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特別編
すずらん
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※本編50話と51話の間のお話です。
まだ月乃が二十三歳、征士が十八歳の高等部三年生です。
『月乃さん。五月一日はお仕事お休みにしてくださいね』
夫になったばかりの征士くんからのお願い。新婚旅行から帰ってきてすぐにもかかわらず、また私は仕事のお休みの申請をしてしまった。
──五月一日は私の誕生日だ。お祝いしてくれるのかしら……。
私は征士くんより五歳も年上、二十三歳の誕生日だけど、彼が祝ってくれるなら嬉しい。誕生日を楽しみに待つことにした。
♦ ♦ ♦
五月一日。気持ちの良い晴れだ。暑くもなく寒くもなく、気温もちょうど良い。それだけでも五月生まれに感謝する。
「お誕生日おめでとうございます、月乃さん。今年は外でお祝いしましょう。頼んでいるんです」
「頼んでいる?」
「行ってからのお楽しみです」
ふふ、と征士くんは微笑む。私の為に何か準備してくれているらしい。
「じゃあ、ちょっとお洒落しないとね」
外出するなら、若く見えるような可愛い服装でないと、高等部生の征士くんとは釣り合わないだろう。クローゼットの前で考え込む。
「これにしようかしら……」
この間買ったばかりのワンピース。ギンガムチェックの上に花模様のデザインで、付属のサテンリボンをウエストに巻いて蝶結びにしたら可愛いかもしれない。
ワンピースを試しに着てみると、後ろから征士くんが緋色のカーディガンを羽織らせてくれた。
「この方が似合いますよ」
「緋色って少し派手じゃない?」
「そんなことありません。ワンピースと合っています」
後、あんまり身体を冷やして欲しくないですし……呟く彼の言葉に疑問を持ちながら鏡を覗き込んだ。
「あ、本当ね。ワンピースと色が合っているわ」
鮮やかな色が、好ましいアクセントになっている。征士くんはセンスも良い。
彼も着替えてきた。……長袖ギンガムチェックシャツ。
「……ギンガムチェック……。何もお揃いにしなくても……」
「仲良しっぽくていいじゃないですか」
臆面もなく言ってのける征士くん。私は少し恥ずかしいけれど……まあ新婚だし、色合いも少々違うし、これくらいのお揃いなら許容範囲だ。
化粧も済ませて外出の用意が出来た。征士くんと車に乗り込む。
私達が何も言わなくても、車は走り出した。予め、行き先を征士くんが伝えていたようだ。
窓から見える街路樹の緑が目に眩しい。五月だなあ、としみじみ感じる。
「月乃さん。体調が悪いとかはないですか?」
隣に座る征士くんが唐突に尋ねてきた。
「え? 別に何ともないけれど……。体調悪そうに見えるの?」
「いえ、何ともないならいいんです」
化粧したけれど、私、顔色でも悪いかしら……。いつにも増して過保護な征士くんを不思議に思った。
着いたところは、アイボリーの壁、ライトブラウンの屋根の可愛らしい洋菓子屋さんだった。ふと看板を見上げる。
【パティスリーフカミ】
「フカミ……って、ええっ?! まさか、深見くんのところ?」
「実はそうなんです。あいつの家、いくつか支店のある洋菓子屋を経営していて、跡継ぎで。今日は月乃さんの為に、特注ケーキを頼んだんです」
頼んだとはそういうことか。深見くんの家が洋菓子屋さんとは初めて聞いたので、とても驚いた。
「へえ……。深見くんのおうち、洋菓子屋さんなのね。何だか意外ね」
「そうですね、僕も最初に聞いたときはびっくりしました。まあ、立ち話もなんですし、中へ入りましょう」
木枠の扉を開けて、店内へ入る。売店の店員さん達が「いらっしゃいませ」と感じの良い笑顔で出迎えてくれた。
「予約していた虹川ですけど」
「虹川様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
