングドレスを作るのはもったいないと、夢乃は私のお下がりを多少サイズ調整して着た。うちうちの小さな式。それでも二人は幸せそうだった。
皆、ご祝儀は弾んだ。少しでも、二人の助けになりたい気持ちは皆同じだ。二人は式の後、近場の温泉に二泊三日で新婚旅行をした後、帰ってきた。
婿入りして虹川楽くんになった彼は、予知夢のことを聞いて、ものすごく驚いたようだった。
「高等部の時から、夢乃さんが『夢占い』と言って色々助けてくれましたが……予知夢、なんて何だか信じられません」
夢乃……そんなことをしていたのか。まあ気持ちはわかる。好きな男の子が困っていたら、助けてしまうだろう。
それから二人は大学に通いながら、懸命に働いた。夢乃は予知夢の能力を生かして、株取引も始めたようだ。働きながらも、夢乃も楽くんも、愛し合っているのがよくわかった。二人とも、いつもお互いを気遣っている。
「疲れていないか? 夢乃」
「平気よ。楽くんこそ私より働いて……大丈夫?」
「大丈夫だ。気にするな」
徐々に借金を返している生活の中、夢乃は妊娠した。私と同じ体質らしく、つわりはないようだ。
「妊娠中なのに、無理して働かなくても……」
「あら、妊娠中、お母様だって働いていたって言っていたわ。心配しないで」
確かに私も働いていた。でも夢乃は根を詰め過ぎているように思える。無理はしないで、と伝えると夢乃は微笑んだ。
「お母様まで……。今は株取引の方が順調ですから、そっちに専念するので、身体に負担はかかりませんよ。ありがとうございます」
段々大きくなっているお腹を撫でながら、夢乃は私にお礼を言った。
♦ ♦ ♦
出産予定日をやや過ぎて、夢乃と楽くんの子どもが生まれた。男の子だった。楽くんは必死に名前を考えていた。私にも相談してきた。
「夢乃から一文字もらいたいんです。夢乃の夢には昔から助けられてきました。夢の字を入れたいです」
私と楽くんは考え込む。ふと思いついた名前を口にした。
「歩夢なんてどうかしら。虹川歩夢。今まで二人が一生懸命人生を歩いてきたでしょう。これからもともに歩いていけるように、その証として」
私と征士くんも、ともに人生を歩いてきた。その思いを込めて言うと、楽くんは綺麗な色の瞳を細めた。
「すごくいい名前ですね。ありがとうございます。これからも夢乃と人生を歩いていきたい。虹川歩夢。そうします」
思いがけず、私が名付け親になってしまった。歩夢くんにも素敵な人生を歩いてもらいたい。夢乃も名前を喜んでくれた。
「お母様、良い名前を付けてくれてありがとうございます。きっと歩夢も良い人生を歩くでしょう。私達もずっと一緒に歩いていきます」
父は、女の子でなかったことが少し残念そうだったけれど、気を取り直したかのように歩夢くんの『資質』を調べていた。
結果、歩夢くんは比類なく素晴らしい『資質』を持っていたらしい。征士くんよりも、航平くんよりも、楽くんよりも抜きんでた『資質』。早速、知乃の娘の知枝未ちゃん──えみちゃんのお婿さん候補にした。
「従姉弟だから問題ないだろう?」
「それは、そうですけど……」
楽くんは非常に複雑そうな顔をしていた。
「えみちゃんと歩夢は五歳も離れているんですよ? えみちゃんは五歳も年下婚約者なんて、嫌じゃないでしょうか」
話を聞いていた私と知乃は、笑ってしまった。
「五歳年下婚約者でも、ちゃんと恋愛出来るわ。私と征士くんが実例」
「そうよ。決められた年下婚約者でも恋愛出来ること、私と航平くんも証明しているわ。いいじゃない、年下婚約者。私とお母様が保証するわ」
楽くんは、まだ戸惑ったまま。
「そういうものですか……?」
「そういうものよ。きっと、大丈夫」
きっと素敵な予知姫と年下婚約者になるだろう。征士くんに話したら、やっぱり笑って同意していた。
「そうですね、五歳年下婚約者。大恋愛出来ますよ。月乃さんの言う通り、素敵な予知姫と年下婚約者になるでしょうね」
「征士くんもそう思うでしょう? えみちゃんと歩夢くんの子どもが生まれる頃には、多分ちーちゃんが昔夢で視た私と征士くんになっている予感がするわ」
私と征士くんが、老後仲良くしている予知夢。思い出したのか、征士くんは私を引き寄せた。頬にキスする。
「もう僕達おじいちゃんとおばあちゃんですよね。的中したんじゃないですか?」
「あら、まだ若い気でいたのに。気が早いわよ」
まだあの予知夢には早い気がする。ちょっぴり抗議の意味を込めて、軽く征士くんの黒髪を引っ張った。
あの予知は、もう少し先の未来で実現するだろう。
「おねえさま。こんどのおたんじょうびプレゼントに、わたしのおむこさんのゆめをみて、どんなひとかおしえてくれるとうれしいな」
知乃はそう言われて、じっと夢乃を見つめ、微笑んだ。
「いいわよ。どんな人かしらね」
そして誕生日当日になり、ケーキを食べて、夢乃の好きな魔法少女物のグッズをプレゼントしてひとしきり盛り上がった後、知乃が夢乃に話していた。
「夢を視たわよ。学校の制服を着た夢ちゃんが、とても綺麗な、お人形さんみたいな男の人とキスしていたわ」
「なんだって?!」
声を荒らげたのは征士くんだった。
「知乃は跡継ぎだからずっと家にいるだろうけど……。可愛い夢乃を、嫁になんか行かせたくない!」
憤慨した様子の征士くん。父親として夢乃を可愛がっているから気持ちはわからなくもないけれど……。私がくすくす笑っていると、夢乃も嬉しそうに笑った。
「とてもきれいな、おにんぎょうさんみたいなひと? わあ、たのしみ。やさしいひとかな。きれいでやさしいひとだったらいいな」
──十数年後、夢乃は「とても綺麗な、お人形さんみたいな男の人」を家に連れてきた。
♦ ♦ ♦
「大学をやめて働きたい?!」
大声を上げたのは父だ。勿論私も驚いた。多分この場にいる全員が驚いている。応接間の座卓の向こう側に並んで座った、夢乃と日高楽と名乗った男の子は項垂れている。
「夢乃……。お前は大学に入学したばかりじゃないか。どうしてやめるなんて言うんだ?」
「お祖父様……」
夢乃はしばらく下を向いていたが、意を決したように顔を上げた。
「私がお付き合いしている日高くんのお父様が経営している会社が倒産してしまいました。借金が残っています。返済するお手伝いをしたいんです」
揺らがない眼差しで全員を見渡す。ここにいるのは父と私と征士くん夫婦と知乃だ。知乃のお婿さんの航平くんは、二人の間に生まれた知枝未ちゃんと別室にいる。夢乃の横の日高くんが、口を開いた。
「俺……僕は、夢乃さんにそこまでしなくてもいいと言ったんですけど。僕が大学やめて働けばいい話ですし」
「何言っているのよ。弟さん、せめて高等部卒業させてあげたいって言っていたでしょう。日高くんの働きだけじゃ、足りないに違いないわ」
相当夢乃は、日高くんのことが好きなのだろう。日高くんを眺めてみる。とても綺麗な、西洋人形みたいな男の子だ。白い陶器のような肌に、青色と緑色の中間のような不思議な色の瞳。そんな瞳が憂いの感情を浮かべている。
「ともかく」
父が二人の言い合いの中に割って入った。
「夢乃と付き合っているならば、ええと、日高楽くんといったかな。きみのことを調べさせてもらう。取り敢えず話はそれからだ」
──確かに夢乃と付き合っているならば、日高くんの『資質』を調べなければならないだろう。何を調べるのかわからないといった風情の日高くんを帰宅させ、父は調査を始めた。
調べた結果は信じられないようなものだった。父は日高くんを呼び寄せた。再び応接間で夢乃と日高くんが正座している。
「日高くん。調べてみたら──きみはとんでもない程の『資質』の持ち主だった。ほぼ征士くんと同等。夢乃と付き合っているならば、すぐにでもうちに婿に入って欲しい。婿に来てもらえるならばきみのところの借金は肩代わりするし、きみや弟さんの学費援助、お父さんがまた事業を起こす資金援助もしてもいい。ただし婿入りしないならば、夢乃と別れてもらいたい。どうだろう」
父の言葉に、日高くんは面食らったようだった。それはそうだろう。いきなり婿入りを持ちかけられて、狼狽しないはずはない。
「え……。婿入り、ですか? 夢乃さんから、お姉さんがお婿さんを迎えたって聞きましたが……。僕、まで?」
「そうだ。婿入りでないと、夢乃との交際を認められない。きみ程の『資質』の人間は滅多にいない。日高くん、考えてみてくれ」
