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番外編 Side:虹川月乃
前編 結婚記念日
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私は三十二歳。夫の征士くんは二十七歳。
五歳年下夫は、社会人になってから、頼り甲斐のある、ますます格好良い男性になっている。
もうこの歳になると、見た目でもあまり年下だのなんだのと言われることはない。征士くんが大人っぽい美形になっているからだ。
歳の釣り合いはいいけれど……容姿平凡な私が隣に並ぶと、それはそれで釣り合いが取れない気がする。
私は家以外で、征士くんと一緒にいることを避けた。私も彼も仕事が忙しい。はじめは気が付かれなかった。
ある日。征士くんの秘書の女性が訪ねてきた。いかにも仕事出来ますといった風情の、ドジな私と比較対象にならない、綺麗な女性だった。
征士くんの書斎で、仕事の打ち合わせをしているようだった。
私が紅茶を持って行くと、彼女が意味深長な、自信ありげな笑みを浮かべて私を見た。
「奥様、ですよね。虹川征士会長代理の秘書でございます。聞くところによると、随分強引な婚姻でしたとか。しかも最近では、夫婦仲があまり良くないとのお噂。実は私、独身でして……」
挑戦的な物言いに、征士くんが噛みついた。
「お前、何が言いたい!? 最近僕に、やたら言い寄ってくると思ったら……! 休日まで家に押しかけて、月乃さんになんてことを言うんだ! 僕は月乃さんを愛している。お前は僕の秘書から異動で、別の部署行きにしてやる!」
征士くんは秘書の女性を家から追い出し、私を抱き寄せた。
「申し訳ありません、月乃さん。嫌な思いをさせてしまいました。なんだか最近、僕に言い寄ってくる女性が多くて……。なんででしょう」
私と征士くんが仕事が忙しいせい。すれ違っている。後は、私が征士くんを避けていること。隙が生まれている。
「征士くんが格好良いからだわ。私が相手じゃ見劣りする。さっきの秘書さんの方が、ずっと綺麗……」
「なんてこと言うんですか!」
征士くんは強く私を抱きしめた。
「月乃さん以上に綺麗な人なんていません。月乃さんを侮辱されるのは、許し難いです。多分、お互い最近忙しくて一緒にいられないから、そんな根も葉もない噂が……。いいですか、月乃さん」
「な、何かしら?」
「もうすぐ僕の誕生日でしょう? その日はお休みを取ってください。久しぶりにデートしましょう」
もう何年も、デートらしいお出かけはしていない。それに征士くんの誕生日、四月二日は結婚記念日だ。最近は一緒に外に出るのを躊躇っていたけれど……特別な日くらい、お出かけしても構わないだろう。
「わかったわ。有休いっぱいあるし、連休にするわ。どこに行こうかしら?」
「じゃあ僕に、デートコースを任せてください。『夫婦』らしく、仲良くお出かけしましょうね」
何故だか『夫婦』を強調されてしまった。
♦ ♦ ♦
四月二日になった。征士くんは二十八歳。
「お誕生日、おめでとう」
「ありがとう、月乃」
より一層、大人の魅力に輝いた征士くんに笑いかけられた。
え? あれ?