カフェスペースへ案内された。眺めの良い窓際席だ。わざわざ「ご予約席」プレートまで乗せられている。
「ただいま深見を呼んでまいります。少々お待ちくださいませ」
プレートを取って、店員さんは店の奥に行った。すぐに深見くんが来た。
「お誕生日おめでとうございます、虹川先輩」
「ありがとう。深見くんの家が洋菓子屋さんなんて、知らなかったわ」
しかも結構広い洋菓子店だ。売店も場所をゆったり使っていて、カフェスペースも二十卓程ある。窓が多く明るい雰囲気で、ところどころに趣味の良い観葉植物も置いてあった。
「素敵なお店ね」
「褒めてくれてありがとうございます。でもここ、支店なんですよね。本店よりは小さいです」
控え目に深見くんは言った。彼の服装は調理服。……もしかして。
「えっと、ひょっとして……。征士くんが頼んだ特注ケーキって、深見くんが作ってくれたの?」
「はい。ナッペ終わったばかりです。仕上げだけ見てもらおうと思って」
深見くんはガラス張り実演コーナーへ誘ってくれた。取り出したのは、すごく綺麗にクリームが塗ってある四号サイズケーキ。「見ていてくださいね」と彼は絞り袋を手にした。
「わあ、上手~!」
大きさ均等なローズバット絞り。「薔薇のつぼみ」をイメージしたそれは、基本的な絞り方だけど、なかなか難しい。
生クリームを絞った後は、飾り切りの苺やキウイ、りんごやパイナップルなど美しく盛り合わせていく。深見くんはにやりと笑った。
「おい、メッセージ何て書く?」
「言っておいただろ」
「結構難しいんだよな~」
文句を言いながらも、楽しそうにクッキーに文字を書く。文字は私からは死角になっていて見えない。
クッキーを最後に乗せて、深見くんは実演コーナーから出てきた。
「お待たせしました、虹川先輩。お席にどうぞ」
促されて席に戻ると、店員さんが紅茶を用意してくれた。
深見くんが差し出してくれたケーキは、とっても綺麗なデコレーションケーキ。彼にこんな特技があったとは思いも寄らなかった。
深見くんは大きな声を響かせた。
「お客様に、今日がお誕生日の方がいらっしゃいます。よろしければ、歌を歌ってお祝いしましょう」
カフェスペースにちらほらいたお客さん、売店にいたお客さん、店員さんが一斉に私を見た。皆が頷く。
「それでは皆様で歌いましょう! お誕生日の方のお名前は『月乃』です」
深見くんが音頭を取って、その場にいた全員が私の名前入りで歌ってくれた。歌が終わってからも、拍手して祝福してくれる。
恥ずかしいけれど、嬉しかった。知らない人にも「おめでとう!」と祝ってもらえる誕生日は初めてだ。
「ありがとうございます」
皆に頭を下げると、ますます拍手してくれた。
改めてケーキを見る。クッキーには「Happy Birthday」とチョコペンで書かれた下に「最愛の月乃さんへ」と記してあった。
「メッセージ……これ」
「ああ、僕が深見に頼んだやつです」
「まだ俺見習いだから、画数多いの、大変だったんだぜ~」
「『最愛の』だもんな~」深見くんがからかうように言った。そう言いながらも、流麗な文字だ。
「ありがとう、深見くん。すごく器用ね。……『最愛』の文字ごめんね」
知られていても、書かれるのは恥ずかしい。征士くんは露わにしすぎだ。
「あははっ! お礼は『最愛の』虹川に言ってやってください。俺は頼まれただけなので」
私は照れながらも、二人に笑顔を向けた。
「征士くん、深見くん、お祝いしてくれてありがとう。こんなに素敵な誕生日、初めてだわ」
切り分けてもらって、ケーキを食べた。
「わ、美味しい~! 私が作るのより断然美味しいわ」
スポンジの中は、惜しげもなく使われた甘酸っぱい苺。生クリームの程良い甘さと絶妙に合っている。
「そんなことありませんよ。月乃さんが作るケーキが一番です」
「お前もずっと変わらないな~。結婚しても、婚約者のときみたいだ。虹川先輩が一番なところ、変わらないなあ」
色々あったな、と思い出に浸るような深見くんの表情。確かに色々あった。深見くんにはたくさんお世話になった。
