45 / 124
本編
45 初仕事
しおりを挟む
卒業論文も無事提出し、一息ついた。石川県まで取材へ行ったのだ。評価には自信がある。
卒論さえ提出してしまえば、後はそんなに講義があるわけではない。そんな折、内定先の洋食店から連絡があった。
「急に退職者が何人も出たから、先に研修がてら、アルバイトですか?」
「他にもアルバイトの急募をしているんだが、なかなかいい人材がいなくてね」
「わかりました。大学の講義もほとんどないですし、正社員になる前に、仕事を教えてもらえれば嬉しいです」
来月初めから働きに行くことになった。働くことは初めてなので緊張する。
失敗して迷惑はかけないだろうか、お客様に失礼なことはしないだろうか、職場の人間関係は上手くいくだろうか。
「最初から誰も上手に働けませんよ。失敗しながら仕事は覚えていくんです」
征士くんにそう励まされ、サークルはしばらく休むことにして、仕事へ行った。
♦ ♦ ♦
職場のレストランへ行くと、制服を渡された。
「今日はホールでの接客を覚えてもらう。ランチタイムからは外れているから、ディナータイムまでにお冷の作り方や、出し方、備品の場所など覚えてくれ。もう少し後から、もう一人新人アルバイトが来るから一緒に覚えてくれ」
「はい。わかりました」
新人が自分だけでないのは何となく心強い。渡された制服は、白ブラウスに黒のベスト、同色のタイトスカート、蝶ネクタイだ。ストッキングと黒の靴は自前だ。
更衣室で着替えてから、職場の人達に紹介してもらう。皆、優しそうで、明るい雰囲気だった。
指導員がついてくれた。宮西さんという、比較的若い正社員の男性だ。
「虹川は、俺の後輩社員になるからよろしくな」
「こちらこそ、物覚えが悪いかもしれませんが、よろしくお願いします」
そこへもう一人の新人アルバイトだという人が現れた。既に制服に着替えていて、白ワイシャツ、黒のベスト、黒のパンツスタイルで蝶ネクタイは女性用よりも大きい。
「えっ?! ま……瀬戸くん?!」
「はい。こんにちは、虹川さん。新人アルバイトの瀬戸です」
「何だ、虹川。知り合いか?」
まさか、征士くんが職場まで来るとは……。
「……。はい。学校の、後輩です」
「そうか。知り合い同士なら仕事を教え合えるだろう。二人ともよろしくな。指導員の宮西だ」
その後征士くんは、宮西さんに職場の人達に紹介してもらっていた。私は隙を見て、征士くんに耳打ちした。
「ちょっと。来るなんて聞いていないわよ」
「バレンタインのとき、就職先が決まったら絶対行くって話したじゃないですか」
詭弁だ。私が職場で何かやらかさないか、過保護にも見にきたのだろう。
「じゃあ二人とも。お冷の作り方から教えるな。まず、ここにグラスがあるから、この氷のストッカーからグラスへ氷を入れて……」
宮西さんの指導が始まったので言われる通り必死で覚える。お冷とおしぼりをトレイに乗せて運ぶ練習もした。トレイは銀製なので、うっかりするとお冷が滑る。
私がもたもたと覚えているうちに、征士くんはしっかり備品の置き場所も、トレイでの運び方もマスターしてしまった。今は宮西さんにメニューとオーダーの取り方を教わっている。
「瀬戸は物覚えが早いな。ディナータイムにはオーダーも取ってもらえそうだ。虹川はまあまあだな。まずはお客様にお冷を出してみよう」
宮西さんにそう言われ、少し不貞腐れる。征士くんが頭がいいのも、要領がいいのも、よく知っている。敵わないのを承知の上で悔しいのだ。
とにかく教わった通り、お冷を作り、慎重にお客様へ運んだ。征士くんはその他にオーダーも取っていた。
ディナータイムは比較的空いた座席状況で、焦って失敗することはなかった。
時間になり、征士くんと仕事を上がる。お先に失礼しますと言ってお店を出た。
帰りがけ一緒に歩きながら、征士くんに文句を言った。
「まさか、私の職場まで来るなんて……。すごく驚いちゃったじゃない。どうしてアルバイトに来たの?」
「飲食店では指輪ははめられないので不安だったんです。それに僕、勉強はしていますけど、実際に働いたことはなかったですし。アルバイトして、お金を稼いでみたかったんです。ちゃんと学校にはアルバイトの許可を取りましたよ」
