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第十八話 殺人の意味―前編―
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「レイー、そっち行ったぞ!」
「了解です」
指示を受け、レイモンドは自身から離れようとする少年の背中を負って走り出した。
みるみるその背中は大きくなり、レイモンドはその背中に自分の手のひらを当てた。
「タッチです」
「あ、くっそー……!」
少年、アイザックが膝に両手をついた。
「レイ……お前早すぎだろ」
「有難うございます。では、牢屋へどうぞ」
「へいへい」
アイザックが何人もの人間が固まっているところへ歩いて行く。
大半の人間が座っているが、リリーとソフィアだけはその周囲をぐるぐると歩き回っていた。
リリーが親指を突き出してくる。
レイモンドはそれに頷いて答えると、視線を反対側に向けた。
《憑依生物》二体と《解放軍》に遭遇してから数日が経った。
一夜明けて、リリーの表情は幾分晴れやかにはなったが、数日経っても元通りにはならなかった。
落ち込んでいる……というのもあるのだろうが、それよりは何か悩んでいるようにレイモンドには感じられた。
それは当然リリーの友達も気付いており、今こうしてレイモンドが人間を追いかけては捕まえているのもそこに原因があった。
要は、皆で遊んでリリーを元気付けようというわけだ。
発案者は先程レイモンドが捕まえたアイザックだ。
彼はリリーに好意を持っているようだとは薄々感付いていたが、そんな彼がリリーに縁のある人物に次々と声を掛け、集まれた人間で、学校の敷地を使って遊んでいるのだ。
最初は鬼ごっこや縄跳びをして遊んでおり、今は「ケードロ」という遊びをしている。
軍隊と泥棒に分かれ、軍隊が宝を守りつつ泥棒を捕まえ、泥棒は軍隊から逃げながら隙を見て宝を奪う、という遊びで、リリーの提案だ。
木々や茂みの生い茂っている学校は、この遊びにはうってつけの場所だ。
彼女に少し笑顔が戻った事にホッとしつつ、子供の頃にあまり友達と遊んでこなかったレイモンドも、なんだかんだでこの時間を楽しんでいた。
「終わりでーす!」
アイザックの声が響く。
最後の泥棒だったクレアがリリーに捕まり、軍隊の勝利となった。
「もうー、あんたら速すぎよ……」
クレアが地面に身体を投げ出して呟くと、各所から同意の声が上がる。
あんたらとは、リリーとレイモンドの事だ。
「ソフィーも六歳とは思えないほど速いし……」
これにも各所から同意の声。
ソフィアは褒められて嬉しそうだ。
「じゃあもういっそ、あんたら三人で軍隊、他は泥棒にしよう!」
クレアの提案に、また各所から同意の声が上がった。
「……これは厳しそうね」
リリーの声に、他の三人は頷いた。レイモンド、アイザック、ソフィアだ。
抗議活動によりアイザックは引き入れたが、それでも軍隊側は四人。泥棒は十一人。
今までのゲームが七人対八人だった事を考えれば、相当不利だ。
「俺は疲れたからちょっと牢屋に居てえな」
「私もー」
アイザックとソフィアが牢屋の前で腰を下ろす。
となれば、自動的に捕まえに行くのはレイモンドとリリーだ。
「速そうなのいっとく?」
「うん」
二人で駆け出す。
「私、クレア捕まえるね」
「了解」
さっきも最後まで生き残ったクレアを捕まえるのは合理的だ。
レイモンドはリリーにクレアを任せて別の人を捕まえに行った……ように見せて、木の陰に身を隠した。
声と足音で、リリーに追いかけられたクレアが向かってくるのが分かる。
タイミングを計り、レイモンドは木陰から飛び出した。
「ええ⁉」
クレアが急転換しようとするが、その前にレイモンドの手がその身体を捕らえた。
