涙のキセキ

桜 偉村

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第十四章

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「……き……ゆき……みゆき」
 身体を揺らされる感覚と共に名前を呼ばれているような気がして、明美は目を開けた。
「ん……?」
「あっ、起きたか?」
「うわっ」目の前に、見慣れた幼馴染の顔があった。「けんちゃんか……」
「びっくりさせてごめん」
 謝りながら健介の顔が離れていく。その事に少しほっとしたが、すぐに違和感に気が付いた。明美の頭は何か固いものに乗せられており、健介を見上げる形になっている。
 明美は、俗にいう『膝枕』をされていた。
「わわっ」明美は慌てて身体を起こしたが、眩暈を覚える。「うっ……」
「ちょっ、無理すんな」
 すぐさま健介が身体を優しく支えてくれる。
「ありがと」
「おう。大丈夫か?」
「何とかな」
 周囲を見回せば、四体のゾンビの亡骸が部屋の隅に置かれている。記憶が曖昧な部分も多いが、何とか倒す事は出来ていたようだ。
「なあ、俺どれくらい気絶してた?」
「うーん。正味五分くらいかな。本当はもっと寝かせてあげたかったんだけど、同じ所に留まり続けるのは良くないから起こしたんだ」
「なるほど」
 明美は、サンキュー、とお礼を言った。大丈夫だ、という風に健介が手を横に振る。
「あれっ?」
 明美は、その手の中に赤色を見たような気がした。
「健介。今手にバッジ持ってる?」
「ああ」健介は頷いた。「武田さんから貰ったやつ」
「えっ、いつ?」
「病院から出る時だ。こっち見てたから気付いていたと思ったけど」
「悪い。全然覚えてない」
「……今は意識は?」
 健介が眉間に皺を寄せて訪ねてきた。
「ばっちり。寝かせてもらったしな」
「寝たというか気絶だけどな」
「まあ、とにかく俺は大丈夫。今ここで虚勢張るのがどれだけ危険化は分かってるつもりだし」
「まあ……そっか」
 健介が立ち上がった。「それじゃ、そろそろ行くか」
「ああ」
 明美も立ち上がったが、出発をする前に健介に一つお願い事を頼む事にする。
「けんちゃん」
「ん?」
「一つ、頼み事しても良い?」
「ああ」
「これからこの『実験』から生きて帰るまで、出来れば名前で、本名で呼んで欲しいんだけど……」
 今までも焦りで度々本名で呼び合っていたが、今は一回でも多く本名で呼んで欲しい。そう感じたのだ。
 数秒の後、健介は頷いた。
「良いよ。俺も提案しようか迷ってたんだ」
「でも、死亡フラグが立ちそうだからやめておいた、だろ?」
「よく分かるな」
「そりゃあね。何年の付き合いだと思ってんだ」
「それもそうか」健介が声に出して笑う。
 それからどちらともなく頷き合うと、二人は家を出た。