日高くんは沈黙した。綺麗な顔には先日の憂いよりも、困惑の感情が浮かべられている。
随分黙った後、日高くんは躊躇いながら言った。
「よくわかりませんが……。婿に入らないと、夢乃さんと付き合ってはいけないんですか?」
父は深く頷いた。
「その通りだ。婿入りでなければ、すぐに夢乃と別れてくれ。婿に入ってくれたときには全て事情を話す。どうかな?」
「…………」
また日高くんは黙り込んだ。大分悩んでいるようだ。夢乃が心配そうに日高くんを見ている。
「少し……考えさせてください……」
最後に呟くようにそう言って、日高くんは帰っていった。
♦ ♦ ♦
日高くんが、征士くんと同等の『資質』の持ち主とは思わなかったのだろう。夢乃はすっかり沈み込んでいた。
「楽くん……。どこまで運が悪いの……?」
気がかりで、夢乃の自室を覗き込もうとした時に聞こえた声。私が扉をノックして開けると、夢乃は沈痛な面持ちで飾ってある油絵を見つめていた。油絵に描かれているのは、夢乃が笑っている姿。母として、夢乃にはこう笑っていて欲しい。
「この絵……上手ね」
私が感想を述べると、夢乃がこちらを向いた。
「楽くんが……日高くんが、わざわざ私のこと描いてくれたんです。日高くんは以前から運が悪くて……。いつも助けてあげたいって思っていました。助けてあげたい気持ちが恋なんて、最初は気付かなかったんですけれど……。私は日高くんが大好きです。お母様、お別れすることになったらどうしましょう……」
夢乃の大きな瞳から、涙が一粒こぼれ落ちた。私は夢乃を抱きしめた。
「夢乃がそんなに想っているならば、日高くんだってきっとあなたのことを想っているわ。婿入りも考えてくれる。信じてあげなさい」
「お母様……」
征士くんに似た美貌が悲しみに染まっている。夢乃の長い黒髪を撫でて、私に出来る精一杯の気持ちで慰めた。
♦ ♦ ♦
数日後。日高くんは覚悟を決めたように我が家へやってきた。顔立ちは女の子のようだけれど、表情は男の子そのもの。きっぱりと言い切った。
「婿入り、します。夢乃さんと別れたくありません。実家の跡取りは弟に頼みました。借金などは肩代わりでなく貸してください。必ず働いてお返しします」
何て素晴らしい決意だろう。さすが、夢乃が恋した男の子だけあって潔い。婿入り事情なんて知らないのに。心底感心した。
「そうか、こちらの要求を受け入れてくれて感謝する。日高くん……楽くん。すぐにでも結婚してくれ。お金は貸そう。大学に通いながら、虹川系列の会社で働くと良い。征士くん、航平くんの下で働いてくれ」
「わかりました。僕に出来る限りの力で頑張ります。よろしくお願いします」
日高くんは深々頭を下げた。夢乃は涙ぐんでいる。
「楽くん……ありがとう。本当にありがとう。私と別れたくないって言ってくれて嬉しいわ。私も別れたくなかった。結婚、しましょう。私も働いて、一緒にお金を返すわ」
「夢乃……」
日高くん……楽くんが、夢乃の手を握った。好き合っている二人が別れることにならなくて良かった。私も楽くんに頭を下げた。
「楽くん。婿入りを決心してくれて、私からもお礼を言うわ。どうもありがとう。夢乃とずっと仲良くしてね」
「はい。ずっとずっと仲良くします。夢乃さんにも苦労させてしまいますが、その分愛します。これからよろしくお願いいたします」
綺麗な、西洋人形のような顔に男らしさを滲ませて、楽くんは笑った。
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その後、夢乃の誕生日、六月十四日に二人は結婚式を挙げた。ウェディングドレスを作るのはもったいないと、夢乃は私のお下がりを多少サイズ調整して着た。うちうちの小さな式。それでも二人は幸せそうだった。
皆、ご祝儀は弾んだ。少しでも、二人の助けになりたい気持ちは皆同じだ。二人は式の後、近場の温泉に二泊三日で新婚旅行をした後、帰ってきた。
婿入りして虹川楽くんになった彼は、予知夢のことを聞いて、ものすごく驚いたようだった。
「高等部の時から、夢乃さんが『夢占い』と言って色々助けてくれましたが……予知夢、なんて何だか信じられません」