「二人はなしよー!」
「いや、クレアさん強敵なので」
抗議するクレアを牢屋に連れて行き、牢屋で待機していた二人に引き渡して再び泥棒を捕まえに行く。
茂みに入ろうというところで、レイモンドは身体に違和感を感じた。
何だ。この気だるい感じは。
自分の身体をチェックしていると、不意に腕を掴まれ、茂みに引っ張り込まれた。
リリーだ。
「リリーさん?」
「レイ、《霊弾》出そうとしてみて」
「えっ?」
「早く」
「う、うん」
リリーからただならぬ気配を感じ、レイモンドは戸惑いながらも《霊弾》を生成した……はずだった。
「あれっ?」
しかし、そこには霊力の弾は生まれなかった。
何回かトライするが、結果は同じだった。
「どういう事?」
「あれ見て」
茂みからリリーの指差す方を見ると、一人の女を中心に、屈強な男達を周囲に配置した集団が校庭に侵入してきており、その集団から離れて一人後ろにいる男が箱のようなものを持っていた。
「誰?」
「分からない。それよりも注目して欲しいのは箱よ」
リリーに言われて目を凝らしてみると、その箱の上部に「封」という文字が刻まれていた。
「あれ、あの箱どこかで……」
「封印箱なんて呼ばれる、情報媒体の一つね」
「あっ」
思い出した。昔、一度だけ見た事があったのだ。
封印箱は、防御技の中でも難易度の高い《封域》を展開するための情報媒体だ。
箱は全部で四つあり、その四つを起点として結界が発動する。その結界の中では霊術が使えなくなるのだ。
「じゃあ、残りの三人もどこかに?」
「多分ね」
「何者なんだろう?」
「さあ。今は取り敢えずは様子を見つつ、誰かに危害が加えられそうなら助け……っ⁉」
リリーが息を呑んだ。
彼女の視線を辿り、その原因はレイモンドにもすぐに分かった。
牢屋があった場所にアイザックが倒れており、クレアとソフィアが二人の男に拘束されていたのだ。
封印箱の男を見ているとそこは死角になるため、二人とも気付かなかったのだ。
その首元には剣が当てられている。
「全員、注目!」
大声に視線を戻せば、集団の中にいた女が立っていた。右腕を天に掲げている。
握られているのは拳銃……だろうか。
女は校舎の壁に向かって引き金を引いた。一部の壁が砕ける。
どうやら本物のようだ。
「そこのガキ二人がこうなって欲しくなきゃ、全員姿を見せな! 安心しろ。抵抗しなきゃ誰も撃たねえからよ……いるんだろ? レイモンドとリリー!」
女の声は憎悪にまみれていた。
《封域》を展開した時点でなんとなく察してはいたが、やはり狙いは自分達のようだ。
何故憎まれているのかは分からないが。
木々や茂みに隠れていた泥棒側の者達が次々と姿を現す。
「レイ、貴方はここにいて」
「待って」
立ち上がろうとするリリーの袖を引っ張る。
「でも、このままじゃ何されるか分からない。霊術も使えないし、他の皆を危険に晒す訳にはいかないよ」
「でも、自己強化なら出来るじゃん」
自己強化。
霊力を体内に流し、各部位の働きを促進する術で、ドーピングのようなものだ。
消費霊力はそこまでだが、身体への負担が大きいため霊との戦闘では滅多に使われない。
「姿を見せて油断させたところであの女の人から銃を奪って、二人を拘束している奴らを殺せば……」
「駄目」
リリーが首を振った。
「殺しは最終手段よ。私も殺したくないし、レイにも殺させない」
以前までのレイモンドなら、このリリーの言葉を甘い、と一蹴していただろう。
しかし、彼の頭にはグレイスの言葉があった。
相手を理解しようとしろ、と彼女は言った。そのためには、相手の言葉に従ってみろ、とも。
だから、レイモンドは聞いてみた。
「でも、じゃあどうするの? このままリリーが出て行っても、状況が好転するとは思えない。逆にリリーが撃たれでもしたら、それこそ万事休すだよ」