「え? 呼び捨て?」
前に一回、呼び捨ては断ったはずだ。呼び捨てと、敬語でない彼のしゃべり方は、色っぽ過ぎて心臓に悪い。
「特別な日くらいは、いいだろう? 『夫婦』みたいにさ」
『夫婦』らしく、とはそういうことか。
たまには新鮮でいい。デートっぽい。
「そうね。そういうしゃべり方も良いわ。特別、ね」
今日の私の服装は、オーガンジーレース素材のワンピースに、淡いパープルのカーディガン。娘達に、綺麗ねと言われた。
征士くんはスマートシルエットな、長袖ドレスシャツ。黒のパンツスタイル。黒を着ると、美形が際立って見える。
「今日は僕が運転する。二人っきりを楽しもうね」
私達は、娘二人をお手伝いさんの豊永さんに預けて、征士くんの運転する車で出かけた。征士くんの運転を見るのは初めてだ。上手だ。車線変更も右折も軽々こなす。征士くんだって、いつも送迎付きなのに、どうして運転が上手いんだろう。何でもそつなく出来る人だ。少し見惚れてしまった。運転姿も格好良い。
「着いたよ、月乃」
大きなホテルの駐車場に、車を停めた。
「ここのホテルでデート?」
「いや、ここは後でもう一度来る。先に近くのコンサートホールで、クラシックコンサートを聴こう」
クラシックコンサート? 私はあまり詳しくない。
「クラシックは、詳しくないんだけれど……」
「たまにはいいだろう? 僕もそんなに詳しいわけじゃないし。雰囲気だけでも楽しめればと思ってさ」
ホテルから少し歩いて、コンサートホールまで来た。入り口で、征士くんがチケットを見せる。開演までまだ時間があったので、バーコーナーで紅茶を頼んだ。征士くんはコーヒーだ。征士くんは、紅茶よりコーヒーの方が好きだと言っていた。家でも紅茶をよく飲む私の隣で、いつもコーヒーを飲んでいる。コーヒーベルト地域のコーヒーを、日替わりで楽しんでいるようだ。
大ホールに入ると、二階席もあり、一階席もバルコニー席が設けられてあった。私達は一階席の中央より、やや後方の席に座った。全体が見渡せる。
「ええっと、バルトーク、ブラームス、チャイコフスキーの『悲愴』……」
聴いたことがない曲目ばかりだ。しかし生でクラシックコンサートを聴けるのは、学校行事以来か。
結構楽しめた。バルトークは民族舞曲で、親しみやすかった。
ブラームスの曲は、友人との仲直りを表現したもので、ヴァイオリンとチェロの演奏が素晴らしかった。
休憩を挟んで、チャイコフスキーの交響曲第六番『悲愴』。休憩中に征士くんが、「人生について」という言葉が残っていると話してくれた。第四楽章まであるのに、第三楽章の終わりが華々しくて、皆で拍手してしまった。第四楽章が終わった後、征士くんに注意された。
「プログラムに、第四楽章まで聴いてから拍手してくださいって書いてあるよ」
「本当ね……」
でも私以外も、皆拍手していた。クラシックは難しい。
だけど、「人生について」は私なりに少しわかった気がする。人生は華々しいだけではない。終楽章のように緩やかな人生の終わりがいいと思った。
五歳年下夫は、社会人になってから、頼り甲斐のある、ますます格好良い男性になっている。
もうこの歳になると、見た目でもあまり年下だのなんだのと言われることはない。征士くんが大人っぽい美形になっているからだ。
歳の釣り合いはいいけれど……容姿平凡な私が隣に並ぶと、それはそれで釣り合いが取れない気がする。
私は家以外で、征士くんと一緒にいることを避けた。私も彼も仕事が忙しい。はじめは気が付かれなかった。
ある日。征士くんの秘書の女性が訪ねてきた。いかにも仕事出来ますといった風情の、ドジな私と比較対象にならない、綺麗な女性だった。
征士くんの書斎で、仕事の打ち合わせをしているようだった。
私が紅茶を持って行くと、彼女が意味深長な、自信ありげな笑みを浮かべて私を見た。
「奥様、ですよね。虹川征士会長代理の秘書でございます。聞くところによると、随分強引な婚姻でしたとか。しかも最近では、夫婦仲があまり良くないとのお噂。実は私、独身でして……」
挑戦的な物言いに、征士くんが噛みついた。
「お前、何が言いたい!? 最近僕に、やたら言い寄ってくると思ったら……! 休日まで家に押しかけて、月乃さんになんてことを言うんだ! 僕は月乃さんを愛している。お前は僕の秘書から異動で、別の部署行きにしてやる!」
征士くんは秘書の女性を家から追い出し、私を抱き寄せた。
「申し訳ありません、月乃さん。嫌な思いをさせてしまいました。なんだか最近、僕に言い寄ってくる女性が多くて……。なんででしょう」
私と征士くんが仕事が忙しいせい。すれ違っている。後は、私が征士くんを避けていること。隙が生まれている。
「征士くんが格好良いからだわ。私が相手じゃ見劣りする。さっきの秘書さんの方が、ずっと綺麗……」
「なんてこと言うんですか!」
征士くんは強く私を抱きしめた。
「月乃さん以上に綺麗な人なんていません。月乃さんを侮辱されるのは、許し難いです。多分、お互い最近忙しくて一緒にいられないから、そんな根も葉もない噂が……。いいですか、月乃さん」
「な、何かしら?」
「もうすぐ僕の誕生日でしょう? その日はお休みを取ってください。久しぶりにデートしましょう」
もう何年も、デートらしいお出かけはしていない。それに征士くんの誕生日、四月二日は結婚記念日だ。最近は一緒に外に出るのを躊躇っていたけれど……特別な日くらい、お出かけしても構わないだろう。
「わかったわ。有休いっぱいあるし、連休にするわ。どこに行こうかしら?」
「じゃあ僕に、デートコースを任せてください。『夫婦』らしく、仲良くお出かけしましょうね」
何故だか『夫婦』を強調されてしまった。
♦ ♦ ♦
四月二日になった。征士くんは二十八歳。
「お誕生日、おめでとう」
「ありがとう、月乃」
より一層、大人の魅力に輝いた征士くんに笑いかけられた。
え? あれ?
