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第二十一話 ポテンシャル

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 クレアとアイザックの修行を始めて、私は一つの事実を痛感した。
 それは、レイモンドとソフィアは良い子過ぎた、という事だ。

 クレアとアイザックも勿論真剣にやっているというのは間違いない。
 ただ、やはり彼らはまだ十歳と幼い。
 私やレイモンドがいなければ、ホワイト家の修練場は何回か修理が必要になっていただろう。

 まあ、それは二人が霊術に秀でている証明でもあるのだが。

 そう。最初から感じていた事だが、二人は本当に筋が良い。
 見習いになるためにも一応試験のようなものはあるが、この調子なら全く問題ないだろう。
 どころか、このまま成長すればしっかりとした戦力になれるだけのポテンシャルはある。

 少し前に受けた検定でもE級霊能者にはなっていたから、ここ一、二年で見習いにはなれるだろう。

 見習いと言えば、ソフィアは見習いの試験に一発で合格をした。
 私の方針でまだ難しい技は覚えていないが、多くの基本的な技を補助媒体なしで完成度高く放てるのだから、当然と言えば当然だ。

「リリーが来た時の事を思い出すな。洗練具合が他とは段違いだ」

 グレイスがソフィアの霊術を見た時に言った言葉だ。
 なんだか誇らしい気分になったのを覚えている。あれは悪くなかった。

 そして、そんなソフィアが今日、初めて実戦に臨む。







 夜。
 まだ七歳になる手前だと言うのに、ソフィアは落ち着いている。

「ソフィー、怖くないの?」

 その顔を覗き込めば、ソフィアは首を振った。

「怖くないよ。リリーとレイがいるから」

 その台詞から感じられるのは、私達への真っ直ぐな信頼。
 それは嬉しい。
 だが、同時に危険だとも感じた。

 だから私は、わざと突き放すように言った。

「私とレイは、戦場で貴女を助けるつもりはないわよ」
「えっ?」
「ソフィー。マテオさんから言われた言葉、覚えている?」
「えっと、全力を尽くせ、って」
「そうでしょ? じゃあ、最初から私やレイ、他人を頼ろうとする事は全力を尽くしてる、って言える?」
「……言えない」

 ソフィアがややしょんぼりしながら首を振る。
 心が痛むが、ここで引くのはソフィアのためにもならない。

「それに、そもそも私達がいつでもソフィアを守れる状態でいられる保証もない。誰かのサポートをアテにするのは、はっきり言って甘いわ。まずは自分一人でなんとかしなさい」
「……分かった。頑張る!」

 瞳に不安の色を宿しながらも健気に頷く姿は、思わず抱き締めたくなるものがあるが、我慢だ。
 ソフィアの才能に疑いはない。
 問題があるとすれば、それは精神の方だ。

 先程の発言からも分かる事だが、私やレイが彼女の精神安定剤になっている事は私の自惚れではないだろう。
 最終的には私やレイが助けてくれる、と彼女はどこかで思っている。
 アニメのヒロインならそれで本当に助けが来るのだろうが、ここは現実だ。
 心のどこかに隙があれば、命など一瞬で尽きる。

 だから、今のソフィアに必要なのは経験だ。
 私やレイ、他の人の助けを借りずに自分だけでやりきるという経験が。

 私はソフィアの対応をレイモンドに任せ、グレイスに近付いた。

「グレイスさん」
「何だ?」
「お話があります」







「行くぞ」

 アンドリューの短い言葉を皮切りに、集団はスポット内に足を踏み入れた。

 グレイスは自分の斜め後ろにいる桜色の少女に視線を向けた。
 少女、ソフィアは緊張した面持ちであたりを見回している。
 その隣にはいつも以上に雰囲気の鋭いリリーがいた。

 先程のリリーとの会話を思い出す。



『ソフィアが除霊にある程度慣れたと感じたら、あの子を一人にします。もしあの子が危機に陥っても、絶対にあの子に気を向けないで下さい』



 その言葉通り、最初の何体かは一緒に除霊をしていたが、そのうちすぐにリリーはソフィアの元を離れた。

 ソフィアは確実に霊を祓ってはいたが、その顔には不安の色が浮かんでいる。
 気を向けるな、と言われても、七歳手前の少女が一人で除霊をしているのだ。気にするなという方が無理な話だろう。
 だが、リリーとレイモンドは不自然と言って良いほどにソフィアに視線を向けなかった。
 時々ソフィアが二人に視線を向けても、おそらく彼女の視界には二人の背中しか映っていない。

 本当に二人はソフィアを放っておくつもりなのだろうか。

 しかし、二人の動きを観察していると、グレイスはその不自然な動きに気が付いた。
 目的はすぐに分かった。

 二人は、自分とソフィアの間に障害物が存在しないように、絶えず自分の立ち位置を調整しているのだ。
 視線こそ向けていないだけで、二人の意識は絶えずソフィアに向けられていた。

『命に繋がる事だったり重傷を負ったりするような事には、私が死んでもさせませんから』

 そう言ってのけたリリーの目を思い出し、グレイスはソフィアから意識を逸らした。
 あの二人がいればソフィアは大丈夫だ。
 私は私の仕事に集中しよう。

 グレイスは迫り来る霊に意識を向け、《霊弾》を放つ。
 攻撃技はてんで弱いが、除霊しきれなかったら一度《聖域》などで自分の身を守り、霊を遠ざけてから再度攻撃すればいいだけなので、グレイスの低レベル相手の除霊は半ば作業だ。

