1 / 124
本編
1 年下婚約者は美少年
しおりを挟む
「初めまして、虹川月乃と申します。美苑大学付属高等部の三年生です」
「は、初めまして。瀬戸征士、です」
広々とした和の応接間。私、月乃の横には父が座っており、漆塗りの座卓の向こうには、少年とその両親が正座していた。
少年は美苑大付属中等部の制服を着ていた。ブレザーのネクタイの色は橙色。一年生だ。気の毒なくらい緊張しているのがわかる。幼さが残るが、大きな瞳、美しい鼻梁、綺麗な薄い唇は絶妙に配置されていて、将来有望そうなのが今から見て取れる。緊張のあまり蒼白になっているのを見ても、白皙の美少年かとやっかんでしまいそうだ。
対する私の容姿は平々凡々。十人並みという言葉がよく似合うことは自覚している。唯一の取り柄といえば、念入りに手入れをしている長い黒髪くらいか。
「先日、申し入れた通りだが」
私の父が重々しく口を開いた。
「そちらの瀬戸殿の御次男、征士くんを、私の娘月乃の婿として婚約していただきたい」
父の言葉に、少年の両親は身体を縮こませて、こくこくと頷いた。
「も、勿論異論はございません。征士は次男ですし、婿入りしても全く問題ありません。ただ……。虹川会長の後継者としての素質があるのか、そればかりが心配になってしまうのですが……」
少年の父親が汗をハンカチで拭いながらそう言うと、父はそれを笑い飛ばした。
「何、『資質』は充分だ。それにまだ十三歳とのこと、経営は追々学べばいい」
「はあ……」
全く納得がいっていない様子の少年の一家。当たり前だろう。一体何でこんなことにと困惑を隠せていない。
♦ ♦ ♦
私の家は代々伝わる資産家だ。グループで何社もの会社を運営している。そんな会社の中の一社、そのまた子会社の一社員の次男に、どうして突然私の婚約者としての白羽の矢が立ったのか。それまで全く関わりのなかった親会社の会長からの申し入れを、さぞ不審に思ったであろう。
私はこっそり息をついた。
「まあ、月乃。征士くんと庭でも散歩しておいで」
瀬戸一家の緊張を見かねたのか、父がそう提案してきた。私にこのガチガチの少年の心を解せと、そう言いたいのだろうか。いや、無理なんじゃないかしらね?
また溜息をつきそうになったが、これも年長者としての務め。しかも唐突に親会社の権威を振りかざしたかのような押し付けの婚約話。非があるのはどう見てもこちらだ。
「そう、ですね。瀬戸くん、お嫌でなければ我が家の庭を案内しますよ」
少年の様子をうかがう。顔を少しばかり縦に動かしたのを見て、私は立ち上がった。今日は私も制服姿だ。プリーツスカートの襞を僅かに直す。
彼も立ち上がったのを見て、障子の外へと先導した。そのまま廊下を横断し、庭へ降りる石段へ向かう。元よりそのつもりだったのか、石段には私と少年の靴が並べられていた。
庭に下り立ち、私は鯉のいる池へ足を向けた。終始無言の少年を気遣い、話しかけた。
「瀬戸くん、この先池があるんです。金の錦鯉が綺麗で、私は好きなんです」
振り返って威圧感を出さないように、笑顔を心がける。少し間をおいて彼は口を開いた。
「征士、で結構です。あと、僕の方が年下なので敬語もいりません」
ややきっぱりした物言いに私はちょっと驚いた。中学一年生にしてはしっかりしている。先程までと比べて、あまり物怖じもしていない。
「そう。では私のことも月乃と。よろしくね、征士くん」
二人で池端にしゃがみこんだ。赤や金の鯉が思い思いに泳いでいる。
「ねえ、私との婚約話、突然だったでしょう。驚かなかった?」
征士くんの横顔を見ながら問いかける。白い肌はつやつやで、こちらとしては女として面目が立たない。
「……驚かなかったと言えば、嘘になります」
静かに、征士くんが答えた。
「せめて、兄の方が月乃さんにもう少し歳が近かったと思うのですが……虹川会長が、僕にしか資質がない、と仰って」
資質って何でしょうか、会社経営なんて考えたこともなかったんですけど……征士くんの疑問に曖昧に微笑む。
まだ、言ってはいけない。『資質』は、虹川家直系しか知らない秘密だ。
「虹川の家に巻き込んで申し訳なく思っているわ。征士くんに他に好きな人がいたり、会社経営に全く興味がなかったら、すぐにでも私に言って。私なら征士くんに悪くならないように何とでも言えるから」
これは本心だ。まだ十三歳なのに、大人の都合で勝手に将来も結婚相手も決められて納得はしないだろう。しかも婚約者は五歳も年上の容姿平凡な女だ。
征士くんはそれでも顔を横に振った。
「別に好きな女の子なんて今まで考えたこともなかったですし。将来も何となく父のような普通のサラリーマンになるんだろうな、程度にしか考えていませんでしたから。だから、今回僕を必要と言ってもらえて少し嬉しかったんです」
はにかんだ横顔は年相応にいとけなくて、私は胸の痛みを押さえた。
「は、初めまして。瀬戸征士、です」
広々とした和の応接間。私、月乃の横には父が座っており、漆塗りの座卓の向こうには、少年とその両親が正座していた。
少年は美苑大付属中等部の制服を着ていた。ブレザーのネクタイの色は橙色。一年生だ。気の毒なくらい緊張しているのがわかる。幼さが残るが、大きな瞳、美しい鼻梁、綺麗な薄い唇は絶妙に配置されていて、将来有望そうなのが今から見て取れる。緊張のあまり蒼白になっているのを見ても、白皙の美少年かとやっかんでしまいそうだ。
対する私の容姿は平々凡々。十人並みという言葉がよく似合うことは自覚している。唯一の取り柄といえば、念入りに手入れをしている長い黒髪くらいか。
「先日、申し入れた通りだが」
私の父が重々しく口を開いた。
「そちらの瀬戸殿の御次男、征士くんを、私の娘月乃の婿として婚約していただきたい」
父の言葉に、少年の両親は身体を縮こませて、こくこくと頷いた。