「ずっと深見くんのお世話になっちゃってるわね。これからもよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします。っと、睨んでくる奴がいるから、俺は退散しま~す」
おどけて深見くんは去っていった。私はくすくす笑った。
「征士くん。親友を睨まなくてもいいじゃない」
「誰が親友ですか。あんな奴、悪友で充分です。余計なことばかり言って」
「またそんな風に……。深見くんの腕を信用しているから、来たんでしょう」
征士くんは不機嫌そうな顔のまま、ケーキを食べている。
「まあ……味は信用していますけど。高等部一年の文化祭のとき、ガトーショコラ作ったの、深見なんです」
私は瞠目した。文化祭のとき食べたけれど、てっきりどこかで買ってきたケーキかと思っていた。それくらい美味しかった。高等部一年生の男子が作ったとは、誰が思うだろう。
「もう、深見の話はいいでしょう。今日は月乃さんの誕生日です。改めておめでとうございます」
征士くんは外に停めてある車に戻って、大きな箱を持ってきた。
「五月一日にちなんだプレゼントです。生花ではありませんが……」
箱を受け取り開けてみる。すずらんの花束が入っていた。
「今日にちなんだプレゼント? すずらん綺麗だけど……アートフラワー?」
「よくご存じですね。高級造花……アートフラワーです。最初は生花にしようかと思ったんですけど、形に残したくて」
大きな箱いっぱいに入ったすずらんのアートフラワー。香りもつけてあるのか、良い匂いがする。
「フランスでは、五月一日に愛する人へすずらんを贈る習慣があるそうです。すずらんを贈られた人には、幸福が訪れるそうですよ」
鈴なりの白い花を触ってみる。本物ではないけれど、愛らしい小さな花々に笑みがこぼれる。
「愛する人へ贈る習慣なんてロマンティックね。綺麗なすずらん、どうもありがとう。どんな幸福が訪れるかしら」
「僕には何となくわかります」
「あら、占い師みたいなことを言うわね……。予知夢でもあるまいし」
征士くんは本当に未来がわかるような、謎めいた眼差しを向けてきた。……何かしら? 予知夢を視る私にもわからないことを、知っている感じがする。
「じゃあ、ケーキも食べ終わりましたし、もう帰りましょうか」
「そうね。深見くんにお礼を言って、帰りましょう」
深見くんは売店にいた。二人で近寄る。
「もう帰るのか? もっと、ゆっくりしていってもいいんだぞ」
「早く月乃さんと二人きりになりたいからな。お前もいい人探せよ」
「惚気やがって」
じゃれあう男の子達は、やっぱり親友にしか見えない。年相応の征士くんの姿に、くすりと笑う。なかなか見られない、ありのまま十八歳の姿も生き生きしていて良い。私はプレゼントしてもらったアートフラワーを一本抜き出した。
「今日はありがとう、深見くん。とっても美味しいケーキだったわ。これ、征士くんからもらったんだけど、お裾分け。深見くんに良いことがありますように」
手渡すと「ありがとうございます」と笑って受け取ってくれた。……またちょっと、征士くんが深見くんを睨んでいる。
「僕が月乃さんへ贈ったすずらんなのに……!」
「いいじゃない。深見くんにも幸福が訪れると、私も嬉しいわ」
征士くんを宥めて、深見くんに笑いかける。──ずっとこの二人の友情が続くよう願った。
♦ ♦ ♦
帰り際、お花屋さんに寄ってすずらんを買った。家へ帰って、キスとともに征士くんへ贈った。
それからすぐ。妊娠していることがわかった。やたら私のことを気遣っていた征士くんの理由もわかった。
「妊娠していること、見通していたのね」
「知っていた訳じゃないですよ。そうかもしれないな、程度です」
何にせよ、私達には幸福が訪れた。すずらんがくれた幸福。
深見くんの予知夢も視た。後姿だったけれど、純白のウェディングドレスを着た花嫁さんと腕を組んでいた。
すずらんが皆に幸福を運んでくれることをお祈りする。
