涙のキセキ

桜 偉村

文字の大きさ
上 下
28 / 33

第二十七章

しおりを挟む
「……確認する」
 一真が近寄り、その手首に手を当てた。すぐにその首が横に振られる。
「駄目だな。死んでる」
「そうか……」
 それ以外、言葉が出てこなかった。
「本当にごめんなさい! 私のせいで、皆こんな……!」
 布団に染みを作る友葉に、胸が締め付けられる。
「……俺には、お前に謝罪される理由が見当たらない」
 一真がぽつりと呟いた。
「え?」
「今回の件は友葉が悪くないのは勿論、お前は最年少でありながら、一人で大型企画の準備をした。だから俺は、感謝こそすれ責める事など絶対にしない」
 友葉が目を見開いて固まる。
「良い事言うじゃん」
 口元を緩めた明美が、一つ息を吐いて続ける。
「あまり喋れないから簡潔に言うけど、一真が言うように感謝しかない。寧ろ、こんなに時間かかって、しかもボロボロの状態でこっちが謝りたいくらいだ」
「そんな……」
「友葉の気持ちも少しなら分かるけど……」悠馬が言った。「本当にこれが素直な感情なんだよ」
「そうだよ」友梨奈が大きく頷いた。「それに、さっき友葉が私達を信じて託してくれたでしょ? あれだけでお釣りがくるくらい嬉しかったし」
 四人の顔がこちらに向けられる。深呼吸をして、健介は、友葉、と呼び掛けた。
「この事件は不可避なものだった。彼はこれを集大成にするとも言っていたから、お前の計画がなくても、彼はどこかしらのタイミングで同じ事をしていた筈だ。だからこの事件にお前の非なんて一ミリたりともないし、そんな企画をしてくれていた事。俺らを信じてくれた事。そして、今お前がここに居る事。その全てに対して、俺らは感謝している。ありがとな」
 健介が頭を下げれば、他の四人も続いた。
 友葉の眼に再び雫が膨れ上がる。
「皆……有難うっ!」
 そう言って泣き笑いの表情を作った友葉は、そのまま明美の胸に顔を埋め、産み落とされた子供のように大声で泣いた。
「おいおい、脱水症状起こすぞ」
 明美が苦笑しながらその頭を撫でる。
 それからサイレンの音が聞こえてくるまで、誰も一言も言葉を発しなかった。

 救急車の対応は、全て青仮面がした。
「仕事柄、こういう対応には慣れていますので」
 そう言って、言葉通りに彼は全ての段取りをつけてくれた。
「貴方はこれからどうするつもりなんだ?」
 その健介の質問に対して、彼は、全てが終わったら自首します、とのみ答えた。仮面を取った彼の顔は、穏やかだった。



 明美と悠馬は一週間の、一真と友梨奈は三日の、そして健介は一日の入院を経て、皆無事に健康体で退院する事が出来た。
「誰も後遺症が残らなかったのは奇跡に近いよ」
 そう言って医者は笑っていた。
 退院してからは忙しかった。事情聴取のため、何度も警察に呼ばれた。あれだけの事件だ。警察の捜査により義和の遺書が見つかったが、それでも事実確認はくどいほどに行われた。楽しい事ではない分、どんなに撮影や編集に追われていた時よりも、精神的疲労は大きかった。唯一の救いは、担当の刑事が健介達の精神状態を気遣ってくれていた事だろう。
 事件は厳しい情報規制がなされ、世間には公表されなかった。異常性の高い犯罪である事に加え、生命力探知機や義和が用いたウイルスなど、簡単に世に出せないような代物が関わっていたからだ。決して口外はしない事、と何度も念を押された。
 また、その異常性も相まって、健介と明美も罪に問われる事はなかった。武田夫妻の身体からウイルスが発見された事で、二人の供述は全面的に受け入れられたのだ。寧ろ、刑事達は揃って健介達を励ましてくれさえした。逆に罪を疑われでもしていたら、精神的に耐えられなかったかもしれない。
 しかし、そんな日々とももうお別れだ。
 健介は自動ドアを潜り、今しがた出てきたばかりの建物を振り返った。何度も通った、いや、通わされた警察署。もう来なくて良いんだと思うと、解放感が湧き上がる。
 警察署を出て駐車場に着くまで、六人は一言も発さずにゆっくりと歩いた。
 車に乗り込んだ瞬間、明美が叫んだ。
「あー、やっと終わったー!」
「いやー、長かったっすね!」悠馬が応じた。「これで最後って言われた時、おっちゃんの顔が天子に見えたっすもん」
「私も!」
 友葉が笑った。
「私、まだ信じられないかも」友梨奈が苦笑する。「明日も呼び出されるんじゃないか、って」
「そんな事になっても、一回くらい無視しても怒られやしねえさ」
 一真が珍しく冗談を言った。
「皆」健介は声を掛けた。「本当にお疲れ様。今日は事務所でダラダラ過ごすか」
「賛成!」
 悠馬と友葉が異口同音で声を上げた。
「じゃあ悠馬。運転宜しくー」
 明美が間延びした声でそう言い、後部座席のシートを倒した。
「えっ」悠馬が間の抜けた声を出す。
「まあ、適任だな」
「宜しくねー」
 一真と友梨奈もシートを倒す。
 悠馬が懇願するようにこちらを向いてくるので、健介は笑顔で告げた。
「免許持ちで最年少だし、頼んだぜ」
「このグループは日本特有の縦社会はないって聞いてたんすけど……」
 ぶつぶつと呟く悠馬の肩を友葉が、まあまあ、と叩く。
「まあ、良いんすけど」
 悠馬が苦笑しながら運転席に乗り込んだ。

「友葉と明美ちゃんはともかく、健介君まで寝てるなんて珍しいね」
 助手席に座っている友梨奈が呟いた。
「まあ、こいつら二人が一番神経使っただろうからな」
 一真は友葉を挟むようにして寝ている二人を見て答えた。
「それもそっか」
 そう答える友梨奈の眼は優しげに細められている。
 信号待ちの時、今度は悠馬が呟いた。
「なんかそうやって寝ていると、家族みたいっすね」
「そうね」
 間髪入れずに友梨奈が同意する。一真も全く同じ感想を抱いていた。仲の良い兄弟にも見えるし、健介と明美が大人びた顔で友葉が童顔な分、もはや親子にも見えるかもしれない。
「二人の子供とか、凄く可愛い子になりそう」
 同じ事を考えていたのか、友梨奈が穏やかな口調で言った。
「健介が起きてたら今頃むせ返ってるぜ」
 施設での健介の動揺ぶりを思い出し、溜息を吐きたくなる。
「まあ彼、鋭いのに鈍感だからね」
「間違いないっすね」
 そんな友梨奈と悠馬の会話を聞きながら、一真は目を閉じた。

「健介。着いたぞ」
 誰かに揺り動かされる感覚があり、目が覚める。視界に特徴的な赤が飛び込んできて、事務所に着いた事を認識する。健介の肩に伸びている腕を辿れば、一真がこちらを見ていた。隣では悠馬が明美を、友梨奈が友葉を起こしている。
 健介は伸びをした。
「車が動いてからの記憶がねえ」
「熟睡してやがったからな」
 一真が呆れたように言った。
「悠馬。悪いな、ぐっすり寝ちまって」
 任せきりにしてしまった事を謝ると、悠馬は、良いっすよ、と手を振って笑った。
「ゆりちゃんも起きててくれたし」
「そうか。サンキューな、友梨奈」
「全然。お疲れ様」
 悠馬と同じように笑って手を振った友梨奈が、まだ寝惚けている明美を起こしにかかる。寝起きの悪さは相変わらずだ。
 既に目を覚ましている友葉に倣い、健介も車から降りてトランクから荷物を取り出した。
 先頭の一真が鍵を開け、事務所に入る。リビングへと続く扉を開けて、一真は不意に立ち止まった。それぞれ目の前の人の背中に鼻をぶつけそうになり、不満の声が上がる。
「おわっ⁉」
「どうした?」
 質問に答えず、一真は黙って歩を進めた。リビングの机が目に入り、一真の硬直した理由が分かった。
 そこには、豪勢な料理が所狭しと置かれていたからだ。そしてその中心には、特大のホールケーキが置かれていた。
「これは……」
 ケーキの隅から、一真が何かを拾い上げる。
 それは紙だった。一読した一真が苦笑しながらその紙をこちらに寄越してくる。
 どうやら手紙のようだ。お世辞にも綺麗とは言えない文字で、『怪しい物ではないので、安心して食べて下さい。皆、本当にお疲れ様。そして友葉ちゃん。誕生日、そして成人おめでとう』、と書かれていた。
 字だけで分かる。これはカメラマンの田中の文字だ。部屋を少し温もりが残っている。つい先程までスタッフ達が居たのだろう。
 健介は友葉が最後の順番になるように、その紙を自分の後ろに居た明美に渡した。そこから悠馬、友梨奈と渡り、最後に友葉に渡る。
 手紙を読み終えた友葉が、ふっと笑った。それは自分の意志で笑ったというより、自然とこぼれたような笑みだった。
「スタッフさん皆を含めたものはまた企画するから、今は厚意に甘えて俺らだけで思いっきり祝うか!」
 各所から歓声が上がる。明美などは既に台所に皿を取りに行っていた。
 いつになく皆がテキパキと動き回り、あっという間にパーティーの準備が整った。
「皆、本当にお疲れ様! そして友葉! 誕生日、そして成人おめでとう!」
「おめでとう!」
 各自がグラスを空高く掲げる。
「皆。本当に有難う!」
 お誕生日席の友葉もグラスを掲げ、六つのグラスが軽快な音を鳴らした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