「も、勿論異論はございません。征士は次男ですし、婿入りしても全く問題ありません。ただ……。虹川会長の後継者としての素質があるのか、そればかりが心配になってしまうのですが……」
少年の父親が汗をハンカチで拭いながらそう言うと、父はそれを笑い飛ばした。
「何、『資質』は充分だ。それにまだ十三歳とのこと、経営は追々学べばいい」
「はあ……」
全く納得がいっていない様子の少年の一家。当たり前だろう。一体何でこんなことにと困惑を隠せていない。
♦ ♦ ♦
私の家は代々伝わる資産家だ。グループで何社もの会社を運営している。そんな会社の中の一社、そのまた子会社の一社員の次男に、どうして突然私の婚約者としての白羽の矢が立ったのか。それまで全く関わりのなかった親会社の会長からの申し入れを、さぞ不審に思ったであろう。
私はこっそり息をついた。
「まあ、月乃。征士くんと庭でも散歩しておいで」
瀬戸一家の緊張を見かねたのか、父がそう提案してきた。私にこのガチガチの少年の心を解せと、そう言いたいのだろうか。いや、無理なんじゃないかしらね?
また溜息をつきそうになったが、これも年長者としての務め。しかも唐突に親会社の権威を振りかざしたかのような押し付けの婚約話。非があるのはどう見てもこちらだ。
「そう、ですね。瀬戸くん、お嫌でなければ我が家の庭を案内しますよ」
少年の様子をうかがう。顔を少しばかり縦に動かしたのを見て、私は立ち上がった。今日は私も制服姿だ。プリーツスカートの襞を僅かに直す。
彼も立ち上がったのを見て、障子の外へと先導した。そのまま廊下を横断し、庭へ降りる石段へ向かう。元よりそのつもりだったのか、石段には私と少年の靴が並べられていた。
庭に下り立ち、私は鯉のいる池へ足を向けた。終始無言の少年を気遣い、話しかけた。
「瀬戸くん、この先池があるんです。金の錦鯉が綺麗で、私は好きなんです」
振り返って威圧感を出さないように、笑顔を心がける。少し間をおいて彼は口を開いた。
「征士、で結構です。あと、僕の方が年下なので敬語もいりません」
ややきっぱりした物言いに私はちょっと驚いた。中学一年生にしてはしっかりしている。先程までと比べて、あまり物怖じもしていない。
「そう。では私のことも月乃と。よろしくね、征士くん」
二人で池端にしゃがみこんだ。赤や金の鯉が思い思いに泳いでいる。
「ねえ、私との婚約話、突然だったでしょう。驚かなかった?」
征士くんの横顔を見ながら問いかける。白い肌はつやつやで、こちらとしては女として面目が立たない。
「……驚かなかったと言えば、嘘になります」
静かに、征士くんが答えた。
「せめて、兄の方が月乃さんにもう少し歳が近かったと思うのですが……虹川会長が、僕にしか資質がない、と仰って」
資質って何でしょうか、会社経営なんて考えたこともなかったんですけど……征士くんの疑問に曖昧に微笑む。
まだ、言ってはいけない。『資質』は、虹川家直系しか知らない秘密だ。
「虹川の家に巻き込んで申し訳なく思っているわ。征士くんに他に好きな人がいたり、会社経営に全く興味がなかったら、すぐにでも私に言って。私なら征士くんに悪くならないように何とでも言えるから」
これは本心だ。まだ十三歳なのに、大人の都合で勝手に将来も結婚相手も決められて納得はしないだろう。しかも婚約者は五歳も年上の容姿平凡な女だ。
征士くんはそれでも顔を横に振った。
「別に好きな女の子なんて今まで考えたこともなかったですし。将来も何となく父のような普通のサラリーマンになるんだろうな、程度にしか考えていませんでしたから。だから、今回僕を必要と言ってもらえて少し嬉しかったんです」
はにかんだ横顔は年相応にいとけなくて、私は胸の痛みを押さえた。
1
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
今宵、薔薇の園で
天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。
しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。
彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。
キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。
そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。
彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない
鈴宮(すずみや)
恋愛
孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。
しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。
その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

十分我慢しました。もう好きに生きていいですよね。
りまり
恋愛
三人兄弟にの末っ子に生まれた私は何かと年子の姉と比べられた。
やれ、姉の方が美人で気立てもいいだとか
勉強ばかりでかわいげがないだとか、本当にうんざりです。
ここは辺境伯領に隣接する男爵家でいつ魔物に襲われるかわからないので男女ともに剣術は必需品で当たり前のように習ったのね姉は野蛮だと習わなかった。
蝶よ花よ育てられた姉と仕来りにのっとりきちんと習った私でもすべて姉が優先だ。
そんな生活もううんざりです
今回好機が訪れた兄に変わり討伐隊に参加した時に辺境伯に気に入られ、辺境伯で働くことを赦された。
これを機に私はあの家族の元を去るつもりです。
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる