涙のキセキ

桜 偉村

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第二十二章

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「まずは皆の治療からやろう」
 健介は皆が腰を落ち着けるのを見計らって言った。リーダーとして、いつまでも一真に任せきりという訳にはいかない。
「出血してるのは……一真と明美か。じゃあ俺が明美担当するから、悠馬と友梨奈で一真を頼む」
 水とガーゼと湿布、包帯を持って明美の元へ向かう。足の血は止まっているが、左腕からは微量だが出血している。健介は包帯に手を掛けた。
「これは……」
 包帯の下の傷が痛々しい。健介はそこに遠慮なく水を掛けた。
「明美、もう左腕使うの禁止な」
 痛みで歯を食いしばっている明美に言う。
「マジ?」
「ああ。左腕使うごとに給料二割減らすからな」
「なんか数字微妙じゃね?」
「五割にしてやろうか」
「遠慮しとく」
 他愛のない話をしながら止血をしていく。
 全ての工程を終えると、健介は息を吐いた。同時に明美も息を吐く。
 目が合った明美が、こちらを見て吹き出した。
「何だよ?」
「だって、その顔……っ」明美が指を差してくる。「傷跡多すぎて酷い事になってるぜ」
「うるさい」
 健介はそっぽを向いた。
「悪い悪い」
 明美はまだ笑っている。自分の顔を笑われるのは良い気分ではないが、今は明美にそれだけの心の余裕が生まれた事を喜ぶべきだろう。
「拭いてやるよ」
 明美の手が頬に添えられ、優しい手付きで健介の顔をガーゼで拭いていく。湿っているガーゼのひんやりとした感触が気持ち良い。
「ほい。まあ、見れない顔ではなくなったぜ」
「一言余計だ」健介は明美の頭を軽くごついた。「でもありがとな」
「おう」
 同じ頃、一真達三人も治療を終えたようだ。こちらにやってくる。
「はい、これ」
 友梨奈が何かを差し出してくる。受け取ってみれば、それはカロリーメイトの袋だった。
「渡すの忘れててごめん。私達はもう一袋食べたから、それは二人で食べて」
「良いのか?」
「勿論」
「じゃあ、遠慮なく」
 健介は袋を開けた。明美が横から手を伸ばしてきて、一本を抜き取る。
「サンキューです」
 明美はその一本に豪快にかじりついた。
「俺も」健介も残りの一本を取り出す。「いただきます」
 二人が口を空にしたタイミングで、一真が口を開く。
「ショッピングセンターに、見晴らしが良くて障害物も多い場所があった。そこに向かうぞ」
「オッケー。案内頼む」
「ああ」
 一真が道案内である事や負傷状態を考慮した結果、先頭に一真と明美。殿に健介で三角形を作り、その中に悠馬と友梨奈が入る事になった。
「行こう」
 健介の一言で、五人が一斉に足を踏み出した。

 ショッピングセンターには、ものの五分ほどで到着した。
「ねえ。聞いて良いのかずっと迷っていたんだけど……」
 友梨奈が控えめに手を挙げる。健介は自分の斜め前に座る友梨奈を見た。
「何だ?」
 一真の言う見晴らしが良くて障害物も多い場所とは、フードコートだった。その正方形のスペースは、一辺のみに仕切りがあり、他の三辺は吹き通しになっている。机は一辺に七個個並んでおり、各机には椅子が仕切りに垂直の向きで、二人ずつが向かい合うように置かれている。正方形の丁度中心には、ゴミ箱などが設置されていた。当然、使用の痕跡はない。
 相談の結果、四人は中心から一つ仕切りに寄った机に座り、もう一人は仕切りを背にした位置に座る事になった。
 これで正規の椅子に座っている四人が向かい合う方の背中側を、もう一人が仕切りとは反対側のスペースを監視出来る。一人でこなさなければならないその役目は、自分は頭が良くないから監視に比重を置けると言って、悠馬が立候補した。
 そしていざ話し合いを始めようとした時、友梨奈が手を挙げたのだった。
「うん……」友梨奈が躊躇いがちに口を開く。「武田さんはどうなったのかなって」
 予想はしていた疑問だった。健介は隣の明美と視線を交わし、友梨奈に視線を戻した。
「これは悠馬も一真も聞いておいた方が良い。明美と悠馬は一時的に席を代わってくれ」
 これで、明美がお誕生日席に座り、健介の隣に悠馬、向かいに一真と友梨奈が座る形になる。
「これは一真も知っている事だけど――」
 そう前置きして、健介は結論を口に出した。
「武田さんご夫妻は……俺達が殺したんだ」