アートフラワーが、お腹の大きい私と、隣に座って肩を抱いている征士くんを見守っていた。
まだ月乃が二十三歳、征士が十八歳の高等部三年生です。
『月乃さん。五月一日はお仕事お休みにしてくださいね』
夫になったばかりの征士くんからのお願い。新婚旅行から帰ってきてすぐにもかかわらず、また私は仕事のお休みの申請をしてしまった。
──五月一日は私の誕生日だ。お祝いしてくれるのかしら……。
私は征士くんより五歳も年上、二十三歳の誕生日だけど、彼が祝ってくれるなら嬉しい。誕生日を楽しみに待つことにした。
♦ ♦ ♦
五月一日。気持ちの良い晴れだ。暑くもなく寒くもなく、気温もちょうど良い。それだけでも五月生まれに感謝する。
「お誕生日おめでとうございます、月乃さん。今年は外でお祝いしましょう。頼んでいるんです」
「頼んでいる?」
「行ってからのお楽しみです」
ふふ、と征士くんは微笑む。私の為に何か準備してくれているらしい。
「じゃあ、ちょっとお洒落しないとね」
外出するなら、若く見えるような可愛い服装でないと、高等部生の征士くんとは釣り合わないだろう。クローゼットの前で考え込む。
「これにしようかしら……」
この間買ったばかりのワンピース。ギンガムチェックの上に花模様のデザインで、付属のサテンリボンをウエストに巻いて蝶結びにしたら可愛いかもしれない。
ワンピースを試しに着てみると、後ろから征士くんが緋色のカーディガンを羽織らせてくれた。
「この方が似合いますよ」
「緋色って少し派手じゃない?」
「そんなことありません。ワンピースと合っています」
後、あんまり身体を冷やして欲しくないですし……呟く彼の言葉に疑問を持ちながら鏡を覗き込んだ。
「あ、本当ね。ワンピースと色が合っているわ」
鮮やかな色が、好ましいアクセントになっている。征士くんはセンスも良い。
彼も着替えてきた。……長袖ギンガムチェックシャツ。
「……ギンガムチェック……。何もお揃いにしなくても……」
「仲良しっぽくていいじゃないですか」
臆面もなく言ってのける征士くん。私は少し恥ずかしいけれど……まあ新婚だし、色合いも少々違うし、これくらいのお揃いなら許容範囲だ。
化粧も済ませて外出の用意が出来た。征士くんと車に乗り込む。
私達が何も言わなくても、車は走り出した。予め、行き先を征士くんが伝えていたようだ。
窓から見える街路樹の緑が目に眩しい。五月だなあ、としみじみ感じる。
「月乃さん。体調が悪いとかはないですか?」
隣に座る征士くんが唐突に尋ねてきた。
「え? 別に何ともないけれど……。体調悪そうに見えるの?」
「いえ、何ともないならいいんです」
化粧したけれど、私、顔色でも悪いかしら……。いつにも増して過保護な征士くんを不思議に思った。
着いたところは、アイボリーの壁、ライトブラウンの屋根の可愛らしい洋菓子屋さんだった。ふと看板を見上げる。
【パティスリーフカミ】
「フカミ……って、ええっ?! まさか、深見くんのところ?」
「実はそうなんです。あいつの家、いくつか支店のある洋菓子屋を経営していて、跡継ぎで。今日は月乃さんの為に、特注ケーキを頼んだんです」
頼んだとはそういうことか。深見くんの家が洋菓子屋さんとは初めて聞いたので、とても驚いた。
「へえ……。深見くんのおうち、洋菓子屋さんなのね。何だか意外ね」
「そうですね、僕も最初に聞いたときはびっくりしました。まあ、立ち話もなんですし、中へ入りましょう」
木枠の扉を開けて、店内へ入る。売店の店員さん達が「いらっしゃいませ」と感じの良い笑顔で出迎えてくれた。
「予約していた虹川ですけど」
「虹川様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
カフェスペースへ案内された。眺めの良い窓際席だ。わざわざ「ご予約席」プレートまで乗せられている。
「ただいま深見を呼んでまいります。少々お待ちくださいませ」
プレートを取って、店員さんは店の奥に行った。すぐに深見くんが来た。