 目線の先では、リリーやレイモンドが様々な技を状況に合わせて繰り出している。ソフィアだって《霊弾》や《霊刃》などを使い分けている。

 小さな三人の天才に嫉妬を感じないと言ったら、それは嘘だ。
 先天性、後天性の違いはあるが皆自己完結霊能者で、攻撃、防御ともに出来る。
 レイモンドは攻撃寄りでソフィアは守備寄りだが、それでも最低限の技は習得している。
 恐らく、技の種類だけで見たらレイモンドはネイサンの、ソフィアは私の完全な上位互換となるだろう。
 そして、リリーには恐らくどちらでも勝てなくなる日がくる。

 ただ、グレイスは別にその三人に負の感情を抱いている訳ではない。
 どんなに強かろうとも、彼らはまだ子供だ。心身ともに健やかに成長して欲しいと願っている。

 だから、ソフィアの悲鳴が聞こえた時は、心臓が飛び跳ねた。

「ソフィー⁉」

 振り返れば、ソフィアがいた場所に霊が集団で襲い掛かっていた。
 その中にはC級の霊もおり、ソフィアは《聖域》で身を守ってはいるが、その表情には怯えが走っていた。

 《聖域》が揺らぐ。精神が不安定では、霊術の精度は落ちるのだ。
 これは流石に助けるべきだろう。

 しかし、ソフィアの方に伸ばそうとしたグレイスの腕は誰かに捕まれた。
 リリーだ。

「リリー。C級も混じっているんだぞ」
「分かっています。まあ、見ていてください」

 リリーは一歩ソフィアに近付くと、

「ソフィー」

 と、だけ声を掛けた。
 ソフィアとリリーの視線が交差し、リリーが首を縦に振る。

 その次の瞬間、グレイスは凄まじい霊力を感じた。

「皆、ソフィアから離れて!」

 リリーとレイモンドが同時に叫んだ。
 直後、黒色の空気がソフィアの周辺を包み込んだ。

「これは……!」

 信じられない。
 霊だけではない。木々や葉っぱなど、その結界の内部にあった全てのものが一瞬にして消え去った。
 ソフィアを除いて。

「これは……予想していませんでしたね」

 呆然と呟いたリリーが、楽しそうにクツクツと笑った。

「《排域リジェクション》か……」

 《排域》。
 防御技の中でも相当難易度の高い技で、《聖域》や《幻域》、《封域》などとはそもそもの原理が異なる。
 それらの結界は全て場所を指定して生成するが、《排域》は霊能者を中心に生成され、その内部に入った自分以外の全てのものを消し去ってしまう。
 だから、《聖域》などのように仲間の周囲に生成してその身体を守る事は出来ないが、自分の身を守るだけならこの技ほど有効なものはない。

 そんな技を、ソフィアはこの土壇場で披露してみせたのだ。

「うっ……」

 ソフィアがふらつく。

 それを素早い動作でレイモンドとリリーが左右から支えた。

「よっと」

 リリーがソフィアを背負う。

「あれ……リリー?」
「お疲れ様、ソフィー。今はゆっくり休んで良いわよ」
「うん……」

 ソフィアはすぐにコックリコックリと舟を漕ぎ始めた。

「大丈夫か?」

 アンドリューがやってきた。

「はい。疲れてしまっただけです。まだ霊力は枯渇していないでしょうから、精神的疲労でしょう」

 あんな技をやってもまだ霊力が尽きないとは、恐ろしい子だ。

「そうか。粗方除霊は済ませたし、お前らは今日はもう上がって良いぞ。グレイスも」
「私も?」
「ああ。後はネイサンが暴れてりゃ終わる」
「分かった」

 遠くから聞こえてくるネイサンの叫び声に苦笑しながら、グレイスはリリー達と共に本部に向かった。

「ソフィーは《排域》を練習していたのか?」
「いえ。一、二度試しにやらせただけで、その時も完成はしていませんでした。今も、《聖域》の強度を上げて霊を弾き飛ばして欲しかったんですが……」

 リリーが自分の背中で眠る少女を見た。

「思った以上に鋼の精神なのかもしれませんね」
「ああ。お前の時とはまた違った衝撃だ」
「ポテンシャルで言えば、ソフィーは私と比べ物にならないくらいのものがありますよ。それこそ、私よりレイと比較して良いくらいに」

 そういうリリーの表情は、悔しそうであると同時に楽しそうだった。
 きっと、彼女も私と同じ気持ちなのだろう。

「でもリリーさんの工夫とか発想に比べれば、僕らはまだまだだよ。この前も何か新しい技考えていたじゃん」
「まあ、霊術って基本的に《霊弾》や《霊刃》、《霊撃破》あたりの技しか使われないからね。情報媒体がないだけで、可能性は無限大にあると思うよ。それに、私のは既存の技を組み合わせたり別の要素で使っているだけだし」

 レイモンドの言葉に、リリーは嬉しいような、それでいて困ったような表情をしながら言った。

「だが、そもそも情報媒体がない、文献にもない技をやってみようとする事自体が凄いと思うぞ」

 グレイスがそう言えば、リリーは複雑な表情を維持しながら

「有難うございます」

 と、お礼を言った。
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