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第四章

第六十八話 判断

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 クロノスの描いた魔法陣が光った——と思った次の瞬間には、沙希さきの視界に人が斬り殺される光景が映し出された。空也くうやが幻術だと見抜いた、九条くじょう家の惨劇だ。

「やだ、やめて……!」

 隣から聞こえてくるヒナの呻き声で、沙希は自分がどの時点に死に戻ったのかを理解した。沙希が意識を取り戻した直後、ヒナとともに幻術を見させられているときだ。
 この後は確か、空也が沙希とヒナを幻術から救ってくれて、その空也は太一たいちによって——、

「っ——!」

 沙希は【身体強化しんたいきょうか】を使って走り出した。
 本当は【魔の結界マギア・カリマ】で空也を守れれば良いのだろうが、九条家の幻術で視界が覆われていて空也の姿がほとんど見えないため、それは不可能だ。

 それでも走り続けていると、二人の輪郭りんかくをぼんやりと捉えることができた。 
 その距離はかなり近い。【魔の結界】を発動させるよりも早いだろうと判断し、沙希はそのまま走り続けた。

「沙希⁉︎」
「なっ……!」

 空也と太一も沙希に気づいたようだ。

「やめないで!」

 沙希は、自分のほうへ身体を向けようとする空也に叫んだ。

「空也はヒナを助けて! じゃないとっ……ヒナの心が壊れる!」

 あの映像——幻術を見続ける苦しさは、沙希が一番よく知っている。死に戻りが使えなくなった今、万が一にもヒナの心が壊れるようなことがあってはならない。
 そんな沙希の想いが通じたのか、空也は表情をゆがめさせつつも、ヒナを助けることを選んでくれた。

 沙希は視線を太一に向けた。その【氷刃パーゴス・クスィフォス】は完成間近だが、この距離ならギリギリ間に合う。

 沙希は二人の間に飛び込んだ。

「馬鹿なやつだな」

 太一がニヤリと笑った。その手から【氷刃】が放たれる。
 魔力の全てを【身体強化】に使っていた沙希に、それを防ぐ術はなかった。

「沙希!」

 迫り来る【氷刃】から目を逸らし、沙希は背後を振り向いた。焦った表情の空也と目が合う。

 ——ああ、良かった。彼は生きている。

 沙希は、自然と微笑んでいた。
 その瞬間——、

 紫の光がその場を包み込んだ。

「なっ……⁉︎」

 太一の身体が溶けていく。沙希を貫こうとしていた【氷刃】も、跡形もなく姿を消した。

 これは、闇属性魔法奥義【分解サナトス】——!

 嬉しい誤算だった。空也の身代わりになる気ではいたが、沙希とて死にたいわけではない。

「お前、何をした……!」

 太一が空也を睨みつけるが、今の彼にできることはない。
 沙希は太一に背を向け、空也を抱えた。視線を右に向ける。百合ゆりも太一と同じように溶けているのを確認し、沙希は叫んだ。

「ヒナ、こっちに!」

 太一と百合、両方から距離を取れるように走る。百合を見て呆然としていたヒナも、慌てた様子でやってきた。

「沙希さん?」

 背中から聞こえる空也の声は、思ったよりもしっかりとしていた。

「沙希、空也さん! これは——」
「聞いて、二人とも」

 沙希はヒナをさえぎった。空也を地面に下ろしつつ続ける。

「あの二人は間もなく死ぬ。けど、それで終わりじゃない。ここは異界。私たちを憎みながら死んだ彼らは、死と同時に霊に生まれ変わる」
「あっ、そっか」

 空也がポンっと手を叩いた。その所作こそ緊張感のないものだが、彼の目は油断なく太一と百合を見ている。
 もはや、二人の身体はほとんど残っていない。

「空也、調子は?」

 沙希は短く問いかけた。

「さっきの技でだいぶ魔力を持ってかれちゃったから、正直倒すのは厳しいな」
「倒さなくて良い」
「……どういうこと?」

 空也がいぶかしそうに眉をひそめた。

「倒さなくて良いから、できるだけ耐えて。そうすればミサさんが来てくれる」

 空也は目を見開いた。

 さすがに信じられないか、と沙希は内心で苦笑した。
 沙希は空也やヒナのように【索敵さくてき】が得意ではない。死に戻りのことを知らない限り、今の沙希の言葉を信じるのは——、

「わかった」

 空也が頷いた。
 沙希はえっ、と声を出していた。

「信じて……くれるの?」
「もちろん。何か根拠があるんでしょ?」
「それはまあ……」
「なら信じるよ」

 空也は笑った。

「っ——!」

 沙希は、唇を噛んだ。そうしないと、にやけてしまいそうだったからだ。

「太一の霊は僕が相手する。百合の霊は任せたよ」
「……わかった」

 真面目な表情に戻った空也を見て、沙希も気持ちを切り替えた。

「ヒナは私が守る」
「……うん。お願い」

 申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、空也が離れていく。

「ヒナ、絶対に離れないで」
「わかった」

 ヒナを背に隠し、沙希は百合がいた場所を見た。煙が集まり、霊を形作る。
 沙希はそれに向かって【暴流波マギア・アネモストロヴィロス】を放った。空也は太一の霊に【魔の波動マギア・キーマ】を放っている。

