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第一章

第61話 二度目のお誘い

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 僕とシャルは学校を出ると、真っ直ぐ病院に足を向けた。
 シャルに【統一とういつ】の後遺症が現れていないか調べるためだ。

 一週間のうちは一日一回、検査を受ける必要がある。
 かなり精密に検査をしてくれているので、一週間の間に異常が出なければまず大丈夫だろう、とルーカスは言っていた。

 診察時間まで余裕があったので、歩いて向かう事にした。
 教室を出てからずっと、シャルは不満げな表情を浮かべている。

「どうしたの? シャル」
「何がですか?」
「いや、なんか不満そうだなって思って」
「……バレていたのですか」
「うん」

 シャルは結構表情に出やすいのだ。
 言ったら拗ねそうなので、本人には言わないけど。

「お気になさらずに。私が狭量なだけですので」
「シャル、前に我慢するなって言わなかったっけ?」
「うっ……」

 シャルは気まずそうな表情を浮かべて、視線を逸らした。

「……ノア君は少し、優しすぎる気がします」

 拗ねた子供のような口調だった。

「優しすぎるって、何が?」
「クラスメートの皆さんをあっさり許した事です」
「えっ、でも皆ちゃんと謝ってくれたし」
「それはノア君が覚醒して、ジェームズさんも立場が悪くなったからこそです」

 まぁ、確かにそういう一面はあるだろうな。

「皆さんがこれまでジェームズさんに逆らえなかったのは仕方のない事だとわかっていますが……そもそも今回だって、アッシャーさんの熱弁がなければ誰も名乗り出ていません。それなのにあっさり許してしまうのは、私としてはいささか不満なのです」

 なるほど。そういう事か。

「ありがとう、シャル」

 僕はシャルの頭にポンっと手を乗せた。

「またそうやって機嫌を取ろうとする……」

 シャルがジト目で睨みつけてくる。
 確かに、機嫌取りで頭を撫でる事は多い。
 でも、今回は違う。

「機嫌取りじゃないよ。本当に感謝しているし、嬉しいんだ」
「何がですか?」
「シャルが、僕のために怒ってくれている事が」
「っ……!」

 シャルが息を詰まらせた。

「もし僕が周囲に優しくできているのなら、それはシャルのおかげだよ。シャルはいつも味方でいてくれるし、僕のために怒ってくれる。だから僕は心に余裕を持てるんだ。多分、シャルがいてくれなかったら、皆の事をあんな簡単に受け入れられていなかったよ。だからありがとう、シャル」

 シャルがふいっと視線を逸らした。
 その白い頬は、少しだけ朱に染まっていた。

「またそういう事をさらりと言って……本当にずるいです、ノア君は」
「なんでよ」

 真面目に感謝を述べたっていうのに、ずるいはひどいな。

 ……まあ、小っ恥ずかしい事を言った自覚はあるけど。
 それでも、シャルにはちゃんと感謝を伝えておきたかった。

「シャルは常に僕の味方でいてくれるけど、周囲の状況に応じて態度や立ち回りを変えるって、結構普通の事じゃない? だから僕はそもそも、あんまり皆に対して負の感情を持っていなかったし、人間って変われると思うんだ。さっきの皆は口だけには見えなかった。僕は彼らの言葉を信じてみたいんだ」
「……やっぱり、優しすぎます。というか甘すぎますよ、ノア君は」
「シャルのおかげでね」

 シャルの手に指を絡ませる。
 
「……そういう事にしておいてあげます」

 シャルは唇を尖らせつつも、どことなく嬉しそうだった。
 思わず笑みがこぼれた。

 シャルが繋いでいる手に思い切り力を込めてくる。

「いててっ、何で?」
「馬鹿にされた気がしたので」
「してないって。ただ、可愛いなぁって」
「それを馬鹿にしているというのです」
「えぇ……」

 難しいな。
 困っている僕を見て溜飲を下げたのか、シャルはふっと表情を和らげた。

「まあでも、ありがとうございます」
「えっ、何が?」
「何でもです」

 ニコリと笑って、シャルは行きましょう、と僕の手を引っ張った。



◇   ◇   ◇



 精密検査の結果、異常は見つかりませんでした——。
 自身の検査を担当してくれているハンナにそう告げられて、シャーロットはホッと息を吐いた。

 体の不調はどこにも感じていないが、【統一】の使用後は体調が急変する事もあると師匠は言っていた。
 専門家の診断はやはり心強い。
 師匠にも何かお礼をしないとな、とシャーロットは思った。

 病院を出ると、シャーロットとノアは自然に手を繋いだ。
 もうすっかり当たり前になっている事を自覚して、シャーロットは喜びと羞恥を同時に味わった。

「まだ油断はできないけど、よかったね」
「はい。付き添っていただいてありがとうございます」
「そりゃあ、僕がシャルに【統一】を使わせたわけだからね。当然の事だよ」

 シャーロットはピタリと足を止めた。
 ノアの言葉が引っかかった。

「どうしたの?」
「ノア君。一つ勘違いしないで欲しいのですが、私は確かにノア君のために【統一】を使いましたけど、ノア君に責任は一切ないですからね? あくまで悪いのはケラベルスたちですから、そこは履き違えないでください」