「……それにしたって、何も同じ職場じゃなくてもいいじゃない。他の勉強やサークルはどうするのよ」
仕事で先を越されているので、文句を連ねる。そんな気持ちが伝わったのか、征士くんは言った。
「経営学は実地で働くということで、話はまとまっています。虹川会長も月乃さんが働くことを心配していましたし、僕が時々見ていれば安心だと仰っていました。サークルは月乃さんがいないのでは行く意味がありません。僕は高等部生ですし、シフトにあまり入れませんから、月乃さんの方が早く仕事を覚えますよ」
順序立てて滔々と説明される。過保護だ。過保護すぎる。
「絶対に征士くんよりも先に、仕事を覚えるんだから!」
握り拳を作って宣言する。征士くんは可笑しそうに笑った。
「はい。是非先に仕事を覚えて、僕に教えてくださいね」
過保護な婚約者はしっかり夜道をともにして、私の家まで送っていった。
卒論さえ提出してしまえば、後はそんなに講義があるわけではない。そんな折、内定先の洋食店から連絡があった。
「急に退職者が何人も出たから、先に研修がてら、アルバイトですか?」
「他にもアルバイトの急募をしているんだが、なかなかいい人材がいなくてね」
「わかりました。大学の講義もほとんどないですし、正社員になる前に、仕事を教えてもらえれば嬉しいです」
来月初めから働きに行くことになった。働くことは初めてなので緊張する。
失敗して迷惑はかけないだろうか、お客様に失礼なことはしないだろうか、職場の人間関係は上手くいくだろうか。
「最初から誰も上手に働けませんよ。失敗しながら仕事は覚えていくんです」
征士くんにそう励まされ、サークルはしばらく休むことにして、仕事へ行った。
♦ ♦ ♦
職場のレストランへ行くと、制服を渡された。
「今日はホールでの接客を覚えてもらう。ランチタイムからは外れているから、ディナータイムまでにお冷の作り方や、出し方、備品の場所など覚えてくれ。もう少し後から、もう一人新人アルバイトが来るから一緒に覚えてくれ」
「はい。わかりました」
新人が自分だけでないのは何となく心強い。渡された制服は、白ブラウスに黒のベスト、同色のタイトスカート、蝶ネクタイだ。ストッキングと黒の靴は自前だ。
更衣室で着替えてから、職場の人達に紹介してもらう。皆、優しそうで、明るい雰囲気だった。
指導員がついてくれた。宮西さんという、比較的若い正社員の男性だ。
「虹川は、俺の後輩社員になるからよろしくな」
「こちらこそ、物覚えが悪いかもしれませんが、よろしくお願いします」
そこへもう一人の新人アルバイトだという人が現れた。既に制服に着替えていて、白ワイシャツ、黒のベスト、黒のパンツスタイルで蝶ネクタイは女性用よりも大きい。
「えっ?! ま……瀬戸くん?!」
「はい。こんにちは、虹川さん。新人アルバイトの瀬戸です」
「何だ、虹川。知り合いか?」
まさか、征士くんが職場まで来るとは……。
「……。はい。学校の、後輩です」
「そうか。知り合い同士なら仕事を教え合えるだろう。二人ともよろしくな。指導員の宮西だ」
その後征士くんは、宮西さんに職場の人達に紹介してもらっていた。私は隙を見て、征士くんに耳打ちした。
「ちょっと。来るなんて聞いていないわよ」
「バレンタインのとき、就職先が決まったら絶対行くって話したじゃないですか」
詭弁だ。私が職場で何かやらかさないか、過保護にも見にきたのだろう。
「じゃあ二人とも。お冷の作り方から教えるな。まず、ここにグラスがあるから、この氷のストッカーからグラスへ氷を入れて……」
宮西さんの指導が始まったので言われる通り必死で覚える。お冷とおしぼりをトレイに乗せて運ぶ練習もした。トレイは銀製なので、うっかりするとお冷が滑る。
私がもたもたと覚えているうちに、征士くんはしっかり備品の置き場所も、トレイでの運び方もマスターしてしまった。今は宮西さんにメニューとオーダーの取り方を教わっている。
「瀬戸は物覚えが早いな。ディナータイムにはオーダーも取ってもらえそうだ。虹川はまあまあだな。まずはお客様にお冷を出してみよう」
宮西さんにそう言われ、少し不貞腐れる。征士くんが頭がいいのも、要領がいいのも、よく知っている。敵わないのを承知の上で悔しいのだ。
