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第一章

第33話 一日デート① お出かけ

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「ノア君、お待たせしました」

 声をかけられて振り向くと、約束の相手——シャルが立っていた。
 今日は定期テストのご褒美として、彼女に一日付き合う事になっている。
 僕にとってもご褒美なのだが、それはさすがに気持ち悪がられそうなので言わない。

 シャルは白シャツに薄い茶色のセーターを羽織り、下は黒が基調のチェック柄のロングスカートを履いていた。
 もうすっかり秋なので、肌の露出は少なめだ。

「僕も今来たところだよ。似合ってるね、その服装。可愛いよ」
「あ、ありがとうございますっ」

 シャルがはにかんだ。
 それから頬を染めておずおずと、

「ノアくんも、その、格好いいですよ?」
「っ……ありがとう」

 単に言い慣れていないだけなのかもしれないが、恥ずかしげにそんな事を言われれば、心臓が跳ねてしまうのは健全な男子として仕方のない事だろう。

「じゃ、行こうか」

 動揺した事がバレないように、いつも通りを意識して手を差し出した。
 シャルもさすがに慣れてきたようで、特に赤面する事もなく手を伸ばしてくる。

 これまでは普通に手のひらを握るだけだったが、僕は思い切って指を絡めてみた。
 いわゆる恋人繋ぎだ。

「あ、あの、ノア君……⁉︎」
「何?」

 目を真ん丸にしているシャルに、僕はとぼけて首を傾げてみせた。

「その、ここ、これはっ⁉︎」
「あぁ——これ・・の事?」

 視線を下に向けるシャルの手をにぎにぎする。
 彼女の頬にだんだんと赤みが増していく。

「い、意地悪しないでくださいっ」
「ごめんごめん。クラスメートが、最近僕らが全く進展してないって話しているのを聞いたからさ。このくらいはしといた方がいいかなって思って」

 これ以上はしつこいだろうと思い、謝罪とともに背景を説明する。
 単純に恋人繋ぎをしたいという下心はもちろんあったが、偽カップルである事を知られないための予防措置でもあるのだ。

「な、なるほど……」

 シャルもどうやら納得してくれたようだ。
 不満はあるようだが。

「そういう意図があるならよろしいのですが、それならそうと、事前におっしゃってください。こちらも気持ちの準備が——」
「恋人繋ぎしたよ」
「それは事後承諾です! あと、はっきり言わないでください!」

 シャルが頬を膨らませ、睨みつけてくる。
 身長差ゆえ、自然に上目遣いになる。
 わずかに潤んだその瞳は、僕の中の加虐心を刺激した。

「嫌だった?」
「別に、嫌ではありませんけど……温かいですし」

 シャルが恥ずかしそうにしている姿に満足感を覚えるとともに、もっといじめたくなる。
 これ以上はやめておこう。
 好きな子をいじめてたら嫌われました、なんて小学生じゃあるまいし。

「それで、今日はどこに行くの?」

 シャルのご褒美という事もあり、今日の行動プランは彼女が立てている。

「とりあえずは本屋さん巡りをしたいなと思っています。ほら、前に二人で目をつけていた古本屋さんとか」
「あぁ、あのものものしい感じのところか」
「そうですそうです」

 シャルが嬉しそうに頷いた。
 口調もいつもより若干砕けている。
 彼女も楽しみにしてくれていたんだと思うと、自然と口元がにやけてしまった。



 お目当ての古本屋は、集合場所から歩いて十五分ほどだった。
 入店した瞬間、本の匂いに包まれた。
 同時に大きく息を吸い、僕らは顔を見合わせて吹き出した。

「やっぱり、こういういかにも本! って感じの匂いがいいよね」
「わかります。さあ、行きましょう」

 シャルが僕の手を引っ張る。
 入店した時点で一度手を離していたため、今回は恋人繋ぎではない。
 僕も時と場合くらいは弁えている。

 雰囲気のある店という事もあってか、店内の客は僕たちだけだった。
 二人でああでもない、こうでもないと話しながら物色していく。

 二冊以上ある場合は、同じものを購入した。
 常に自分の手元に欲しいし、同じタイミングで読んで語らいたいというのもあった。



 その古本屋の他にも何軒か本屋を巡っていると、いつの間にか時刻は午後一時を回ろうとしていた。
 十時に集合したので、かれこれ三時間ほど経っている事になる。

「ねぇ、もうそろお昼に——」

 ——グゥ~。
 僕の言葉を遮るように、シャルのお腹が可愛らしい音を鳴らした。

「……しよっか」
「はい……」

 シャルが頬を真っ赤に染めながら頷いた。



 近くにあったカフェに入る。
 ランチのセットが二種類あったので、どうせならと別々のセットを注文した。

 飲み物が運ばれてくる。
 僕はココア、シャルは柑橘系のジュースだ。
 ココアはまろやかで、程よい具合に甘かった。

「美味しそうに飲みますね」
「飲む?」
「いいのですか? それなら私のもどうぞ。結構さっぱりしていて美味しいですよ」

 コップを交換する。
 シャルがストローに口をつけたのを確認して、僕も一口飲んでみる。

「確かにもたついてなくて爽やかだね、これ」
「そうでしょう? このココアもちょうど良い甘さです」

 互いに感想を言い合い、再びコップを交換する。
 何気なく自分のストローに口をつけようとしたところで、シャルの動きが止まった。

 みるみる顔が朱に染まっていく。
 どうやら、自分たちが何をしていたのか気付いたようだ。

「シャル、どうしたの?」
「あ、あのっ、すみません! 私、ノア君のストローをちょ、直接飲んでしまってっ」
「あぁ、全然いいよ。というか、シャルがそうしたから嫌じゃないんだって判断したんだけど、嫌ならストロー取り替えてもらおうか?」