「……そうね」
リリーは考え込むように顎に手を当てた。
その一方で、皆は続々と女の元に集まっていた。
ケードロの陣営を分かりやすくするために全員が帽子を被っているためまだバレていないが、帽子を取れば二人がいないのはすぐにバレルだろう。
向こうがレイモンド達の髪色を把握していないとも思えない。
「一つ、策があるわ」
そんな状況下で、リリーはにやりと笑った。
「特徴的な黄色と水色って聞いてたんだが……隠れてんのか⁉」
「いますよ」
茂みから二人で姿を現す。
すかさず二人の男が走ってきて、レイモンド達の首元に剣を当てた。
これで、女の近くにいるのは一人だけになった。
計画通りだ。
「コソコソ隠れやがって、情ねえなあ」
女は口元は緩んでいるが、その眼は相変わらず憎悪に満ちていた。
本当に、自分達は何かしたんだろうか。今更ながら疑問だ。
「この髪色、生意気そうな目……間違いなさそうだな」
女に顔を殴られる。
その反動でリリーと目が合った瞬間、彼女はウインクをした。
――作戦開始だ。
レイモンドは瞬時に身体中に霊力を巡らせると、自分の首元に回されている男の腕を掴みながら、その股間を踵で蹴り上げた。
そのまま女の横に立っている男の鳩尾に拳を入れ、ソフィアの元へ走る。
並走するリリーの手には拳銃。
リリーは女の方を倒したのだ。
ソフィアとクレアを拘束していた二人の男が状況を理解する頃には、二人はレイモンドとリリーによって倒されていた。
レイモンドは方向転換をして、起き上がろうとしている女とその横の男の元へ走る。
一方で、リリーは拳銃を封印箱に向け、躊躇いなく引き金を引いた。
弾は正確に飛んでいき、封印箱を破壊した。
次の瞬間、《聖域》が生徒達を包み、その場にいた女と五名の男は《霊弾》を受けて倒れた。
《聖域》はリリー、《霊弾》はレイモンドのものだ。
レイモンドとリリーはそのまま《霊壁》を足場に空中に上がり、《封域》を作っていた四人に特大の《霊弾》を放った。
四人が発光する。
恐らくは慌てて《霊壁》でも作ったのだろうが、《霊弾》はいとも容易くそれを突き破り、四人の意識を刈り取った。
「もういないかな?」
「僕があの四人の回収ついでに見てくるよ」
「分かった。私はあそこにいる奴らを拘束しておくよ。気を付けて」
「うん」
結局他に仲間はおらず、やがて駆け付けた軍によって侵入者は全員回収された。
そして今、レイモンドとリリーは軍の本部で侵入者の女と向かい合っていた。
二人を出せ、という事以外、女は何も喋ろうとはしなかったからだ。
今も拘束されてはいるが、その目はこちらを睨んでいる。
「……てめえらに聞きたい事がある」
睨んではいるが、その声は静かだった。
少なくとも学校にいた時のように興奮はしていない。
「何でしょう?」
「何故、私達を殺さなかった?」
その疑問には、リリーが即答した。
「殺さなくて済んだからです」
「……どういう意味だ」
「私は、敵であってもなるべくなら殺したくはありません」
「ならっ!」
女は突然、大声を上げた。
「何故てめえらは、姉貴を殺した!」
「……姉貴?」
何の話だ、という風にリリーが聞き返す。
レイモンドにも心当たりがない。
「ふざけるな! 姉貴は数日前、友達と家を出て行ったきり、戻らなかった! そしたら次の日の朝、友達だけが怪我をして帰ってきてこう言った! お前の姉貴は軍のガキが《解放軍》に放った霊術に巻き込まれて死んだと! 遠くて髪色とかは分からなかったが、姿形は間違いなくガキだったってな! 戦闘に参加していた軍のガキはてめえら二人しかいねえ事は簡単に調べがついた。てめえらのどっちかが姉貴を殺したんだろうが!」
「それは違います。先の戦闘では《解放軍》の構成員以外は死んでいません」
「噓つくな!」
リリーは少し黙り込み、レイモンドとアンドリューを呼び寄せた。
「どうやって誤魔化そう、ってか」
女のせせら笑いを無視して、リリーが小声でいった。
「もしかしたら、彼女のお姉さんは彼女に《解放軍》の構成員である事を隠していたかもしれません」
「充分あり得る話だな。だとしたらその友達も構成員である可能性が高いな。遺体は皆、《解放軍》の服装をしていた。巻き込まれた、なんて情景はまず有り得ない」
「他の生き残った構成員の居場所は分かりませんし、その友達とやらを訪ねますか?」
「そうだな……」
「あの」
レイモンドは二人の会話が中断した時に手を挙げた。
「何?」
「僕、一人だけなら生き残った構成員の顔を見ています」
「本当か?」
「はい。最初に僕を襲った人なんですが、鼻筋の通った銀髪の女性でした。あと、左目の下に黒子がありました」
「それはかなり特徴的な顔立ちだな。よしっ」
アンドリューが振り返った。
「おい」
「何だ。言い訳は整ったのか?」
「違う。その友達について聞きたい」
「……あ?」
「そのお姉さんの友達というのは、左目の下に黒子のある銀髪の女性か?」
女の目が見開かれる。
「てめえら、やっぱり……!」
「違う。良いか。よく聞け」
アンドリューが女を手で制した。
「その友達は、《解放軍》の構成員だ。そして、おそらく君のお姉さんも」
「なっ⁉」
女は目に見えて動揺した。
「嘘だ! そんなまさか……!」
少し時間をおいてから、リリーが口を開いた。
「あの暗い森の中で黒子の位置まで知るためには、相当な至近距離で顔を合わせなければなりません。それなのに友達の口からはこの子の特徴は一切漏れていないし、そもそも巻き込まれただけの一般人がそんなに近くで顔を見られているというのもおかしな話です」
「でも、姉貴やステラがあんな……あんな狂信集団に入っているわけがない!」
「なら」
アンドリューが立ち上がった。
「一度、あんたの姉の住んでいる家を探索させてもらえないだろうか?」
「了解です」
指示を受け、レイモンドは自身から離れようとする少年の背中を負って走り出した。
みるみるその背中は大きくなり、レイモンドはその背中に自分の手のひらを当てた。
「タッチです」
「あ、くっそー……!」
少年、アイザックが膝に両手をついた。
「レイ……お前早すぎだろ」
「有難うございます。では、牢屋へどうぞ」
「へいへい」
アイザックが何人もの人間が固まっているところへ歩いて行く。
大半の人間が座っているが、リリーとソフィアだけはその周囲をぐるぐると歩き回っていた。
リリーが親指を突き出してくる。
レイモンドはそれに頷いて答えると、視線を反対側に向けた。
《憑依生物》二体と《解放軍》に遭遇してから数日が経った。
一夜明けて、リリーの表情は幾分晴れやかにはなったが、数日経っても元通りにはならなかった。
落ち込んでいる……というのもあるのだろうが、それよりは何か悩んでいるようにレイモンドには感じられた。
それは当然リリーの友達も気付いており、今こうしてレイモンドが人間を追いかけては捕まえているのもそこに原因があった。
要は、皆で遊んでリリーを元気付けようというわけだ。
発案者は先程レイモンドが捕まえたアイザックだ。
彼はリリーに好意を持っているようだとは薄々感付いていたが、そんな彼がリリーに縁のある人物に次々と声を掛け、集まれた人間で、学校の敷地を使って遊んでいるのだ。
最初は鬼ごっこや縄跳びをして遊んでおり、今は「ケードロ」という遊びをしている。
軍隊と泥棒に分かれ、軍隊が宝を守りつつ泥棒を捕まえ、泥棒は軍隊から逃げながら隙を見て宝を奪う、という遊びで、リリーの提案だ。
木々や茂みの生い茂っている学校は、この遊びにはうってつけの場所だ。
彼女に少し笑顔が戻った事にホッとしつつ、子供の頃にあまり友達と遊んでこなかったレイモンドも、なんだかんだでこの時間を楽しんでいた。
「終わりでーす!」
アイザックの声が響く。
最後の泥棒だったクレアがリリーに捕まり、軍隊の勝利となった。
「もうー、あんたら速すぎよ……」
クレアが地面に身体を投げ出して呟くと、各所から同意の声が上がる。
あんたらとは、リリーとレイモンドの事だ。
「ソフィーも六歳とは思えないほど速いし……」
これにも各所から同意の声。
ソフィアは褒められて嬉しそうだ。
「じゃあもういっそ、あんたら三人で軍隊、他は泥棒にしよう!」
クレアの提案に、また各所から同意の声が上がった。
「……これは厳しそうね」
リリーの声に、他の三人は頷いた。レイモンド、アイザック、ソフィアだ。
抗議活動によりアイザックは引き入れたが、それでも軍隊側は四人。泥棒は十一人。
今までのゲームが七人対八人だった事を考えれば、相当不利だ。
「俺は疲れたからちょっと牢屋に居てえな」
「私もー」
アイザックとソフィアが牢屋の前で腰を下ろす。
となれば、自動的に捕まえに行くのはレイモンドとリリーだ。
「速そうなのいっとく?」
「うん」
二人で駆け出す。
「私、クレア捕まえるね」
「了解」
さっきも最後まで生き残ったクレアを捕まえるのは合理的だ。
レイモンドはリリーにクレアを任せて別の人を捕まえに行った……ように見せて、木の陰に身を隠した。
声と足音で、リリーに追いかけられたクレアが向かってくるのが分かる。
タイミングを計り、レイモンドは木陰から飛び出した。
「ええ⁉」
クレアが急転換しようとするが、その前にレイモンドの手がその身体を捕らえた。
「二人はなしよー!」
「いや、クレアさん強敵なので」
抗議するクレアを牢屋に連れて行き、牢屋で待機していた二人に引き渡して再び泥棒を捕まえに行く。
茂みに入ろうというところで、レイモンドは身体に違和感を感じた。
何だ。この気だるい感じは。
自分の身体をチェックしていると、不意に腕を掴まれ、茂みに引っ張り込まれた。
リリーだ。
「リリーさん?」
「レイ、《霊弾》出そうとしてみて」
「えっ?」
「早く」
「う、うん」
リリーからただならぬ気配を感じ、レイモンドは戸惑いながらも《霊弾》を生成した……はずだった。
「あれっ?」
しかし、そこには霊力の弾は生まれなかった。
何回かトライするが、結果は同じだった。
「どういう事?」
「あれ見て」
茂みからリリーの指差す方を見ると、一人の女を中心に、屈強な男達を周囲に配置した集団が校庭に侵入してきており、その集団から離れて一人後ろにいる男が箱のようなものを持っていた。
「誰?」
「分からない。それよりも注目して欲しいのは箱よ」
リリーに言われて目を凝らしてみると、その箱の上部に「封」という文字が刻まれていた。
「あれ、あの箱どこかで……」
「封印箱なんて呼ばれる、情報媒体の一つね」
「あっ」
思い出した。昔、一度だけ見た事があったのだ。
封印箱は、防御技の中でも難易度の高い《封域》を展開するための情報媒体だ。
箱は全部で四つあり、その四つを起点として結界が発動する。その結界の中では霊術が使えなくなるのだ。
「じゃあ、残りの三人もどこかに?」
「多分ね」
「何者なんだろう?」
「さあ。今は取り敢えずは様子を見つつ、誰かに危害が加えられそうなら助け……っ⁉」
リリーが息を呑んだ。
彼女の視線を辿り、その原因はレイモンドにもすぐに分かった。
牢屋があった場所にアイザックが倒れており、クレアとソフィアが二人の男に拘束されていたのだ。
封印箱の男を見ているとそこは死角になるため、二人とも気付かなかったのだ。
その首元には剣が当てられている。
「全員、注目!」
大声に視線を戻せば、集団の中にいた女が立っていた。右腕を天に掲げている。
