上 下
73 / 116
第四章

第六十七話 リスク

しおりを挟む
 そこは不思議な空間だった。
 一面が白で覆われており、物といえば二つの椅子とそれに挟まれた机、そして机の上にある水晶玉くらい。

 そんな何もないに等しい空間に、突如として一人の人間が出現した。歩いてきたのでも舞い降りてきたのでもない。文字通り、突然そこに現れたのだ。
 その人間は、黄色い髪を持つ華奢な少女だった。

 少女を見て、椅子に座っていた女は嘆息を吐いた。

「やっぱり来ちゃったかー……早坂はやさか沙希さきちゃん」

 その少女、沙希は間もなくして目を覚ました。
 起き上がった沙希は、二、三度目をこすった後、

「えっ?」

 間抜けな声を上げた。

皐月さつきさま? ヒナ? ミサさん? ——空也くうや?」

 次々と仲間の名を呼ぶが、もちろん彼らはここにはいない。
 沙希がぐるりと周囲を見回した。沙希の目が女を捉えて止まる。

「やあ、早坂沙希ちゃん」

 女は手を振った。
 沙希が近づいてくる。一定の距離を置いて、彼女は足を止めた。

「貴女は誰? ここは……」

 沙希が油断なく辺りを見回す。警戒されているようだ。
 当たり前か、と女は思った。こんな現世ではあり得ない空間で、自分の名前が知られている状況だ。警戒するなというほうが無理な話だろう。

 女は、ひとまずは沙希の警戒を解くのを諦めた。

「ここはそうね……一応、はざまと呼ばれているわ」

 間、と沙希が呟いた。

「そう。神と人の、ね」
「……神?」

 沙希は眉を顰めた。

「ええ」

 女は頷き、自らの胸に手を当てた。

「そして私が、時の神クロノスよ……と言っても、信じられないでしょうけど」
「そうですね」

 目の前の人物が神を名乗っているのに、沙希は淡々と頷いた。
 やはりこの子は面白いな、と女、——クロノスは思った。

「まあ、普通はそうよね。だから、今から私が時間を操る神だっていうことを証明するわ」
「どうやって?」
「私はすべての生き物の過去を見ることができる。沙希ちゃんしか知らないはずの出来事をいくらでも列挙できるわ」
「なるほど……」

 沙希が顎に手を当てた。彼女はそう長くは考えなかった。

「……じゃあ、どうぞ」
「ありがと」

 クロノスはウインクをした。

「じゃあ、まず最初はジャブから。貴女、三日前に迷子の男の子を助けてあげたでしょ」
「はい」

 沙希は特に表情を変えない。

「じゃあ二つ目。五日前、貴女はメイド服に水をこぼして頑張って拭き取っていたわね?」

 沙希の瞳が揺れた。はい、と彼女は頷いた。
 今の情報は、沙希が誰にも言っていないし、気づかれてもいないものだ。動揺するのは当然だろう。

「まだまだあるわよー」

 クロノスは片っ端から沙希しか知らないであろう出来事を挙げていった。

「一週間前には花瓶を落としそうになって間一髪でキャッチしていたし、机の奥には友達からもらったエッチな本を隠してあるし、一ヶ月前には一人で入ったお店で間違えて辛いもの頼んじゃって涙目になっていたし……それに」

 クロノスは沙希を見据えた。

「今まで何回か死に戻りもしているわね」
「なっ……⁉︎」

 沙希は目を見開いたまま固まった。彼女は目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をした。
 もう一度開かれた彼女の目には、覚悟の光が灯っていた。

「信じてくれたみたいね」
「……貴女が時の神なのかはわからない。けど、私の想像を超えた能力を持っているのは確か」
「その認識で良いわ」

 クロノスは親指を立てた。

「じゃあ、本題ね」
「本題?」
「ええ。今がどういう状況なのか、そして貴女の今後をどうするのか、という話よ」

 沙希の表情が引きしまる。

「なぜ貴女がこんなところに連れてこられたのか。それは端的に言ってしまえば、貴女がルール違反を犯したからよ」
「ルール……違反?」
「そう。同じ出来事では一度しか死に戻ってはいけない、というルールを、貴女は破ってしまった」
「なっ……⁉︎」

 沙希は絶句した。しかし、その時間は長くはなかった。
 彼女は唇を噛み、そうですよね、と呟いた。

「死に戻りなんてことわりから外れた能力が、何の制限もなしに使えるはずがないっ……」

 後悔の念がひしひしと伝わってくる。
 そう。今の状況は、沙希が己すら把握できていない死に戻りの能力に頼ったせいで生じたものだ。

 しかし、それも仕方ないだろう、というのがクロノスの考えだった。
 自分のせいで空也が死んだと思っている沙希が、彼を助けようと死に戻りの能力に賭けたのは、心情的にも理屈的にも理解できる話だった。

「ということは……私には何かペナルティが与えられる、ということですか?」
「普通なら、そうね」
「えっ?」

 沙希が勢いよく顔を上げた。
 クロノスは沙希に微笑みかけた。

「さすがに今回の展開は厳しすぎたから、もう一度だけチャンスを与えようという話になったのよ」
「それは……神たちの話し合いで、ですか?」
「そう」

 クロノスは頷いた。

「……チャンスが与えられるというのは?」
「選択肢は二つね」

 クロノスは一つ目、と人差し指を立てた。

「貴女が自害する直前に生き返る。貴女の死は無かったことになり、そのまま時が進むわ」
「もう一つは?」

 クロノスは中指を立てた。

「二つ目は、瀬川空也が死ぬ前に死に戻りをする」
「それで——」
「最後まで聞いて」

 口を挟もうとした沙希を、クロノスは手で制した。

「今のだけを聞いたら貴女は後者を選ぶでしょうね。けど、後者にはそれ相応のリスクがあるわ。今回はイレギュラーな死に戻りだから、うまくターニングポイントまで戻れるかわからないの。彼が死ぬ前なのは保証するけど、最悪彼が息絶える一秒前に戻る可能性もあるわ。それに……もう、死に戻りが使えなくなるのよ」
「なるほど。リスクはそれだけですか?」
「えっ? ええ」

