涙のキセキ

桜 偉村

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第九章

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「ここなら良さそうだ」
 一通り家の中を確認した一真が皆を招き入れる。一番大きい部屋に入り、明美は疲労を感じて堪らず腰を下ろした。
「ふう……いっ⁉」
 胡坐をかいて一息ついた瞬間、左腕に激痛が走り、思わず握っていた木刀を落とした。慌てて左腕を見れば、半袖の肩から下の部分が赤色に染まっていた。
「うわっ⁉」
 驚愕と同時に、明美は先程の違和感の正体を悟った。
「そんだけ血が出るなら、そりゃ痛えだろうよ」
 悠馬のリュックを漁っていた一真がガーゼと包帯、それに水を持ってくる。「袖まくるぞ」
 頷く間もなく一真が袖をまくり、そこに水を掛けてくる。
「あぎっ……!」
「もうちょっと女の子らしい声は出せねえのか」
「う、うるさいっ……」あまりの痛さに声が出ない。
 一真は傷口を洗い終えるとティッシュで傷口の周りを拭き、ガーゼを当てて包帯で素早く包んだ。相変わらず器用な男だ。
「サンキュー」
「ああ」短く答えた一真は、その顔を後方に向ける。「そっちは終わったのか?」
 ここで初めて、明美は健介も悠馬と友梨奈から処置を施してもらっている事に気が付いた。「あっ、けんちゃん! 大丈夫なの⁉」
「お前に比べれば屁でもないさ」
 確かに、健介も包帯こそしているが、シャツはあまり赤色に染まっていない。
「けんせい君、一真君。有難う」友梨奈が頭を下げた。「私を止めてくれて」
「いや」健介が首を振った、「咄嗟の判断だったけど、きつい態度になっちゃってごめんな」
「それに、お前の判断が間違っていたか、なんて分からねえよ」
 二人の言葉に、友梨奈は、うん、と頷いた。
「みゆきちゃんもごめんね」
「えっ、この流れで?」
「言っておかないと気が済まないの」
「……そっか」
 彼女らしい、と明美は思った。
「一番に謝るべきなのは俺です。本当にすみませんでしたっ」今まで黙っていた悠馬が土下座をする。その目からは涙が溢れていた。「俺が調子乗ったせいで二人とも怪我して、みゆきちゃんなんて……」
「あーもう、泣くなって! 男だろ?」明美は悠馬の頭を乱暴に撫でた。「お前は俺のピンチを救ってくれた。それだけで俺は満足だって!」
「でもっ! それだって元はと言えば俺のせいで……」
「そうだぞ、みゆき」健介が悠馬の頭に手を置く。
「えっ?」
 明美は健介を見た。
 彼はにやりと笑うと悠馬の頭をぽんぽんと叩く。「こいつには自腹で叙々苑奢ってもらうくらいはしないとな!」
「それは勿論、俺ら六人が悠馬の御馳走になるんだろう?」一真がいつになく優しい声で言う。「心配かけさせやがって」
「はい……はい……!」悠馬が泣き笑いの表情で頷いた。「有難うございますっ……。焼肉でも、寿司でも……、なんでも奢るっす!」
「ったく、ひでえツラだな」一真がハンカチを悠馬の顔に乱暴に押し付ける。
 その様子が微笑ましくて明美は思わず笑ってしまったが、一真に睨まれて慌てて真顔に戻った。
「さて」
 リーダーが場を取りなすように手を叩く。それだけで皆が素早く真剣な面持ちなるのは、彼のカリスマ性ゆえだろう。
「早くゆうたの奢りで七人で飯を食うためにも、今後の計画を立てないといけない。そこでだが」健介の顔がこちらを向く。「まずはみゆき、木刀はまだ使えるか? 駄目ならゆうたに代わってもらっても――」
「いや、大丈夫」明美は首を振った。「しんやがちゃんと手当てしてくれたし、立ち回りには慣れてきたところだから。それに今回の戦闘で分かったと思うけど、今後の鍵となるのは荷物持ちの二人がどれだけ上手くサポート出来るか、だと思う」
「それは言えてるな」一真が頷く。「まりなが縄跳びやお手玉でサポートしてくれたお陰で、大分戦いやすかった」
「どういたしまして」友梨奈がウインクした。
「だろ? だからサポート役は両手が満足に使えない俺より力のあるゆうたが適任だと思う。これから荷物がどれくらい重くなるかも分からないし」
「……確かにそうだな」健介は頷いた。「でも、無理は絶対にするなよ」
「オッケー」
「よしっ。じゃあ大筋は今まで通りと変わらない。時計回りにこのまま進むぞ。皆戦闘に慣れてきたと思うけど、油断は禁物だ。あと、みゆきだけじゃなくて全員が我慢をしない事。それで計算が狂ったら本当に危ないからな」
 健介の言葉に四人が頷く。
「けんちゃんもだからな」明美は健介の肩を叩いた。
「分かってるよ」笑って頷くと、健介が周囲を見回す。「他、言いたい事ある人?」
「一つ良いか」一真が手を挙げ、ポケットから何かを取り出した。「図書室の地下、カロリーメイトの下にあった。二つ目のバッジだ」
「えっ!」
 皆で手元を覗き込む。そこには確かに赤色に光るバッジがあった。
「もし仮にゾンビの存在を察知して逃げていたら、手に入らなかったのか」健介が顎に手を当てながら言った。
「ああ」一真が頷く。「これまでも問題ねえとは思うが、見逃しだけはねえようにしねえとな」
「そうだな。気を付けよう」健介が立ち上がる。「そういえば、今までの二人は仕方ないとしても、バッジは話の最後にしか出してはいけないなんてルールはないからな」
 その場に笑いが起こる。
「じゃあ、行こうか」
 健介の合図で、五人は連れ立って家を出た。

「取りあえずここで一旦休憩しよう」
 健介の言葉で、五人は一斉に民家の大部屋に腰を下ろした。
 図書館ではひと騒動あったが、それからの探索は概ね順調だった。図書館から警察署、そして市役所に向かうまでの道のりでゾンビの襲撃が五度あったものの、損害は全員が擦り傷を負ったくらいだ。その間にゾンビの集団から一個、警察署と市役所から三個のバッジを獲得したため、これで手元にはバッジが過半数の六つ揃った事になる。
 これまでの戦果は、一見大成功のようにも見える。怪我人が二人いながら殆ど無傷で二つの大きな建物を攻略し、バッジも過半数集まったのだから。
 しかし、健介達には一つ、重大な危機が迫っていた。
「残りの飲食料は水のペットボトルが二本だけ。ったく、ひでえ環境だな」一真が舌打ちをする。
 そう。既に食料は底をつき、手元にあるのは飲料は五〇〇ミリのペットボトルが二本のみだった。こと食料に関しては、警察署を出る頃には既に無くなっていたため、皆の体力もなくなってきている。
 健介の瞳から心配の色を感じ取ったのか、明美が口元を緩める。「俺は大丈夫だって。だからそんなツラすんな」
「……そうか」健介は頷いた。「でも、本当に無理はするなよ」
「ああ。その代わり」明美が真っ直ぐ視線を向けてくる。「やばくなったら頼らせてもらうぜ、健介」
「……ああ、勿論」動揺が態度に出ないように気を付けながら、健介は笑って頷いてみせた。
「そろそろ出発しねえか? 長居は危険だ」
 一真がこちらを見てくる。
「そうだな」健介は立ち上がった。「じゃあ、皆。きついとは思うがこれから病院へ向かう」
 ――バッジは過半数集まっているし、あと少しだ。
 そう言いかけたが、その言葉が健介の口から実際に出る事はなかった。皆も分かっていると思ったからだ。
 この『実験』が、そんな簡単なものではないという事を。

 辿り着いた先の白い壁には所狭しと汚れがあり、いかにも廃病院という風情だった。中も薄暗い照明があるのみで、視界が良いとは言えない。
「あっ」明美が声を上げる。「ここにビタミン剤が二袋ある」
「ビタミン剤? それはでかいな」健介は明美の手元を覗き込んだ。「飲食料も病院仕様って訳か」
「そのうち経口補水液とか出てきそうっすね」悠馬が苦笑する。
「有り得るな」
 それからも探索をしていると、一真が小声で話しかけてきた。
「おい」健介の前にファイルを差し出してくる。「見てみろ」
「……カルテ?」
「そう。俺らのな。どうやらくそ野郎は日陰者みてえだ。やる事が陰湿だ」
 一真から手渡されたのは健介達のカルテだった。六枚、友葉の分まである。しかもそこに書いてあるのは、病気かどうかはともかく、しっかりと本人に関係のあるものばかりだった。
「俺らの事はちゃんと調べているって事か」
「だろうな」
 本当に『ボス』とやらはこちらの精神を消耗させるのが上手い。健介は内心で舌打ちした。
「どうする? 持っていくか」
「……一応な」少し迷ったが、健介は頷いた。「何かの手掛かりにならないとも限らない」
「胸糞悪いが、仕方ねえな……ゆうた」一真は悠馬を手招きした。
「何すか?」
「今は必要ねえが、今後必要になるかもしれねえものだ」一真が表が見えないようにしてカルテを手渡す。「リュックに入れておけ。中身は見なくて良い」
「あっ……了解っす」悠馬は首を傾げながらも頷いた。
 それからも診察室などを探し回ったが、一階には目ぼしいものは何もなかった。
「ビタミン剤はあるのに包帯とかはないんだね」階段を上りながら友梨奈が呟く。「変なこだわり」
「その『ボス』ってやつ、絶対焦らしプレイ好きだと思う」
「いきなり下ネタをぶっこむな」健介は隣を歩く幼馴染の頭をごついた。「そんなんだから残念な美人って言われるんだよ」
「いいんだよ。俺は俺だもん」明美はにやりと笑った。
 階段を上り切り、健介は深呼吸をした。束の間の日常会話で緩んだ気を引き締め直す。
「まずはこのエリアから探そう」健介は目の前にある待合スペースを指差した。奥には受付がある。「その後に診察室と手術室だ」
 探す事五分。収穫は友梨奈の見つけた水のペットボトル一本のみだった。
「じゃあ、皆。次は手前の診察室から――」
「ちょっと待って」明美が手を挙げた。
「どうした?」
 健介は花壇の近くに立っている明美を見た。
「花壇の下に何かあるんだけど、誰か花壇どかしてくれない? 片手じゃ難しくて」
「どいてろ」
 一真が素早く動いて花壇をどかした。しゃがみ込んで何かを拾い上げる。
「みゆき、ビンゴみてえだな」
 その瞬間、健介は一真から目を離して階段を振り返った。隣では明美も同じく階段を見据え、木刀を構えている。
「えっ、な、何か聞こえたっすか?」
 悠馬が慌てた。
「そうじゃねえが、これまでを思い返せ」後ろで一真の厳しい声が響く。「物資がなかなか見つからない中でのバッジの発見。俺らを狙うには絶好の機会だ」
「あっ……」
 悠馬と友梨奈も慌てて警戒態勢に入るが、ゾンビが迫ってくる気配はなかった。
「流石にそう何回も同じパターンでは来ないか」
「あの、一つ思ったんすけど……」悠馬が控えめに発言する。
「何だ?」一真が先を促す。
「ここで安心させて次の診察室に潜んでいる、とかないっすかね?」
「着眼点としては悪くねえ」一真が言った。「その可能性は十分に有り得るな」
「えっ、マジすか⁉」悠馬が弾んだ声を出す。
「でもそれなら、どの部屋に潜んでいてもおかしくないような気がする」友梨奈が顎に手を当てた。「複数にいるかもしれないし」
「嫌だけど、その可能性の方が高そう」明美が本当に嫌そうに顔を顰める。
「二人とも、頼もしくなったな」健介は思わず顔が綻ぶのを自覚した。
 リーダーとして、この二人が緊急事態でもしっかり自分の意見を出している事が嬉しかった。二人とも才能溢れる人間ではあるが、客観的に見た時に、ここに居るメンバーで華やかさがあるのは、やはり明美と一真の二人だ。ここ一番の二人の度胸や判断力は天性のもので、悠馬と友梨奈はこれまで無意識のうちに二人に遠慮をしている節があった。
 皮肉な話だが、こんな状況下で成長を見せるメンバーが、健介は誇らしかった。
「何腑抜けたツラしてやがる。気持ち悪い」
 一真が、言葉のわりには柔らかい目付きでこちらを見てくる。
「ああ、悪い」健介は表情を引き締めた。
「まりな」一真がバッジを友梨奈に渡した。「お前のリュックに入れておけ」
「分かった」
 友梨奈がリュックのチャックを閉めて全員の準備が整うのを待って、健介は診察室の扉に手を掛けた。「開けるぞ」
 一真と明美が木刀を構えて頷く。一真は一気に扉を開け放った。
「……いねえみたいだな」一真が中を覗き込んで呟く。
 一真を先頭、健介を殿にして五人は中に入った。
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