夢乃……そんなことをしていたのか。まあ気持ちはわかる。好きな男の子が困っていたら、助けてしまうだろう。
それから二人は大学に通いながら、懸命に働いた。夢乃は予知夢の能力を生かして、株取引も始めたようだ。働きながらも、夢乃も楽くんも、愛し合っているのがよくわかった。二人とも、いつもお互いを気遣っている。
「疲れていないか? 夢乃」
「平気よ。楽くんこそ私より働いて……大丈夫?」
「大丈夫だ。気にするな」
徐々に借金を返している生活の中、夢乃は妊娠した。私と同じ体質らしく、つわりはないようだ。
「妊娠中なのに、無理して働かなくても……」
「あら、妊娠中、お母様だって働いていたって言っていたわ。心配しないで」
確かに私も働いていた。でも夢乃は根を詰め過ぎているように思える。無理はしないで、と伝えると夢乃は微笑んだ。
「お母様まで……。今は株取引の方が順調ですから、そっちに専念するので、身体に負担はかかりませんよ。ありがとうございます」
段々大きくなっているお腹を撫でながら、夢乃は私にお礼を言った。
♦ ♦ ♦
出産予定日をやや過ぎて、夢乃と楽くんの子どもが生まれた。男の子だった。楽くんは必死に名前を考えていた。私にも相談してきた。
「夢乃から一文字もらいたいんです。夢乃の夢には昔から助けられてきました。夢の字を入れたいです」
私と楽くんは考え込む。ふと思いついた名前を口にした。
「歩夢なんてどうかしら。虹川歩夢。今まで二人が一生懸命人生を歩いてきたでしょう。これからもともに歩いていけるように、その証として」
私と征士くんも、ともに人生を歩いてきた。その思いを込めて言うと、楽くんは綺麗な色の瞳を細めた。
「すごくいい名前ですね。ありがとうございます。これからも夢乃と人生を歩いていきたい。虹川歩夢。そうします」
思いがけず、私が名付け親になってしまった。歩夢くんにも素敵な人生を歩いてもらいたい。夢乃も名前を喜んでくれた。
「お母様、良い名前を付けてくれてありがとうございます。きっと歩夢も良い人生を歩くでしょう。私達もずっと一緒に歩いていきます」
父は、女の子でなかったことが少し残念そうだったけれど、気を取り直したかのように歩夢くんの『資質』を調べていた。
結果、歩夢くんは比類なく素晴らしい『資質』を持っていたらしい。征士くんよりも、航平くんよりも、楽くんよりも抜きんでた『資質』。早速、知乃の娘の知枝未ちゃん──えみちゃんのお婿さん候補にした。
「従姉弟だから問題ないだろう?」
「それは、そうですけど……」
楽くんは非常に複雑そうな顔をしていた。
「えみちゃんと歩夢は五歳も離れているんですよ? えみちゃんは五歳も年下婚約者なんて、嫌じゃないでしょうか」
話を聞いていた私と知乃は、笑ってしまった。
「五歳年下婚約者でも、ちゃんと恋愛出来るわ。私と征士くんが実例」
「そうよ。決められた年下婚約者でも恋愛出来ること、私と航平くんも証明しているわ。いいじゃない、年下婚約者。私とお母様が保証するわ」
楽くんは、まだ戸惑ったまま。
「そういうものですか……?」
「そういうものよ。きっと、大丈夫」
きっと素敵な予知姫と年下婚約者になるだろう。征士くんに話したら、やっぱり笑って同意していた。
「そうですね、五歳年下婚約者。大恋愛出来ますよ。月乃さんの言う通り、素敵な予知姫と年下婚約者になるでしょうね」
「征士くんもそう思うでしょう? えみちゃんと歩夢くんの子どもが生まれる頃には、多分ちーちゃんが昔夢で視た私と征士くんになっている予感がするわ」
私と征士くんが、老後仲良くしている予知夢。思い出したのか、征士くんは私を引き寄せた。頬にキスする。
「もう僕達おじいちゃんとおばあちゃんですよね。的中したんじゃないですか?」
「あら、まだ若い気でいたのに。気が早いわよ」
まだあの予知夢には早い気がする。ちょっぴり抗議の意味を込めて、軽く征士くんの黒髪を引っ張った。
あの予知は、もう少し先の未来で実現するだろう。
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