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第二章

第二十七話 王女からのお誘い

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 りん美穂みほ佐々木ささきを中心とした話し合いは、スムーズに進行した。

 結論としては、王宮に残っている九条くじょう家護衛隊と交換という形で、ミサと空也、そして佐々木が王宮へ行くという方向で話が落ち着いた。ミサと空也は王宮を抜け出した実行犯であり、佐々木は九条家で起こったことを説明する役だ、

 現在は、祐馬ゆうまがこの場での決定を玲良れいらまで伝えに行っている。
 彼がいなくなったことで、九条家の面々から緊張が薄れた。事実、萌波もなみなどには笑顔が戻っているし、他の者たちも萌波ほどではないにしろ、肩の力を抜いていた。

 しかし、そんな中でも一人だけ、全く表情の変わらない者がいた。
 否、その表現は正確ではない。

 その少女は、表情という表情を浮かべていなかった。

 数日しか一緒にいないが、彼女は感情の起伏が小さいだけで無感情なわけではないことは、空也にもわかった。無表情に見えて、しっかりと感情は浮かび上がっている。
 が、今の彼女は、本当に何の感情も抱いていない人形のようだった。それが、その表情が記憶の中にある負の感情を押し殺している人たちとそっくりで、空也は声をかけずにはいられなかった。

沙希さきさん」



◇   ◇   ◇



「沙希さん」
「何?」

 沙希は空也の顔を見ながら無機質な声を出した。
 そんな沙希の牽制・・は、空也には通用しなかった。

「僕はその場にいなかったからわからないけど……君は最善を尽くしたと思う」

 ——ああ、この人にはバレているんだ。
 自分が無理をしていることを、空也は知っている。
 その事実から生じる苦しさを、沙希は無表情という仮面の下に封じ込めた。

「周りを見ればわかる。悲しみはあれど、君を責める視線はどこにもない。それは、君ができるだけのことをしっかりやり切った証だ」

 もうやめて——、

 沙希は、そう叫びたくなった。
 確かに沙希は良くやったほうだと思う。だからこそ、沙希に好意的ではない人たちも、決して沙希を責めてはいないのだろう。

 しかし、それは沙希が初見だったらの話だ。
 沙希にとって、今回の襲撃は二回目だった。襲撃があることも、その襲撃者の戦力の一端すら知っていた。

 ——それなのに、犠牲を出した。
 死んだ人間は、沙希が殺したようなものだ。

 どんどん深みにハマっていく沙希の思考は、不意に聞こえた空也の言葉にさえぎられた。

「たとえやり直せたとしても、今回より良い結果が得られるとは限らない」
「……えっ?」

 空也は、沙希のループ能力のことを知っているわけではない。
 それでも、彼が沙希のことを想って絞り出したその言葉は、彼女の心の琴線きんせんに触れた。

「例えばの話だけどね。僕はたまに思うんだ」

 苦笑しながら空也は続けた。

「ああしておけば良かった。こうしておけば良かった。そういういわゆるタラレバってやつは、いつ何時でも浮かんでくる。でも、その度に思うんだ。もしやり直せたとして、本当に次はうまくいくのかなって」

 沙希は、気がつけば空也の話に耳を傾けていた。

「普通に考えたらうまくいく感じがするけど、そんなに物事って都合良く回るのか、不安になるんだ。もし最初は手に入れられなかったものを二回目で手にしたとき、最初に手にしていたものが全部、二回目も手の中にあるのかわからない。ないものねだりをしていると、そこにあったはずの一番大事なものを、気づかぬうちに失くしているかもしれない。