 その場に静寂が落ちる。
 健介の話は、武田夫妻を殺めたのが健介と明美だという事を知っていた一真でさえも衝撃を受けるものだった。
 輝人との別れと、彼が『ゾンビ』となって表れた事。早紀との出会いとその顛末。そして、彼ら夫妻がウイルスに感染させられていた事を、健介は淡々と語った。
「さっきお前らに話した白仮面がバッジを寄越したって話。あれは、こいつら二人の選択の報酬なんだそうだ」
 一真は悠馬と友梨奈に向かって、健介と明美を指で示した。
「そういう事」
 健介が頷き、沈黙が落ちる。
 最初に口を開いたのは、悠馬だった。
「俺は皆みたいに物事を複雑に考えられないから、何が正しいかとかは良く分からないんすけど……でも、リーダーと明美ちゃんが武田さん達二人の事を本気で考えた結果の判断なら、それが不正解だって事はないんじゃないすか?」
 理屈をごねる事を苦手とする、悠馬らしい考えだった。
 友梨奈も頷く。
「そうだよ。あなた達二人の想いは、絶対武田さんご夫妻に届いてるって」
 悠馬と友梨奈の励ましに、健介と明美は穏やかな顔でお礼を言った。
 どうやら明美が言った事は本当のようだ。前を向いていなければ、こんな冷静な対応は出来ないだろう。
 一真は二人の話を引き取った。
「その過程があったから、俺達はここに居る。なら今やるべき事は一つ、前に進む事だけだろう」
 これは、健介と明美に、というよりは、悠馬と友梨奈に向けた言葉だ。そんな一真の視線に、二人はしっかりと首を縦に振った。
「よしっ、じゃあ悠馬と明美は席を戻してくれ。これから、話し合いを始める」