 シャーロットは、らしくもなく強い口調になっているのを自覚したが、あえて緩めはしなかった。
 それくらい、真摯しんしに伝えたかったからだ。

 ノアは驚いたように目を見開いた後、その目を細めて微笑んだ。

「わかってるよ」
「そんな満面の笑みで頷かれても不安なのですけど……まあ、わかっているならいいです。では、ノア君の家に——」

 ——向かいましょう。
 そう言おうとして、シャーロットは口をつぐんだ。
 ノアが覚醒した今、自分が彼を家まで送っていく必要がない事に気づいてしまったからだ。

 胸の内から迫り上がってくる寂しさを堪え、シャーロットは意識的に笑みを浮かべて言った。

「もう、私がノア君を送る理由はないですよね。今のノア君は、私よりも強いですから」

 ノアはすぐには何も言わなかった。

「……確かにそうだね。今までありがとう、シャル」

 やがてノアが口にしたのは、上っ面だけの慰めではなく、これまでの感謝だった。
 真心のこもったものである事はわかった。
 しかし、シャーロットからすれば、ノアの護衛をしていたのは当然の責務であり、感謝されるような事ではなかった。

「いえ、私のせいでノア君が危険な目に遭っていたのですから、それは当然の事で——」
「シャル」

 語気を強めて名を呼ばれ、シャーロットはビクッと体を震わせた。
 ノアの瞳は真剣だった。

「さっきのシャルの言葉をそのまま返すよ。確かに僕が襲われた理由の一つにシャルの存在はあったのかもしれないけど、シャルに何一つ責任はないからね? そこは履き違えないでよ」
「うっ……」

 シャーロットは視線を逸らした。

「……そうですね。理屈ではわかっていますし、人には簡単に言えますけど……でも、自分が要因なのに自分に責任はないと思うのは、なかなか難しいものですね」
「開き直ったね」
「うるさいです。ノア君だってわかるでしょう?」
「めちゃくちゃわかる」
「ほら」

 シャーロットとノアはクスクスと笑い合った。

「それでシャル、今日のこの後の事なんだけどさ」
「はい」

 シャーロットはかしこまった。
 今日はここでお別れ。そう言われるのも覚悟していた。
 だが、ノアの表情は、ただ別れを告げるにしては真剣すぎるものだった。

「シャルさえ良ければなんだけど、今日もウチに泊まってくれない?」
「……えっ?」

 シャーロットは目を見開いて固まった。
 予想もしていない提案だった。

「不安がらせたいわけじゃないけど、やっぱり今は一人じゃない方がいいと思うんだ。異変があったとしてもすぐに気づけるし……どうかな?」
「それは、その、とても有難い提案ではあるのですが……さすがに迷惑ですよね?」
「いやぁ、真面目にそんな事はないと思うよ? お義母さんもお義父さんもシャルの事、すごい気に入ってるし」

 シャーロットはとても迷った。
 それでも、最終的には彼の優しさに甘える事にした。



 ノアの両親には、【統一】の事は伏せてもらった。
 要らぬ心配をかけさせたくなかったからだ。

「ありがとうございます、ノア君」

 ノアの部屋で二人きりになったところで、シャーロットは改めて礼を述べた。
 二人は並んでノアのベッドに背をもたれ掛けさせていた。

「何が?」
「今日も誘ってくれた事です。正直、私も少し不安だったのです。良くも悪くも正直な物言いをする師匠があそこまで心配していたので……だから、ありがとうございます。一緒にいてくれて」

 シャーロットは正直に自分の心情を吐露した。
 ノアは優しげな笑みを浮かべて首を振った。

「ううん、僕もシャルと話しているのは楽しいからさ。こっちこそ、プライベート空間もないところに二日も泊まってくれてありがとう」
「そこはお気になさらず。ノア君のお部屋は居心地がいいですから」
「そう? ならよかった」

 ノアは安心したように笑った。
 シャーロットは彼の肩に頭を乗せた。
 なんだか無性にそうしたくなったのだ。

 ノアは驚くわけでも困惑するわけでもなく、シャーロットの頭に頬をこすり付けてきた。
 彼も甘えてくれている。
 その事が嬉しかった。

 距離が近くなれば、その分だけノアの匂いも香ってくる。
 わずかに汗の匂いも混じっているため、それが客観的にいい匂いなのかはわからない。

 ただ、少なくともシャーロットにとってはそうだった。
 心が安らぐし、それに……少し興奮もする。
 実際、布団に顔を押し付けて、図らずともノアの匂いを強く感じた今朝は危なかった。

 しかし、今は圧倒的に安心感の方が強い。
 朝と何が違うのかわからないが、部屋に二人きりの時に欲情するわけにはいかないので、シャーロットとしては有り難かった。

「ふわぁ……」

 ノアがあくびをした。
 シャーロットが頭を乗せているのとは反対側の首を、手で揉んでいる。

「お疲れですか?」
「いや、大丈夫だよ……ふわぁ」

 再びあくびをした。
 寝不足なのだろうかと考えて、シャーロットは気づいた。
 彼が寝不足なのは確実に、夜中に彼を起こして添い寝まで要求してしまった自分のせいである、と。

 罪滅ぼしのつもりで、提案してみる。

「首がっているなら、マッサージしましょうか?」
「本当? じゃあ、少しお願いしようかな」

 すでに一回、マッサージはし合った事がある。

「任せてください」
「よろしくー」

 ノアが布団に寝転がって枕に顔を埋めた。
 シャーロットはその背中にまたがるようにして、肩を揉み始めた。

「あー、気持ちいいー……」
「おじさんですか」
「うん……」

 いや、おじさんなんかい、とシャーロットは心の中でツッコミを入れた。
 ノアは今にも眠りそうだ。

「寝てしまっていいですよ。ここはノア君の部屋なのですし」
「うん……」

 もはや半分寝入っているようだ。
 大変可愛らしい。

 抱きついて頬ずりしたくなる衝動とシャーロットが戦っているうちに、彼は本当に寝落ちしてしまった。
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