とにかく教わった通り、お冷を作り、慎重にお客様へ運んだ。征士くんはその他にオーダーも取っていた。
ディナータイムは比較的空いた座席状況で、焦って失敗することはなかった。
時間になり、征士くんと仕事を上がる。お先に失礼しますと言ってお店を出た。
帰りがけ一緒に歩きながら、征士くんに文句を言った。
「まさか、私の職場まで来るなんて……。すごく驚いちゃったじゃない。どうしてアルバイトに来たの?」
「飲食店では指輪ははめられないので不安だったんです。それに僕、勉強はしていますけど、実際に働いたことはなかったですし。アルバイトして、お金を稼いでみたかったんです。ちゃんと学校にはアルバイトの許可を取りましたよ」
「……それにしたって、何も同じ職場じゃなくてもいいじゃない。他の勉強やサークルはどうするのよ」
仕事で先を越されているので、文句を連ねる。そんな気持ちが伝わったのか、征士くんは言った。
「経営学は実地で働くということで、話はまとまっています。虹川会長も月乃さんが働くことを心配していましたし、僕が時々見ていれば安心だと仰っていました。サークルは月乃さんがいないのでは行く意味がありません。僕は高等部生ですし、シフトにあまり入れませんから、月乃さんの方が早く仕事を覚えますよ」
順序立てて滔々と説明される。過保護だ。過保護すぎる。
「絶対に征士くんよりも先に、仕事を覚えるんだから!」
握り拳を作って宣言する。征士くんは可笑しそうに笑った。
「はい。是非先に仕事を覚えて、僕に教えてくださいね」
過保護な婚約者はしっかり夜道をともにして、私の家まで送っていった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
今宵、薔薇の園で
天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。
しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。
彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。
キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。
そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。
彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。
四季
恋愛
明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
残念ながら、定員オーバーです!お望みなら、次期王妃の座を明け渡しますので、お好きにしてください
mios
恋愛
ここのところ、婚約者の第一王子に付き纏われている。
「ベアトリス、頼む!このとーりだ!」
大袈裟に頭を下げて、どうにか我儘を通そうとなさいますが、何度も言いますが、無理です!
男爵令嬢を側妃にすることはできません。愛妾もすでに埋まってますのよ。
どこに、捻じ込めると言うのですか!
※番外編少し長くなりそうなので、また別作品としてあげることにしました。読んでいただきありがとうございました。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
婚約破棄? あ、ハイ。了解です【短編】
キョウキョウ
恋愛
突然、婚約破棄を突きつけられたマーガレットだったが平然と受け入れる。
それに納得いかなかったのは、王子のフィリップ。
もっと、取り乱したような姿を見れると思っていたのに。
そして彼は逆ギレする。なぜ、そんなに落ち着いていられるのか、と。
普通の可愛らしい女ならば、泣いて許しを請うはずじゃないのかと。
マーガレットが平然と受け入れたのは、他に興味があったから。婚約していたのは、親が決めたから。
彼女の興味は、婚約相手よりも魔法技術に向いていた。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる