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第一章

第41話 対照的なカップル

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「放課後、少し話せないか?」

 ジェームズからそう言われた時、アローラは怒りが沸々と込み上げた。
 大喧嘩をした時に浴びせられた罵詈雑言ばりぞうごんや、アローラを見下すような視線は、今でもはっきり覚えている。

「……いいよ」

 それでも、結局アローラは了承した。
 このまま関係が終わるのは悔しかったし、ジェームズの態度がいつになくしおらしかったからだ。



 放課後、待ち合わせのカフェに行くと、開口一番にジェームズは謝ってきた。

「すまなかった。ようやくアローラを手に入れられた喜びで、少し空回りしてしまっていたんだ」
「そんな……」

 真摯しんしに謝られた事で、アローラの中にくすぶっていたジェームズへの怒りがスッと消えていく。
 心に余裕ができると、自分の悪いところも見えてくるものだ。

「私の方こそごめん」

 アローラは頭を下げた。

「私だってわがままだったし、ジェームズだけが悪いわけじゃないよ」
「そうだな。俺たちは互いに未熟だった。けど、こんな形で終わらせたくはないんだ。アローラ、もう一度やり直してくれないか?」
「えぇ、やり直しましょう」

 ジェームズから伸ばされた手を、アローラは迷う事なく握った。
 まだジェームズの彼女でいられる事に、心から安堵した。



 それからのデートも、ジェームズは人が変わったように紳士的だった。
 アローラは初めて、彼とのデートを楽しい気分で終える事ができた。

 帰宅して自分の部屋にこもり、唇に手を当てる。
 初めて自分からねだったお別れのキスは、甘美な味だった。

 下半身がうずく。
 唇に触れた指をズボンの中に忍ばせてみると、そこはすでに湿っていた。

「あっ、ジェームズ……!」

 強引に体を求められる事を想像し、自分を慰める。
 しかし、脳内に映し出される映像は、いつの間にかノアに犯される自分に変わっていた。
 そのまま、アローラは絶頂を迎えた。

「はぁ、はぁ、どうして……」

 ベッドに体を投げ出して荒い息を吐きながら、アローラはつぶやいた。

「……いや、所詮は妄想だもん。実際にノアに犯されたいわけじゃないから、別にいいでしょ。痴漢される事を妄想する人だっているくらいだし」

 妄想と実際の気持ちは別物なのだ——。
 アローラは自分にそう言い聞かせた。



◇   ◇   ◇



 アローラとジェームズの復縁は、瞬く間に学校中の噂となった。
 二人が手を繋いで登校したからだ。
 初めての事だった。

「大喧嘩したっていう話だったのに……ジェームズ君が謝ったのかな?」
「えー、でも、それはなくない? 彼、プライド高いし」
「そんなこと言ったらアローラさんも高そうだけど」
「確かにねー」

 友人たちの会話を聞き流しつつ、エリアは思った。
 どうでもいいな、と。

 アローラとジェームズだからこそ関心がないというのもあるが、そもそも今のエリアには、他人の恋愛話で盛り上がれるほどの余裕がなかった。
 というのも、人間主義者の集団にノアが襲われて以降、彼とお姉ちゃんの間に微妙に壁ができているのだ。
 喧嘩しているというよりは、ノアが少しお姉ちゃんを遠ざけているという感じがする。

 数日は様子を見てみたが、そろそろ限界だった。
 エリアにとって、二人はどちらも大切な存在だ。
 あまりギクシャクしているところは見たくないし、単純に三人でいる時も居心地が悪かった。

 翌日の朝、思い切ってお姉ちゃんに尋ねてみた。
 ノアとの間に何があったのか、と。

「それが、わからないのです」

 お姉ちゃんは途方に暮れたような表情を浮かべていた。

「まさか、ジェームズとの婚約話について喋ったりはしてないよね?」
「それはしていません。いくらノア君相手でも」
「だよね。良かった」

 お姉ちゃんとジェームズの間に縁談が持ち上がっていたという話は、断りの返事を入れたという報告とともに聞かされた。
 あえて自分に話を回していなかった両親に憤慨ふんがいするとともに、しっかりと自分の意見を伝えたお姉ちゃんを誇らしく思ったものだ。

「二人がギクシャクし始めたのって、ノアが襲われてからだよね?」
「はい」
「じゃあ、原因がそこにあるのは間違いないと思う。お姉ちゃんにとっても気分のいい話じゃないと思うけど、詳しく話してみてよ。第三者目線ならわかる事もあるかもしれないから」
「そうですね……」

 お姉ちゃんが、その日の出来事を詳細に語ってくれる。
 その中で気になったのは、お姉ちゃんが護衛を申し出た際にノアが渋る様子を見せた、というところだった。

 お姉ちゃんがノアの送り迎えをするようになった事は知っていた。
 実際、最近はイーサンに回り道してもらってノアを家まで迎えに行ってもいる。
 しかし、ノアが難色を示していたというのは初耳だった。

「やっぱり、それが良くなかったのでしょうか……」
「案自体は妥当なものだと思うよ。前にも話した通り、今更お姉ちゃんとノアが距離をとっても意味はないしね。それがわかっているから、ノアも受け入れたんだと思う」

 まあ、ノアの立場的に受け入れるしかなかったというのもあるとは思うけど。
 聡明そうめいな彼の事だ。自分が断った方がお姉ちゃんに迷惑だと理解しているだろう。

「けど、もしかしたら、伝え方があんまり良くなかったのかもしれないね」
「伝え方?」

 お姉ちゃんが眉をひそめた。

「お姉ちゃんがその話をした時、ノアは逡巡しゅんじゅんしたんだよね?」
「はい。やはり迷惑だったのでしょうか……」
「それはないけど、なんて言ったらいいのかな」

 お姉ちゃんは相当落ち込んでおり、ネガティヴ思考になっている。
 些細な言い回しの誤りでも傷つきかねない。
 エリアは慎重に言葉を選んだ。

「ほら、ノアもやっぱり男の子だからさ。お姉ちゃんに護衛対象として見られて、ちょっと傷ついちゃったんじゃないかって思うんだ」
「えっ?」

 お姉ちゃんが目をぱちくりさせた。
 その可能性は夢にも思っていなかったらしい。

 エリアとしてもただの推測に過ぎないが、可能性は高いと睨んでいた。
 何気ない会話や発言から、こと魔法に関してノアが劣等感を抱いている事は容易に察せられたし、好きな子の前でいい格好を見せたいと思うのは、男の子なら当たり前の事だろう。

 それが、逆に自分が守られる対象として見られた事で、プライドが傷ついてしまったのではないだろうか。

「私がノア君を傷つけていたんですね……」

 お姉ちゃんは目に涙を浮かべた。

 ——やばっ。
 エリアは慌てて取りなしにかかった。

「ま、まだ決まったわけじゃないし、お姉ちゃんが悪いわけじゃないよ。とりあえず、ノアにも話を聞いてみるから、そんなに落ち込まないで。ほら、早くしないと遅刻するよ」

 わざと明るくそう言って、ほとんど手のつけられていないパンを、お姉ちゃんの小さな口に突っ込んだ。



 その日の昼休み、お姉ちゃんには生徒会室に来ないでもらうように言った。
 まずはノアと二人で話したかったからだ。

「あれ、エリアだけ?」
「うん、お姉ちゃんは少し用事があるみたい」
「そっか」

 ノアはどこかホッとしているようだった。
 それを見て、エリアは苛立ちを覚えた。

「いい加減、お姉ちゃんと仲直りしたら?」

 自分でも驚くほど冷たい声が出る。
 だめだ。ノアを責めるな。
 彼だって、好きで壁を作っているわけじゃないのだから。

「うん……」

 ソファーに腰を下ろしたノアは、力なく頷いた。
 その小さな背中は、いつになく頼りなかった。

 エリアは隣に腰を下ろした。
 意識して優しく話しかける。

「ねえ、何でノアはお姉ちゃんを避けているの?」
「……気づいてたんだ。僕の方が避けてるって」
「そりゃ、気づくよ。普段はあれだけイチャコラしてるんだから」

 エリアは小さく笑った。
 すぐに口元を引き締める。

「で、本当に何があったの? 無理に吐けとは言わないけど、自分で抱え込んでるだけじゃ見えてこないものだってあると思うよ」

 ノアは躊躇ためらうように何度か口を開閉させた。

「……シャルは悪くないよ。これは僕の問題なんだ」

 そこには、自責の念が込められていた。

「シャルが僕の安全を考えて、護衛を買って出てくれた事はわかってる。けど、どうしても心の整理ができないんだ。彼女にとって頼れる存在になりたいのに、襲われれば助けてもらう事しかできないし、逆にシャルが襲われたとしてもできる事なんか何一つない」

 ノアがふっと笑った。
 寂しげな笑みだった。

「やっぱり僕みたいな落ちこぼれじゃ、シャルのような優秀な子の隣には立つ資格なんてない——」

 ——パチン!
 乾いた音が生徒会室に響いた。

 手のひらに残るジンジンとした痛みと、頬に手を当てて目を見開いているノアを見て、エリアは自分が彼を平手打ちした事に気づいた。
 無意識だった。
 遅れて、怒りが沸々と込み上げてくる。

「ふざけないでよ」

 エリアは立ち上がり、呆然としているノアを見下ろした。

「隣に立つ資格って何? 魔法が不得手な人は魔法が得意な人を好きになっちゃいけないの? 弱い人は強い人の隣に立っちゃいけないの? 何、そのみにくい考え。魔法の才能や強さで人の価値を決めてるじゃん。そういうの、一番嫌いなんだけど」
「……そうだよね」

 ノアが俯いてしまう。
 エリアはハッと正気に戻った。

「ご、ごめん、言い過ぎたっ。ノアもそこまで極端に考えているわけじゃないよね。本当ごめん」

 どうして自分はあんなにキツい言葉を使ってしまったのだろう。
 今更のように、後悔が込み上げる。

「謝らないでいいよ。似たような事を考えていたのは事実だから……」

 ノアが自嘲の笑みを浮かべた。
 エリアに視線を向け、彼は続けた。

「でも、そうだよね。強さだけで人の価値が決まるわけじゃないよね」
「そ、そうだよ。ノアだって、別にお姉ちゃんが弱くなっても嫌いになったりしないでしょ?」
「まさか。もし仮に一切の魔法が使えなくなったとしても、シャルに対する想いは変わらないよ」

 ノアは迷う事なく断言した。
 本当にお姉ちゃんが好きなんだな、この人。

「……そういう事だよ。それに、ノアはこれまで十分にお姉ちゃんの助けになってるよ。物理的な強さはないかもしれないけど、人の強さってそれだけじゃないからさ。ノアはもっと自信を持っていいと思うし、お姉ちゃんの言葉、もう少し信じてあげてよ。お姉ちゃん、本当にノアには感謝してるんだから」
「そうだね。ありがとう、エリア」

 ノアが立ち上がり、深々と頭を下げてくる。
 エリアは罪悪感でいっぱいになった。

「やめてよ。私はただ暴言を吐いただけ。むしろごめん。心ない言葉をぶつけちゃって」
「いや、あれくらいガツンと言ってくれないと、今の僕は気づけなかったと思う」

 だからありがとう——。
 そう言って、ノアは微笑んだ。

「っ……!」

 エリアは息を呑んだ。
 話題を逸らす。

「で、これからどうするつもり?」
「シャルに謝るよ」
「告白はどうするの? 前にクリスマスにしたいって言ってたじゃん」
「うーん……」

 ノアが唸った。
 人の価値は強さだけでは決まらないとわかっていても、彼も男の子だ。
 自分が強くなってから告白したいという思いもあるのだろう。

「ノアのタイミングですればいいと思うけど、女の子って中途半端な関係はあんまり好きじゃないからさ。あんまり待たせちゃだめだよ。後悔してからじゃ遅いしね」
「それはわかってるけど……シャル、待っててくれてるのかな」

 不安げに呟くノアに対して、エリアは心の中で「あたりめーだろこの鈍感男」とツッコんだ。
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