 白仮面から受け取った紙には、『竜の眠りし深淵の地』とのみ書かれていた。
「どういう事……?」友梨奈が呟いた。
「何か解き方思い付いた奴いるか?」
 一真が皆を見回した。
「定石は」健介が言った。「並び変え。アルファベットへの変換。いろは。数字への置き換えとかだな」
「アルファベットに変換して並び替えとかはあるか?」明美は尋ねた。
「有り得るな」
 それからも四人は知恵を絞ったが、これといったものは浮かばなかった。
「一つ一つ試していくしかねえか?」
 溜息交じりに一真が言った。
「いや」健介が首を振った。「それは最終手段だ」
「だが、もうアイデアは出尽くしただろう」
「いや、最後に一つだけ手がある」
「手?」
「ああ。悠馬に聞いてみよう」
「あっ、それ良いじゃん」
 明美は健介の提案に賛同した。問題に詰まった時、新しい視点が解決の糸口となる事はよくある。
「可能性はあるな」一真が頷いた。「なら俺が監視を代わる。お前らで答えを出せ」
 そう言い残すと、一真は悠馬の元へ歩いて行った。二、三言話して、悠馬がこちらにやってくる。その顔は不安げだ。
「皆でも苦戦するやつでしょ? 俺なんかじゃ歯が立たない気がするっすけど」
 悠馬が紙を覗き込む。
「竜の眠りししん……これ、なんて読むんすか?」
「……帰ったら漢字の特訓な」健介が溜息を吐いた。「しんえん、だ」
「しんえん」悠馬が繰り返した。「どういう意味なんすか?」
「川とか湖の深い所とか、転じて奥深くて底知れない事を表したりするな」
「ふーん。何かゲームの地下にあるボス部屋みたいな感じっすね。おどろおどろしいというか」
「それは底知れないに引っ張られ過ぎ――」
「悠馬」
 健介の鋭い声が、友梨奈の言葉を遮った。
「な、何すか?」
「今なんて言った?」
「え? えっと、おどろおどろしい感じって――」
「その前だ」
「えーっと、ゲームの地下にあるボス部屋――」
「それだっ」健介が指を悠馬に突き付ける。「それだよ、悠馬」
「え?」
「一真」
 健介が監視役の一真に声を掛けた。一真が眉を上下に動かす。
「悠馬のお陰で前進した。警戒はしつつも来てくれ」
 健介の無茶ぶりにも、一真は軽く頷いたのみで周囲を見回しながらやってくる。
「で?」
 一真が短く尋ねた。
「俺達は難しく考えすぎてたんだ」興奮気味に健介が言った。「深淵の地っていうのは、地下を表してたんだよ」
「ああっ」
 友梨奈が声を上げた。
 明美としても目から鱗が落ちた気分だ。明らかに一癖も二癖もありそうな文章に踊らされていたのだ。
「でも待て。地下だろ?」一真が腕を組む。「すぐに思い付くのは図書館、警察署、市役所にあった地下スペースくらいだが、あれらに竜なんて関係なかった筈だ」
「あっ、確かに」
 明美は声を上げた。その三つの施設に地下があったのは覚えていたが、竜の存在をすっかり忘れていた。先程から頭が回っていない。
「しらみつぶしは危険だよね」友梨奈が言った。
「外した場合はまず間違いなく無事では済まないだろうな」一真が口元を歪める。「近付くだけでもアウトかもしれねえ」
「その心配はない」
 その言葉に、皆の視線が健介に集まる。一真が尋ねた。
「どういう事だ?」
「分かったんだよ。あの文章がどこの事を指しているか」
「マジ?」明美は健介に詰め寄った。
「ああ。覚えてないか?」健介が人差し指を立てる。「竜が描かれていた建造物。時計塔だよ」
「……あっ」
 明美の脳裏に、一枚の絵が映し出された。

「でもあそこに地下なんてあるんすか?」
 そう訊ねてくる悠馬に首を縦に振ってみせる。
「ああ。このシンプルかつ精巧にデザインされた施設の中で、あの竜だけは明らかに場違いだ。何の意味もないとは、『ボス』の性格上考えられない」
「でもあそこに行ったら友葉の安全は保障しないって赤仮面が……」
 友梨奈が焦ったように言う。
「それも大丈夫だ」
 健介は指で丸を作った。
「えっ?」
「あの時の赤仮面の言葉を思い出してほしい。あの時赤仮面はこう言った。時計台には『ボス』がいらっしゃいますが、『実験』中はそこにはお上りにはならないように、って」
 一真が目を見開く。
「そうか。深淵の地。時計塔に地下が存在するなら……」
「そういう事」健介は大きく頷いた。「もしそうなら、そこは『竜の眠りし深淵の地』に最も相応しい筈だ」
「決まりだな」
「よっしゃ」
 健介の言葉が終わらぬうちに、一真と明美が立ち上がる。健介も友梨奈、悠馬と顔を見合わせて苦笑をかわすと立ち上がった。
「皆」
 仲間達に声を掛ける。四つの顔がこちらを向いた。
 健介は息を吸った。
「俺らのゴールはただ一つ。七人でここから出る事だけだ。相手が誰であっても、どんな事をしてこようともな。格好悪くても、這いつくばってでも構わない。それさえ達成出来れば、俺らの勝ちだ」
 四人が頷く。
「行こう」
 健介は出口に目を向けた。
「よっしゃ」
「ああ」
「うす」
「行きましょう」
 五人は一斉に右足を踏み出した。
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