 その空也の言葉一つ一つが、沙希の乾いた心を満たしていくようだった。

「色々ごちゃごちゃ言っちゃったけど、結局何が言いたいかっていうとさ」

 空也は沙希の目を真っ直ぐ見つめて告げた。

「難しい状況の中で、沙希さんはすごく頑張ったよ。お疲れ様」
「っ……!」

 頑張った。お疲れ様。
 そんな普通・・の言葉に、沙希は目尻の奥が熱くなるのを感じた。

「今は、我慢しなくて良いよ」

 沙希の両の目から、雫がこぼれ落ちた。

「うっ……ううっ……」

 空也がその背を叩き、沙希は空也の服を掴んでその胸に顔を埋めた。

 沙希は決して大声を張り上げたりはしなかった。
 しかし、その静かに嗚咽おえつを漏らす姿は、見ていた者たちの心をより一層締めつけた。



 沙希が泣き終わるまで、空也はその背中や頭をゆっくりと撫でていた。



◇   ◇   ◇



「改めてありがとう、空也君、ミ……【光の女王】。あなたたちは九条くじょう家を救ってくれた。事情は王女もわかってくれるはずよ」
「はい、美穂みほさん。ありがとうございます」
「ありがとうございます」

 美穂からの気遣いに対して、空也とミサは頭を下げた。

「行きましょう」

 凛のかけ声で祐馬、佐々木、ミサ、そして空也は馬車に乗り込んだ。
 佐々木が魔法は得意ではないため、「【魔の障壁マギア・トイコス】を横倒しに生成して足場とし、空中を駆けて行く」という上級魔法師の移動手段は使われなかった。



◇   ◇   ◇



 ——王宮にて。
 まずはお互いの状況を報告し合いましょう、という玲良の一声で、報告会が行われた。

 裁判閉廷時の呆然とした様子とは一転して、瑞樹みずきは素直に供述を始めたそうだ。浩二郎こうじろうは自分が瑞樹の命令に従わされていたと知ると発狂し、今はその反動か、魂が抜けた状態になっているらしいが、瑞樹のみで大体の情報は集まったということで、空也たちは玲良から事件のあらましについての説明を受けていた。

 十年前、瑞樹は「浩二郎、健一けんいち歩美あゆみに対して支援魔術を常時発動し続ける」魔法を、浩二郎から空也にかけさせた。
 また、その過程で瑞樹は浩二郎に「瑞樹に対して支援魔法を常時発動し続ける」、そして「瑞樹の命令に逆らえなくなる」という二つの呪術も同時にかけた。

 そうすることで瑞樹は、万が一空也の呪術が解除されてもその責任は術者である浩二郎のみに押しつけ、自分が疑われないようにした。 

 そして裁判中に全てが露見しそうになったとき、瑞樹は裁判自体の不成立を目論もくろみ、浩二郎に命令をして玲良に特攻をさせた――。

 それが、玲良の説明した内容だった。

「情報提供に裁判での証明、そして私の命を救ってくださりありがとうございました。改めてお礼申し上げます」

 玲良が頭を下げた。

「以上が顛末てんまつですが、何か質問はございますか?」

 皆の視線が空也に向く。

 事の中心である自分を気遣ってくれているのだと気づき、空也はその厚意に甘えて最初に質問を口にした。

「僕からよろしいですか?」
「どうぞ」
「彼らの処遇はどうなりますか?」

 玲良はわずかに顔を歪ませた。空也としても彼女に言わせたくはなかったが、他に選択肢はなかった。

「……呪術の使用が絡みますから全員軽い刑にはなりません。特に瀬川浩二郎、瑞樹夫妻は極刑を免れないでしょう。ただ、瀬川健一と瀬川歩美は子供で知らされていなかったという部分を考慮して、命までは取られないと思います」
「なるほど。ありがとうございます」

 空也はホッと息を吐いた。

「空也さんは被害者です。彼らの刑に関して何か意見がおありなら、可能な限り王宮でも検討いたしますが」
「本当ですか? それなら健一と歩美はなるべく軽い刑にしてあげて欲しい、というのが僕の望みです」
「軽く……ですか?」

 玲良の目が見開かれた。
 そして、心の内を見透かすように空也の目を覗き込んでくる。

「これはお答えしなくても結構ですが、理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「彼らは幼いころからあの両親に育てられ、しかも頼んでいない強大な力まで手に入れてしまった被害者ですから。罪はありません」
「……貴方はすごい人です」

 玲良がふっと息を吐いた。

「本来なら極刑を求刑しても誰も文句は言わない状況なのに、相手のことを考えられる。とても素晴らしい考え方です」
「王女にそうおっしゃっていただけて光栄です」

 空也は頭を下げた。

「他に何かございますか?」

 玲良の質問に、空也を含め全員が首を振った。

「それでは、今度は九条家襲撃についての報告をお願いします」



◇   ◇   ◇



 基本的には説明は佐々木に任せ、空也とミサ、凛で補足をした。

 祐馬からすでに聞いていたのだろう。大河たいが吉田よしだは護衛隊から複数の犠牲者が出たことを聞いても、大袈裟な反応は見せなかった。
 しかし、それは彼らが修羅場を何回も潜ってきているからであり、同じ対応をまだ経験の浅い少女に求めるのは酷だろう。

 皐月さつきは一見すると落ち着いていたが、よく見ればその拳は硬く握りしめられ、かすかに震えていた。魔力の乱れも感じられる。精神が安定していない証拠だ。
 どうするべきか、と空也は悩んだが、何かをする必要はなかった。

 ミサがそっと皐月の手を握り、励ますように頷いた。皐月の身体から力が抜ける。

 空也は安堵の息を吐いて、意識を皐月から逸らした。

「そうですか……お悔やみ申し上げます」

 報告が終わると、玲良は目を閉じてそう言った。

「恐縮です」
「そんなお話を聞いた直後で申し訳ないのですが……その襲撃者たちに心当たりはおありですか?」
「いえ、全く」

 大河が大きく首を振った。

「どこからも恨まれていない……といえば嘘になりますが、今回は戦力のかけ方が異様なように思います。ここまでの規模でウチに仕掛けられる組織には、残念ながら心当たりはありません」
「光の女王は?」
「私も同意見です」
「そうですか……」

 玲良がこぼしたその呟きを最後に、室内は重苦しい沈黙に包まれた。
 それぞれが思案を巡らせるように、ある者は目を閉じ、ある者は宙を見つめていたが、そんな時間は長くは続かなかった。

「わかりました。その襲撃者たちの身柄は九条家にお任せするので、何かわかりましたらお伝えください」
「承知しました」
「では、最後に」

 玲良の瞳が空也とミサを捉える。

「お二人の処遇についてですが……執行猶予しっこうゆうよ付きの禁錮刑きんこけいに処したいと思います」
「執行猶予?」

 聞いたことのない単語に空也は首を傾げた。

「執行猶予とは、刑の執行の猶予期間を与える制度のことです。罪は犯したものの
情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地がある者に適用されます。ほとんどは減刑で済ませるのであまり周知はされていない制度ですが、今回のお二人の働きは大きい。今ここにいることからも脱走の意思はなかったと考えられますので、執行猶予付きが妥当だと判断しました。猶予期間終了時に王宮へいらしていただく必要はございますが、期間内に再び法を犯すことがなければ、実刑が下ることはありません」
「寛大な処置に感謝いたします」
「ありがとうございます」

 ミサと空也が頭を下げれば、玲良は柔らかく微笑んだ。その笑顔は、その正体が為政者であることなど忘れさせるほど綺麗なものだった。



◇   ◇   ◇



「あ、空也さん」

 九条家の者たちに続いて最後に部屋を出ようとした空也の背中に、玲良から声がかかる。

「何でしょう?」
「現在は九条家にご滞在ということでしたが、今後はどうなさるおつもりですか?」
「今後ですか」

 執行猶予の身だし、動向を探っておきたいのだろうな、と空也は思った。
 しかし、それは普通のことのように思われたので、空也は不快感を覚えることもなく包み隠さずに答えた。

「これ以上お世話になるわけにもいかないので、九条家は出ようと思っています。その後は冒険者で適当に稼ぐつもりです」
「そうですか……」

 しばし考える様子を見せた後、玲良は思わぬ「お願い」をしてきた。

「もしご都合がついたらで構わないのですが、数日後にもう一度王宮へお越しいただくことは可能でしょうか? 少々お話があります」
「もちろん構いませんが……お話とは?」
「そのときにお話しします」

 口元を緩ませた玲良に答える気がないことを悟った空也は、それ以上追求はしなかった。

「では、数日後に伺います」
「お待ちしています。お引き止めして申し訳ございませんでした」
「いえ。それでは健一と歩美のこと、よろしくお願いいたします」

 そう言って頭を下げ、空也は部屋を退出した。
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