「お誕生日おめでとうございます、虹川先輩」
「ありがとう。深見くんの家が洋菓子屋さんなんて、知らなかったわ」
しかも結構広い洋菓子店だ。売店も場所をゆったり使っていて、カフェスペースも二十卓程ある。窓が多く明るい雰囲気で、ところどころに趣味の良い観葉植物も置いてあった。
「素敵なお店ね」
「褒めてくれてありがとうございます。でもここ、支店なんですよね。本店よりは小さいです」
控え目に深見くんは言った。彼の服装は調理服。……もしかして。
「えっと、ひょっとして……。征士くんが頼んだ特注ケーキって、深見くんが作ってくれたの?」
「はい。ナッペ終わったばかりです。仕上げだけ見てもらおうと思って」
深見くんはガラス張り実演コーナーへ誘ってくれた。取り出したのは、すごく綺麗にクリームが塗ってある四号サイズケーキ。「見ていてくださいね」と彼は絞り袋を手にした。
「わあ、上手~!」
大きさ均等なローズバット絞り。「薔薇のつぼみ」をイメージしたそれは、基本的な絞り方だけど、なかなか難しい。
生クリームを絞った後は、飾り切りの苺やキウイ、りんごやパイナップルなど美しく盛り合わせていく。深見くんはにやりと笑った。
「おい、メッセージ何て書く?」
「言っておいただろ」
「結構難しいんだよな~」
文句を言いながらも、楽しそうにクッキーに文字を書く。文字は私からは死角になっていて見えない。
クッキーを最後に乗せて、深見くんは実演コーナーから出てきた。
「お待たせしました、虹川先輩。お席にどうぞ」
促されて席に戻ると、店員さんが紅茶を用意してくれた。
深見くんが差し出してくれたケーキは、とっても綺麗なデコレーションケーキ。彼にこんな特技があったとは思いも寄らなかった。
深見くんは大きな声を響かせた。
「お客様に、今日がお誕生日の方がいらっしゃいます。よろしければ、歌を歌ってお祝いしましょう」
カフェスペースにちらほらいたお客さん、売店にいたお客さん、店員さんが一斉に私を見た。皆が頷く。
「それでは皆様で歌いましょう! お誕生日の方のお名前は『月乃』です」
深見くんが音頭を取って、その場にいた全員が私の名前入りで歌ってくれた。歌が終わってからも、拍手して祝福してくれる。
恥ずかしいけれど、嬉しかった。知らない人にも「おめでとう!」と祝ってもらえる誕生日は初めてだ。
「ありがとうございます」
皆に頭を下げると、ますます拍手してくれた。
改めてケーキを見る。クッキーには「Happy Birthday」とチョコペンで書かれた下に「最愛の月乃さんへ」と記してあった。
「メッセージ……これ」
「ああ、僕が深見に頼んだやつです」
「まだ俺見習いだから、画数多いの、大変だったんだぜ~」
「『最愛の』だもんな~」深見くんがからかうように言った。そう言いながらも、流麗な文字だ。
「ありがとう、深見くん。すごく器用ね。……『最愛』の文字ごめんね」
知られていても、書かれるのは恥ずかしい。征士くんは露わにしすぎだ。
「あははっ! お礼は『最愛の』虹川に言ってやってください。俺は頼まれただけなので」
私は照れながらも、二人に笑顔を向けた。
「征士くん、深見くん、お祝いしてくれてありがとう。こんなに素敵な誕生日、初めてだわ」
切り分けてもらって、ケーキを食べた。
「わ、美味しい~! 私が作るのより断然美味しいわ」
スポンジの中は、惜しげもなく使われた甘酸っぱい苺。生クリームの程良い甘さと絶妙に合っている。
「そんなことありませんよ。月乃さんが作るケーキが一番です」
「お前もずっと変わらないな~。結婚しても、婚約者のときみたいだ。虹川先輩が一番なところ、変わらないなあ」
色々あったな、と思い出に浸るような深見くんの表情。確かに色々あった。深見くんにはたくさんお世話になった。
「ずっと深見くんのお世話になっちゃってるわね。これからもよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします。っと、睨んでくる奴がいるから、俺は退散しま~す」
おどけて深見くんは去っていった。私はくすくす笑った。
「征士くん。親友を睨まなくてもいいじゃない」
「誰が親友ですか。あんな奴、悪友で充分です。余計なことばかり言って」
「またそんな風に……。深見くんの腕を信用しているから、来たんでしょう」
征士くんは不機嫌そうな顔のまま、ケーキを食べている。
「まあ……味は信用していますけど。高等部一年の文化祭のとき、ガトーショコラ作ったの、深見なんです」
私は瞠目した。文化祭のとき食べたけれど、てっきりどこかで買ってきたケーキかと思っていた。それくらい美味しかった。高等部一年生の男子が作ったとは、誰が思うだろう。
「もう、深見の話はいいでしょう。今日は月乃さんの誕生日です。改めておめでとうございます」
征士くんは外に停めてある車に戻って、大きな箱を持ってきた。
「五月一日にちなんだプレゼントです。生花ではありませんが……」
箱を受け取り開けてみる。すずらんの花束が入っていた。
「今日にちなんだプレゼント? すずらん綺麗だけど……アートフラワー?」
「よくご存じですね。高級造花……アートフラワーです。最初は生花にしようかと思ったんですけど、形に残したくて」
大きな箱いっぱいに入ったすずらんのアートフラワー。香りもつけてあるのか、良い匂いがする。
「フランスでは、五月一日に愛する人へすずらんを贈る習慣があるそうです。すずらんを贈られた人には、幸福が訪れるそうですよ」
鈴なりの白い花を触ってみる。本物ではないけれど、愛らしい小さな花々に笑みがこぼれる。
「愛する人へ贈る習慣なんてロマンティックね。綺麗なすずらん、どうもありがとう。どんな幸福が訪れるかしら」
「僕には何となくわかります」
「あら、占い師みたいなことを言うわね……。予知夢でもあるまいし」
征士くんは本当に未来がわかるような、謎めいた眼差しを向けてきた。……何かしら? 予知夢を視る私にもわからないことを、知っている感じがする。
「じゃあ、ケーキも食べ終わりましたし、もう帰りましょうか」
「そうね。深見くんにお礼を言って、帰りましょう」
深見くんは売店にいた。二人で近寄る。
「もう帰るのか? もっと、ゆっくりしていってもいいんだぞ」
「早く月乃さんと二人きりになりたいからな。お前もいい人探せよ」
「惚気やがって」
じゃれあう男の子達は、やっぱり親友にしか見えない。年相応の征士くんの姿に、くすりと笑う。なかなか見られない、ありのまま十八歳の姿も生き生きしていて良い。私はプレゼントしてもらったアートフラワーを一本抜き出した。
「今日はありがとう、深見くん。とっても美味しいケーキだったわ。これ、征士くんからもらったんだけど、お裾分け。深見くんに良いことがありますように」
手渡すと「ありがとうございます」と笑って受け取ってくれた。……またちょっと、征士くんが深見くんを睨んでいる。
「僕が月乃さんへ贈ったすずらんなのに……!」
「いいじゃない。深見くんにも幸福が訪れると、私も嬉しいわ」
征士くんを宥めて、深見くんに笑いかける。──ずっとこの二人の友情が続くよう願った。
♦ ♦ ♦
帰り際、お花屋さんに寄ってすずらんを買った。家へ帰って、キスとともに征士くんへ贈った。
それからすぐ。妊娠していることがわかった。やたら私のことを気遣っていた征士くんの理由もわかった。
「妊娠していること、見通していたのね」
「知っていた訳じゃないですよ。そうかもしれないな、程度です」
何にせよ、私達には幸福が訪れた。すずらんがくれた幸福。
深見くんの予知夢も視た。後姿だったけれど、純白のウェディングドレスを着た花嫁さんと腕を組んでいた。
すずらんが皆に幸福を運んでくれることをお祈りする。
アートフラワーが、お腹の大きい私と、隣に座って肩を抱いている征士くんを見守っていた。
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