 警戒と探索を怠らずに歩き続ける事二十分、家々の隙間からショッピングセンターが見え始めた。
「ここまで物資がないとは……」健介が溜息を吐く。
 輝人と別れた家を出発してから二人が見つけたのは、水のペットボトル一本のみだった。
「明美、大丈夫か?」
 少し迷って、正直に言う。
「大丈夫とは言えないな」
「だよな」健介が淡い笑みを浮かべた。
 ビタミン剤を除けば、最後に固形物を食したのは一時間以上も前の事だ。気を抜けばすぐに意識が遠くなりそうになるが、友葉や他のメンバー、義和、輝人も頑張っているんだと、自分を奮い立たせる。
「……にしても、何で『ボス』はこの時期に俺達を狙ったんだと思う? 仮にも俺らって世間では割と認知されている方だし、リスクも相当にでかいと思うんだけど」
「この時期で俺達でなくてはならなかった理由? ……まさかっ」
 明美としては、意識を保つために何気なく話題を振ったつもりだったが、健介は何かに気付いたように目を見開いた。
 その表情は驚愕の色に染まっている。
「健介?」
「明美」
 健介と目が合う。健介は口を開いた。「俺、『ボス』の正体が分かったかもしれない」
「えっ?」
 予想外の台詞に、明美は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「どういう事?」
 明美は健介の顔を見た。
 その顔は、何故か苦しげに歪められていた。
「あくまで仮説だけど……」
 周囲を見回しながら、健介が話し始める。その表情は曇ったままだ。何度か口を開閉させ、健介はようやく声を発した。
「この事件の犯人は……寛太さんかもしれない」
 今度は、その衝撃に声すらも出なかった。マネージャーである義和の兄が犯人など、普通に考えて有り得る訳がない。
 しかし、こんな状況で健介がそんな冗談を言う方が、明美にはより有り得ないと感じられた。
 だから、明美は健介の話を聞く事にした。
「それ、どういう事? 冗談じゃないよな?」
「まさか。まだ確定したわけじゃないけど、そう考えれば今までの疑問が殆ど解消されるんだ」
 周囲を見回しながら、声を潜めて健介は話し始める。その表情は歪められたままだ。
「俺がまず最初に疑問に思ったのは、犯人は何故あの場に俺らしかいない事を知っていたのか、という事だ」
「あの場って、電話が来た時?」
「そう。犯人はあそこに他のスタッフさんがいる可能性を微塵も考慮していなかった。あの日は俺ら六人だけで友葉の誕生日を祝うという事を知っていれば、それも納得出来る。次に、何故スタッフさんの中で義和さんのみを拘束したのかという事。俺らが居なくなった事を知られないための策だろうけど、それだったらカメラマンの田中さんや畑中さんだって怪しい筈だ。もし俺らが一番まめに連絡を取っているのが義和さんだという確信がなければね。そして三つ目は、相手は素の俺らの事を良く知っているという事。これまでのやり口は、全て俺らの行動や癖を読み切っていなければああはならない。それに、カルテもあった」
「カルテ?」
「ああ。病院にあったんだ。それには動画で明かしてない俺らの持病や、俺らの性格や癖を元にしたと思われる病名が書かれていた」
「マジか……」
「ああ。そして四つ目。そもそもこんな施設を用意出来る人間は限られている。こういう曰く付きのスポットのような所は、彼の十八番だ。更に、さっき明美が言った時期と俺達でなくてはならなかった理由も、彼なら説明がつく」
「海外渡航と、友葉と義和さんを簡単に誘拐出来るって事?」
「そういう事。そしてそれだけじゃない」
「まだあるの?」
「ああ。二年前と一年前、とあるユーチューバーグループが、突然活動を停止した。その二つのグループは、どちらも義和さんが関わっていたんだ」
「でも、それだけなら偶然とも言えるんじゃない? あの人なら何個も関わってそうだし」
「確かにそうだ。ただ、二つとも、有識者の間ではちょっとした話題になるくらいのポテンシャルがあったし、事実勢いもあった。それが何の告知もなく突然投稿が途絶え、一年以上も音沙汰がないのは流石に不自然だ」
 数学の場合分けのようだ、と明美は思った。出てくる事実一つ一つが、答えの範囲を狭めていく。しかし、それでも犯人が高木寛太だと断定するには、まだ弱いように明美には感じられた。
 それは健介も同じだったようだ。
「ただ、どれも決定打に欠けるのも事実だ。ただのコネが広い心理学者という説だってある。そもそも、寛太さんはそんな人じゃないって信じてるし、もしそうならボロを出し過ぎてる気もするしな」
「そうだよ」明美は殊更明るく頷いた。「これで違ったら、寛太さんのために家建てるくらいの事はしろよ」
「経費でな」
「うわっ、酷い社長だ」
「悪かったな」
 空元気というのは持続するものではない。沈黙が落ちる。
「……まあ、誰が犯人であっても俺らのやる事は変わらないよな。悪い、変な事言って」
「抱え込むよりはましさ」明美は小さく首を振った。
 その会話を最後に、二人は無言で足を進めた。