 少し意地悪をしてみる。

 シャルが、自分たちの行為が間接キスだという事に気づいていないのはわかっていた。
 その上であえて指摘をしなかったのだが、僕はさもシャルが率先して間接キスをしたから自分もした、というふうに言葉を並べてみせた。

 もちろん、シャルの恥ずかしがる姿を見たいだけである。

「べ、別にそれはいいです! 店員さんにも迷惑がかかりますし、その……い、嫌ってわけじゃないですしっ」
「そっか。シャルがいいならいいんだけど」

 僕は平然とココアを飲んだ。
 それを見て、シャルは顔を赤くさせつつ、覚悟を決めたようにストローをくわえ、羞恥を誤魔化すようにズゴーっと勢いよく吸った。

 その様子を眺めていると、どうしてもぷっくりしている桜色の唇に目がいってしまう。
 ——あれが、僕のストローに触れていたのか。
 間接キスをしていた事を今更ながらに実感し、僕も赤面してしまった。

「や、やっぱりノア君も恥ずかしかったのですね……」
「うるさい」



◇   ◇   ◇



「この後はどうする? 読みたいものあるならそれを読むでもいいけど」

 カフェを出て、隣を歩くシャルに尋ねた。

「いえ、それはいつでもできるので、せっかくならこういう機会にしかできない事をしたいです」

 そう言ってシャルが提案してきた場所は、総合運動施設だった。
 サッカーやバスケ、テニスなど、様々なスポーツが行なえるところだ。

「僕はもちろん構わないけど、ちょっと意外だな」
「私、スポーツも結構好きなんです」
「そうなんだ。でも、シャルとは勝負にならない気がするんだけど。僕、ほとんど身体強化できないし」

 男女の運動能力の差など、シャルほどの魔法の才の持ち主の前では無意味だ。

「いえ、私は魔法を使うつもりはありませんよ」
「えっ、でも——」
「遊びではなるべく魔法を使いたくないのです。真剣勝負になりすぎてしまったりもしますから。他の人と遊ぶ時もお互い魔法は禁止にしています。ノア君だからどうこう、という訳ではありませんよ」
「そう、なんだ」
「はい。ですからノア君も遠慮せずにプレーしてくださいね」
「そうさせてもらうよ。ありがとう、シャル」
「ふふ、どういたしまして」

 優しげに笑うシャルの顔は、思わず息を止めて見惚れてしまうほど綺麗だった。

「見えましたよ、あの建物ですっ」

 シャルのはしゃいだ声で、僕はハッと我に返った。



 総合運動施設でのひと時は楽しかった。
 シャルは魔法を使わなくても運動神経が良かったため、僕も気兼ねなく楽しむ事ができた。

「結構いい時間になりましたね」
「そうだね。じゃ、材料を買いに行こうか」
「はい」

 この後はシャルの家で一緒に夕食を作る予定だ。
 シャルに料理を教えて欲しいと頼まれていた。

「夕方になると結構冷えるね。シャル、大丈夫?」
「はい、大丈夫です——あっ」

 シャルが何かを思いついたように声を上げ、足を止めた。
 チラチラと僕を見てくる。

 どうしたの、と尋ねようとした瞬間、シャルは繋いでいた手を離したかと思えば、腕に抱きついてきた。

「……えっ?」

 突然の事に固まってしまう。

「こ、こうすれば寒くないですからっ」

 恥じらいながらも笑みを浮かべて見上げてくるその姿があまりにも可愛くて、僕は込み上げる頬の熱を抑えられなかった。
 空いている手で、口元を覆う。

「よしっ」

 嬉しそうな声が聞こえた。

「何がよしっ、なのさ」
「今朝の仕返しです。私ばかりドキドキさせられるのは不公平ですから」

 得意げに笑い、腕を抱く力をさらに強めてくる。
 そうなると、必然的に僕の腕と彼女の体が密着する事になる。

 ——むにゅっ。
 控えめだが、それでも確かな柔らかい感触。
 これはまずい。

「あの、シャルさん」
「何でしょう?」
「あ、当たってるんだけど……」
「えっ? ——あっ」

 言われてシャルも気づいたらしい。
 慌てて僕から離れようとするので、先んじて背中に手を回す。
 結果的に、抱きしめるような体勢になった。

「あ、あの……っ⁉︎」

 動揺の声を上げるシャルから手を離す。

「いきなり飛び退くとまた前みたいに転ぶかもしれないし、道路だから気をつけて」
「あっ……も、申し訳ありません」

 シャルがバツの悪そうな表情でうつむいてしまった。
 僕はその頭に手を置いた。半ば無意識だった。

「そんなに気にしなくていいよ」
「……むぅ、結局ノア君のペースになってしまいました」
「男はリードしたい生き物だからね」
「余裕な感じが腹立たしいです……!」
「そんな事ないって」

 むしろ、こっちは理性を総動員してるんだけど——。
 口から出かかった文句を飲み込む。

 シャルが僕の事を余裕そうだと思っているなら、そのまま見栄を張らせてもらおうじゃないか。
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