 霊は、自分に攻撃してきた相手を優先的に攻撃する習性があるため、こうすることでどちらかが集中的に狙われるのを防げるのだ。

 今回の二体も例に漏れなかった。
 太一の霊が空也に突進し、百合の霊は沙希とヒナのほうへ向かってきた。

「ヒナ。斜めに下がり続けるよ」
「わかった!」

 沙希は【暴流波】を放った。黒い魔力の渦巻きが霊に向かっていくが、霊は旋回せんかいしてそれを避けた。

「——やっぱり」

 避けられることを予想していた沙希は、霊の避けた先に【光の咆哮フォス・ヴリヒスモス】を放った。光の槍がその身体を貫く。

 しかし、それらに牽制以上の効果はない。
 霊は回復をしつつも爪や触手を伸ばしてくる。沙希は【魔の障壁マギア・トイコス】や【魔の結界】を斜めに生成し、その攻撃を受け流した。

 空也が【分解】を使うタイミングが早まったため、ミサが来るまでの時間——霊の相手をしなければならない時間は前回よりも長くなった。
 なるべく正面衝突は避けたい、というのが沙希の本音だった。

 しかし、すぐにそんなことは言っていられなくなった。

 沙希の攻撃が足止め程度にしかならない上に、沙希の魔法の発動速度よりも霊の攻撃や回復速度のほうが速い。
 そもそも霊には複数の触手や鋭い爪を持つ腕など、攻撃の選択肢が多い。それに加えてヒナも連れているため、あまり早い回避行動も取れないのだ。

 そうなれば、霊に距離を詰められるのは必至だった。そして、距離を詰められれば攻撃を受け流す余裕もなくなる。

 至近距離から霊の太い触手が振り下ろされる。沙希はそれを、初めて正面から受け止めた。

「ぐっ……!」

 その衝撃は凄まじかった。
 反撃する余裕もない沙希に、今度は霊の鋭い爪が襲いかかる。

 沙希は三枚の【魔の障壁】を生成した。一枚目、二枚目が切り裂かれ、三枚目でなんとか防ぐことができた。

 いっそのことヒナだけ逃げさせようか、という考え浮かぶが、沙希はすぐにそれを打ち消した。別行動をして万が一霊がヒナを狙ったら、フォローしきれない可能性もある。
 ——ヒナを逃すとしたら、それは沙希が力尽きたときだけだ。

 霊に疲労や手加減という概念はないため、その攻撃が途切れることはない。

 防戦一方が悪手だと悟った沙希は、【魔の結界】を生成しつつ【光の咆哮】を放った。異なる技の同時発動は大量に魔力を消費してしまうが、霊相手に出し惜しみはできない。
 【魔の結界】と【光の咆哮】、そして【暴流波】などを同時に使用することにより、沙希は霊の猛攻を耐えた。

 しかし、その均衡は長くは保たれなかった。

「うっ……!」

 沙希の頭に鋭い痛みが走る。魔力が枯渇してきたのだ。
 沙希は攻撃をやめ、防御に全神経を集中させた。

 反撃がなくなったことにより、霊の攻撃は激しさを増した。
 全力を込めているにも関わらず次々と破られていく結界、そして段々と強くなる頭痛を感じて、沙希は決断した。

「ふう……」

 ため息を吐いて、沙希は立ち止まった。

「沙希?」

 背中で、ヒナが不思議そうな声を上げた。

「どうしたの?」
「ヒナ」

 沙希は霊を見据えたまま早口で告げた。

「私はここで耐える。ヒナは思い切り走って」
「えっ? ちょ、ちょっと、沙希?」

 顔を見ていなくとも、ヒナの動揺が手に取るように伝わってくる。

「ヒナ、早く」

 沙希はヒナを急かした。
 今こうしている間にも、霊は次々と結界を切り裂いて迫ってきている。

「で、できないよ! それってだって——」
「良いから」
「でも——」
「良いから走れ!」

 沙希はヒナを見て怒鳴った。
 弾かれたようにヒナが走り出す。

 沙希は魔法式の構築を始めた。
 最後の結界が切り裂かれ、霊の爪が沙希の脇腹に突き刺さる。

「あがっ……!」

 沙希の口から血が溢れた。焼けるような痛みを感じるが、沙希は狙い通りの展開に笑みを浮かべた。

 これだけ近ければ、しっかりと当てられる——!

 沙希は最後の力で【光の咆哮】を放った。その四肢が切断され、霊が絶叫する。
 沙希の身体が地面に投げ出される。

 全ての腕と足を切断された霊は、さすがに回復に手間取っていた。
 かといって沙希には逃げる力も残されていなかったが、同時に逃げる必要もなかった。

 霊がいよいよ回復を終え、沙希を再び攻撃しようとしたとき、
 空から、数多の雷が霊に降り注いだ。

 間に合った——。

 その轟音ごうおんをぼんやりと聞きながら、沙希は意識を失った。
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