握られているのは拳銃……だろうか。
女は校舎の壁に向かって引き金を引いた。一部の壁が砕ける。
どうやら本物のようだ。
「そこのガキ二人がこうなって欲しくなきゃ、全員姿を見せな! 安心しろ。抵抗しなきゃ誰も撃たねえからよ……いるんだろ? レイモンドとリリー!」
女の声は憎悪にまみれていた。
《封域》を展開した時点でなんとなく察してはいたが、やはり狙いは自分達のようだ。
何故憎まれているのかは分からないが。
木々や茂みに隠れていた泥棒側の者達が次々と姿を現す。
「レイ、貴方はここにいて」
「待って」
立ち上がろうとするリリーの袖を引っ張る。
「でも、このままじゃ何されるか分からない。霊術も使えないし、他の皆を危険に晒す訳にはいかないよ」
「でも、自己強化なら出来るじゃん」
自己強化。
霊力を体内に流し、各部位の働きを促進する術で、ドーピングのようなものだ。
消費霊力はそこまでだが、身体への負担が大きいため霊との戦闘では滅多に使われない。
「姿を見せて油断させたところであの女の人から銃を奪って、二人を拘束している奴らを殺せば……」
「駄目」
リリーが首を振った。
「殺しは最終手段よ。私も殺したくないし、レイにも殺させない」
以前までのレイモンドなら、このリリーの言葉を甘い、と一蹴していただろう。
しかし、彼の頭にはグレイスの言葉があった。
相手を理解しようとしろ、と彼女は言った。そのためには、相手の言葉に従ってみろ、とも。
だから、レイモンドは聞いてみた。
「でも、じゃあどうするの? このままリリーが出て行っても、状況が好転するとは思えない。逆にリリーが撃たれでもしたら、それこそ万事休すだよ」
「……そうね」
リリーは考え込むように顎に手を当てた。
その一方で、皆は続々と女の元に集まっていた。
ケードロの陣営を分かりやすくするために全員が帽子を被っているためまだバレていないが、帽子を取れば二人がいないのはすぐにバレルだろう。
向こうがレイモンド達の髪色を把握していないとも思えない。
「一つ、策があるわ」
そんな状況下で、リリーはにやりと笑った。
「特徴的な黄色と水色って聞いてたんだが……隠れてんのか⁉」
「いますよ」
茂みから二人で姿を現す。
すかさず二人の男が走ってきて、レイモンド達の首元に剣を当てた。
これで、女の近くにいるのは一人だけになった。
計画通りだ。
「コソコソ隠れやがって、情ねえなあ」
女は口元は緩んでいるが、その眼は相変わらず憎悪に満ちていた。
本当に、自分達は何かしたんだろうか。今更ながら疑問だ。
「この髪色、生意気そうな目……間違いなさそうだな」
女に顔を殴られる。
その反動でリリーと目が合った瞬間、彼女はウインクをした。
――作戦開始だ。
レイモンドは瞬時に身体中に霊力を巡らせると、自分の首元に回されている男の腕を掴みながら、その股間を踵で蹴り上げた。
そのまま女の横に立っている男の鳩尾に拳を入れ、ソフィアの元へ走る。
並走するリリーの手には拳銃。
リリーは女の方を倒したのだ。
ソフィアとクレアを拘束していた二人の男が状況を理解する頃には、二人はレイモンドとリリーによって倒されていた。
レイモンドは方向転換をして、起き上がろうとしている女とその横の男の元へ走る。
一方で、リリーは拳銃を封印箱に向け、躊躇いなく引き金を引いた。
弾は正確に飛んでいき、封印箱を破壊した。
次の瞬間、《聖域》が生徒達を包み、その場にいた女と五名の男は《霊弾》を受けて倒れた。
《聖域》はリリー、《霊弾》はレイモンドのものだ。
レイモンドとリリーはそのまま《霊壁》を足場に空中に上がり、《封域》を作っていた四人に特大の《霊弾》を放った。
四人が発光する。
恐らくは慌てて《霊壁》でも作ったのだろうが、《霊弾》はいとも容易くそれを突き破り、四人の意識を刈り取った。
「もういないかな?」
「僕があの四人の回収ついでに見てくるよ」
「分かった。私はあそこにいる奴らを拘束しておくよ。気を付けて」
「うん」
結局他に仲間はおらず、やがて駆け付けた軍によって侵入者は全員回収された。
そして今、レイモンドとリリーは軍の本部で侵入者の女と向かい合っていた。
二人を出せ、という事以外、女は何も喋ろうとはしなかったからだ。
今も拘束されてはいるが、その目はこちらを睨んでいる。
「……てめえらに聞きたい事がある」
睨んではいるが、その声は静かだった。
少なくとも学校にいた時のように興奮はしていない。
「何でしょう?」
「何故、私達を殺さなかった?」
その疑問には、リリーが即答した。
「殺さなくて済んだからです」
「……どういう意味だ」
「私は、敵であってもなるべくなら殺したくはありません」
「ならっ!」
女は突然、大声を上げた。
「何故てめえらは、姉貴を殺した!」
「……姉貴?」
何の話だ、という風にリリーが聞き返す。
レイモンドにも心当たりがない。
「ふざけるな! 姉貴は数日前、友達と家を出て行ったきり、戻らなかった! そしたら次の日の朝、友達だけが怪我をして帰ってきてこう言った! お前の姉貴は軍のガキが《解放軍》に放った霊術に巻き込まれて死んだと! 遠くて髪色とかは分からなかったが、姿形は間違いなくガキだったってな! 戦闘に参加していた軍のガキはてめえら二人しかいねえ事は簡単に調べがついた。てめえらのどっちかが姉貴を殺したんだろうが!」
「それは違います。先の戦闘では《解放軍》の構成員以外は死んでいません」
「噓つくな!」
リリーは少し黙り込み、レイモンドとアンドリューを呼び寄せた。
「どうやって誤魔化そう、ってか」
女のせせら笑いを無視して、リリーが小声でいった。
「もしかしたら、彼女のお姉さんは彼女に《解放軍》の構成員である事を隠していたかもしれません」
「充分あり得る話だな。だとしたらその友達も構成員である可能性が高いな。遺体は皆、《解放軍》の服装をしていた。巻き込まれた、なんて情景はまず有り得ない」
「他の生き残った構成員の居場所は分かりませんし、その友達とやらを訪ねますか?」
「そうだな……」
「あの」
レイモンドは二人の会話が中断した時に手を挙げた。
「何?」
「僕、一人だけなら生き残った構成員の顔を見ています」
「本当か?」
「はい。最初に僕を襲った人なんですが、鼻筋の通った銀髪の女性でした。あと、左目の下に黒子がありました」
「それはかなり特徴的な顔立ちだな。よしっ」
アンドリューが振り返った。
「おい」
「何だ。言い訳は整ったのか?」
「違う。その友達について聞きたい」
「……あ?」
「そのお姉さんの友達というのは、左目の下に黒子のある銀髪の女性か?」
女の目が見開かれる。
「てめえら、やっぱり……!」
「違う。良いか。よく聞け」
アンドリューが女を手で制した。
「その友達は、《解放軍》の構成員だ。そして、おそらく君のお姉さんも」
「なっ⁉」
女は目に見えて動揺した。
「嘘だ! そんなまさか……!」
少し時間をおいてから、リリーが口を開いた。
「あの暗い森の中で黒子の位置まで知るためには、相当な至近距離で顔を合わせなければなりません。それなのに友達の口からはこの子の特徴は一切漏れていないし、そもそも巻き込まれただけの一般人がそんなに近くで顔を見られているというのもおかしな話です」
「でも、姉貴やステラがあんな……あんな狂信集団に入っているわけがない!」
「なら」
アンドリューが立ち上がった。
「一度、あんたの姉の住んでいる家を探索させてもらえないだろうか?」
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