「え? 呼び捨て?」
前に一回、呼び捨ては断ったはずだ。呼び捨てと、敬語でない彼のしゃべり方は、色っぽ過ぎて心臓に悪い。
「特別な日くらいは、いいだろう? 『夫婦』みたいにさ」
『夫婦』らしく、とはそういうことか。
たまには新鮮でいい。デートっぽい。
「そうね。そういうしゃべり方も良いわ。特別、ね」
今日の私の服装は、オーガンジーレース素材のワンピースに、淡いパープルのカーディガン。娘達に、綺麗ねと言われた。
征士くんはスマートシルエットな、長袖ドレスシャツ。黒のパンツスタイル。黒を着ると、美形が際立って見える。
「今日は僕が運転する。二人っきりを楽しもうね」
私達は、娘二人をお手伝いさんの豊永さんに預けて、征士くんの運転する車で出かけた。征士くんの運転を見るのは初めてだ。上手だ。車線変更も右折も軽々こなす。征士くんだって、いつも送迎付きなのに、どうして運転が上手いんだろう。何でもそつなく出来る人だ。少し見惚れてしまった。運転姿も格好良い。
「着いたよ、月乃」
大きなホテルの駐車場に、車を停めた。
「ここのホテルでデート?」
「いや、ここは後でもう一度来る。先に近くのコンサートホールで、クラシックコンサートを聴こう」
クラシックコンサート? 私はあまり詳しくない。
「クラシックは、詳しくないんだけれど……」
「たまにはいいだろう? 僕もそんなに詳しいわけじゃないし。雰囲気だけでも楽しめればと思ってさ」
ホテルから少し歩いて、コンサートホールまで来た。入り口で、征士くんがチケットを見せる。開演までまだ時間があったので、バーコーナーで紅茶を頼んだ。征士くんはコーヒーだ。征士くんは、紅茶よりコーヒーの方が好きだと言っていた。家でも紅茶をよく飲む私の隣で、いつもコーヒーを飲んでいる。コーヒーベルト地域のコーヒーを、日替わりで楽しんでいるようだ。
大ホールに入ると、二階席もあり、一階席もバルコニー席が設けられてあった。私達は一階席の中央より、やや後方の席に座った。全体が見渡せる。
「ええっと、バルトーク、ブラームス、チャイコフスキーの『悲愴』……」
聴いたことがない曲目ばかりだ。しかし生でクラシックコンサートを聴けるのは、学校行事以来か。
結構楽しめた。バルトークは民族舞曲で、親しみやすかった。
ブラームスの曲は、友人との仲直りを表現したもので、ヴァイオリンとチェロの演奏が素晴らしかった。
休憩を挟んで、チャイコフスキーの交響曲第六番『悲愴』。休憩中に征士くんが、「人生について」という言葉が残っていると話してくれた。第四楽章まであるのに、第三楽章の終わりが華々しくて、皆で拍手してしまった。第四楽章が終わった後、征士くんに注意された。
「プログラムに、第四楽章まで聴いてから拍手してくださいって書いてあるよ」
「本当ね……」
でも私以外も、皆拍手していた。クラシックは難しい。
だけど、「人生について」は私なりに少しわかった気がする。人生は華々しいだけではない。終楽章のように緩やかな人生の終わりがいいと思った。
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