「うわっ、広すぎでしょ。これは合流するのも一苦労しそうっすね」悠馬が溜息交じりに言う。
 一真達三人は今、ショッピングセンターの前に立っていた。高さは一階建てだが、敷地の面積はやたらと広く、渡り廊下を挟んで二つに分かれていた。
 ショッピングセンターまでの道のりでは一度休憩を挟んだりもしたが、一度もゾンビには遭遇しなかった。多くの勢力を健介達に割いているのではないかと不安になるが、それを確かめる術はない。三人が無事にここまで辿り着くのを願うしかなかった。
「しんや君」
 横から友梨奈の声がする。「もう探索始めておく?」
「ああ」一真は頷いた。「まずは左側からだ。ただ、ゾンビが来てもけんせい達が来てもすぐ気付けるように、周囲への警戒を最優先にしろ。探索はゆっくりでも構わねえ。とにかく無事にあいつらと合流する事が最重要課題だ」
 友葉と義和のためにも一刻も早くバッジを集めたいところだが、全員が無事でなければ二人も喜ばない。病院からここまでバッジは一つしか見つかっておらず、ゾンビのレベルも出現率も上がった。つまり、この『実験』自体の難易度が上がっているのは確かだ。そんな状況で三人でがむしゃらになるのは自殺行為に等しいだろう。
 左側のエリアには薬局やスーパーなどが並んでいたが、勿論おにぎりやジュースがある筈もなく、代わりにカロリーメイト二袋と水のペットボトルが一本見つかった。その間に二体ずつ、計三回に渡ってゾンビに遭遇したが、全て初期タイプののろまだったため、三人とも傷一つ負わなかった。一真の中で大半のゾンビが健介達三人を狙っているという疑念が大きくなるが、疑念を抱いていない様子の二人の前ではそれを押し殺すしかなかった。
 頭を振って思考を切り替える。今は確定していない情報でうじうじ悩んでいる時ではない。
「ゆうた、まりな」二人に呼び掛ける。「カロリーメイトは、一袋はけんせい達に取っておいて、一袋はお前らが一本ずつ食べておけ」
「えっ、でも私達は――」
「良いから食っといて下さい。まりちゃんも一度流血した身なんですから」
 悠馬が半ば強引に友梨奈の口にカロリーメイトを押し込む。友梨奈も強情を張る時ではないと判断したのか、素直にそれを受け入れた。
 目の前にカロリーメイトが差し出される。顔を上げれば、悠馬がこちらを見ていた。
「はい。しんやさんも半分食っといて下さい」
「俺は良い」
「良くないよ」友梨奈が口を尖らせる。「もしもの時に貴方が満足に動けなかったらどうするの。貴方のためじゃなくて皆のために少しは食べておいて」
「……了解した」
 一真は暫し考えを巡らせた後に悠馬からカロリーメイトを受け取った。確かに、この先どうなるか分からない状況で自分が倒れる訳にはいかない。
 三人は各自栄養補給を終えると、渡り廊下を渡った。
 右側のエリアでは、電気屋や駄菓子屋などが並んでおり、途中で三体のゾンビと遭遇したが、やはり全て初期タイプだった。物資ではガーゼと湿布が見つかった。
「次のあそこでラストすかね?」悠馬が右斜め前方に指を向ける。
「ああ」
 そこには洋服屋があった。ここは、満場一致で最後に探索する事にしていた。何故なら、店の雰囲気が他と異なっていたからだ。
「ここだけ普通のお店、なんだよね……」友梨奈が眉を顰めて呟く。
 その洋服屋は、他の店の薄暗い照明のもとにケースだけ置いてあるような状態とは異なり、こじんまりとした店ではあるが照明も明るく、服が並んでいた。その異様さは際立っており、また、通路が狭くなって視界が良くないという点でも危険度の高い場所である事は明らかだ。
「ここは予想出来ていたとしても危険な場所だ。心してかかれ」
 二人が無言で頷く。三人は一真を先頭、悠馬を殿に一列になって店に足を踏み入れた。
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