奇怪未解世界

五月 病
ホラー
突如大勢の人間が消えるという事件が起きた。 学内にいた人間の中で唯一生存した女子高生そよぎは自身に降りかかる怪異を退け、消えた友人たちを取り戻すために「怪人アンサー」に助けを求める。 奇妙な契約関係になった怪人アンサーとそよぎは学校の人間が消えた理由を見つけ出すため夕刻から深夜にかけて調査を進めていく。 その過程で様々な怪異に遭遇していくことになっていくが……。

狙われた女

ツヨシ
ホラー
私は誰かに狙われている

山を掘る男

ツヨシ
ホラー
いつも山を掘っている男がいた

望む世界

不思議ちゃん
ホラー
 テレビのチャンネルはどこも世界各国の暴動についてばかり。ネットやSNSを確認すれば【ゾンビ】の文字が。  つまらないと感じていた日常が終わり、現実だが非現実的なことに心躍らせ──望んでいた世界に生きていることを実感する。 平日  月〜金曜日 8:30前後更新予定 土曜日 更新なし 平日更新ができなかった場合、更新あり 日曜日 気分更新  時間未定 2018/06/17 すみませんが、しばらく不定期更新になる可能性があります。

『忌み地・元霧原村の怪』

潮ノ海月
ホラー
とある年の五月の中旬、都会から来た転校生、神代渉が霧野川高校の教室に現れる。彼の洗練された姿に女子たちは興味を示し、一部の男子は不満を抱く。その中、主人公の森月和也は、渉の涼やかな笑顔の裏に冷たさを感じ、彼に違和感を感じた。 渉の編入から一週間が過ぎ、男子達も次第に渉を受け入れ、和也の友人の野風雄二も渉の魅力に引き込まれ、彼の友人となった。転校生騒ぎが終息しかけたある日の学校の昼休み、女子二人が『こっくりさん』で遊び始め、突然の悲鳴が教室に響く。そしてその翌日、同じクラスの女子、清水莉子が体調不良で休み、『こっくりさん』の祟りという噂が学校中に広まっていく。その次の日の放課後、莉子を心配したと斉藤凪紗は、彼女の友人である和也、雄二、凪沙、葵、渉の五人と共に莉子の家を訪れる。すると莉子の家は重苦しい雰囲気に包まれ、莉子の母親は憔悴した姿に変わっていた。その異変に気づいた渉と和也が莉子の部屋へ入ると、彼女は霊障によって変わり果てた姿に。しかし、彼女の霊障は始まりでしかなく、その後に起こる霊障、怪異。そして元霧原村に古くから伝わる因習、忌み地にまつわる闇、恐怖の怪異へと続く序章に過ぎなかった。 《主人公は和也(語り部)となります》

隣の美少女

ツヨシ
ホラー
隣にとんでもない美少女がやってきた

File■■ 【厳選■ch怖い話】むしごさまをよぶ  

雨音
ホラー
むしごさま。 それは■■の■■。 蟲にくわれないように ※ちゃんねる知識は曖昧あやふやなものです。ご容赦くださいませ。

たらい回し

ツヨシ
ホラー
郵便受けに心霊写真が入っていた。

処理中です...