 沙希の軽い口調に、クロノスは戸惑いながらも頷いた。
 それなら、と沙希は口元を緩めた。

「選択肢は、後者一択です」
「……本当に良いの? 彼は救えず、貴女や仲間が新たに死ぬ可能性だってあるのよ? それに、前者を選んでおけば、今まで通り死に戻りもできるわ」
「構いません。この命は空也が繋いでくれたもの。彼が生き残る可能性があるならそれに賭けるのは当然です。それに、先の展開がわかっている以上、仲間を死なせるようなドジはしませんから」

 沙希は何の迷いもなく断言した。
 クロノスは言葉に詰まってしまった。沙希の真っ直ぐさが、クロノスには眩しかった。

「……わかったわ」

 クロノスは、いつの間にか詰めていた息を吐きつつ頷いた。

「それじゃあ、今から描く魔法陣の上に乗って」
「はい」

 クロノスは素早く魔法陣を描き上げた。
 沙希は、いささかの躊躇ちゅうちょも見せずにそこに足をかけた。

「……全く躊躇ためらわないのね」
「空也を助けられる可能性があるなら賭けるだけ。それに——」

 沙希が頬を緩めた。

「貴女は良い人だと思うから」
「っ——」

 クロノスは息を呑んだ。自分がだらしない表情を浮かべていると自覚する。

「……それを言うなら、私は良い人ではなく良い神よ」

 善神、と沙希が呟いた。

「そう。私は善神。それじゃあ、やるわよ」

 クロノスは魔法陣に触れた。

「頑張れ、沙希ちゃん」

 沙希が大きく頷いた。ありがとう、とその口が動く。
 クロノスは、魔法陣に魔力を流し込んだ。沙希の身体が光に包まれ、そしてふっと消えた。

「ふうー……」

 クロノスは身体を地面に投げ出した。

「次は、誰がクロノスに・・・・・・・なるのかね・・・・・……」

 それが、彼女・・が残した最後の言葉だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話

妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』 『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』 『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』  大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。

漫画の寝取り竿役に転生して真面目に生きようとしたのに、なぜかエッチな巨乳ヒロインがぐいぐい攻めてくるんだけど?

みずがめ
恋愛
目が覚めたら読んだことのあるエロ漫画の最低寝取り野郎になっていた。 なんでよりによってこんな悪役に転生してしまったんだ。最初はそう落ち込んだが、よく考えれば若いチートボディを手に入れて学生時代をやり直せる。 身体の持ち主が悪人なら意識を乗っ取ったことに心を痛める必要はない。俺がヒロインを寝取りさえしなければ、主人公は精神崩壊することなくハッピーエンドを迎えるだろう。 一時の快楽に身を委ねて他人の人生を狂わせるだなんて、そんな責任を負いたくはない。ここが現実である以上、NTRする気にはなれなかった。メインヒロインとは適切な距離を保っていこう。俺自身がお天道様の下で青春を送るために、そう固く決意した。 ……なのになぜ、俺はヒロインに誘惑されているんだ? ※他サイトでも掲載しています。 ※表紙や作中イラストは、AIイラストレーターのおしつじさん(https://twitter.com/your_shitsuji)に外注契約を通して作成していただきました。おしつじさんのAIイラストはすべて商用利用が認められたものを使用しており、また「小説活動に関する利用許諾」を許可していただいています。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

【完結】おじいちゃんは元勇者

三園 七詩
ファンタジー
元勇者のおじいさんに拾われた子供の話… 親に捨てられ、周りからも見放され生きる事をあきらめた子供の前に国から追放された元勇者のおじいさんが現れる。 エイトを息子のように可愛がり…いつしか子供は強くなり過ぎてしまっていた…

【書籍化】パーティー追放から始まる収納無双!~姪っ子パーティといく最強ハーレム成り上がり~

くーねるでぶる(戒め)
ファンタジー
【24年11月5日発売】 その攻撃、収納する――――ッ!  【収納】のギフトを賜り、冒険者として活躍していたアベルは、ある日、一方的にパーティから追放されてしまう。  理由は、マジックバッグを手に入れたから。  マジックバッグの性能は、全てにおいてアベルの【収納】のギフトを上回っていたのだ。  これは、3度にも及ぶパーティ追放で、すっかり自信を見失った男の再生譚である。

ギルドから追放された実は究極の治癒魔法使い。それに気付いたギルドが崩壊仕掛かってるが、もう知らん。僕は美少女エルフと旅することにしたから。

yonechanish
ファンタジー
僕は治癒魔法使い。 子供の頃、僕は奴隷として売られていた。 そんな僕をギルドマスターが拾ってくれた。 だから、僕は自分に誓ったんだ。 ギルドのメンバーのために、生きるんだって。 でも、僕は皆の役に立てなかったみたい。 「クビ」 その言葉で、僕はギルドから追放された。 一人。 その日からギルドの崩壊が始まった。 僕の治癒魔法は地味だから、皆、僕がどれだけ役に立ったか知らなかったみたい。 だけど、もう遅いよ。 僕は僕なりの旅を始めたから。

王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します

有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。 妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。 さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。 そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。 そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。 現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!

処理中です...